第24話 忘れていた記憶

 ――僕は坂岡さんに惚れてるわけじゃない。


 ――僕は坂岡さんに惚れてるわけじゃない。


 ――僕は坂岡さんに惚れてるわけじゃない。


 ――僕は坂岡さんに惚れてるわけじゃない。


 ――僕は坂岡さんに惚れてるわけじゃない。




 何度も何度も頭の中で唱えてないと、彼女の可愛さに飲まれてしまう。


 女の子に慣れてないとはいえ、自分がここまでチョロいとは思ってなかった。


 さぁ姉と礼姉。


 僕には二人がいるってのに、いったい何をしているのか……。


 トイレの水で鼻血を流し、顔を上げる。


 眼前の鏡には、外行きファッションに身を包んでる自分がいて、その顔はどうしようもないくらいに優柔不断なラノベの主人公みたいで。


 僕は、僕自身にどこかイライラしていた。


 ……くそ……。


 スマホの時計を確認するに、さぁ姉と礼姉が坂岡さんへアタックするのもあと一時間といったところ。


 作戦が上手くいくのかどうかは抜きにして、ここに来て二人に本当に頼っていいものなのか、疑問符が浮かぶ。


 フラフラと他の女の子の可愛さに魅了されてしまう僕だ。


 ここでバシッと坂岡さんに自分の気持ちを伝えれば、こんなイライラも解消できるんじゃないだろうか。


 必要なのは、思いを口にする勇気だけ。


 そしてその勇気も、今ならば持ち合わせているような気がする。




「……言って……みようかな……自分で……」




 鏡を見ながら独り言ちたところで、すぐ傍の出入り口から人が入って来る。


 今のセリフを聞かれてるわけではないと思うけど、一人で鏡に映ってる自分を眺める行為だっておおよそ普通じゃない。


 恥ずかしくなり、そそくさとトイレから出た。


 すると――




「……あ、一前君。どうですか? 大丈夫でしたか? 頭とかクラクラしませんか?」




 待ってました、と言わんばかりに坂岡さんがお出迎え。


 自分の持っていたハンカチで、濡れている僕の鼻部分を拭いてくれた。


 綺麗でもないところなのに……。


 しかも、めちゃくちゃいい匂いがする……。


「っ……! あ、だ、大丈夫です……! ハンカチも血で汚れるし……!」


 決意してさっそく坂岡さんのペースに飲まれそうになってる。


 ハッとして、彼女から少し離れた。


 残念そうに、「あっ……」と声を出し、また僕に近付いてくる坂岡さん。


 露骨に拒否するような態度も取れない僕は、困り果てた挙句、壁に追いやられ、追い詰められたマーモットみたいに固まるしかなかった。


「心配しなくても大丈夫ですよ……? 一前君の血液なら、ハンカチに付いたところで私は気にしません」


「……で、でも……」


「というより、むしろ私にとってそれは…………フフフッ」


 ……え?


 何……? 今、一瞬見えた坂岡さんの邪悪な微笑みは……。


「……はいっ。水分も拭き取れて綺麗になりました」


「……っ」


 何とも言えず、視線を斜め左下にやる僕。


 そんな僕に坂岡さんは顔を近付けて来て、


「いいですか、一前君? 次からは体調が悪くなったらすぐに私へ教えてください」


「……い、いや、僕は――」


「い い で す か ?」


「ひぃっ……!」


 笑顔を浮かべながら圧を掛けてくる坂岡さん。


 それはとても恐ろしくて、けれど僕のことを考えてくれているような、そんな一面が窺えるもので。


 きっと、さっきトイレで決心をしていなかったら、普段通り僕はそのまま流されて頷いていただろう。


 わかりました、と。


 でも、今は違う。


 後ずさりしてしまいそうなギリギリの中、僕は踏みとどまる。


「……あ、あの……坂岡……さん?」


 ただ、彼女を拒絶しようとするわけじゃない。


 別に、僕たちはまだ付き合ってるわけでもないんだ。


 勘違いでもしたように、ここで一方的に突き放すのは違う。


 敢えて、一歩前に踏み出してみた。


「……坂岡さんは……どうしてそこまで僕のことを心配してくれるんですか……?」


「……え?」


 不意を突かれたようにブラックスマイルを消し、キョトンとする彼女。


 頭上に疑問符が浮かんでいるから、僕はもう少し砕けた言い回しで伝える。


「その……僕は……正直、まだ坂岡さんとの関係が自分の中でハッキリしてないんです」


「……」


「ただの知り合いなのか。友達なのか。それとも……その、もっと大きな何かなのか。ちゃんと理解できていない」


「……」


「だから、困惑してます。今だって、体調が悪くなったら坂岡さんに、って言われて……。それはもう、友達以上の何かみたいな気もして……!」


 見据える眼前。


 そこには、僕のことをジッと見つめる坂岡さんがいて。


 無言でいる彼女の瞳には、『余裕』と『焦り』の相反するような二つが入り混じっている気がした。


 それを閉じ、一言。


 ポツリと口を開いて、坂岡さんは僕に言ってくる。


「……せっかちさん……なんですね」


「……へ?」


 僕が疑問符を浮かべるや否や、彼女は僕の手にそっと触れ、優しく握りしめてくれる。


「……!」


 その触り方は、どことなくさぁ姉や礼姉のものと似ていて、振り払うことができなかった。


「少し人気のないところに行きませんか? そこでお話ししましょう」


「え……? で、でも、ここを見て回るのは――」


「それはもういいんです。異人館も見どころがたくさんで素晴らしい場所ですが、私が今大切にしないといけないのは、一前君との二人きりの時間ですから」


「……っ」


「……でないと……あなたはきっと近いうちに取られてしまいますし……」


「……?」


 ボソッと何か小さい声で呟き、今度は優しい微笑みを僕に向けてくれる坂岡さん。


「それでは、行きましょうか。別のところへ」


 まるで、三人目のお姉ちゃんかと思うほどだった。


 薄れていたモノ。


 忘れていた記憶。


 僕の中で完全に消失してしまっている重大な何かの断片。


 それが、一瞬だけ尻尾を露わにさせたような、そんな感覚。


 ……初めてじゃない。


 僕は……坂岡さんと知り合いだったのか……?


 確信に至らない、ふんわりとした疑惑が自分の中に広がる。


 考えながら、ぼーっとしている僕の手を、彼女は引っ張ってくれた。




『いっくん……! こっちです……! こっちに行きましょう……!』




 ……ダメだ。思い出せない。


 鮮明になり切らない記憶は、ポケットの中でバイブしたスマホのせいで余計に遠いものとなった。


 メッセージが来てる。


 送り主は、きっとさぁ姉と礼姉だ。


 二人以外にはあり得ない。

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ママ活始めたら小さい頃に結婚の約束をした両隣に住む美人お姉ちゃん二人(アラサー処●)がなりふり構わず襲い掛かってきた せせら木 @seseragi0920

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