第18話 開業後貯金がだんだん減っていく

「3000枚です」

と私は答えた。

「それは少ないよ。1万枚はまかないと。私の家の近所の新聞屋さんは親切丁寧だよ」

と良い意味でのおせっかいをしてくれる優しい方だった。

浅田先生が胡蝶蘭を持ってお祝いに来て下さった。

初日で二人も治療できた私の気持ちは高揚していた。

仕事を終えて浅田先生と私と妻の三人で近所の中華料理屋に向かう。


先生がビールをついでくれた。

五臓六腑に沁み渡る。

「伊丹君、開業おめでとう」

「ありがとうございます」

「奥さんもこれから伊丹君を助けてあげてね」

「はい、ありがとうございます」

「奥さん、今までの安定した収入の暮らしを捨てて、よくぞ伊丹君の開業を認めてあげましたね」

「私としては安定が一番なんですけど、それを言ってたら、この人が後悔すると思って決断しました」

「素晴しい奥さんだね、伊丹君。二人で手を取り合って頑張るんだよ」

「ありがとうございます」

「先生のおかげで今日は開業初日にもかかわらず二人も患者さんが来ました」

と私は興奮気味に話した。

「それは良かったねえ。伊丹君の人柄が患者さんを呼んだんだと思うよ。これから好調の時もそうでない時も来るから、落ち込まず淡々と治療し続けて行く事が大事だよ」

「ありがとうございます」

「中には開業はしたものの、患者さんが来なくて業界を去った人もいるんだよ」

「鍼灸をやめて整体にしたとかですか?」

「医療関係とはまったく無縁な工場に転職した人もいるよ」

「そうですか…そうならないように努力します」

「前も言ったけど家族を持っている人は守るものがあるから大丈夫だよ」

「頑張ります」

初日の門出の日は穏やかに終わった。


「全然、患者さんの来院数が増えへんのですわ」

「そうか、でも最初からバンバン患者さんが来たら後が怖いよ。一ヶ月ずつ、じんわりと増えていけば良いんじゃない?」

「開業から六ヶ月経ってもまだ一日ゼロ人なんてありますから、メンタルやられそうです」

と私は夜のアルバイト先の店⾧に居酒屋で愚痴をこぼした。

最初から治療院の収入だけではやっていけないのは分かっていたので、治療終了後、スーパー銭湯のマッサージのアルバイトをしている。


「まぁまぁ伊丹さん、もう一杯のんで」

「ありがとうございます。こうなりゃ、やけ酒だ」

深夜12:00にアルバイトを終えて居酒屋で飲んで帰宅することが多くなった。

翌日は二日酔いで頭がガンガンする。

「また、寝てんの!ええ加減にしいや。いくら患者さんがきーひんから言うて治療院で寝てたらあかんやん」

「飲んで愚痴聞いてもろてたら飲みすぎて調子こいてしもた、ごめんね」

「そんな自暴自棄になんねんやったら、治療院なんてしもてしまい」

「明日からちゃんとする…ごめん」

こんな会話を妻としながら来院患者数の伸び悩みは続く。


知り合いや身内が開業ご祝儀で治療に来てくれる。

それでも0人の日が続くと心が折れそうになる。

そんな時、妻が

「ゼロ、ゼロ、ゼロ、身内、身内、身内」

とリズミカルに囃したてて、辛いことを明るく吹き飛ばそうとしてくれた。

おかげで0人は減ったが来院数0、1、2、3人のローテーションは止まらない。

「ゼロイチニーサン」

とメロディを口ずさんむ。

引越センターの電話番号やないか〜い…と一人で突っ込み、こんな苦しい状態でも心が軽くなる気楽な私。


「運気が悪い時は、下半身スッポンポンにして陰部をお日様にさらすとええって聞いたで」

と言う妻。

「やるやる、なんでもやってみる」

と自宅のべランダでマットを敷いて横たわる私。

なんだか気持ちいい。

こんな事、経営に行き詰まらな絶対せんよなとか、これは少し変なおじさんやな等の思いが交錯する。

これ以降、ゼロイチニーサンからイチニーサンシになった事を思うとやってよかったと思う。

しかし、今まで固定給が入ってきていた頃に比べると収入は激減してついに貯金を切り崩す事になる。


「商工会議所の名刺交換会に行ってくるわ」

「あんた知らん人と仲良くなるの得意やから行っといで」

と妻に励まされ商工会議所ビルに着いた。

貯金を切り崩す事に歯止めをかけようと、やる気満々である。

名刺交換会の前に2分間で自社をPRするスピーチタイムがある。

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