第5話 農業崩壊がもたらす『地方破壊』
選挙のたびに聞かされる『地方創生』と言葉。
地方住まいの私からすれば、これほど空虚な言葉はないと考えています。
特に今回は『時給1500円』によって地方の破壊を目論みながら、同じ口で『地方創生』と唱える矛盾。
創生を口にしながら、破壊を志す。
その自覚があるのかと、政治家連中に問いかけたい思いだ。
『時給1500円』によって、地方の雇用は崩壊する。
他業種はどうか分からないが、農業は確実に崩壊する。
するとどうなるのか?
産業を失い、地方から人が離れる。
当たり前だ。生きる糧を得るために仕事につき、賃金を得るのだから、その仕事がなくなったら引っ越さねばならない。
地方の産業は“一次産業”に依存している場合が多い。
土地もあるし、畑や水田、果樹園や、あるいは牧場を作ることができるからだ。
都市部では、土地面積、あるいは“臭い”の問題で絶対にできない。
せいぜい都市部郊外だ。
かつての江戸では、この郊外での農業で都市部の人口を支えてきた。
練馬で作られた練馬大根、小松川で作られた小松菜など、名前が今なお続く野菜の供給をしていたのが近郊農業だ。
保存の利く米ならば、米廻船で主に東北からの供給で賄われていた。
都市部の膨大な人口を支えているのは、郊外や遠方の農村であり、その構図は今も昔も変わらない。
つまり、農業の崩壊は、同時にその産物に依存している都市部の崩壊も意味する。
そうなれば右往左往するのが、都市部の連中。
食料は生存権に直結し、冷静ではいられない。
直近でも、『令和の米騒動』でその醜態ぶりを拝ませてもらった。
自然災害とそれに伴う備蓄需要の高まりで、一時的に米が店頭から消えた。
一部では出し渋りや転売も見られた。
愚かなり、と画面の向こう側の都市部の慌てように失笑したものだ。
すでに米の収穫期に入ろうかという時期であるし、不足もすぐに解消される。
そんなもんは農業の年間カレンダーが頭に入っていれば、“旬”の時期などすぐ分かるものだ。
農のイロハも知らぬ者が、テレビの煽りを食らって悲喜劇を繰り広げた、というのが自分の率直な感想だ。
本気の米不足であった『平成の米騒動』を経験した身の上では、今回の騒動など騒動の内にも入りません。
海外から米を輸入せざるを得ないという、緊急事態でしたからね。
よそから米粒一つ入れたりしない! と豪語していた農業関係者の絶叫が、脆くも崩壊した瞬間を目の当たりにしましたとも。
幼心にも、当時の騒動は覚えておりますし、食べ慣れぬタイ米には苦い思い出があります。
そう、世紀の大冷害であったかつての米騒動ならいざ知らず、今回の米騒動はすぐに終息すると農業関係者も農水省も宣言していたにもかかわらず、まるで取り付け騒ぎでも発生したかのように店に殺到し、米を買っていった。
ちょっとの騒動でこれであるから、もし都市部に食料が供給されなくなったらどうなるのか、想像するのに難くない。
それほどまでに、都市部の人間は社会システムに無頓着になりつつある。
供給されるからこそ、店先に商品が並ぶのであって、地面からにょきにょき生えてくるわけではない。
土地のある地方で生産され、それがトラックや船舶によって運送されるからこそ、都市生活が維持されていくのである。
「スーパーになければコンビニで買えばいいじゃないか」
などという書き込みを見たが、アホかと率直に思った。
現代のマリーちゃんか、お前らは!
そもそも商品自体が無くなれば、どこの店先にも並ばなくなるのが道理である。
あるいは、商品があっても産地から消費地に運ぶ“輸送力”がなくても同様だ。
整備された圃場、輸送のためのインフラ、それらを運用するためのマンパワー、これらの結合があって初めて都市部での食料供給がなされるのだ。
それを意識していない人間があまりに多い事が、今回の米騒動で浮き彫りになった格好だ。
今回の騒動の原因は、一時的な需要上昇による供給不足が原因である。
つまり、需要と供給を結合させる輸送力が足りていなかった、という話だ。
現に収穫を終えた新米が次々と運び込まれると、あっさり騒動が終息した。
『平成の米騒動(1993年)』の際は、本当に大凶作で米自体がなかった。
しかし、今回の『令和の米騒動(2024年)』は、一時的な品薄なだけ。米自体はあったのだ。
米騒動の元ネタである『大正の米騒動(1918年)』は、都市部への人口流出による生産量の頭打ちと消費量の増加が原因だ。
これに第一次大戦による食糧輸入量の低下、さらにシベリア出兵による米の買い上げや、特需を見込んだ米商人の出し渋りなど、複数の要因が重なったことにより、全国で“一揆”が発生した事が原因である。
大正、平成の二つの米騒動に比べれば、今回の米騒動など、同じ“米騒動”と銘打つのもおこがましい規模の騒動だ。
いや、農家の視点で見れば、なんでこの程度の事で騒いでいるのか、と呆れるばかりである。
これはひとえに、都市部の住人の地方への無関心、これに起因しているのではないかと思う。
社会は常に連結している。
自分の足下だけを注意していればよいという話でもない。
もし、地方が崩壊すれば、都市部も危うくなるのは過去の例からも明らかだ。
江戸時代、天明の大飢饉、天保の大飢饉による社会不安や農村部の崩壊によって、都市部への人口流入が相次ぎ、食糧危機に陥った。
幕府側も人返し令などを交付するも、その効果はほとんどなかった。
そもそもの人口流入の原因が、農村部での生活基盤が崩壊した事に起因する。
品不足によってインフレが加速し、農村での生活を維持できなくなったからだ。
そうなると、どうなるのか?
農村部からの人口流出は、農作物の生産性に直結し、食糧供給が減少するのが目に見えている。
しかも、流出した地方の人口は都市部へと流れ、消費の拡大をもたらす。
供給が減るのに需要が増える、それは値段の高騰を意味する。
遠からぬ将来、そうなる未来は十分に有り得るのだ。
人のいなくなった農村、人であふれかえる都市部、このギャップが取り返しのつかない結果を生じさせる。
過度のインフレが経済を崩壊させ、外圧も重なって江戸幕府が崩壊したように、現代の日本もまたそうなる可能性もあるのだ。
その引き金となるのが、安易な人件費の高騰、『時給1500円』だ。
『地方崩壊』が日本そのもののを崩壊させる。
それも次でさらに掘り下げていく事にしよう。
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