第4話 ◇街と教皇と神◇

 必死に飛び、街の外苑まで来たところで僕は地面に降りた。

 暑さと全力の飛行で息はこれまでにないほど上がっている。

 地面に這いつくばりながらぜえぜえと息をしていると、気だる気な声が聞こえてきた。

「なんだ坊主、えらく辛そうじゃねぇか。大丈夫か?」

 無造作に伸びたヒゲをいじりながらいつもの男が心配そうに僕を見ていた。

 僕が返事も出来ずにーー返事しないのはいつものことだがーー男に少しだけ視線を送ると、男はへらりとした顔を引っ込めた。

「何かあったのか?」

 地面に膝をつき、僕の背中を摩る。

 いつになく真面目な声色で尋ねてきたのは、僕の目が恐怖を隠せないでいたせいか。

 声も絶え絶えに、僕は伝えようと。

「きょうこっ……はぁっ、さ……マ…」

 僕は何を言っているんだ。

 それは誰にも知られてはいけないはずなのに、なぜかこの男は信頼できる気がした。

 とはいえ口から出た音はまともな文章にはならず、男も考えあぐねているようだ。

 少し考え込んだように視線を左右したあと、男は僕を抱えて持ち上げた。

「なに、を……?」

「黙ってろ。俺の家のベッドで静かに寝とけ。体調が良くなったら勝手に出ていきな」

 抵抗する力もなく、僕は男に連れられて建物に入り、ベッドの上に投げられた。

 ベッドはほとんどクッション性もなく、少し身じろぎするだけで ギィと音を立てた。

 男は部屋を出ていくと水を持って戻ってくる。

 それを枕元に置いて、僕に布団を深くかけた。

「水をちゃんと飲んでおけ。それからしばらくは絶対に出てくるな。安静にしてろ」

 念を押すように男は強く言って、家を出ていった。

 僕の体調を心配して言うだけではない何かを感じたが、今の僕には深く考えられるほどの余裕はなかった。

 ぼんやりとする頭で天井を見上げて、気づけば眠りについていた。


 しばらくしたころ、外が騒がしくて目が覚めた。

 この部屋には時計もなく、正確にどれくらい時間が経ったかは分からないが、窓や隙間から差し込む光が伸びていた。

 なんの騒ぎだろうと窓から外を覗き込み、すぐに身を隠した。

 窓から見るのをやめ、家の壁の隙間から外を窺う。

 そこには一つの人だかりができており、中心には教皇様がいた。

「教皇様! どうしてこのようなところに」

「お願いします、食べ物を分け与えてください! もう丸一日麦しか口にしてないんです」

「どうか、どうか神のお恵みを……、教皇様……!」

 土に塗れた服で地面に伏せ、教皇様に祈りを捧げる人々。

 そのうちの一人が教皇様を囲う人だかりを抜けて教皇様に縋ろうとした時だった。

「触れるでない!!」

 人々の言葉を全て打ち消すほどの大声を教皇様が上げた。

 途端、人々は押し黙り、縋ろうとした人も動きを止めた。

 護衛がその人の脇を抱えて教皇様から離すと、教皇様は滔々と話し始める。

「この子が見えぬのか」

 教皇様はそう言って腕に抱えた子供を示して人々に見せた。

 子供は酷く傷つき、血を流して痣が全身にでき、羽根も半分近くがもがれている。気を失っているようで動きはない。

 ーーあれは遺跡で暴行を受けていた子供だ。

 そう気づくのは容易だった。

 凄惨な場面がフラッシュバックし、僕の体は震えた。

 しかし、そんな事実はまるでなかったかのように教皇様は続けた。

「愚かにも地底のものを口にし、神の罰を受けたのだ。そなたらが近づけば呪いがうつるぞ」

 教皇様の言葉に人々はどよめき、一斉に距離を取った。

 教皇様が前に進めば、人だかりもわっとその空洞を移動させた。

「……そんな、違う……! あれは呪いなんかじゃない……!」

 家の中だけに届く声で僕は吐き出し、床を殴りつける。

 一体教皇様は何をしようとしているのか。

 なぜ子供をそんなに傷付ける必要があったのか。

 なぜそれを人々に見せつけ、嘘をつくのだろうか。

 嘘をつくことは神に背く行為だと教会は教えているのに。

 思うことは多くあったが、この場を飛び出せない。

 あの男に言われたことを守っているわけではないが、ここにいることを教皇様たちに知られるわけにもいかない。

 僕は静かに息を潜めて陰から教皇様たちが行き去るのを待った。

 教皇様が行ってしまうと、群れを作っていた人々は餌のなくなった虫のように散っていった。

「あぁ、神よ……何が起きているのでしょう……」

 両手を握ってまだ見ぬ神へ祈った。

 その時、背後から物音が聞こえた。

 警戒して振り返ったが、音の主はこの家の持ち主である男だった。

「お前が神に祈るような敬虔な信徒だったなんて驚きだぜ」

「黙れ……」

 警戒を解きつつ、睨みつけた。

 男は驚いたように片眉を上げ、そしてすぐに興味を失ったようにキッチンへと向かった。

 棚から袋を取り出すと、お皿にカラカラと麦を流し、また袋を棚に戻した。

 それを手に持ち、適当に座ると麦を口に運んだ。

「そのまま食べるのか?」

 教会では麦はスープと一緒に煮て食べることがほとんどで、生で食べることはまずない。

 というか生の麦を見たのは初めてだ。

「ここらでは火も水もは貴重だからな。どうせ腹に入れば栄養は変わらねぇ」

 ゴリゴリと噛み砕きながら特別な感情もなく男は麦を食べ進めた。

 日も沈みかけた家の中は、灯りもなく薄暗い。

 僕はなんとはなしにじっと男が麦を食べるところを見ていた。

 それに気づいた男は嫌そうに顔を顰めると。

「何見てんだ。もう元気ならとっとと出ていけ」

「言われなくても出ていくよ」

 なんだここに連れてきたのはお前のくせに、と思いながら玄関に向かう。玄関といえど、ただ板が立てかけてあるだけだが。

 板を横にずらせば砂混じりに風が吹き込んでくる。

「お前が見たのはアレなんだろ」

 こちらも見ずに男が言った。

 詳しいことには何も言及していないが、アレだけでおそらく二人が思い起こしているものは同じに違いない。

 どこまで言うべきか迷っている僕の言葉を待たずに男は。

「何も言わない方がいい。お前は何も見ていない、そう言うことにしておけ」

 どうして男はそこまで分かっているのだろうか。

 まさかこの男も教皇様の仲間なのか。いやそれはない。ならば僕を庇う必要がない。

 アレとは言うが、僕は起きたことを見たに過ぎない。

 なぜアレが行われたのか、男はそこまで知っているのだろうか。

「なぜ、何を知ってる?」

 振り返って男に尋ねた。

 男の顔は影になっていて表情は見えない。

「何も知らねぇ。それ以上は知る必要もねぇ。こんなところで油売ってないでとっとと帰りな」

 ぶっきらぼうに男は言う。

 もう男は何も話すつもりはないのだろう。

 そう悟った僕は外に出て飛び立った。

 そうして教皇様のいる聖域へとまた戻っていくのだ。


 翌日、僕はいつものように目覚めた。

 いつものように食堂で朝食を皆で摂り、朝の礼拝を行い、講義を受ける。

 変わったことといえば、マコトが神の恵みを受けたとかで、羽に巻かれた包帯が減っていたことくらいだろうか。

「やっぱり神様はすごいよ。僕らも愛に報いないとバチが当たるってもんだ」

 羽根をリハビリするようにゆっくり動かしながらマコトは言った。

 ヒイラギは申し訳なさそうに、しかし同時に羨ましそうにじとっとマコトの羽根を見た。

「俺も神の恵み受けたいなぁ……」

「そんなこと言うもんじゃないわよ。ただ健康でいられるってだけで神の恵みだと思わないと」

 ヒイラギを嗜めつつ、アホねと蔑むサナ。

 余計な一言はあるがサナのいうことももっともだとヒイラギは言い返せずにいた。

 マコトの怪我のせいか、二人ともこの前からそれほどテンションが高くない。おかげで静かでいいと、マコトは冗談を言うが。

 二人の会話が終わったところでマコトはいつもの如く僕に話を振る。

「にしてもこの前もトウマはすごかったな。また討伐数で一歩リードだ」

「あれは、運が良かっただけだよ……。それに皆のおかげだ」

 実際みんながいなければ僕一人で討伐はできない。

 僕は早く飛ぶことができるだけだ。それを討伐に繋げることができるのはマコトの戦略と、ヒイラギとサナの力があってこそ。

 僕はといえば皆が傷つくのが怖くて戦場にも出れない臆病者。

 命のやり取りの中で積極的に前に出ることができる三人には敵わない。

「あんたが倒したんだから胸張ってなさいよ。そんなだから舐められるのよ。でもそうね、マコト。次は私が討伐する作戦で考えてよね」

「考えておくよ」

 腕を組んでサナはマコトに要求すると、仕方ない、と言うようにマコトは肩を竦めた。

「確かに、いくら成績はチームでの評価もあると言っても討伐数も重要な指標だからね。出来るところでサナとヒイラギも稼いでおかないと」

「ここんとこは魔蟲の動きも良くなってきてて、マコトとトウマに頼りっぱなしだったからなぁ。俺たちももっと強くならねーと!」

「そうねぇ……。魔蟲も進化してるってわけね」

 マコトに怪我をさせてしまった件もあるのか、二人は強い決意を表すように拳を握った。

 そしてマコトも同じく。

「僕の作戦ももっと洗練しないと。また誰かが怪我をしてもおかしくない」

 優しく自分の羽根を撫でてマコトも頷いた。

 よし、とヒイラギがパッと顔を上げる。

「早速訓練しに行こうぜ! こうしてる時間ももったいないし」

「そうね。自由時間は可能な限り訓練した方がいいのは間違いないわ」

「オーバーワークには気をつけないとだけどね。でも、訓練の頻度は上げていこう」

 これまで講義後の自由時間は、週二回訓練に充てていた。

 それ以外は各々の時間としていて、僕は遺跡に行くことが多かった。

 頻度を上げると言うことなので遺跡に行けることも減るかもしれないが、あんなことがあった今は行く気にもなれない。

 ちょうど良かったかもしれないと、僕は皆の言葉に頷いた。

「よっしゃ、それじゃ行こうぜ!」

「おーい、マコトとトウマいるか?」

 ヒイラギの先導に、しかし他所からの声に出鼻を挫かれる。

「はい、ここに」

 自分らを探す声にマコトが手を挙げた。

 僕らを呼んだのは先生で、手招きして先生のもとに来るように促した。

 教室内の視線を集めながら先生の元へ行くと、先生は扉を閉めて廊下に二人を出した。

 廊下の人通りはまばらで、僕らに興味を示している人はいない。

「あの、なんでしょうか、先生」

 これから訓練しに行くんです、とマコトは続けた。

「悪いが二人には今から教皇様のところへ行ってもらいたい」

 教皇様という言葉に僕の心臓が跳ねる。

 なぜ教皇様のところへ行かねばならないのか。もしや昨日のことがバレているのか。だとしたらなぜマコトまで呼ばれるのか。

 一気に頭の中を思考が巡る。

 よくない想像で頭の中がいっぱいになり反応できない僕と、マコトも突然のことで反応できずにいると先生は。

「なんでも成績優秀者と一人ずつ面談を行いたいそうだ。教会で教皇様がお待ちしているらしい。他にも呼ばれてる人はいるみたいだが、あまりお待たせしないようにな」

 それだけ告げて先生は去っていく。

 早くなる鼓動の音が耳にまで響いてうるさかった。


 ヒイラギとサナに先生に言われた通りのことを伝えて、二人には先に訓練してるように頼んだ。

 二人とも悔しそうにこちらを見ていたが、僕はそれどころではなかった。

 道中、マコトが話しかけてきたが上の空で曖昧な相槌を打つだけだった。

 境界が近づくにつれ、不安も大きくなる。

 しかしマコトも他の人も呼ばれていると言うことは昨日のことは関係ないと自分に言い聞かせた。

 教会の前までつくと既に数名の子どもたちがきていた。

「なんか見たことある人もいるな」

 マコトの言う通り、いる人のうち何名か、特に体の大きな子どもーーおそらく年上の子供たちーーは見覚えがあった。

 たしか全体礼拝の際に、成績優秀者として皆の前で祝福を受けていた人たちだ。

 ここには学年を問わず優秀者が集められているらしい。

 気づけばマコトは顔見知りらしい他の子どもと話し始めている。

 僕はといえば交友関係も狭く、この場に知り合いはマコト以外いなかった。

 様子を伺う限り、まだ待っていればよさそうだと、壁に寄りかかって心の中で祈った。

(あぁ神様。どうか私に心の平穏をお与えください)

 目を閉じて、静かに精神統一する。

「おい、トウマ」

「わぁっ……!」

 そうしていると、突然呼びかけられて思わず声を上げた。

「なんだよ、そんなに驚かなくてもいいだろ」

 マコトが逆に驚いたと言うような目を向けていた。

「もうすぐ順番みたいだぞ」

「そっか、ありがとう……」

 マコトにお礼を言って見回す。

 面談が済んだ子どもたちは既に帰った子もいるようだが、残って話している子供は少し嬉しそうな表情をしていた。

 マコトは耳を貸せというふうに顔を僕に近づける。

「なんでも教皇様直々にお言葉がいただけるらしい。俺たち、先生どころか聖域の守護者になれるかもな」

 興奮を隠せない表情でマコトは他の人から聞いた話を語ってみせた。

 マコトの言う守護者とは、聖域と教会を守る人の総称で、教皇に次ぐ権力者だ。教皇の護衛も守護者の一つの形である。

 マコトは嬉しそうだが、僕はどうしても気分が晴れなかった。

「なんだよ、トウマ。あまり嬉しそうじゃないな」

 顔に出ていたか、しまったと思ったが、そこで僕の名前が呼ばれた。

「あ、それじゃあ僕、呼ばれたから……」

 トウマから逃げるように僕は教会に入っていった。


 逃げるようにと言ったが、実際のところ教会の中も逃げ場ではない。

 教会の大きな扉を潜った瞬間、荘厳で重い空気がずしりと僕の肩に乗っかった。

 一歩の足取りが重い。

 これは神の御前だからか、それとも教皇様への後ろめたさなのか。

 ゆっくりと進んでいくと、祈りの階段の上に教皇様が立っているのが目に入った。

 教皇様の背後には大いなる母を模ったステンドグラスが嵌められた壁があり、光が教皇様の背にさしている。

 そして教皇様の両脇にはフードを深く被って顔の見えない護衛が二人控えていた。

 僕はなるべく動揺を悟られないよう、自然を装って床に跪いた。

「よく来たな……」

 教皇様が口を開いた。

 言葉と一緒に何か霊的なものが出ているのではと思えるほど、一言だけで僕の体は強張る。

 僕は精一杯努めて、頭を再び下げた。

「そんなに固くならずとも良い。」

 なおも僕は顔を上げない。

「君はとても成績が優秀だね。神様も喜んでおられるだろう」

 僕の顔は下げたままだが、教皇様はこちらを見定めるようにじっと見ている気がした。

 教皇様の声色は普段の祈りの時のように悦びに満ちているように聞こえるが、その奥に冷たさがあるように聞こえる。

 落ち着いてゆっくりと呼吸をした。

「君はこれからも教えに背くことなく、神の愛に報いていきなさい。さすれば間違いなく神は君を選ばれるだろう」

 選ぶとはつまり守護者として、という意味だろう。

 マコトと話したことはおそらくこのことだ。

「何か言いたいことはないかね? 神は君の話を聞きたがっている」

 どくんと鼓動が跳ねる。

 声が震える。しかしあくまで恐れ多さに震えているように見せなければ。

「ありがたきお言葉です。でも僕からは何も……」

「そうか、ならば良い」

 教皇様は満足したように会話を切ると、振り返りーー足音や衣擦れの音からそう思ったーー祈り始める。

 僕に神の祝福がありますようにと一通り祈ると、再び立ち上がった。

「もう行って良いぞ」

「ありがとうございます」

 最後に一礼して、僕は立ち去る。

 なんとか乗り切ったと、しかし扉を潜るまでは油断するなと体に鞭を打つ。

 教皇様の視線を背中に感じながら歩く。

 もうすぐ教会の外に出られると、その時。

 教皇様から最後の言葉がかけられたーー。

「神はいつでも其方を見ておられるぞ」


 外に出ると、マコトが駆け寄ってきてうきうきと尋ねてくる。

「どうだった……ってお前どうしたんだよその顔。真っ青だぞ!?」

「え……、あぁ、ちょっと緊張しただけだよ。少し休めば問題ない」

「そうか……? 無理するなよ」

 下手を打てば何をされるかわからないと言う緊張感から解放され、僕はフラつきを覚える。

 もともと緊張しいな僕だからか、マコトも心配はすれど変には思っていないようで安心する。

 若干の手足の痺れはあるが、日陰で少し風に当たっていれば直ぐに治るだろう。

 だが、今はそんなことよりも早くこの教会ーー教皇様から離れたかった。

 マコトは心配そうに途中まで横についてきたが、呼ばれてチラチラとこちらを気にしながらも教会に入っていった。

 風の通る日陰で座り込んで、僕は目を閉じた。

(おそらく気付かれてはない……はず。でも最後のあの言葉……)

 よくあるなんでもない言葉だが、それがずしりと僕の心を締めつけた。

 どうして教皇様は昨日のようなことをしていたのか、目的がわからない。

 気にはなるが、今はもう考えるのはやめておこうと、僕は長い息を一つ吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る