第4話 増えない収入

「人件費払えない農家なんぞ潰れてしまえ」



「奴隷労働者がそんなに欲しいのか」



「潰れてしまっても自己責任だ」



 よくネットでの書き込みにこんなのを見かけます。


 それは確かに仰る通りです。


 労働者に対して、その労働の対価である“賃金”を払わないのは論外です。


 “研修制度”の名の下に、とんでもない低賃金で働かせ、果ては海外からも人を呼び寄せては、農園で働かせるなんて話もよく耳にします。


 そういう阿漕な農家は粛清されてしかるべきだと、自分は思います。


 実際、自分もその現場に居合わせたのですから。


 自分も“脱サラ農家”として今ではきっちりやっていますが、それは同時に農業素人という意味でもあります。


 ちゃんとした技術と初期資金が無ければ、農家への転身なんぞできはしません。


 しかし、そこは農業を推進している昨今。とにかく後継がおらず、産地の存続が危ぶまれている農村部もありますから、新規就農に対しても熱を入れている自治体はかなりあります。


 自分も新規就農の研修を経て、農家に転じた身です。


 自ら進んで“農業従事者”になりに来たのです。


 ただ、ここでしっかりと訂正しておきたい部分があります。


 研修制度は“奴隷労働者”を集めるための物だと誤解している人が多い。


 実際、制度を悪用して、人件費を極限にまで削っている阿漕な農家もいるのも事実ですが、それは研修制度の一側面でしかありません。


 自分のように“本気で農業を学びたい”と考えている脱サラ農家志望者にとっては、研修制度はなくてはならない制度です。


 有り体に言えば、これは“配属ガチャ”というべきものです。


 農家での実地研修は“どこ”に割り当てられるかは、担当者次第です。


 良い研修先もあれば、悪い研修先もあります。


 本当に親身になってブランド産地を守ろうと、後進の育成に親身になってくれる農家もいれば、単純に“奴隷労働者”を欲する農家もいるという事です。


 ちなみに、自分の場合は前者の方の農家でした。


 白ねぎ作りのイロハはもちろんの事、台風や大雪などの緊急時を除けば“土日は休み!”を通して休む事の重要性を体験させ、さらには慰安旅行にまで連れて行ってくださいました。


 ガチで良い農家に巡り合え、お師匠様には今でも頭が上がりません。


 一方、悪い農家についても話を聞いています。


 過酷極まる労働内容に加え、“機械の使用料”まで請求する悪辣ぶり。


 それで農業に嫌気がさして、途中で放り出してしまう研修生もいました。


 さらに“奴隷労働者”欲しさに、「研修先を俺の所にしろ!」と担当者に詰め寄ったり、農家同士で喧嘩沙汰になったりと、農業の負の一面もまざまざと見せつけられました。


 どの商売でも同じことですが、“人件費”は固定費ですから必ず出ていきますし、それゆえに削る事が出来ると大きくコストダウンに繋がります。


 制度を悪用して、そうしたコストダウンを図る農家は後を絶ちません。


 結局それが農業への新規参入を妨げ、結果として就農者の意識を削ぎ、諦めさせる一因にもなっています。


 自分の場合は本当に“配属ガチャ”でSSR引いたレベルです。


 しかし、そうまでしてコストカットしたい理由は何か?


 理由は単純。“そうでもしないと儲からない”からです。


 儲けを増やすのにはどうしたら良いか?


 それは二つしかありません。


 “収入を増やす”か、“支出を減らす”か、このどちらかです。


 コストカットは後者ですね。


 とにかく出ていくお金を絞り、手元に残るお金を減らさないようにする事です。


 しかし、それにも限度がありますが、何にもまして悪循環を生み出す原因は、ずばり“収入が増えない事”です。


 昨今、インフレだなんだと言って、スーパーマーケットなどでの店頭価格が上がっていると騒いでいます。


 実際、値段は上がっています。


 原材料の高騰だの、燃料の高騰だの、いくつも理由が挙げられており、それが店頭での価格に影響を出している、と。


 だが、声を大にして言いたい事が農家にはある。



「上がっているのは中間マージンだけで、農家の受け取る金額は変わっていない!」



 そう、野菜やなんかの買取価格は変わっていません。


 つまり、インフレだなんだと言いつつ、農家の収入は増えていないのです。


 先述しましたが、製造コストは上がっています。


 肥料然り、燃料然り、資材代然り、上がるものはあっても、下がるものはありません。


 むしろ、下がったのは“買取価格”の方です。


 なにしろ今期冬、白ねぎに関してですが、“買取価格の最低値”を更新しましたからね。


 1箱800円!


 ちなみに、1箱1000円で経費云々を考えるとトントンくらいか、が鳥取県白ねぎ農家での暗黙の了解。


 つまり、出せば出すほど赤字になるという最悪の状況。


 収入は少なくなり、支出は天井知らずで上がっていく。


 この状況で『最低時給1500円』を実行すればどうなるか、分かりますね?


 農家が一斉に“離農”します。


 やればやるほど、赤字が膨らんでいくのですから。


 高騰する諸経費に加え、“人件費”まで強制的に上げられると、それに耐えられる農家はほとんどいません。


 生き残れるのは、本当に大規模集約に成功した大農園だけ、という状況になるでしょう。


 もしくは、人件費の事を考えなくてよい“家族経営”の極小規模の農家くらいか。


 これで農業は戦前に逆戻り。


 GHQが行った『農地改革』によって、大地主の土地が小作人に分配され、自作農が大いに増えましたが、それが完全に失敗したことを意味します。


 単に“小作農”が“就農サラリーマン”に名前を変えるだけ。


 農家が大農場経営者とそこの就農者、この二極化になる可能性が高い。


 収入が増えずに、支出だけが上がっていけば、自らの畑を耕す事がなくなり、大農場経営者に従属する。


 このままでは自然とそうなるのです。


 そして、冒頭の間抜け共に特大ブーメラン。



「農家がいなくなって店先に食べ物が無くなっても、それって自己責任ですよね?」



「食べ物が欲しい? “都市部”の貧乏人が吠えるなよ! 田舎に住め、田舎に!」



「食べ物が欲しけりゃ、こっちに来いよ。いつでも歓迎するぜ、“奴隷労働者諸君”よ! 食うには困らんぞ、農場はな!」



 食料供給体制の崩壊である。


 ただでさえ低い日本の食料自給率が、『時給1500円』によって潰れます。


 食べ物があるのが当たり前ではない時代が、間もなくやって来ます。


 そうなってしまっても、“自己責任”の一言で済ませられるのでしょうか?


 これは国民すべてが一考しなければならない案件であると、一農家として意見具申いたします。

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