三十 儀式

いつもの浴衣ではなく、着物を着て廊下を歩く。

儀式はソタナの外で行うらしい。

時間は夕食が終わったあと。

忙しいはずの従業員の多くが廊下に並んでいた。


「コ、コミツさん?」

「どうしましたかミヨさん?」


後ろを歩くコミツにミヨは驚きを隠せずに聞く。


「こ、これは?」

「皆、久しぶりに仲間が増えるので見に来たんですよ」


前を歩くヒラサカについて、廊下を歩く。

これだけの従業員をみたことがなくて、ただでさえ儀式前でちょっと緊張しているのに、更に緊張してしまう。


「大丈夫です。みんな、ミヨさんの味方ですから」


そう言って笑うコミツも嬉しそうだった。


「ミヨさん、こちらです」


初めてくる場所だ。

廊下の先は広いスペースがあって、一段降りる場所と扉がある。


「ここが宿の玄関です」

「ここから外に出ますよ」


玄関には履物はきものがもう用意されていて、その一つに足を入れる。

背後から多くの視線を感じながら、ヒラサカとコミツが開けた扉から外に出る。


外はなんとなく薄暗い。

中庭で見た空が広がっている。

玄関のすぐ傍に丘があり、そこには黒い背の高い建物が建っていた。

建物に向かうなだらかな坂道の両端には、所々ところどころ灰色の池があり、ポコポコ、と蒸気をいていた。

道を少し進んだところに冥王が立っている。

ミヨはそこまでゆっくり進んだ。


「……大丈夫そうだな」


冥王の近くまで行くと、そう声を掛けられた。

冥王は見慣れた黒い外套がいとうに、銀色の杖を手にしている。

左肩には一羽のからすがとまっていた。


「ミヨ、ソタナは三羽の烏がそれぞれ湯元を管理している。これが金湯きんゆ銀湯ぎんゆ。そしてこれが最後の湯だ」


冥王がそう言いながら、杯を差し出した。

ミヨが受け取ると、杯に液体が注がれる。

注がれた液体は透明で、金色にも銀色にもきらめかない。


「その湯は地獄の炎で生まれた泉。人間の魂を安定化させ、その人格・経験・輪廻りんねを固定させる」

「はい」


ミヨは静かにその無味無臭の液体を口につけた。

そのままのどの奥に押し込み飲み込む。

体全体が熱い。


「すぐに収まる」


胸の前で手を握って耐えていると、背中をさする温かい手と声。

すぐに冥王だとわかった。

そして、その通り、熱さはすぐに消え去った。


「だいじょうぶ、です」

「これで魂の固定化は終わった。これからはソタナで魂の治癒に尽力じんりょくしてほしい」

「はい」


冥王に礼をしてから、振り返る。

ソタナの建物全体が見えた。

淡い色の木で作られた平屋はその中心から湯気を出しながら、おごそかに建っていた。

玄関の屋根には二羽の烏がこちらをみていた。

金色と銀色の瞳はミヨをまっすぐ見ていた。

屋根下には三羽の烏が遇われたソタナの印が彫刻ちょうこくされている。

さらに、玄関先にはヒラサカとコミツが立っていて、その後ろには大勢の姿が見える。


「ミヨ、行くといい」


背中に手が添えられて、冥王の声が降ってくる。


「みなお前の味方だ」

「ありがとうございます、冥王さま」

「これからも頼む」

「はい」


転ばないように、玄関に戻る。

みんなミヨを見ていた。

安心したような目もあれば、好奇の目もある。

だが、誰も、ミヨを睨むものは居ない。


「みなさん、ミヨです。よろしくお願いします」


玄関先まできてから、ミヨは頭を下げる。

すると、盛大な拍手が降ってきた。


「いらっしゃーい」

「どこに配属されるんだ?」

「やっぱ仲居じゃないか?」

「ばーか、前はうちのせんべい焼きにきたぞ?」

「サイダー売りでもいいな、よくサイダーをとりにきてくれてたし」

「こらこらどきなどきな」


ガヤの中から、一つの姿が出てくる。


「サネさん」

「ヒラサカさんからきいたよ、よくがんばったらしいね」


遊び場の担当長、サネが出てきて、そう言ってくれる。

サネはミヨにそう声をかけると、ヒラサカに向き直った。


「さて、ヒラサカさん。問題なければ、この新人はうちの遊び場に欲しいんだけど?」

「そうですね」


ヒラサカはちらり、とミヨの奥をみた。

おそらく冥王を見たのだろう。

次にミヨを見る。


「ミヨさんはどうですか?」

「私も是非遊び場に行きたいと思ってました」


自分の人生で経験がなかったとはいえ、それに気付かせてくれたきっかけの一つだ。

大切にしたい。


「では最初は遊び場から始めましょう。また時期がきたら、配属を変えることもできるから、言ってほしい」

「はい」


ソタナに入ると、壁や柱にしみこんだ金湯の匂いに気付く。

この建物全体が癒やしの効果があるのだと、気付く。


新しい人生が始まる。


 * * *


「よかったですね」

「…協力を感謝する」


ミヨが皆に祝福されながら、ソタナの宿に入っていく。

あとはコミツやサネに任せておけば問題ないだろう。


冥湯めいゆで魂が崩壊したら、と思うと恐ろしかったが」

「おや、冥王様でも恐ろしいと思うことがあるんですね」


白々しくヒラサカがそういう。

そんなヒラサカが冥王は恐ろしいと思うことが多々あるが、それはえて言うのはやめた。


「神は何か文句を言っていたか?」

「いえ?大したことはおっしゃってなかったですよ?」


あのとき、コミツが神の声が玄関から聞こえた、と言っていたが、ヒラサカや冥王に文句を言っていたわけではないのか。


「むしろ、神様のおっしゃることはごもっともと思って聞いておりました」

「そうか……」


ヒラサカは冥王が最初に冥界に残した魂だ。

冥王がヒラサカを恐ろしいと思うことは多くあるが、時々天界に送らなくてよかった、と思うこともある。

天界に送っていたら、神と意気投合しそうだと感じるからだ。


「で、冥王様」


神と同じように、笑いながら嬉しくないことを言う。


「ミヨさんにはいつ、お気持ちをお伝えするご予定ですか?」

「……何故そんな話になる」


話の流れがおかしい気がして、思わずヒラサカに疑問を投げかける。


「神様が気にされておりました。私もとても気になるところです」

「……」


なるほど。

それがヒラサカが『尤もだ』と感じた意見だったんだろう。

冥王は静かに溜息を吐いた。


「時間は……ある。魂を安定化させたとはいえ、ミヨの状態も気になる。それに伝えなければならないものでもない」


ミヨはもう冥界にいるのだ。

気をつけていれば消えることもない。

ソタナに行けば会える。

冥王にはそれだけで十分だった。


「コミツからの伝言ですが」


ヒラサカの声色が冷ややかだ。

冥王は僅かに眉をひそめた。


「ミヨさんが気付く前にきちんと伝えてください、だそうです」

「……コミツには勝てないらしい」

「ええ。双六すごろくも、恋模様も。コミツはあなどれませんよ」

「お互い気をつけるとするか」

「冥王さま!ヒラサカさま!」


噂をすれば。

コミツが玄関から、二人を呼んでいた。


「ミヨさんの歓迎がわりに、みんなで遊び場でカルタ大会することになりましたー!」

「行きましょうか」

「ああ」


二人はいつもよりも騒がしいソタナの建物に入っていく。

その姿を、三羽揃った烏が見守った。

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