二十六 冥界にいるということ

「もう一つ聞きたいことがあって………」


中庭には冥王とミヨ以外に、コミツやヒラサカ、他の従業員でさえ、見当たらなかった。

ミヨは考えごとをしにきたはずの冥王が促すまま、疑問をぶつけていた。


「魂は、新しい人生をもらって生き返ると、わたしを忘れてしまうんですよね。そのとき、わたしは、冥王さまやコミツさんのことも、忘れてしまうのでしょうか」

「少なくとも、今まで多くの魂に会ってきた。中には、新しい人生を歩むために生き返った魂もたくさんある。だが、冥王である私のことを覚えているものはいなかった」


その表情が少しさびしそうに見えたが、ミヨは何も言えなかった。

なにより、ミヨにはそれで十分だった。

それに、ミヨも同じ気持ちだった。


「わたし、冥王さまやコミツさんと会ったこと、よかったと思ってます。わたしが人生や自分について考えるようになったのは、冥王さまがその機会を与えてくれたからです」

「……」

「だから、冥王さまやコミツさんのことを忘れるのは寂しいな、って」

「……それも、世界の秩序ちつじょだと、私は思っている」


冥王の声色は抑揚よくようはない。

まるで自分にそう言い聞かせているようだ。

ミヨにはその赤い瞳がさびしさをたたえているように見えた。


「世界の秩序のためなら、わたしが天界にいって、魂が修正されて、生まれ変わるのは仕方ないのかな、と思います。でも、冥王さまはわたしの気持ちを問いました。わたしの気持ちは今、もう少しミヨとして生きたいと、思い始めてます」


冥王は静かにミヨの言葉を聞いていた。

決して否定するわけでもなく、肯定するわけでもなく。

続きを待っていた。


「天界や生まれかわってもわたしとして生きることができるなら、とも思ったこともありました」


でも天界がどんなところかわからなかった。

現世は、良い思い出がない。


「冥王さまに冥界に留まることができると言われて、戸惑った自分もいましたが、どこか安心した自分もいました」


コミツも一緒に働くと嬉しい、と言ってくれた。


「今、わたしは、ここ、冥界で過ごすのが楽しいんです」

「……そうか」


冥王は静かにうなずいた。

その声にさみしさや戸惑いはない。


「私がここにきた考えごとだが……」


ミヨは背筋を伸ばした。

自分がどれほど話しすぎたかを自覚した。

冥王の言葉に甘えてしまった。


「今解決しそうだ」

「え」


ミヨが話している間に、なにがどう解決したのか。

ミヨの話を聞きながら考えていたのか?

ミヨはわからなかった。


「ミヨ」

「はい」

「今なら言ってもいいだろう」

「な、何をですか」


真剣にこちらを見つめる冥王に、ミヨは目が離せなくなった。

赤い、石榴ざくろの瞳。

奥まで深く赤い。

見間違えると宝石のようだ。


「冥界に留まるにあたり、いくつか注意点がある」

「は、はい」

「このソタナで働く従業員は、みな元は人間で、冥界に留まると選択したものたちだ。ここに留まるための儀式ぎしきがある。その儀式で魂を冥界にしばり付けることになる。つまり、永遠にここで働く事になる」


天界に行かないということは、いわゆる輪廻りんねを抜けるということ。

地獄にいくのと同様に。

しかし、ミヨははっと気付く。


「大丈夫ですよ」


冥王の瞳がわずかに揺らぐのが見えた。


「だって、冥王さまがいるじゃないですか。冥王さまがいる限り、わたしたちもいるんでしょう?」


冥王だけではない。

コミツやヒラサカ、サネ。

みんなおんなじだ。


「……」

「冥王さま?」

「あ、いや……」


驚いたように目を見開いたまま、固まる冥王。

ミヨが声をかけると、はっと我に返る。


「……なんでもない」


冥王はふいと顔を背けた。

ミヨはその様子を不思議に思いつつも、なんだかすっきりした自分もいた。


「ここソタナには色々な仕事がある。仲居だけではない」

「そうなんですね」

「子どもたちと遊ぶのもその一つだが、他の仕事もある。好きなものを選ぶといい」

「コミツさんと相談してみます」

「それと……」


冥王は言いにくいそうに話を続けた。


「もう一つ重要なことを伝えておく」

「はい」

「ミヨ、お前には、ここソタナで他の魂の治癒を早める可能性が出ている」

「……はい?」


ミヨには何を言っているのかわからなかった。

他の魂の治癒を早める?


「先日の拷問師ごうもんしは、予定よりも数日早く魂が治癒した。それについてミヨに感謝をしていた。それ以外にも、長くかかるはずの魂の傷が、予定よりも早く治癒していると報告があがっている」

「はぁ……」

「それが何故なのかはまだわかっていない。もしかしたら魂に関連しているのかもしれないが、神は何も言っていなかった。少なくとも、魂や我々冥界で働くものとしては助かる」


確かに、魂の治癒が早いと仕事も減るのだろう。

ミヨは何もしていない。

もしかしたら、『蘇りの巫女』のときと同じで、そこにいるだけでいいのかもしれない。

冥王は淡々と、足湯に目線をおとしたまま、続けた。


「ただ、ミヨの魂に影響があるかどうかはわかっていない。それに、私たちはミヨに犠牲ぎせいになってほしいとも思っていない。お前は死ぬ前に十分自分を犠牲にした。それが世界の秩序を壊すことになっていたとしても、人間界ではまごうことなき救世主だっただろう。自分を大事にした上で、冥界でも他人に役立つ理由が必要なら、ミヨにはすでに十分すぎる理由がある」

「…はい」


気にしていなかった。

ミヨは自身の治癒と子どもたちと遊ぶことが日課にっかだったから。

でも、確かに生きている頃は他人の顔色をうかがい、他人のためにどうすればいいか、ばかり考えて居たかもしれない。

今は、子どもたちと遊ぶことが楽しいと思う自分もいる一方で、子どもたちが楽しんでくれることが嬉しい自分もいる。

いるだけで冥界の役に立つなら。


「ミヨの魂の治癒は近い」


静かに冥王は言った。


「近々、選択の時が来る。それまで考え、最後には選択を変えてもいい」

「はい」

「天界でどうなるかは神しか知らない。今後、ミヨをどうしようとしているのか、神に聞いてから決めてもいい。もちろん、神が素直に答えるかどうかはわからないが」


ミヨは一度あった神を思い出す。

冥王とは対照的に、のらりくらりとやりとりをする姿。

あまり得意ではない気がする。


「公平を期すために、あらかじめ私も伝えておこう」

「……?」


冥王は立ち上がり、足湯を出る。

足湯に座ったままのミヨの前に、目線が合うように下がった。


「私はミヨには冥界に留まってくれたら嬉しいと思っている。お前が冥界に留まるというならば、歓迎かんげいする」

「冥王、さま」

「だが、くれぐれも。ミヨ自身の気持ちを尊重する。そのためなら、神も、神の作った世界の秩序も、私がどうにかしよう」

「……ありがとうございます」

「いや、礼を言うのは私だ。考えごとが解決した。ありがとう、ミヨ」


冥王はそう言って、静かに、中庭を去って行った。


―――ありがとう。

ミヨの頭の中で言葉が反響する。

その反響は心地の悪いものではない。

これまで、死ぬまで、どれだけの感謝を言われただろうか。

だが、ここまで嬉しいと思う感謝の言葉は、初めてだ。

それに、薄い明かりで照らされた冥王の微笑みを思い出して、顔が熱くなる。


「か、帰りましょう」


コミツも心配していることだろう。

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