第3話 ◇遺跡と大魔穴――デウツランヅアビス◇
授業が終わった後の自由時間。
僕は街の端に来ていた。
教会から最も離れた、外域と接するこの場所はあまり治安が良くない。
建物も一部が崩れているのはザラで、人々の目もどこか虚ろだ。
ここにいるのは子供の頃、神の愛に報いることができずに堕落者の烙印を押されたものたちだという。
彼らはこの場所で外域からやってくる魔蟲を監視している。
「なんだ坊主、また来たのか」
一人の男が見張り台を降りてきて、僕に気づいて声をかけてきた。
ポケットからライターを取り出してタバコを吹かす。
煙を吐くと、それが僕の顔の近くまで漂ってきた。
「そんな嫌そうな顔すんなよ。これはいいもんだぜ」
「……臭いだけだよ」
「まだガキにはこの良さが分からんか」
むすっと返した僕に、男は大袈裟に笑った。
この男とは何度か顔を合わせているが、名前は知らない。
僕はここが目的地ではなくただの通り道で、その時に少し顔を合わせるだけだったから知る必要もなかった。
そもそも僕から話しかけることはなく、男がいつもこちらに気づいて勝手に話しかけてくるのだった。
これ以上ここにいても仕方がないと、僕は羽根を広げる。
「なんだ、もう行くのか」
男はタバコを地面に落とし、足で火を消す。
「お前はワルだなぁ。教会サマの教えをしらねぇわけじゃねぇだろ?」
僕は男の話には耳を貸さずに地面を飛び立つ。外域から吹き込み、地面に散らばっていた砂を巻き上げながら。
街を背にぐんぐん進んでいけば、すぐに街は小さくなる。
砂の地平線が目の前に広がっていて、しばらく何もない変わらない景色が続いた。
そして地平線の向こうに影が見えた。
砂の海に浮かぶ難破船のような遺跡ーーデウツランド遺跡だ。
視界に遺跡をとらえると、僕は加速して一気に遺跡の中に入っていった。
遺跡の中は薄暗く、静謐な雰囲気を漂わせている。
頽れた建物が建物に寄りかかり、ほとんど風化している。
その表面を苔などの植物が這い、無造作に成長した植物が日光を遮っているのだった。
この遺跡も僕らの街と同じように円形に広がっているが、少し違うところがある。
僕らの街は中央に教会が座し、それを中心に建物が低くなっていく。
しかしこの遺跡は、外周が最も背が低いのは同じなのだが、中央に近づいていくほどある地点をピークにまた建物が低くなっていくのだ。
その理由が遺跡の中央にぽっかりと開いた大きな穴ーー
僕らの街よりも大きな遺跡だが、その中心を綺麗に円形に切り取る大穴。その穴だけで僕らの街のほとんどが入ってしまうだろう。
僕は穴の縁に立って、じっと穴を覗き込んだ。
「やっぱり何も見えない……」
街を飲み込んでしまったかのように口を開け、中は真っ暗で底が見えない。
穴から時折冷たく吹き上げる風が顔を撫でる。
ふと、僕は横を見上げた。
視界に入るのは大魔穴に次いでこの遺跡を象徴するようなもの。
それは直径二〇メートルはあるであろう
これはかつての大災害で現れた魔蟲で、こいつとの戦いが原因でこの遺跡の
そしてそこから逃げ延び、新たに今の街を作ったのが僕らの祖先だと聞かされているーー。
頭だけでこの前討伐したものよりも遥かに大きい。
だが、生きていないからだろうか。不思議と恐ろしさは感じない。
もしかすると巨大すぎて現実感がないのかもしれない。
むしろこの遺跡や大魔穴が纏う閑かな雰囲気は心に安らぎを与えてくれる。
「それじゃ、行こうか」
呟きは川の流れに投げ入れられた石のように僅かな響きだけを生み出して消えた。
そして僕は、穴の中へと身を投げた。
重力に従って体は穴を落ちていく。
進むほど遺跡の光は薄くなり、その闇は濃くなるが。
突然闇が晴れ、淡い光が辺りを満たした。
「今日も綺麗だ……」
僕は羽根を広げて落下を止める。
空中に静止してぐるりと周囲を見渡した。
どこから出ているのか分からないが、優しい淡い光が辺りを照らしている。
眼下には遺跡とは比べ物にならないほどの植物がその生命力をありありと見せつけるように生長している。
その地面から何本もの太い金属パイプが上部の天井ーー天井というのが正しいかは分からないがーーに柱のように伸びていた。そしてそこを伝うようにして蔓が勢力を伸ばしていた。
何度も見た景色。しかしこの緑に溢れた幻想的な雰囲気がいつも僕を癒してくれる。
僕は斜めに伸びているパイプに降り立つ。
深く息を吸って、肺を満たす空気を堪能して吐き出した。
どこか空気も地上よりも美味しいように感じる。
「いいな、やっぱり」
ここにいる時だけは、地上のことを忘れていられる。
閑かな音を聴いて浸っていると、ガザガザと森を揺らす音が聞こえてきた。
「来たな……」
僕は羽根を広げて飛び立つ準備をする。
街を出る時に男が言っていたように、教会の教えで遺跡には近づくべきではないと言われている。
何故かーー。
木陰から飛び出してきたものを避けるように僕は空中へと羽ばたいた。
先ほどまで僕がいた場所に、アントスの姿が見える。アントスはギギギと金属音を上げながら僕を見上げた。
表情などないはずだが、どこか悔しそうに見えた。
僕は次の攻撃が来る前にこの場所を離れることにして、飛び去る。
飛びながらアントスをちらっと伺うと、その周りに何匹かのアントスがいるのが分かった。
「さすが魔蟲の巣なだけあるな」
近づくべきではない理由ーーそれは大魔穴が魔蟲の巣となっているからだ。
魔穴の中は何匹もの魔蟲が闊歩し、普通の子供ではみすみすその身を魔蟲に捧げにいくようなものである。
故に教会は遺跡には近づいてはならないと厳しく教えている。
さらにもう一つ大事なこととして、超えてはならない一線も教えている。
それは魔穴の中にあるものを口にしてはならないということだった。
もし口にすれば神への裏切りとして罰を受けると言われている。
具体的にどんな罰かは分からないが、かつて禁忌を犯したものが羽根を失い、穴の中から帰れなくなったという噂を聞いたことがある。
どこまで信頼性のある噂かは分からないが、そもそも魔穴に入ろうと思わないというのがほとんどの子供だった。
ーーそもそも遺跡は街から相当に離れており、一人で行ける子供が少ないということもあるのだが。
僕はといえば、恵まれた能力で魔蟲に襲われようと、逃げるだけなら容易で。
地底のものを口にすることだけに気をつけて、楽しんでいる。
今日も魔蟲を避けながら自由に飛び、また魔穴から地上へと戻っていった。
一寸の先も見えない闇を抜けて、遺跡へと飛び出た。
僕は少し休もうと、近くの建物の屋上へと降り立つ。
どこへとなく歩き出そうとして、人の話し声が聞こえた。
「君たちはこれまで神の愛に報いることができなかった」
責めるような嗄れた声には聞き覚えがあった。
週一回の祈りの日にいつも聞く声。僕らの街の教会の一番偉い人、教皇様の声だ。
咄嗟に物陰に隠れ、隙間から様子を伺う。
四人の子供たちが並んで立っていて、その正面に教皇様と教皇様の両側に一人ずつ大人が立っていた。
教皇様はいつものように黒いフード付きのローブを被っており、曲がった腰のせいで体が小さく見える。
その両側に立つ大人は深くローブを被っており顔は見えない。
しかし教皇様の護衛を務めるということは相当高位な人物であることは間違いなかった。
それに対面する子供たちは怯えたように立ち竦んでいる。
「このままでは君たちは堕落者となり、苦痛に満ちた生を送ることになるだろう」
大きな声を出しているわけではないのに、存在感のある通った声だ。それでいて子供達に同情するような哀しみに富んだ声色。
顔を見ていなければ泣いているとすら思ったかもしれない。
しかし、その哀しみを包み込むような慈愛に満ちた表情を浮かべて教皇様は続けた。
「だが神様は君たちを見捨てはしない。これから次第で、君たちはまだ愛に報いることができるのだ」
その優しさに触れて子供たちは安堵したように顔を綻ばせた。
教皇様は一人ひとりの顔をじっくりと見て、満足したように頷くと、また顔を強張らせて。
「しかし油断はできない。これから君たちにしてもらうことはとても危険なことなのだから」
言って、教皇様はその皺の刻まれた指で大魔穴を示した。
「大魔穴へと潜り、その地下世界の調査、資源の採取などを行ってくること。これは危険だが、同時に君たちにしかできないことだ」
教皇様はゆっくりと歩みを進め、大魔穴の側まで出る。
途中で護衛が止めようとしたが、教皇様はそれを制した。
一人の子供の肩に手を当て、一緒に穴を覗き込む。
「地下の物を口にしてはならないぞ。もし口にすれば神は永遠に其方を見放すであろう。これは決して忘れてはならぬ」
子供たちは真剣な面持ちで頷いた。
子供たちはリュックを一つ背負っている。あの中に食料などが入っているのだろう。
「それでは、皆のもの。これからの長い旅は辛く苦しいこともあるだろうが、必ず神は見守っていてくださる。ではな」
そう言って教皇様は子供の肩を一人ずつ叩き、祝福して回った。
そして最後の子供に祝福を与えようとしたところで。
「おぉ、そうだ。君は少しだけ待ってくれるかね」
「え? は、はい……」
不安そうに答える子供に、教皇様は優しく微笑んだ。
「さぁ、皆のもの。行くのだ!」
教皇様の合図で三人の子供が穴の中へと飛び込んでいく。
その姿はすぐに闇に呑まれて見えなくなった。
その姿を見届けて、教皇様は残された子供に向き直る。
「あの、どうして僕だけ残されたんでしょう……?」
おずおずと尋ねる子供に、教皇様は両手を広げてそっと包み込んだ。
子供は訳もわからず困惑した表情を浮かべたが、教皇様の言葉を聞いて目を輝かせる。
「神は君をお選びになった。君は大魔穴に入らなくてもよい」
「本当ですか!?」
「あぁ、そうだとも。安心するがよい」
教皇様は子供を離す。
子供は両手を合わせて祈るように膝をついて謝辞を述べた。
「ありがとうございます! 神に感謝します!」
教皇様は振り返って護衛の近くまでいくと、何かを耳打ちした。
その言葉を聞いた護衛は逆に子供に近づいていく。
深々と首を垂れる子供の前に立った護衛。
なんだろうか、と子供が顔を上げたその瞬間。
「おッ…ゴフッ……!」
護衛が子供の顔を思い切り蹴り飛ばした。
予想だにしない衝撃的なことに僕は思わず声をあげそうになったが、両手で口を押さえて声を殺した。
一体何が起きているんだろう。
子供は二人の護衛に何度も殴られては蹴られ、しまいには羽根をもがれていく。
「教こ……サ、マ……」
泣き叫ぶ子供は教皇様に助けを求めるが、教皇様は黙って見ているだけで何も言わなかった。
ちらと見えたその顔は酷く冷たい表情をしていた。普段の慈愛に満ちた表情からは想像できないほどに。
護衛二人による一方的な暴行が終わるころ、子供の意識はもうほとんどなく、口から血を吐き、羽根の三分の一以上がなくなっていた。
それでもなお教皇様に手を伸ばす姿は狂気的に見えた。
「はぁっ……! ……あっ、ふぅぅう、はぁああ、んぐっ! 」
物音を立てまいと必死に息を止めていた僕は、暴行が終わると同時、激しく息を吸い込んで咽て、近くの瓦礫に手が当たってしまった。
瓦礫は建物の壁を転がるように落ちていき、カツンという音が何度か遺跡に響いた。
教皇様たちは物音に気づいて、護衛の一人がこちらへとやってくる。
暗闇から徐々に近づいてくる気配は悪魔のようだった。
護衛が屋上にやってきたとき、僕はもうその建物から離れていた。
教皇様たちに見つかってはいけない。
僕は見てはいけない物を見てしまったのだと直感が告げていた。
教皇様たちからなるべく離れ、しかし街にはできるだけ早く着くよう、遺跡の中を低空で飛行しながら抜け出る。
遺跡を抜けた僕は全力で砂漠を飛び、街まで戻っていった。
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