最終話 約束のドイツ車紹介空仰ぐ

「先天の精を腎で補い、後天の精を脾で補うんですか?」

「その通りだ。生まれた時、親からもらった先天の精が尽きかけて、飲食物から生成される後天の精も減っているからね」

ついに酸素チューブ無しで生活できるようになるまで由紀さんは回復した。

腎を補うのに二穴、脾を補うのに二穴、日が暮れるのを待つが如くゆっくり鍼をする。

浅田先生に生命力強化のツボを教えて頂けた事に感謝である。


「伊丹先生、私ね余命宣告されてたけど、こっそりサトゥーンのライヴチケット取ってたんで、来週行って来ます」

「私からは何も言えませんが主治医の先生はどう仰ってますか?」

「行って良いって言ってました」

「良かったですねえ行けるようになって」

「ありがとうございます。先生のおかげです。主治医の先生は治そうとしてないけど、伊丹先生は私の病気を治そうとして下さってるのが伝わって来ます」

と言われ、なんだか照れくさかった。


サトゥーンのライヴで元気をもらって来た由紀さんは笑顔が増えた。

「先生、どんな車に乗ってますか?」

「ホッサンのステレナです」

「国産車よりヴォンツに乗った方がいいですよ」

「ドイツの高級車ヴォンツですか?」

治療中いきなり車の話になった。

「贅沢や見栄じゃなくてドイツ車は事故の時ボディが頑丈なので安全なんですよ。以前、私も娘もヴォンツに乗ってて事故した時、怪我が無かったんでそれ以来ずっと乗り続けてるんです」

「僕は国産車ばかり乗ってきましたから目からうろこですわ」

私はなんだかヴォンツに乗りたくなってきた。


由紀さんは最初に会ったときより明るくなった。

奈々ちゃんもママが元気になって嬉しそうだ。

「それから、ヴォンツに乗ってると頭に“や”の付く自由業の方だと勘違いされて他の車が近寄って来ないと言うのも事故率低下につながっていると思うんですよ」

「なるほど、厄介な事に巻き込まれたくないと思うと車間距離空けますよね」

「先生、だんだんヴォンツに乗りたくなって来ましたね」

「はい少し…」

「購入時にはディーラーを紹介しますね」

「その時はよろしくお願いします」

早くヴォンツが買えるようになって、がんを克服した由紀さんに紹介してもらおうと思った。

余命一ヶ月宣告から2ヶ月が経った。


これはひょっとするといけるかもしれないと期待する私。

半島の先端にある常磐市の由紀さん宅までは片道一時間半かかる。

そんな⾧距離運転にも全く疲れを感じない程、私の気持ちは充実していた。

鍼灸医学の深遠さと底力を実感しながら今日も精一杯治療しようと由紀さん宅に着いた。

「こんにちは和楽鍼治療院です」

と挨拶するとお父様が玄関で迎えてくれた。


「由紀は今朝5時頃に亡くなりました。穏やかに眠るように息を引き取りました。ご連絡することを忘れててすみません」

「それはいたし方ありませんよ、お気になさらずに」

と言ったきり私は何の言葉も出なかった。

「今までどうもありがとうございました。先生の治療のお陰で余命が一ヶ月も延びました。家族全員、心の準備ができましたよ。大好きなアイドルのコンサートも行けたし孫と先生が仲良くなって由紀は喜んでましたよ」

私はお悔やみの言葉を言って由紀さん宅を後にした。


車に乗った途端、涙が溢れた。

「ディーラー紹介してくるって言うたやん。約束守ってえな。僕がヴォンツ乗れるようになるまで生きててよ」

と、初めて、ため口で由紀さんに文句を言った。

由紀さんは何も答えない。

サザンオールスターズの曲をかけた。

“夏がまた来るまでは互い涙見せずに、いつまでも変わらぬ想い…”歌詞が心に染みる。

「ひと夏、一緒に治療を頑張りましたね。また夏が来て私がヴォンツを買う時はよろしくお願いします」

と今度はため口ではなく治療中の会話のように言ったら

「先生、約束ですよ」

と由紀さんは笑顔で言った。

こんな貴重な経験をさせてくれた鍼灸治療…この道を選んで本当に良かったと思ったら涙が止まった。


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ドイツ車に乗りたい鍼灸師 @J0hnLee

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