第2話 礼お姉ちゃん
幸喜に彼女ができたのを知った翌日、僕も件のマッチングアプリをダウンロードした。
使い方や仕様もある程度理解し、いざ自分のプロフィールも入力して勝負!
……と行きたいところだったのだが、世の中はやはり甘くない。
「……嘘……だ……」
可愛いと思った女の子にいいねポイントを送りまくるも、見事なまでに全玉砕。
一日が経過しても誰ともマッチングせず、絶望するしかなかった。
自室の床で四つん這いになり、orz状態。何が悪いのか皆目見当もつかない。
そんな状況だから泣く泣く幸喜に助けを求めるも、返って来たのはこんなメッセージだった。
『大人しく言うことを聞け、愚か者。お前に残されてる道は「#ママ活男子」だ』
「だから気が引けるんだってばそれは!」
つい部屋の中で叫んだ。
……が、最初は絶対にやりたくないと思っていたそれも、この状況では心が揺らいでしまう。
僕は意思の弱い人間だ。
悩みぬいた結果、結局【#ママ活男子】を使うことにした。
プロフィール欄をそれっぽく編集し、ママ活男子タグに常駐している女の人を見ていく。
「ま……マジですか……」
びっくりだ。
綺麗な人が多い。
しかも、年齢も四、五十代をイメージしてたのに、二十代とか、いってても三十代くらいの美人ばかりだった。
「え……えぇぇ……嘘でしょ……? こ、こんなこと……」
そうやって一人で驚きを口にしていると、だ。
唐突に部屋の扉がノックされる。
完全に油断していた僕は、思わず椅子から転げ落ちそうになるも、裏返った声で返事した。
「アサ、久しぶり。入っていい?」
「え……!」
母さんかと思ったのに、聞こえてきたのはまさかの声。
僕の家の右隣に住んでる礼姉――行橋礼だ。
いつもなら僕の部屋に来る前はほぼ必ず一報入れてくるのに、今日はまるでそれがなかったから予想外。
学校終わりで自堕落なパジャマ姿だし、恰好としては終わってるけど仕方ない。
部屋の前で待たせるわけにもいかず、入っていいことを彼女に伝えた。
「お邪魔するよ、アサ。悪いな、何の連絡もなく急に来て」
「い、いや、別にいいけど……」
仕事終わりらしい。
整えられた黒髪と、スーツ姿なのがそこはかとない大人っぽさを醸し出し、礼姉の美人さをこれでもかというほどに引き上げていた。
昔からクールビューティーなお姉ちゃんという印象だったが、今はもうそれが限界突破。僕とは天と地の差で、大人と子どもという違いを痛いくらい感じさせられる。
小さい頃は僕も無邪気だった。
そんな差なんて一切気にせず、
『お姉ちゃんと結婚する!』
みたいなことを口走ってた。
圧倒的黒歴史だ。
たぶん礼姉はそんなキッズの戯言を真に受けていないだろうし、もうとっくの昔に忘れてると思うけど、それでも僕からすれば、思い出すたびに悶え苦しんでしまう痛々しい記憶なわけで。
消してしまいたい反面、礼姉との思い出のカケラのような気がして、簡単に消すことができないでいた。
悩ましいものだ。
「けどアサ、今日はなんで私が突然来たかわかる? お母さんから何か聞いてるか?」
「……へ? 母さん……? 特には何も……」
「風音さん、たぶんアサに言ってるはずだぞ? 確か高校の同窓会か何かで夜は家を空けるって」
「……あ……そういえばなんかそんなこと言ってたな……」
「だろう? 幸仁さんも今日は仕事で遅くなるって聞いてる」
「う、うん」
「そこで、だ。家で一人の可哀想なアサに、私が夕飯を作りに来た。メニューはもう決めてあるぞ? お姉ちゃん特製カレーだ」
「えっ……」
腕組みしているとツルペタなのが一瞬でわかるほど貧相な胸を自信ありげに張る礼姉。
ただ、今大事なのはそこじゃない。
問題は礼姉がカレーを作ってくれるということだった。
「『えっ』とは何だ、『えっ』とは。もっと喜べ? 私が作っちゃうんだぞ? お腹を空かせたアサのために」
「……僕、死なないかな? 大丈夫?」
「大丈夫に決まってるだろ! 死んでたまるか! 私が作るのはただのカレーだぞ!? 失礼な!」
「まあそうですけど……礼姉が料理不得意なのは知ってますし……」
「不得意なのは過去の私だ。今はとある人のために練習を重ねたし、食べてもらえるレベルにはなった。大船に乗った気持ちでいるといい」
「そう言って泥船じゃなきゃいいけど……」
「大船だ! 私はそこのところ嘘なんてつかないから安心しろ! まったく!」
冗談を言う僕だったけど、本当のところは胸の辺りに鈍い痛みを覚えていた。
――とある人のために料理の練習を重ねた。
それは恐らく礼姉の好きな人か、彼氏のことだと思う。
モテるくせに昔から恋人を作らなかったが、それももう終わったということだ。
……そりゃそうだよな……そもそもこんなに綺麗なんだし……。
「そういうわけだから、アサ? 私、キッチンにいるぞ。カレー作ってくるから、完成したらまた呼ぶ」
「えっ、う、うん。あ、でも大丈夫? 料理道具の場所とかわかる? 僕も下りようか?なんなら手伝うし」
「大丈夫。生まれてこの方、何回アサの家にお邪魔したと思ってる? 家具の場所も、料理道具の場所も、日に落ちている髪の毛の本数まで私はちゃんと把握しているんだからな。わからないことなどない」
「それ、冗談でも父さんと母さんがいる時に言わない方がいいからね? 家具とかのことならともかく、髪の毛のことに関して言えば怖すぎるから」
「ふふっ。わかってる。冗談冗談。アサにしか言わないぞ、こんなこと」
「ならいいけどさ……」
「……本当はまだ言いたいけど言えないこと……たくさんあるけどな……」
「……? 今、なんか言った?」
「いや、何も。何も無いぞ、少年」
「……???」
明らかに何か言ってたけど、声が小さくてよく聞き取れなかった。まあいいか。
礼姉が大丈夫と言ったものの、僕は会話の流れでいつの間にか一緒になって自室から一階へ下りていた。
本当に母さんの姿がない。
同窓会に行ったみたいだ。
「にしても変だな。こういう時、大抵母さんならさぁ姉呼びそうだけど」
独り言のように呟くと、髪を結び直そうとしていた礼姉の体がわかりやすくビクッと震える。
不審だ。何か様子がおかしい。
「ま、まあ、今までならそうなっていたのかもな。風音さんも私の料理の腕が上達したことを知っていたんだろう。う、うん。きっとそう。……きっと」
「……礼姉、何か隠してない? 急に挙動不審になり始めたけど」
「な、ななな、何も隠してなどいないぞ!? 私はアンチ嘘つき! アサに隠し事など言語道断だ! あり得ない!」
「ふーん。あり得ない、ねぇ……」
「そう! あり得ない! 嘘は教育上よろしくないからな!」
「教育上って……僕もう十九歳なんだけど……? そんな子ども扱いされる歳でもないし」
「そ、そんなの誰よりもわかってる! わかってるから……私は……」
「……?」
なぜか急に熱でもあるみたいに顔を赤くさせる礼姉。
近頃の彼女は何かにつけこんな感じだ。
体感、歳の話をするとこうして動揺する。
やっぱり自分が三十一歳のことを気にしているのかもしれない。
だとしたら、そこは非常に触れづらいけど、いつか言うべきなんだろうな、とも思う。
何歳になろうと礼姉は綺麗だよ、って。
たぶん、四十になっても、五十になってもそう思い続けるはずだ。僕は。
「……まあいいや。とにかく、やっぱ僕もカレー作り手伝うね? 礼姉一人に任せるの申し訳ないし」
「ぅえ!? い、いや、いい! いいからアサはゆっくりしていてくれ! ここは私が生まれ変わった姿を一人で見せるんだから!」
「じゃあ、一緒に作りながら見せてもらうよ。僕一人楽するのもなんか違う」
「それもいいからほんと――」
……と、礼姉が言いかけていたタイミングで、テーブルに置いていたスマホが『パパポン♪』と変わった通知音を発した。
「……? なんか変な通知音だな? LIMEか?」
僕のスマホを覗き込む礼姉。
瞬間的に背筋が凍り、テーブル上に置かれたそれを回収しようとした刹那。
「二人きりで楽しそうだねぇ? あさ君?」
ウェーブした栗色の髪の毛が特徴的なもう一人の美人さん。
僕の左隣に住んでる、昔から顔馴染みのお姉ちゃん――さぁ姉こと実里桜子さんがそこに立っていた。
「さ、さぁ姉!? なんでここに――っていうか、今はそれどころじゃなくて!」
視線を戻した先。
礼姉の方を見やると、彼女は僕のスマホを手に持ち、生気のない無表情で問いかけてきた。
「……アサ……? これ……なんだ……?」
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