第12話 告白
ようやく自分の家に帰って来た。当たり前だが、ここから田舎のあの場所までは離れているので、車で往復するにしてもかなり疲れる。長旅から帰って来たような軽い安堵のようなものを重みに、机と向かう椅子にどっと体を落として座った。
「敦、ごめん。私、意地汚い形で巻き込んでしまった。今更かよって思うやろうけどさ、私、あんなお願いしたこと後悔してんねん。」
霊子はまだ気にしているようで、カメラを付けると初めに謝罪が飛んで来た。
「受けたのは俺だ。俺が断り切れなくてここまで来てると思ってるのか?」
細かいことだという風に俺は小さく笑った。本当は断り切れなくてここまで来ている。
「そうなんやろ?私、夢中になりすぎてた。」
相変わらず洞察力が長けている。俺の強がりを見破り、心配そうな顔で俯いた。
「俺は、大学時代にサークルを運営していた。写真を撮ったりするのも好きでさ、そういう芸術に寄ったサークルだ。写真は本気ではなかったけどな。それで、ある事情で俺が続けることが無理になったんだ。その時丁度、三年に一回ある大イベントに根詰めてた時で、大勢で挑んで、一年ぐらい準備し続けた大作と言うかプロジェクトが飛びそうになったんだ。誰かが、続けると。手を挙げて言い張ってくれればよかった。ただ、それだけで、俺たちの努力は報われたはずだった。だが、皆荷が重いって、俺にしか導けないって思い詰めて、それをしなかった。俺は頭を下げて継いでもらうように頼んだけど、サークルが世間で注目を浴びてたことからも、それ自体荷が重いことではあったんだ。だから、誰も手を取ってはくれなかった。お前と同じだ。あんな思いが十何年って続いて、自分ではどうしようもないって思うと、諦めるのも無理ってもんだ。それこそ、悪霊みたいに未練でこの世から離れられないさ。まあ、俺のは人生に大きな影響を及ぼさない小さな小さなもんだけどな。」
これも嘘。半分どころか大半が。俺はその断った方だった。逃げた方だった。自分の中で罪悪感が膨らみ、心ではどうにかすればよかったと苛み続けている。微細なものに過ぎないが、いつしか俺の奥深い所に眠る事となった。きっとそんな思いが、今を実現させてしまっているのではないか。
「スケールが違うわ。ホンマに成仏して欲しいからじゃないのはもう分かってんねん。この事件は、敦にとってはなんでもないことのはずやん。私は死んだから、諦めるべきやったんかも。悪霊って表現が言い得て妙や。」
俺の嘘はバレなかった。霊子は目を細め、明後日の方角を見た。
「それは違う。死んで尚、バトンを人に手渡せる人間はいない。お前が前に言ったように、これは奇跡か何かなのだろう。この事件を手放したら、お前はどうなる?今のお前は何者なんだ。魂があると言えるのか。人間とは違う。俺はどうにだってなるが、お前はどうにもならないんだ。自由ってのは、ただ存在して良いって意味じゃないだろうが。俺はお前の自由を握ってしまっている。それをどうするかは俺が決めるべきだとは思わないか?もう、いいんだ。決めたんだ。はっきり言って、死んだり危険な目に逢ったりするのはまっぴらごめんだ。だが、これだけは確かだ。俺の選択で何かが変わって、移ろっていく。それを決めるのが俺なんだ。」
もう一度あの日に戻れるなら、俺はカメラを拾ったか。拾わない。でももし、俺が霊子の事を知っていて戻ったなら、俺はカメラを拾うしかなかった。何が言いたいのかと言うと、後悔こそあれど、今に続く出来事に後悔は無いという事だ。
「…私、言わなあかんことがあんねん。もしかしたら、気持ち変わってまうかもやけど、言っとかな…。私な?既に弟のこと諦めててん。ずっと追ってたって言ったけど、実は途中で糸が切れて止めたねん。事件が熾烈化して、一回特別捜索隊っていうのが派遣されることになってさ、それは被害者の捜索だけじゃなく、加害者の捜索にも範囲が及ぶもので、過去に何度も指名手配犯が発見された実力がある人らやった。でも、一、二カ月続いた捜索は、何も得られないまま打ち止めになってさ。私よりも数倍知識や経験がある人が何十時間、いやそれ以上かな。そんな時間を使ってもダメやった。必然、私にできることなんてなんもあらへんかった。連続殺人事件一帯の張り込みも無駄、目撃情報を集めることも困難。いつしか、手の届かんことに嫌気が差したんやわ。しばらくすると、私もダメダメになってさ。完全に諦めて何もしなくなってん。私、不慮の事故で死んだって言ったやろ?あの日も、ただただ不幸に晒されたわけやないねん。別にお酒に浸ってるような日々じゃなかったけどさ、あの日は部屋からポロっと弟の遺品が出てきてもうて、自分から捜索を諦めたことに対する罪悪感でお酒を浴びるように飲んだ。それで、あんま覚えてへんけど、普通は立ち寄ったらあかん場所かなんかに入って行って事故って死んだねん。これだけ聞くとさ、マジで愚かで笑える話やろ?
だから、私があんな風に頭を下げたのはあまりにも虫が良い話や。自分で無理って言い張っといて、できるかもって思ったら大事なこと隠してまで頼み込んで。
弟はさ、いっつも明るくて、逆に私、実は内気な性格やってん。こんな性格に成れたのはあの子のお陰。板チョコあるやろ?四、四に割れるんやけど、私はいつも敢えて五と三に分けて翔平に大きい方渡すねんやんか。そしたらあの子、毎回余分な一切れ分を残して、それを半分に割って私に渡すんよ。食べてええんやでって言っても、こうしたほうが美味しいからって、笑うんよ。ホンマに幸せやった。私は諦めるべきじゃなかってん。あの子が浮かばれん。はああああ、敦、私のこと怒鳴って?罵倒して?私は姉失格や。」
震える息を漏らし、霊子は泣き出した。頬を涙が伝うが、それは涙ではなく、ただの露だった。流れて行くそれを彼女が拭おうと、潰れ広がって肌に染みることはなく、固形のようにスルっと滑って落ちていくだけだった。悲しみという感情をただ現象として俺に見せつけているようで、彼女が既に人間ではないことを俺に訴えていた。
「確かに、無責任かもな。一番諦めちゃいけない人が諦めてしまったのに、また掴もうとするなんて。仕方ないとは言え、誰かの人生を巻き込もうなんて。虫が良すぎる。」
彼女の思いは解っている。それに対しどれだけの思いがあったのかも、見れば誰でもわかる話だ。しかしながら、赤の他人が未解決事件に首を突っ込むなんてことにはどうも繋がらないのが普通ではないのか。
「やっぱりそうやんな?良かった。私、黙ってられんかったから。敦がちゃんとわかった上で断るんやったら、それも当然やもん。今までありがとう。」
少し寂しそうに涙を出し切って彼女は微笑んだ。後悔などはないと、自分に言い聞かせるように。
「おっかしいなあ。俺がいつ手を引くって言ったよ。虫は良いが俺は構わないぜ?この事件、俺らでなんとかするんだよ。」
意地悪をしてしまったかもしれない。何かが大きく変わったわけではない。決心も、後悔も、さほど傾きはなかった。しかし、行こうと思えた。
「あー!そんなんずっこいわ!成仏しかけたでホンマ!ふっ、せやな。」
頬を膨らませる彼女だったが、途中で噴き出し、目の奥に強い光が輝いた。
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