黄金色の稲穂16
夜が静かに過ぎ、朝がやわらかに訪れた。
東の空が淡く白みはじめ、田んぼの水面にゆれる光が一筋、きらりと走る。夜露を帯びた草が、朝日に透けて淡く輝き、小さな命たちが目を覚ます音が空気に溶けていく。鳥たちのさえずりが天を跳ね、春の匂いが風に混じってひっそりと流れていた。
その静けさを、破るような声が轟いた。
「いつまで寝ておる! 田植えの時期じゃぞ!」
大地の奥から響いてきたような低く重い声だった。
桜の花びらに埋もれるように眠っていたカワズ殿たちは、一斉に目を見開いた。
「んだま、やっべ! カガチ様だっけ!」
「ひぇ〜〜、また飲まれてまうぞっ!」
「ほいづ、起きろ、起きろ〜!」
どよめきが一気に広がる。あっちで跳ね、こっちで転び、誰かが頭に提灯を被ったまま走り出す。着物を裏返しに着たままの者、腰を抜かしそうな者、まだ夢を見てるような者まで――祭りの酔いを残したまま、あわただしく動き出した。
田んぼの端では、カガチ様が腰を据え、静かにキセルをくゆらせながら、それでも目だけは鋭く、田に散らばるカワズ殿たちを見下ろしている。
「支度が遅いぞ。田を忘れた愚か者には、お仕置きが必要かの……」
ゆっくりとしたその言葉に、しかし底冷えするような迫力があった。
「ひゃ〜、ほんにすまねっす!」
「おら、昨日はつい呑みすぎで……な、なんとが赦してけろ!」
「カガチ様、おらたち、ちゃんとやっからなっす!」
声が重なり、足音が土を蹴る。道具を抱え、衣を直し、水を引き、田んぼを右へ左へと走り回るカワズ殿たち。まるで小波が田に広がっていくように、彼らの動きが光の中で揺れていた。
アサギは少し離れたところから、その光景を静かに見つめていた。
春の夜に咲いた幻想の宴は、すでに過去のものとなり――
けれど、そこにはまだ、やさしい余韻が漂っている。
叱責の声さえ、どこかあたたかい。
神のまなざしが見守るこの田で、今日もまた命が息づいてゆく。
夜が明け、空は高く、春は深く、
そして、祭りの続きのように、新しい一日が始まっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます