第2話 少年、ドラクエは分かるか?

 山を降りてくるときにはまったく気づいていなかったのだが、あの爺さんの言っていたように空は薄気味の悪い赤と黒の混じり合った色をしていた。太陽の位置は高い。僕の記憶ではもう日が沈んでいてもいい頃なのだが、どうも時間の感覚もおかしくなっているようだ。


「災難だったな、少年」


「あ、はい……。鏑木かぶらぎさん」


 男の名は鏑木と言った。爺さんからは拝み屋と呼ばれていたが、お祓いやまじないなどの民間信仰を行う者のことをそう呼んだはずである。雰囲気からして胡散臭さ100%の男であるが、僕はそんな彼に救われたようである。


「でさ、さっき言ったアレ本当だから」


「えっ? 僕が死ぬとかいうのですか? その祠に封印されていたナニカに祟られているから、側にいるとそのマガツヒノカミでしたっけ? その悪い影響がまわりの人間にも伝染るって……。僕を助けてくれるための方便じゃなかったんですか?」


八十禍津日神やそまがつひのかみ大禍津日神おほまがつひのかみの名で神話に登場する神さまのことな。でもそれはハッタリだ。あの祠に何が封じられていたかなんて俺も知らん。だが、少年がとんでもなく悪いものに目をつけられたのは間違いない。妖気だか何だかが俺の目にも見えるレベルで君にべっとりとまとわりついてる。こりゃ……、ヤマノケや八尺様クラスだわ」


「ヤマノケ? 八尺様?」


「知らない?」


「ええ……」


 鏑木はタバコを一本口にして火をつける。


「ふーっ。少年、今は何年だ?」


「令和6年だったと思いますけど」


「令和? ああ……、そういうことか。西暦で頼む」


「えっと、2024年です」


 彼は再び煙を吸い込むとゆっくり大きく吐き出した。


「ジェネレーションギャップってやつか。もう十七年も経ったんだな……、それも仕方ねえか。いいか? 落ち着いて聞いてくれ。君はあの山の中の祠をたずね、何らかの原因で、こっちの世界に迷い込んだんだ……」


「こっちの世界?」


「そうだ、こっちの世界だ。俺も十七年前、大学の民俗学の論文を書くために例の祠を確認するために山に入ったんだ。そんでもって、帰れないままこっちで拝み屋なんてものをして暮らしている」


「……!?」


 鏑木によると僕が生まれたころの十七年前、彼は日本に酷似しているがまったく別のこの世界に迷い込んだというのだ。彼は研究者の卵であったこともあり、はじめの十年ほどは調べられる範囲を徹底的に調査したらしい。さっきの村の様子からも分かるが、見た目は明治から大正にかけての雰囲気。しかし、この村の住人は外部との接触を一切持っておらず、自給自足の生活をしている。電話機はあるがどこにも繋がっていない。それを使っている形跡もない。これはなんの道具だと尋ねてもそれはその場所にあるべきものであって、使うようなものではないと言う。電気はどこから来ているんだと尋ねても、それはどこからかやってくるものであり、どこかを考えるようなものではないと言う。例えば窓ガラスが割れてしまっても、翌日には新品のものに取り替えられている。これも誰がどこからガラスを持ってきたのか、いつ直したのかも、彼が寝ずに見張っていたとしても突き止められなかったという。朝にはきれいに直っているのだ。


「さらに、この村の周囲十キロから先には進むことができない」


「進むことができないってどういう……」


「言葉通りの意味だ。少年、ドラクエは分かるか?」


「ああ、ゲームですね」


「何作目まで発売されたのかは気になるが、今はいいだろう。ああいったゲームと同様にある場所から先には何かの見えない壁に阻まれて進めないんだ」


 彼のこれまでの言葉を信じるなら、おそらくオフラインの古いゲームイメージなのだろう。


「ここがゲームのような世界だと? それじゃ、あのシミュレーション仮説みたいな……」


「少年、意外に博学じゃないか。オックスフォードのニック・ボストロムのこの宇宙が実はシミュレーションじゃないかって言ってたやつだな」


「ええ、まあ……」


 ネット記事でたまたま読んだ有名なネタなのだけども。十七年前って僕の生まれた頃にYouTubeが日本語でのサービスを始めたんだっけか。リンゴ印のスマホもその頃登場したって父さんがいってたな。だけど認識のズレは注意すればそんなに大きくはなさそうだ。


「それで、さらに俺は調べた。どうもその不可視の壁はこっちの世界のあの祠を中心にコンパスで円を書いたようにきれいに存在してるんだ。きっと俺が元の世界に戻る鍵はあの祠にあるって考えてずっと調べてた。破壊しようとも試みた。だが、ゲームの破壊不能オブジェクトみてえなもんで何を使っても無理だった。見た目は石なのによ。ちなみに俺はこっちの世界に転移したときに異能を授かったようでな、こう……」


 鏑木が差し出した手のひらの上に赤く燃える炎の球が浮かぶ。


「ま、魔法ですか!?」


「ああ、このいわゆるファイアーボールしかできねえんだけどよ。この手品レベルの芸と話術でなんとか拝み屋としての地位をこの村で獲得したんだけどな。まあ、この火の玉も弾かれるしで……。あの祠のことはほとんど諦めてたんだ。でも、そこで君の登場だ。あの祠を粉々に破壊したっていうじゃないか。いまだ元の世界に戻れる気配は無いんだが……。まあ、それはいい。ちなみに君はどんな異能を持ってるんだ?」


「いえ、何も……。そんな特別な力が身についた感覚もありませんし、あの祠は地震で勝手に壊れたんですよ」


「いや、自分で気づいていないだけなんじゃないか? 君の何らかの力が影響して祠が破壊された。その影響っていうのかが地震というカタチで現れたんだろうな。だが、そんな大きな地震というのは俺も感知していないんだ」


「そうですか」


 僕はこのありえない状況を受け入れようとしていた。再び歩き出した鏑木の背中を見て、俺も足を踏み出した。 

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