二十五 考えごとたち


夕食を終えてから中庭にでて、考え事をする。

暗い空にもくもくと銀湯ぎんゆの湯気が上がっていくのをながめると、頭がすっきりする気がするのだ。

温かい足湯につかると、冷たい夜風が髪をで、息を吸うと近くの銀湯の湯気が鼻腔びくうをくすぐる。

その感覚も、心地良い。


「ふぅ……」


ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

人が少なくなる時間の中庭は居心地がいい。

他人に見られる可能性は少なく、気持ちが落ち着く気がする。


コミツと話をしてから、自分の人生を冷静に振り返るようになった。

自分の人生のようで、自分の人生ではなかった。

『自分の人生』を歩めなかった、と思う。

だからといって『自分の人生』がどんなものかわからない。

それを見つけるまでにはまだ時間がかかりそうだ。


「……ミヨ」


低い声で名前を呼ばれ、そちらを向くと、冥王がそこに立っていた。

いつも着ている黒い外套がいとうではなく、見慣れない黒の浴衣ゆかたを着ていた。


「冥王さま……」

「隣に座ってもいいか?」


ミヨの隣を指さす。

ミヨが座っている金湯きんゆの足湯の隣。


「あ、はい…」


ミヨがうなずくと、冥王がゆっくりと隣に座る。

白い足が金湯につかり、金色に光る。

ミヨの足の周りは赤茶色ににごっているのに、冥王の足の近くは金色に透けたままだ。

これが、魂が治癒した状態。


「あの、冥王さま。すいません。まだその、決め切れていなくて……」

「構わない。私も考えごとをするためにここに来た」


そう言って、冥王は静かに空を見上げた。


「夜の中庭は、考えごとをするには丁度いい」


ミヨと同じことを冥王も考えている。

自分だけではないとどこかほっとする自分がいた。


「わたしも、そう思います」

「そうか」


静かなやりとり。

こんなに心穏やかな気持ちで冥王と話をすることができているのは、それだけミヨの魂が治っているということなのか。

いつまでも変わらない金湯の濁り方をみていたが、ふと顔を上げると、こちらを見ている冥王と目が合った。


「な、なんでしょう……」

「魂の傷がよくなっている」

「そうなんですか?」

「ああ、安心した」


いつもの無表情なのに、いつもと違うやわらかな声色にドキリとする自分がいる。


「冥王さまは、魂が、見えるのですか?」

「ああ。傷がある魂と、傷のない魂、消滅していく魂。死んだあとの生き物はそう見える」

「そうなんですね……」


だから、ミヨの傷に敏感びんかんなのかもしれない。

これまで気付かなかった冥王の気遣いに、少し罪悪感を抱く。


「あ、あの……考えごとを邪魔してしまうようなのですが、一つ聞きたいことが……」

「気晴らしにもなるから、気にしなくていい。なんだ」

「天界って、どういうところなんですか?」


誰も天界については知らない。

生きていた頃に冥界について知らなかったように。

だれも、冥界の食事がおいしいとか、温泉の観光地のようになっているとか、知らなかっただろう。


「天界は神が治めている」


脳裏に神がうかぶ。

ミヨは一度しか神に会ってないが、あまりいい印象ではない。

もしかしたら、冥王と同じようにミヨが誤解しているだけかもしれない。


「神はあの通り、自由奔放ほんぽうだ。天界もほとんど天使に任せている」

「天使が、いるのですか」

「ああ。ただし、天使の仕事は魂を浄化して、人間界に送り届けるという役割を担っている。他にも天界に魂が留まることがある。ただ、その魂が何をしているのか、どのように天界で過ごしているのか、私は知らない」


双六すごろくのあとに散歩をしているときにそんなことを言っていたかもしれない。


「私もほとんどを冥界ここで過ごしているから、詳しいことは知らない。だが、そうだな……」


冥王は少し考えこみ、辺りを見回す。


「冥界よりも明るい場所だ。食事はここより種類が多く、特に果実は色々なものがある。しかし、足湯や温泉はない」


ミヨは天界を想像してみた。

雲の上にある、ここよりも明るく、食事がある。

天使が魂を人間界に送る。

そこに自分が入るとしたら、人間界に送られる側なのだろう。

ふと、思うことができる。


「ちなみになんですが……」


おずおずと冥王を見上げると、冥王がその先を促すようにうなずく。


「その……天界で遊んだり、この間の双六みたいに、皆で遊ぶことはできるんですか?」

「……どうだろうな」


冥王は目線を流す。


「天界はここの遊び場のように、子どもはいない。神はああだが、楽しく遊んでいるものはみたことはない」

「そうなんですね……」


天界が楽しい場所、ではないようだ。

天界に行ってみたい、という好奇心はある。

ただ、天界で過ごしたい、とは思えない気がした。


「他には?」

「え?」


考えごとを邪魔しているのはミヨなのに。

冥王はミヨにそう聞いてくる。


「あの、こ、これ以上は冥王さまをお邪魔してしまうと思うので………」

「問題ない。さっきも言ったように、気分転換てんかんをかねている。それに、大抵ここで考える考えごとは、いくら考えても結論がでないことが多い」


そう言って、黙る冥王はミヨを見つめて、次の話題を待っているようだった。

中庭に所々ある明かりが冥王の横顔を映し出し、ミヨはまたドキリ、としてしまうのだった。

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