夕さり街1

 列車がトンネルに差し掛かると、大きな口がすべてを飲み込むように、トンネルが視界を覆い尽くし、車内は一瞬で暗闇に包まれた。

 アサギは無意識に口を手で押さえ、息を止める。

 暗闇と狭い場所が胸を締めつけ、たまらなく恐ろしくなり、アサギはぎゅっと目を閉じた。

「大丈夫、怖くないよ」

 隣に座っていたマリがそっと手を伸ばし、アサギの手を握りながら優しく声をかける。その声は子供をあやすように、とても穏やかだった。

 マリの手の温もりが、暗闇の中でアサギの心に安らぎを与え、不安が少しずつ消えていくのを感じる。


 やがて列車がトンネルを抜けると、暗闇が消え、眩い光が二人を包み込んだ。

 窓の外には、まったく別世界のような光景が広がっている。

 高層ビルが立ち並び、その谷間を冷たく乾いた風が吹き抜けていた。

 開いた電車の窓から重たく湿った都会の風が吹き込み、アサギの顔にまとわりつき、肌にはぬるりと感じられる。

 風が街の熱と埃を運び、アサギの髪をわずかに揺らした。ふと彼は窓の方へ目を向け、車窓越しに広がる街を見た。

 赤や青、紫の光がビルの谷間を静かに照らし、冷たい輝きが漂っている。その華やかさの裏には、どこか寂しさが感じられた。

「ここは?」アサギは窓の外の景色を見つめながら呟く。

 マリは不機嫌そうに、ため息交じりに答えた。

「ここは夕さり街。何だって手に入る、夜の街よ」

 その声には、この街に来ることへの不本意さが滲んでいた。


 列車は街の中を進み続け、ビルの間を縫うように走っていた。

 窓の外に目を向けると、街並みは雑然としており、看板が積み重なるように並び、カラフルなネオンがちらちらと瞬いている。

 高層ビルの壁面には大きな広告が次々と映し出され、街を歩く人々の姿が一瞬だけ映るが、その表情は曖昧で、すぐに消えてしまう。

 アサギはその様子を見つめながら、奇妙な寂しさを覚えた。

「カワズ殿たちは?」

 アサギは突然思い立ったように尋ねる。田園の穏やかさや、カワズ殿たちの賑やかな声がふと恋しくなったからだった。

 マリはアサギの手を握り返し、静かに答える。

「ここでの時間は口縄の郷とは違うから、今は心配しなくていいよ。カワズ殿たちは大丈夫」

 その言葉には安堵感があったが、同時に現実感が薄れているような印象もあった。

 列車は徐々に速度を落とし、やがて夕さり街の駅に滑り込んだ。

 ドアが開くと、冷たい夜風が車内に流れ込み、アサギは思わず身震いする。

 プラットホームには数多くの看板や広告が貼られ、ネオンの光が反射してまばゆく輝いていたが、その中に古びたポスターが混じっていた。

 色あせた文字や画像は、どこか懐かしさを感じさせ、過去と現在が曖昧に重なり合うこの街の特異な雰囲気を象徴しているかのようだった。


 アサギは足を止め、看板や広告に目を凝らした。

 明るいネオンの中に混ざる古いポスターに、何か気になるものがあったのかもしれない。

 手を伸ばして触れようと一歩近づいたその瞬間、マリがそっと彼の肩に手を置いた。

「見なくていいよ」

 マリは少し鋭い声で言う。その声には、何かを隠そうとする静かな力が感じられた。

 アサギは不思議な気持ちで彼女の顔を見つめたが、マリはただ視線を返すだけで、何も説明しようとはしなかった。

「行こう」

 彼女の手がアサギの肩から離れ、再び彼の手を引いた。

 アサギは迷いを残しつつも、引かれるまま駅の出口へと足を進めた。

 背後では発車メロディーが鳴り響き、広告やポスターは音に溶けるように虚空へ消え、列車は静かに夕さり街の駅を出て行く。

 街の喧騒が次第に近づき、ネオンの光がちらちらと視界を彩り始めた。

 アサギとマリは無言のまま駅の出口に向かい、その沈黙はどこか心地よく、夜の静かな空気に馴染んでいく。

 自動ドアが静かに開き、二人は駅から夜の街へと足を踏み出した。

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