第15話 事件の果て
「悪いが、逃がすわけにはいかない。出口は塞いでおいた。抵抗してくれて構わないよ。」
俺たちが話し終えると、奇妙なことを犯人が言いだした。その意図を探るために一歩下がり、ドアを開けようとしたが、向こう側から重機で押さえつけているかのように全てが重く、びくともしなかった。念力?分からないが、物理的な力ではなさそうだった。
焦っている場合ではなかった。あいつが向こうから近づいて来ていた。入口の方は幅が狭く、機敏に立ち回ることは不可能だった。故に、俺はこちらから足を動かし、スペースを確保するためにそいつに向かって行き、掴みかかった。俺にできることは、押し切り、凶器を振るわせないようにして無力化することだ。
「あまり暴れないで欲しい。儀式が乱れる可能性がある。」
押し切られる前に男は足を反転させ、背中が向かって行く方向を変えた。入口からでは見えなかったが、血に濡れた布の入った瓶が所々に見られ、儀式らしい儀式の光景が広がっていた。それからこいつは遠ざかったのだ。俺に戦闘能力はなく、壁に激突した瞬間に太ももにナイフを刺され、手放すこととなった。
「ちっ。ナイフで刺されるってこんなに痛いのかよ…はあ、畜生。」
次の刺突が向かっているのが解っていたので、俺は転がって距離を稼いだ。これはサスペンスか何かか?昔の名残かガラス片が散らばっており、バリっとガラスの上を転がることとなったが、俺にもナイフが与えられる結果になった。殺し合いになるという雪里の言葉を思い出し、俺はガラスを深々と握りしめ、フラフラと立ち上がった。足は痛みで震える程に強く刺されている。もう既に、どちらが死の瀬戸際にいるかははっきりしていた。
「敦、あいつ左腕が上手く動いてないみたいや。凶器だけに集中したら抵抗は楽そう。絶対死なんとって。」
距離ができたので、霊子が俺に囁いた。あの一瞬では気づけなかった。今見ても、そうだと確信は得られない。しかし、俺はこれを本当だと思わなければいけない。小さく頷き、解ったと示した。
また殺し合いが始まった。今度は正真正銘、急所を狙う者同士の死闘だ。一度切りかかり合えば、息をする間もなく、どちらかが息絶えるまでやり取りが繰り返されるのだ。
「ハンディキャップを背負ってるのは本当か。」
近づいて来て、最初のナイフを抑えることはできた。片方の手も、上手く動かず、こちらの動きを抑制する傾向はなかった。しかし、今まで多くの死傷者が出ているのがおかしな点だった。片手だけしか使えないのなら、どこかのタイミングで抵抗に成功する。
「敦?敦、どうしたんや?!殺すの躊躇ってるん?」
霊子が怒号を上げる。彼女から見れば、俺が奴に対して慈悲を掛け、絶好の反撃を逃したように見えるのだろう。俺の体はガタガタと震え、態勢が崩れていくのだから。
「そんなんじゃないさ。悪いね…卑怯なんだ。僕は。」
胸倉を掴まれ、床に倒されていった。俺にできる事は、バタバタと手を動かし、こいつが殺そうと向かわせるナイフを止める事だけだった。これが多くの犠牲者を簡単に出している理由なんだろう。念力か何かで、ほぼ無力な状態へと下ってしまう。
「ああ!こんな理不尽なことが。」
俺はガラスをあいつの顔に突き立てたが、上手く力が入らなかった。されど血が多く流れる。初めに痛みで気づいたが、その血はあいつのものではなく、俺から流れるものだ。感電したように筋肉が収縮し、切れていく痛みを和らげることができず、傷が深くなっていく。
「残念だ。」
ゆっくりと首にナイフがあてがわれ、死への軌道を描くのが解った。犯人の顔は布に覆われ、見ることはできない。どんな表情かも、知りはしない。俺は死ぬのだ。
「敦、あかん。動いて!動いて!」
霊子の叫び声だけが聞こえてくる。彼女は縛られているのと同義で、声を荒げるこそしかできないようだ。
「うるさい。全く、若造が。」
首筋に痛みが走ったその時、野太い声が高い位置から聞こえてきて、犯人を蹴り上げた。死ぬと思い込んでいたが、雪里が来てくれていた。体の緊張は解け、息苦しい感覚から解放された。だが、立ち上がる元気はなく、俺は後ずさった。
「助けに来てくれたのか?」
俺は歓喜の声を上げた。誰だってあんな窮地を救われれば、安堵のあまり表情が和らぐものだ。
「そんなわけあるか。お前が力不足だから来たまでだ。」
このツンデレめ。やいのやいのとちょっかいを掛けらる状況ではないのが悲しい所だ。救ってくれた。どこから入って来たのか、入り口は開いてはいなかった。
「終わりにしよう。」
雪里は俺から血濡れのガラス片を取り上げ、男に向かって行った。その言葉は短かったものの、あらゆるものが乗せられているような重厚感があった。
「気を付けろ!そいつは異常な力を持っているぞ!」
このままでは二の舞だ。俺の体はまだ完全には動かず、手助けに入られる由もなかった。
「それくらい知っている。口を挟むな。久しぶりだな。」
そこに居るのが人を食らうバケモノだったとしても、雪里は怖気づいてしまうことはなかっただろう。動揺一つ見せることなく近づいていた。
「見ていただろう?無謀だよ。」
本当に望んで殺人を行っていないような悲しい声で犯人は迎えにいく態勢を整えていた。恐怖が伝わってこない雪里だったが、ナイフの届く距離に入った瞬間、恐れおののいてしまったようにガクガクと体が震え出し、立つことさえ難しそうになった。
「力が入らないのか?覆いかぶさるのは悪い癖だ。」
俺と同じく、脚が崩れて地面に倒れ込んだ。しかし、俺とは違い、冷静に状況を呑み込み、犯人に鋭い眼光を飛ばしていた。犯人は足で立ち上がれないように押さえつけながら、姿勢を落として体重でナイフを深く刺そうとしていた。
「そうかな?この方が確実に…な、なにを…」
依然悲しみに暮れたような口調だったが、雪里の次の行動に度肝を抜かしたみたいだ。
「自分から来ると思ったか?はっ、執念とはこういうものだ。」
彼は自分で犯人の手を押さえつけ、自分の胸にナイフを誘導しながら自分で死へ直行しだした。いくら体が動かないと言っても、内側に力を入れるのは難しい話ではない。言えば、自由落下を利用すればいいのだから。だが、それは秘策なんて呼べるような大したものではない。雪里は痛みで顔を引きつらせ、自分が死のうとしていることを自覚していた。
「なぜこんな意味の無いことを。」
犯人は手を止めるわけにはいかないので、混乱しながらも刃を進めていた。料理の時にも聞かないような肉を裂く音が聞こえていた。
「呪いの対象者の排除に失敗したなら、その起因を。つまり、俺だ。問題なかろう。敦、こいつを思い切り踏め、それくらいはやってもらうぞ!」
話を聞いていたのだ。あそこまで非科学的なことを否定していたのに、自己犠牲によってその呪いを終わらせようと企んでいたのだ。それは誠の覚悟だった。俺とは立っている場所が違うと底より理解した。
「言われなくても!最悪な日だ!」
俺はとぼとぼと近づき、言われた通りにした。ペラペラと喋っている場合ではなかったからである。遺言や、何を託したいのかさえも蔑ろにしてはならない。それこそが、最後に雪里が俺に与えた覚悟の示しどころだと思った。
彼が意図していたのは差し違えだった。覆いかぶさる犯人の腹部に、ガラス片を翳していたのだ。俺が踏むと、二極の刺さる音が響いた。雪里は直ぐに息を引き取り、犯人は致命傷を負ったがまだ生きていた。転がり込み、仰向けになって傷口を抑えていた。
「構わない。構わない。この方の血を…この布に染みこませ、奉納の箱を閉じてくれ…それで、儀式はおわ…」
俺の返事も待たず、犯人は亡くなった。儀式を俺にさせる気なのか。雪里の死がなければ考えるところだが、こうなれば仕方ない。
「敦、私はこれで良いと思う。やっと、終わった。ズタボロにしてやりたかったけど、惨い言い方、死んでくれただけでスッとした。翔平は笑ってくれるかな…」
復讐は何も生まないという言葉がある。実際に、復讐の対象が無くなってしまった瞬間は、何も残っておらず、モヤモヤした気持ちも全てが注がれるわけではない。何も生まないというよりは、何もできないということになるのだ。復讐とは、どうすることもできない事象に対しての妥協なのだろう。
「さあな。自分のこと思ってくれてることには、笑ってくれると思うがな。犯人は果たして、誰だったのか。知るわけもないが、失礼するぞ…ほう、不気味だなこれは。」
俺は確かな答えを出さずに慰めた。そして、犯人の顔に覆われた布を取り払ったが、そこには年老いて皺だらけになった顔が現れた。声からは絶対に察することはできなかった。いや、動きからも、こんな老人だったなんて。そもそも、老人だという事実すら怪しいではないか。全てが呪いと言う話であるのなら、この世の全てが怪しく思えてくる。
俺は長きを終わらせるため、儀式とやらに移った。血を用意し、部屋に置かれた様々ものと同様にそれを置き、犯人の言っていた箱を目にした。
「災濁の呪いか。終わってくれるんだろうな。これで。」
箱の傍らには呪法典などと呼ばれているものがあり、軽く目を通すと、奉納が完了すれば呪いやその因縁が鎮まるとあった。十年以上も続いてきたことが終わると思うと、とてつもない大挙のようにも思えてくる。感慨深さや正しさに悩みながらも、俺はその箱を閉じた。
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