第14話 衝突

「生臭い。間に合わなかったか。」

 階を登ると、血の匂いが充満しており、それも生ごみのような不快感を及ぼす鉄の匂いだけではなかった。

「写真はまだ大丈夫。被害者は死んでヘんと見た。」

 霊子の言葉に連れられカメラを開いたが、写真は健在で写っている。ではこの匂いは何なのだろうか。良くない現場に出くわすことになりそうだ。まるで雪里にトラウマを植え付けた、そのままの光景のような。

「この先だ。止めないとな。」

 会話している間に静けさが消えた。人の成している物音が聞こえてくる。階段の踊り場から繋がるドアは、果たして住民の部屋だったのだろうか。表札やドアの質感などからは読み解けなかった。ドアを開けると、目を凝らさなければならない闇が広がった。びちゃっ、と足元に不快感が訪れ、別の場所に移転してしまったかのような不気味さが際立った。

「呪いに関する資料が無くなってたよ。ひょっとすると、君が取ったのかい?」

 広くも狭くも無い空間の先から、俺が認識するよりも前に声が掛かった。もう一歩前へ出ると、人影があり、この部屋はがらんとしていた。しかしながら、それは住民が去ったという意味であり、現在はこいつが置いたであろう不可思議なものたちが部屋に置かれていた。

「お前か。会話はできるようだ。また人を殺したのか?」

 これ以上は迂闊に近づけなかった。凶器らしきシルエットがこちらを脅している。

「いつのことを言っているのか。いや、今日か。ううん。殺してない。君を待っていた。自分のツケは払ってもらわないと。今日僕は、殺人を止められる。ついに。」

 声色は淡々としてたが、堂々とはしていなかった。俺はこの瞬間、写真の意味するところを理解してしまう。これは、俺が死ぬことを予測した念写だ。今回の被害者は、俺だった。

「お前が!お前が!私は、橘 玲奈。あんたが命を奪った橘 翔平の姉や!お前は覚えとらんのやけどなあ?私はずうっとお前のこと呪ってるんや!お前はなんの慈悲もないサイコパスや!」

 なかなか男は近づいて来なかった。睨み合っていると、霊子が声を荒げ、積年の恨みを相手にぶつけた。男は一瞬驚いた様子だったが、霊という事を理解している風だった。

「今更謝るつもりなんてない。僕は誰かに呪い殺されても文句は言えない。最期も、苦しみの絶頂であるべきなんだろう。あなたの弟だってことも知っている。知っているとも。このままじゃ苦しみは永遠に連なっていく、僕はただそれを…。」

 男は同情を誘うかのような柔らかい口調で話し、あたかも会話を試みているように見せていた。真相は不明だ。

「何を言うとるんや?!お前が蒔いた種やろうが!何人も殺しといて、よくそんなことが言えるなあ!」

 霊子に実態があれば、相手が凶器を持っていても一心不乱で突っかかりに行っていただろう。今にも画面から出てきそうな距離に彼女は居た。

「呪いなんだ。資料を知らないのか。どう説明しようか。」

 事を荒立てようとしている人間だが、ただただその目的に縛られているようには見えなかった。

「俺たちは知っている。話してみろ。」

 言い訳など聞きたくはないが、動機を裏付ける理由くらいは認識していたい。俺は逃げる方法と阻止する方法を模索しながら促した。

「「災濁の呪い」って言われてる。黄泉の呪いっていう誤認があるものだ。あちらの神社にはなかったか。その昔、この地に秘祭があった。目的は災難の回避だ。その犠牲者によって溜まった呪いが、災濁の呪いだ。呪いは人に憑くようになって、まるでそれ自体が意思を持つかのように、人を解呪へと導くんだ。理不尽なのは、逃れられない人間が居るという事。その呪いの犠牲者である人間は、末代までその呪いが継承されることになる。僕の家族は、この呪いによって全員壮絶死を迎えている。一度呪いが移ってしまった者も同様、死ぬまで、いや死んでも呪いは残り続けるんだ。それだけじゃない。資料にあった通りだ。呪いは将来的にこの国全土を陥れる。再納、つまり犠牲を払って沈める行為の機を逃せば、ここは呪いの国になって、誰も生きていけなくなる。これは誓って言い訳やこじつけじゃない。誰かが、呪いを解く才覚を持った誰かが、やらなくちゃいけない使命なんだ。それには再納の血が必要だ。決められた土地、決められた人間の。あの地と、それに特定多角に結ばれる場所は呪われている。僕があそこを中心に動いているのもそれが理由だ。君を殺すというのも、再納の血の採取に失敗した場合、その失敗に起因した人間の血が必要なんだ。僕は今からあなたを殺す。いくら抵抗しようと、僕を殺すとあなたが言っても。これを阻止されれば、未来がなくなってしまうことになる。そう言ったって、解ったなんて誰も言ってくれないだろう?だから、僕はもうごめんなさいなんて言葉じゃ着飾れないんだ。」

 動機としては優れていた。資料と情報が一致しており、独りよがりに殺人を繰り返しているのではないと説明はできる。

「それがなんやって言うんや。私は、大切な大切な時間を奪われたんや!それを仕方ないって?そんな言い訳にしかならへんねん。呪いがどうとか、あんたが人殺す理由にはならん!」

 男が言った通り、被害者やその親族は解ったとはならない。直接被害に逢って居ない俺でさえ、殺人を繰り返すのは常軌を逸していると感じる。呪いには確か強迫観念とあった。

「言い訳か。その通りだ。けど、あなたが存在している理由は?あなたは呪いが生んだ歪でしかない。もう気づいてるはずだよ。霊界との境界は緩やかになって、こんな不可思議な現象を起こしている。あなたの動機はなんだい?あなたが今動いているのは?あなたは自分が呪いであると知っていて、誰かを動かしているんじゃないのかい?呪いありきの存在であると知りながら、その呪いを以て自分の復讐を果たそうとしているんだ。罪の深さは違うだろうけど、胸を張って正義は謳えないはずだよ。君の存在は呪いを後押ししている。強まっていくんだ。僕を血祭りに挙げればいい。だけど、この連鎖を自分で生んでいるということも自覚すべきだ。」

 俺はこれこそ言い訳に過ぎず、単に霊子の怒りを爆発させる要因にしかならないと思った。自分で大事な人を奪っておきながら、それが悪いかのように語るのだ。傲慢も甚だしいと。しかし、その逆、霊子は怒りよりも悲しみが爆発してしまいそうな表情に成り、どこか言葉を受け止めているようにも見えた。

「えぇ、解ってたのに。私はただの呪いやって。解ってんねん。なのに、心から湧いてくる憎しみが抑えられん。私は、思いを晴らさなあかんかったんじゃないの?私はすべきことをしてたまで。なのになんで?なんでこんな気持ちになってくるんや。翔平は、翔平は…」

 まさかの、彼女の向かう矛先は犯人だけに限らず、自分にも向いていた。俺は素直な衝突が生じると思っていたため面食らった。

「霊子、耳を貸すな。お前の敵は誰だ?殺されたって言うのは変わらないんだぞ?」

 ここまで来たのなら泣き言は無しだ。例え呪いだったとしても、自分がなぜ存在するかは自分で判断すべきではないのか。

「ちゃうねん。私は死んだ瞬間から呪いを利用して現世に留まってたんや。自覚は無かったけど、自分が望んでそうやったっていうのはなぜか覚えてる。いくら憎いからって、私がそうしてしまうことが、呪いを強めて呪いの拡散を促すことになったんや。この呪いは、そういうタチの悪いモノやってやっと気づいた。それだけやねん。勿論、こいつのことは許されへん。憎いよ。でもな?私が呪いを振りまく存在であることも事実やねん。」

 誰よりも優しい性格だから、彼女は憎しみだけを掲げなかった。最上に深い憎悪の対象が目の前に居るにも関わらず、自分を客観視し、その感情に支配されることを避け、まるで血が滲む程に現状を噛み耐えていたのだ。

「どうするって言う?諦めるのか。」

 険悪なムードだ。果たして示談で解消できるだろうか。否、今からでも殺し合いが始まる。ここで彼女が首を垂れるなら、俺が立ち向かう理由は薄くなっていく。

「そんなわけないやん。私はなんのためにここまで苦しんだと思ってるん?奪われたんや、私は。それを解くのは最早呪いでも関係ない。私も、自分が罪人やって自覚することにする。成仏できんまま怨嗟だけが残っても構わん。これは、そういう物語や。ってな。」

 彼女の最終的な選択は自己都合だけではないはずだ。精一杯の明るい表情と共に、自分の覚悟を示したのだ。

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