二十九 ミヨの髪

「はあああああ」

「大丈夫か?」

「ミヨさま!お疲れ様でした!」


神が去っていくと、急に緊張が切れた気がした。

ミヨは気がつけば床に座り込んでいた。

心配した冥王が同じように床にしゃがみ、ミヨの顔色をうかがっている。

コミツが近寄って、ミヨの手を握る。


「緊張しました……」

「よくがんばったな」

「神様の迫力がすごかったですね…」


「お茶を入れてきます」と、コミツが部屋を出て行く。

ミヨは深呼吸をしながら床を眺めた。

ふと、肩と背中が温かくなった。


「冥王、さま?」


驚いて見上げると、すぐ傍に冥王がいた。

肩を抱かれているが、その表情は見えない。


「無事でよかった」


呟くような声。

そんな冥王の声を聞いたことがなかったミヨは、理解するまでに時間がかかった。


「いつ神に殴りかかろうかと」

「そ、そんなに心配してくれていたんですか?」


冥王が与えてくれる温度が心地いい。

ミヨは心地よさに負けて、その温度に身を任せた。


「先ほども言っていたように、ミヨの魂は治癒したとはいえ、どうなるかわからない。少しでも傷が付こうものなら、と気を張っていた」

「そうなんですね……」

「大事をとって、今日はもう休むといい。コミツのお茶を飲み、温泉に入るように。万全ばんぜんの状態になってから、儀式を行う」

「はい」


儀式というのは、冥界にいるための儀式のことだろう。

それをしてしまえば、もう後戻りはできない。

だが、後戻りをする心配はない。


「そういえば」


冥王に支えられながら、座椅子に座る。

神が座っていた安楽椅子に座ってもよかったが、なんとなく嫌だった。

それよりも、座椅子のほうが居心地がいい。


「結局その白髪はくはつはもとに戻らなかったな」


冥王が左側の後れ毛を見ながらそういう。

ミヨの後ろ髪にまばらにあった白髪は全て無くなり、今では紺色一色の髪が緩やかに流れていた。

しかし、左側にある一房の白髪は変わらない。

増えるわけでもなく、減るわけでもない。


「すまない」

「どうして冥王さまが謝るんですか?」


この白髪は冥王がミヨを殺したときにできたもの。

だからといって冥王がミヨを殺さないという選択肢はなかった。


「私がその白髪を作ったようなものだ」

「冥王さまはあのときのわたしを殺すのが仕事だったんでしょう?」

「ミヨの紺色の髪は元々綺麗きれいだ。だが白髪が混じるのは残念だ。他の白髪がなくなったから、期待したのだが……」


そんなことを考えていたのか。

回数を重ねるごとに、冥王の新しい人柄が見える。

最初は全て同じに見えた無表情も、今では豊かに思える。


「死ぬ前は、髪に気を留めることはなかったんですが、冥王さまも気にしてらっしゃったんですね」


コミツはあえて前髪の白髪には触れないが、冥王と同じように、後ろ髪をめてくれる。

髪結いをしているときは楽しそうで、今日はどこの白髪がなくなった、と話をしてくれる。


「でも、わたしはこの白髪は気に入っていますよ」


なんならなくなると寂しくなる。


「そうなのか?」

「はい、冥王さまとお会いできた記念だなと、思うことがあるんです」


冥王と会うことがなければ、白髪もできなかっただろう。

だが、そうでなければミヨはミヨらしい人生を歩もうとも思わなかった。

子どもたちだけでなく、冥王やヒラサカ、コミツと遊ぶこともなかった。

多くの出会いが生まれたきっかけだ。


「だから、残るのなら、この白い髪も大切にしたいですね」

「……そうか」


冥王は複雑な顔でうなずいた。


「お茶をお持ちしました。お待たせしてすいません」


会話が終わった合間に、コミツがお茶を持ってきてくれる。


「ヒラサカは?」


座椅子の傍の机に置かれたお茶。

そのお茶を飲みながら、冥王がコミツに訊ねた。


「玄関からずっと話し声が聞こえてきていたので、ヒラサカさまは、神様の愚痴ぐちに付き合っているようでした」

「……あとで謝っておこう」


今回は神にとって不本意な結果だっただろう。

ミヨも申し訳ないと思うが、その気持ちはお茶と一緒に飲み干した。


「それで、冥王さま。ミヨさまの儀式はいつ頃に行う予定ですか?」

「ミヨの疲労がとれたらだな。魂の固定化は魂の傷が少ないときがいい」

「わかりました。それまでは引き続きお世話を続けます」

「ミヨは儀式が無事に終わるまではこの部屋を使ったほうがいい」

「わかりました」


先ほどの金湯も部屋に付いているからだろう。

ミヨは大人しくうなずいた。


「では、私は帰る」


冥王が立ち上がったのと同時に、ミヨとコミツも立ち上がる。

二人で部屋の出口まで冥王を見送った。


「冥王さま」

「なんだ」


ミヨが冥王を呼びかけると、柔らかな赤い瞳がみてくれる。

頬が緩む。


「ありがとうございます」

「……また会おう」


冥王はまた驚いたようにミヨを見つめたかとおもうと、すぐにきびすを返して出て行った。


「さ、ミヨさま」


扉を閉めると、コミツが微笑んでいた。


「お風呂に入りましょう」

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