第6話 ◇地底と地上◇②
「まずここが地底だとか魔中の巣だとかいうのは間違ってはいないが、それは君たちの世界の表現だ。私たちはここを地上と呼んでいて、君らの住む世界を天上と呼んでいる。まぁこのあたりの呼び方はどうでもいいか。君らが驚いているのはこの世界にも人がいるということだろう」
人が決めた呼称などは意味を持たないと、シェンは建前的な話は置いておくことにしたようだ。
「まぁ見てもらった通り、この世界にも人は住んでいる。普通に生きて、日々を暮らしている。その暮らしは君らのものとは大きく異なるだろうが、それは実際に目にしてもらった方が早いだろうね」
どうせ怪我が治るまではいなければならないんだ、とシェンは微笑んだ。
見知らぬ土地で過ごす不安を拭おうとするような笑い方だった。
ヒイラギもサナも表情は固かったが、それでも耐えていられたのはシェンが僕らに危害を加えることはなく、守ってくれるだろうという安心感からだろう。
「そして一番気になっているのが魔蟲だね」
シェンの背筋はずっとピンと伸びていて、人間らしい座り方の特徴や歪みはなかった。
まるで糸で上から引っ張られているのかと思うほどに姿勢が良い。
シェンが真っ直ぐ僕らを射るように視線を向けたので、緊張感が僕らに生まれた。
ヒイラギは顔を少しだけ引き攣らせて視線をサナと僕に交互にやった。
「森の中で見た通り、君たちが魔蟲と呼ぶものには人間が乗っている」
すでにみてわかっていたことではあるが、改めて言われても実感が沸かない。
僕らの世界で見てきた魔蟲は、これまで戦ってきた魔蟲は人間だったというのだろうか。
しかしそういわれてどこか腑に落ちる自分がいるのも事実だった。
「君たちの世界では子供には羽根が生えているだろう? だがこちらの子供にはそういうものはない」
言われて、自分の背中にあるものを意識する。
今は魔蟲の攻撃で一部欠けてはいるが、確かにその存在が自分の一部として感じられた。
「代わりに私たちにあったのが、魔蟲という存在だ。とても醜い、呪われた力だよ」
シェンはここで初めて視線を落とした。
何か重大な事実を思い返すように、ゆっくりと目を閉じて、そしてまた開けた。
しかしシェンはそのことについて話す気はないようだった。
シェンは言葉をつづけたが、それはおそらくシェンの話そうと思っている範囲でしかないのだろう。
「魔蟲はね、乗っている人の心を蝕むんだ。人を超えた力の代償として。」
「だったら乗らなきゃいいじゃない。そうすれば私たちだって戦わずに済むのに……!」
サナはシェンに苦々しく、悔しそうに言葉をぶつける。
今まで自分たちの倒してきていたものが人だったということに不快感を抑えきれない様子だった。
シェンは感情の見えない顔で、冷たく言った。それはそれまでのシェンからは想像できないほど、突き放す言葉だった。
「それが戦争というものだ」
本能的に気付くその恐ろしさに僕らは黙り込む。
シェンはけろりとその冷たさは飲み込んで。
「どちらかが力を持つ以上、お互いに力を持ち続けなければならない。君たちがその羽根を持つ以上、この地の人間は魔蟲を手放せないんだよ」
「ちょっと、待ってくれよ。全然話についていけねぇよ! もっとわかりやすく説明してくれ」
空気に耐え兼ねたのか、頭がパンクしたのか、ヒイラギは投げ出すように手足を伸ばして言った。
そこではっとしたようにシェンは顔を上げると、立ち上がり、頭を下げた。
「すまない。つい熱くなってしまった。落ち着いて話そうと私が言ったのに」
シェンは落ち着くためにはこれがいいんだと言ってお茶を入れてくれた。
葉っぱは何かよくわからなかったが、このあたりで採れたものだという。
この世界のものはどれも安心するような、いい匂いがすると僕は思った。
お茶を一口。シェンは改めて順序だてて説明をしてくれた。
「まず君たちの世界では、魔蟲は街を襲う生物として教えられ、その退治を君たち子供が担っているね」
僕は頷く。
「そしてそれは大魔穴と呼ばれるところから出てくる。そしてその穴がつながっているのが魔蟲の巣だと。それは間違っていないが、とても一面的で、一部でしかない。穴の中の世界は人が暮らしていて、魔蟲はその人々が乗っているもの。彼らからすると君らこそが侵略者なんだ。君たちは定期的に羽の生えた子供をこの世界に送り込み、いろいろと漁っていくだろう」
「でもそれは調査や資源のためだわ」
「その過程で僕らの生きるための食材や様々なものが荒らされている。まぁ君たちは知らされていないんだろうがね。つい先日もやってきていたみたいだ」
僕が見たあの子供たちだろう。
「それをいうならあなたたちだって私たちの街を襲いに来るわ」
「その通り。今から言うことは決して言い訳をしたいわけじゃないんだが、説明すると、魔蟲は心を蝕むと言ったね」
先刻の言葉を思い出してサナは頷く。
「蝕まれた人は理性的にものを考えられなくなり、ただ天上の人々を殺すことだけを考えるようになってしまうんだ」
「でも、僕らが地下に来るから乗ることをやめられない」
シェンはやるせないように僕の言葉に首肯した。
僕らの街は常に食糧不足や資源不足に悩まされている。それゆえに地底の調査はやめられない。
そうなると地底の人々は魔中に乗らざるを得なくなり、いつしか心蝕まれる。
心を失い僕らの世界へと現れた魔蟲と僕らは戦うことになってしまう。
これは限りある資源を奪い合う戦争なのだと、シェンの言葉を理解した、
そしてそれを教会は、無垢な子供たちを使い、自分たちの教えで世界の認識を歪ませることで成り立たせていたのだ。
「教会はやっぱり信用できないな……」
ずっと心のどこかで思っていたことがようやく形をもって口から出た。
僕は心の中に突っかかっていたものが吐き出せたようにすっきりしていた。
しかしその言葉を聞いて平静でいられないヒイラギは僕の肩を掴んで。
「いや、ちょっと待てよ。教会とか、教皇様を信じないのかよ? 罰が当たるぞ……!」
罰とか、教会の言っていることはもう僕には一切信用できなかった。
「なぁサナ! お前はどう思う? こんなのでたらめだよな!」
「わかんないわよ! 今まで信じてたのは教会だけど、でも実際魔中には人が乗ってたじゃない。もう何を信じればいいのか……」
「実は僕見たんだ」
「何をよ!」
「地底のものを食べて天罰が下ったって言われた子供がいたでしょ? あれ、やったの教皇様なんだ」
「あんた何言ってんの……?」
「冗談だよな?」
「本当だよ。地底に調査に行かせようとしていた子供たちのうち、一人だけを残してその子を護衛に襲わせてた。この目ではっきり見た。あの子は罰を受けたんじゃない。教皇に騙されたんだ」
「なんのためにそんなことすんだよ……」
「皆を深く信じ込ませるためじゃないかな。ヒイラギもサナも、罰を受けた子供にも慈悲深い教皇様を尊敬してたでしょ」
「まんまとってことかよ……」
「なんでもっと早く見たこと言わないのよ」
「あんな周りに教皇様を信じ切った人ばっかのところで言えるわけないよ……」
「……それもそうね」
ヒートアップした会話もひとしきり盛り上がり終わり、それぞれのなかでの 整理する時間に入り始めていた。
そしておそらくヒイラギもサナも気づき始めているのが、自分たちもシェンの料理を食べたにも関わらず特に体に変化がないということ。
罰を受けるなどという話は嘘だということだった。
誰も話さないことを受けてシェンは一つ手をたたいて提案した。
「今日はもうゆっくりお休みよ。また何か聞きたいことがあれば、明日以降で私に聞いてくれて構わない」
その一言で疲労感が思い出したように体を襲い始めた。
「この建物は私しかいないから、自由に使ってくれ。必要なものは一通りそろっているはずだ」
簡単に建物を案内してもらい、寝室で僕らは身体を休めた。
建物は僕ら四人にはとても広く、とても静かだった。
空を堕ちた天使は地上を歩く 遠坂 青 @s4xt
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