第17話 おばあちゃん開業応援ありがとう
右肩上がりと同時に我が家に男の子が生まれた。
売り上げで専務に叱られながらも固定給が入ってくるので少しずつ学生時代の借金が減り三人の子供を養えるようになった。
親二人、姉二人の愛情を受けて⾧男は優しい子に育った。
この子が天下の奇祭と言われる岩村市のはだか祭に導いてくれる。
通っていた保育園の先生の実家が神社のお膝元にあり、そこから出させてもらった。
冬の寒い時に褌一枚で街を練り歩き一糸まとわぬ神男に触れることで厄が落ちると言う“
いわれ”から約千人の男たちが神男に触れようと揉み合う光景は壮観である。
さらしは縁起物なので“切る”ことができず、さらしにぐるぐる巻きにされた息子を抱いて寒風の街を練り歩いた。
順風満帆だと思ったが人生山あり谷ありだ。患者さん来院数も増えたのに入社からニ年目にしてボーナスがカットされた。
「伊丹先生、ボーナスカットされましたか?」
と本院の中島先生から電話があった。
「はい、中島先生もですか?」
「ええ、全員です。前会⾧が辞めてからどんどん悪化して来ましたね」
「そうですね」
「こうなったらこちらも生活がかかってますから辞めますよ。掛け合って埒が明く経営者じゃないですもん」
「そうですか…」
「伊丹先生、ほんとにすみません、こんな会社に誘っちゃって」
「いえいえ、前会⾧がいた頃は給与も職場環境も良かったですよ。中島先生のせいじゃありませんよ」
二人はお互いため息をついて電話を切った。
接骨院新規オープンから一、ニ年の間に入社したメンバーは全員辞めた。
皆で辞める事で経営に困ったらいい…と思っての抵抗だったが、痛くも痒くもないようだった。
新スタッフを募集してメンバーチェンジは完了したと院に残った受付スタッフから聞い
た。
コツコツ働いた接骨院の3年間で鍼灸専門学校時代の借金は精算できた。
もう立ち止まってはいられない。
次のステージに行かなければと整形外科医院のリハビリ室に転職した。
5分のマッサージと電気治療器を患者さんに付ける毎日が始まった。
給料もボーナスもカットされる事はなく安定はしていたが何かが物足りない。
医師の指示無しでは治療行為ができない事に歯がゆさを感じ始めていた。
「浅田先生、そろそろ開業したいと思ってるんですが」
と私は師匠に相談を持ちかけた。
「良いねえ、伊丹君。我々、和漢鍼医会は開業鍼灸師の研修会だから大いに賛成だよ。場所の候補は?」
「今、いろんな所を探しています」
「そうか、できるだけ大通りに面している所は止めた方がいいよ」
「わかりました」
「奥さんはどう言ってるの?」
「はい、固定給が入ってくる今の職場を辞めるのは不安だけれど、やらなきゃ後悔するからって背中を押してくれてます」
「和漢鍼医会で結婚してる人は家族を食わしていかなきゃって言う気持ちがあるからみんなそこそこ成功しているよ。大丈夫だよ」
と浅田先生は嬉しそうに私にたくさんアドバイスを下さった。
「人が少なさすぎず、多すぎず、人情味ある下町が良いよ。それから一目見たときにビビーンと電気が走るような“ここだ感”がある所がお勧めだね」
とも浅田先生は仰った。
その“ここだ感”のあるテナントがついに見つかった。
今日は不動産屋さんにて賃借契約の日だ。
「倉庫に使ってた物件だから月額これでいいよと」
良心的な家賃を提示してくれるおばあちゃんの大家さん。
「ほんとにこの額でいいんですか?」
「あ~良いよ。お宅が儲かってもそれにつけ込んで家賃を上げる事は私しゃ、やらないからね。入口のドアの改修費も半分持つわ」
と太っ腹だ。
これから一国一城の主だと思うと身が引き締まる。
妻と二人で開業の準備をする日々が続いた。
ついに開業の日が来た。
敷地面積七坪のこじんまりした治療院が出来上がった。
「すぐには患者さんは増えないよ」
と浅田先生から聞いていたので、午前はテナントで午後は往診治療の設定にした。
「診てもらえますか?」
と入り口の扉が開いた。
上品な細身の中年女性である。
浅田先生に習った通りに治療した。
かなり緊張したが、手だけは震えなかった。
そしてなんと二人目の患者さんが来た。
「チラシを見て来ました」
と言うこれまた上品な中年女性であった。
「先生、新聞折込は何部まいた?」
とその患者さんは聞く。
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