一文字が辛い

一文字零

「これは日記だから、話が二転三転するよ」と予め予防線を張る見出し

2024/10/15この投稿を始めたことについて

 この日付を見て、「コロコロコミックは毎月このくらいの時期に発売するよな」と思ったそこのオマエ。気が合うじゃないか。

 あ、オマエなんて言って、つい乱暴な言い方をしてしまった。そんなにフランクに問いかけられても困るだろうから、ここから先、この投稿を読んでいる人のことは、「この投稿を読んでいる人」とでも呼ぶことにする。

 コロコロといえば、ああいう雑誌を読んでいた頃はなんと平和だったのだろうと思う。いや、そうやって過去を無闇に掘り返して懐古する行為は、決して賞賛されるべき行為ではない。よし、もうこんな発言をするのはやめにしよう。

 と、いくら心に決めたとしても、自分で自分の封印を解いてしまうのが人の性。現に自分は、「自作小説のイメージに影響するかもしれないから、自我を出すのは控えておこう」と心に誓った二年半前の自分を、たった今裏切った。

 二年半前、そう、自分が小説を書き始めたのは、二〇二二年の春のことである。

 自分はこれから、この頃から時系列順に、自分の身に起こった出来事や、楽しかった話苦労した話などを、いわゆるエッセイとして振り返る。

 などと言うことは一切しない。ここで語るのは、二年半の創作活動を通して自分が経験した吐き気と動悸の話だけだ。

 よし。今回のサブタイトルについて話そう。つまり今から本題に入る。遅い。

 さっき「今回」と言った通り、この「一文字が辛い」は、不定期のシリーズものになるつもりだ。自分の心の避難所として作ったこのシリーズを、なぜ不特定多数の人が見るこのサイトに投稿したのか。それは、もしこの投稿が誰かの目に止まった時、何を感じてもらえるか、知りたかったからだ。自分のこの逃避行為は、度々「淋しがり」「愚の骨頂」「気色悪い」と表現される。自分の中では。

 あ、そうそう。さっきから一人称が「自分」なのは、例えば、この文章の一人称が「俺」「僕」「私」のいずれかであった時に、なんとなく、より「淋しがり」「愚の骨頂」「気色悪い」の印象が強くなる気がしたからで、それ以上の意味はない。

 戻す話もないかもしれないが、一応話したい本筋に戻る。

 この投稿を始めたのは、やはり辛い世界からの逃避のためであったり、どこにも発散できない醜い気持ちを、これでもかと叩きつけたいと思ったのがきっかけとしてある。しかしこの文章は、愉快痛快爆笑エッセイではなく、サンドバッグを殴るタイプのアーケードゲームに、ストレス発散のため挑戦したはいいものの、第二ステージでゲームオーバーになり余計ストレスが溜まるといったもどかしさで構成された不快失笑エッセイになる予定である。

 この際だから、出し惜しみせずに「一文字が辛い」というタイトルについても触れよう。

 ひともじ書くのがつらくなってきた。いちもんじがつらくなってきた。ひともじ書くのがからくなってきた。いちもんじがからくなってきた。

 後半は意味が分からないが、一応、このシリーズのタイトルは、四通りの読み方ができる。「いちもんじ」と「ひともじ」でダブルミーニングをしようとしたら、「からい」が邪魔をしてきたのだ。

 自分はこのタイトルに無理やり「からい」を当てはめてクワトロミーニングにしようとしたが、これ以上は考えると面倒になるな、と思いやめにした。この投稿を読んでいる人も、「からい」という読み方については考えなくてよい。考えるな。

 とまぁ、散々語ったわけだが、結局、具体的にこのシリーズでは何を書くつもりなのか。端的に、次回予告風に、言おう。

 高校生の小説書き一文字零は、嫉妬と執念に支配される苦しみから逃れるべく、ある連載を始めた。それは、ぐちゃぐちゃで醜い、油粘土のような心を固めてぶつけた、創作活動の日記だった。こんな姿を晒して、恥ずかしくないのか。こんな文章を晒して、死にたくならないのか。自暴自棄半歩手前の高校生男子が、限界まで書く。

 次回、一文字零、死す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一文字が辛い 一文字零 @ReI0114

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ