第6話 ◇地底と地上◇①

 薄暗い森をさらに奥へと進んでいくと、一つの建物があった。

 それは木々に囲まれて森の中に隠れるようにひっそりと建っているが、よくよく見てみるとそれなりにの大きさを持っているようだった。

 シェンは正面の扉から当然のように入っていく。

 僕らは入っていいものかと逡巡したが、扉が閉まりかけていたので慌てて取っ手を掴んだ。

 恐る恐る中を覗くと、そこは広々としたエントランスだった。

「何をしてるんだ? 早く入りなさい」

 床には絨毯が敷かれ、天井は高く、壁はコンクリートでできている。

 森の中に似つかわしくないその風体の中、シェンは一際目立つ。というか浮いていた。

 無機質で自然を感じさせない建物の中、深緑のフードを被り竹籠を背負ったシェンはあまりに場違いだった。

 しかし見た目とは裏腹にシェンは慣れた様子で建物の中を動いた。

「こっちだ」

「うおっ、すげー……」

「見たことないくらいの数の本だわ……」

 シェンが次に扉を開いて僕らを案内した部屋には四方の壁一面、そして天井までびっしりと本が並べられていた。

 一階だけでなく、吹き抜けで二階もあり、まさに圧巻といえる。

 ヒイラギとサナは思わず言葉が漏れる。

 僕も圧倒されて口をぽかんと開けていた。

「そんなところに立っていないでこっちにきて座りなさい」

 部屋の中央には大きなローテーブルが一台、それを三方で囲むように長ソファが置かれていた。

 テーブルには数冊の本が重ねられ、ソファにはブランケットやクッションが置かれている。

 ソファの一つにシェンは座り、僕らを手招いた。

「失礼します……」

 思わず礼儀正しく座るヒイラギに、しかし僕も気持ちは理解できた。

 この圧倒的な本、そしてその主人としての余裕のある風格を漂わせるシェン。どこか恐縮してしまうものがあった。

「まずはキミの手当てをしないとね」

 シェンは僕らが座ったのを見て立ち上がると、一つの木箱を持って戻ってきた。

 中には包帯や消毒液らしきもの、ピンセットなどが入っている。

 サナと柊も手伝いながら、シェンは手際よく包帯を巻き付けた。

「これで一先ずは安心だ。無理せず安静にしていなさい。この地では羽根の治りは遅いかもしれないが……」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 シェンは優しく微笑み、木箱を元の場所に戻した。

 戻ってきたシェンに、僕は尋ねる。

「あの、ここは一体……。さっきもこの地では羽根の治りがって言ってたし、何か知ってるんですか?」

「そうね、私も気になったわ。そもそもあなた何者なの?」

「焦らなくても逃げないさ。そうだな、どこから話すべきか」

 僕とサナの矢継ぎ早な質問に、シェンは考えるように顎を指でなぞる。

 と、ぐぎゅるるるるという音が聞こえた。

「わるい、俺だ……」

 恥ずかしそうにヒイラギが自白する。

 音はヒイラギのお腹から聞こえてきたらしい。

 シェンはまた笑って。

「まずは食事にしようか。話は食べながらでも」


 席を立ったシェンは僕らが入った扉とは別の扉から部屋を出た。

 どうやらあっちがキッチンらしい。

「どう思う?」

 扉が完全に閉まり切ったのを確認してサナが切り出した。

「そりゃ、怪しい……けど、トウマの治療もしてくれたしなぁ」

「うん。僕らを探していた人からも庇ってくれたみたいだし……」

「そうよね……。どうしてこんなによくしてくれるのかしら」

 シェンが何者で、何の目的でしてくれているのか、皆目見当もつかない。

 そもそも地底に住む人間からイレギュラーなのだ。

 その人が何を考えているか分かるはずもない。

 それ以上三人で話すこともなく、だんまりと時間が経過していった。

「待たせたね。あったかいスープだ」

 扉を開け、シェンが両手でお盆を持って戻ってきた。

 扉が開くと同時にいい匂いが部屋に漂ってきて、お腹を刺激した。

 シェンはテーブルにスープの入ったお皿を四つ並べると、ソファに座って手を合わせた。

「いただきます」

 そう一言だけいうと、シェンはスープを食べ始める。

 僕はスープを見た。

 人参や玉ねぎ、その他にも葉物が入った美味しそうな野菜スープだ。

 立ち昇る白い湯気が余計に食欲をそそる。

 しかし、スープを食べ進めるシェンとは対照的に僕ら三人は手をつけられずにいた。

「……」

 三人ともお腹は空いているはずだった。

 それでも躊躇するのは教会の教えがあるからで。

 地底のものを食べてはいけないと教えられてきた僕らは、これを口にしてはいけないと、埋め込まれた意識がそう語りかけてきていた。

 シェンはそんな僕らに何を言うでもなく、黙々と一人スープを口に運び続ける。

「……っすー…………」

 ヒイラギが悔しそうに目を閉じる。

 空腹と教えの間で葛藤しているのだろう。

 だが、しかしと僕は思った。

 地底のものを口にしてはいけないのだろうか、と。

 教皇の教えを守る必要はあるのだろうか。

 先日見たものが僕に訴えかけてくる。

 教皇とその取り巻きが暴行した子供。彼は教えを破り地底のものを口にしたからあぁなったのだと教皇は言った。

「…………」

 僕はスープを見て、改めてシェンを見た。

 そして光沢のあるスプーンを手に取ってスープを掬い上げる。

「えっ……」

 ヒイラギが思わず声を上げて、慌てて口を閉じた。

 サナは何も言わないが、食い入るようにこちらを見ている。

 二人に見られながら、僕はスープを口にした。

「……おいしい」

「それは良かった」

 シェンが微笑と共に僕に返した。

 スープは舌の上で広がる。口の中にその香りが充満し、鼻に抜けていく。

 温かくて優しい。安心するような味が口を、お腹を満たしていく。

 僕は次の一口もすぐに口に運んだ。

「お、俺も!」

 ヒイラギも跳ねるようにスプーンを手に取ってスープを食べ始める。

 よほどお腹が空いていたのか、お皿を手に持ってかき込んでいった。

 残る一人のサナは、スプーンを手に取り、しばらくそこに映る自分を眺めていた。

 そして覚悟を決めたようにスープを一口食べた。

「ほんと、美味しいわ……。食べたことないくらい」

 ちらとシェンの様子を流し目で確認して次々にスープに口をつけた。

 食べ始めた僕らは黙ってスープを食べ続ける。

 そんな様子をシェンは静かに見守っていた。


 食べ終わった僕らは満たされた顔で一息ついた。

 地上において、聖域では優先的に食事が配給されているが、それでも食糧不足は深刻で、穀物を主として幾らかの野菜と肉があるばかりだった。

 それが地底ではあれだけたくさんの野菜を食べることができるとは驚きだった。それだけでなく、どこか野菜もみずみずしさがある気がした。

 お粗末さま、とシェンが食器を片付けてくれ、そしてまたソファに座った。

「それで、まずはどこから話そうか」

 食事しながら話をしようと言うことだったが、僕らがあまりに夢中で食べるものだから待っていてくれたのだろう。

 僕らは三人で顔を見合わせる。

 サナが代表してまず質問した。

「貴方は何者なの? どうしてこんなによくしてくれるの?」

「私はこの森に一人で暮らすただの人間だよ。森で野草を採ったり畑で野菜を育てたりしているんだ」

 シェンは部屋の隅に置いた竹籠を示した。

 森の中でシェンが背負っていたものだ。

 あの時のシェンは野草を採取していたということだろう。

「どうしてよくするか、と言われると別に特別なことはないんだ。君たちが困っているようだったから助けた。それだけだ」

「困っていたからって、見ず知らずの私たちにそこまでするかしら……」

 あくまで相手に不快感を与えないように、慎重な様子でサナは尋ねる。

「私は平和主義なんだ。目の前に困っている人がいて、助けられるなら助けたいと思っている」

「そう……。実際これだけよくしてもらったんですもの、信じるわ」

「ありがとう」

 本来お礼を言うべきはこちらのはずなのに、シェンは嬉しそうに頭を下げる。

 それは僕からすると意外なことのように思えた。

 森の中でのやり取りや普段の言動を見ていると、シェンは相当位の高い位置にいるようだった。

 確かに言葉は上の人間のそれではあるが、それも圧は感じさせず、実際の行動は今、目の前にしたように丁寧なもの。

 そのギャップがどこか信頼させるような、人好きのするものなのかもしれない。

 僕がシェンを見ながらそんなことを考えている間に、ヒイラギが次の質問をした。

「てかさ、そもそも地底に人間なんているんだな。ここは魔蟲の巣で……っていうか魔蟲も人が中にいたりしてあれ何なんだよ!」

 話しながら一人興奮して立ち上がり、身を乗り出してシェンに詰め寄る。

 シェンが戸惑ったようになだめて、ヒイラギを落ち着かせてから答えた。

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