第5話 蓮とマタイ教課生
怪我も完治し、退院の日。
荷物をまとめて――と言ってもほとんど物はないが――蓮はエントランスに来ていた。
待ち合わせ時間の3分前に柔造がやってくる。
手を上げて呼びかけてくる柔造に連は頭を下げた。
「おはよーさん」
「オハヨーっす」
「……なんやそれ?」
怪訝な顔で柔造が指さすのは、蓮の肩あたり。
正確には肩越しに見えるもので。
「あぁ、なんか最近ずっとこうなんだよな」
柔造が指差したのは蓮の背に蝉のようにしがみついて眠る麗だった。
あれからというもの麗は気づくと蓮の病室にやってきていて、夜寝るときにはいなくなっていた。蓮の怪我が治って歩けるようになると、今みたいに蓮にくっつくようになったのだ。それでもトイレなど、必要なときは自然と外で待っているのだった。
「……重くないんか?」
柔造はいろいろツッコみたそうにしていたが、まず出てきた質問がそれだった。
蓮は自分でも不思議だとは思いながら。
「なんか全然重さ感じないんだよなー」
「そうか……」
もともと麗の体重が軽いというのもあるかもしれないが、それでも不思議なほど重さを感じない。そもそも蓮は落ちないように支えてもいない。
麗の絶妙なバランスや体重の置き方なのか、蓮が感じる負荷はほとんどゼロだった。
二人して不思議な顔をしながら、建物の外に出た。
柔造の先導に従って蓮は後に続く。
「今日は寮と学校を案内してくれるんだろ?」
歩きながら蓮は柔造に話を振った。
今日は寮や学校を案内してもらうことになっている。
寮は住む場所がなくなった蓮にとってはとても魅力的でありがたい話だ。
学校についてはマタイの話を聞いている中で出てきた話題で、どうやら正規隊員になるための職業訓練学校のような場所らしい。
そこに通う生徒は教課生と呼ばれ、准隊員みたいな扱いの元、モンスターについての座学や戦闘訓練を行うという。
ここで学んでいる間も給料が支給されるというのだから驚きだ。
「おー。今はとりあえず寮に向かって、準備してもらう感じやな」
他愛無い雑談をしながら寮に向かう。
怪我が治るまであまり出歩いていないので知らなかったが、マタイの敷地は存外に広いらしい。
医務室のあった建物を出て整備された道を歩く。
東京ドーム五個分の敷地があると言う話だったが、蓮にはいまいちピンと来なかった。
眩しい日の光のもと歩くこと十数分。
古いアパートのような建物にたどり着く。
三階建てで、正面玄関を入れば音が響くような作りだった。
「ここの三◯五が蓮クンの部屋な」
エレベーターはないので階段で上階に上がる。
部屋の前に来ると、柔造がポケットから鍵を取り出してドアを開いた。
「おぉー、すげー……!」
蓮が入ることになって新しく家電を揃えてくれたのだろうか、まだ綺麗なレンジや冷蔵庫が玄関から入ってすぐ見えた。
中に入ると小綺麗に整理されて家具も一式揃っていた。
「最低限家具家電付き。今日から普通に生活が送れるようになっとる。他に必要なもんがあったら言うてや。まー、もしかしたら支給されるかも……知らんけど」
「十分だぜ……ありがとうな」
蓮は感動していた。
これだけのものを支給されて足りないなんて有り得ない。
前の家なんて最低限も最低限、壊れかけた家電を騙し騙し使っていたのだ。
家自体は親の買った家で普通の一軒家だったが、家電などは長い間買い替える余裕なんてなかった。
1DKのこの部屋は、一人で暮らすには広さも設備も十分過ぎるほどだ。
楽しくなっていろいろ物色しているとクローゼットの中に同じ服が何着か入っていることに気づく。
「これは……?」
「教課生の制服や。これからは基本的にそれを着て生活してもらう。休日とかは別に私服でええで。まぁ面倒や言うて制服きとる奴もおるけど」
「至れり尽くせりだな」
「洗濯は自分でやってな」
「おう」
「そしたら、制服に着替えてもろて、一時間後くらいにあの建物集合で頼むわ」
そう言って柔造は窓の向こうに見える建物を指差す。
「あれが教課の学校。ここから目の前に見える道をまっすぐいくだけやし、案内なくても大丈夫やろ?」
「任せろ!」
「よし、よろしくな。ここから十分もかからんから、時間まではゆっくりしとき」
それじゃ、と言って柔造は出ていった。
階段を降りていく足音が響いて聞こえてきた。
古いだけあって、防音はあまり良くなさそうだ。
しかし聞いた話によるとここに住んでいるのは蓮だけで、他の人は普通に自分の家だったり、正規隊員用の新しい寮に住んでいるらしい。
正規隊員でない蓮は規則的に入居できないらしく、古くて申し訳ないと柔造が謝っていた。
しかし逆にこの大きな建物に自分しかいないという事実に蓮は少しワクワクしていた。
「なんか、始まったって感じするな! 心機一転、頑張るか!」
退院する少し前に崩れた家に行って持ってきた荷物から、家族の写真を取り出して窓の側にあった棚に飾る。
窓を開けると気持ちいい風が吹き込んできて、カーテンを揺らした。
外を見れば、寮を出た柔造がさっき言っていた道を歩いて離れていく姿が目に入った。
物の配置を確認するように部屋を周った後、ベッドに倒れ込む。
一人暮らしなんて初めてで、蓮は落ち着かずソワソワしていた。
部屋を歩き回ったり意味もなく冷蔵庫を開けたり閉めたりしていると、時間が経って約束の時間が近づいてきたので蓮は準備をして寮を出た。
そういえば学校に行くことはいいのだが、どこにいればいいのか聞いていなかった。
行ってみて誰かに聞けばいいか、そう思って蓮は建物を目指す。
近づくにつれその細部が明らかになってきた。
建物の壁はレンガ造りとなっていて、洋風な雰囲気を漂わせている。
車が二台通りすがれるほどの大きさの開かれた鉄門扉を抜けて進めば、ドアが解放された昇降口が蓮を出迎える。
日差しを遮る軒下に入ると、ひとりの女の子が立っていた。
小柄だが幼いというわけではない、蓮と同じ歳くらいの女の子だ。
黒くて若干癖の入った髪は肩口で切られている。
彼女は本を読んでいたが、足音で気づいたのだろうか。蓮に気づくと小走りに近づいてきた。
「初めまして、佐藤芽依です。八重さんから蓮くんを案内するよう言われてます。よろしくお願いします」
「石原蓮です。よろしくお願いします」
学校では柔造ではなく、この子が案内してくれるのか、と蓮は納得した。
互いに自己紹介をして頭を下げる。
芽依の身長は蓮の胸あたりで、女性の中でも低めに入りそうだ。
「あのー……」
訝しむように芽依が蓮の顔を見上げる。
なにか顔についてるだろうか。
「ん、どうした?」
顔をペタペタと触ってみるが、特についてる様子はない。
芽依は、いや、とおずおずと指を差した。麗に。
あぁ、ナチュラルすぎて忘れていた。
「麗さん、ですよね?」
「おぉ、知ってんのか」
「教課生ですが、私も五番隊所属なので」
「そうなのか〜」
「あの、どうして麗さんと一緒に?」
「なんかよく分かんねーんだけどよ、懐かれたっぽい!」
「なるほど……」
納得したような、してないような。
そんな顔を芽依は浮かべていた。
一旦そういうものだと受け入れたか、気を取り直して芽依は案内を始めた。
「それじゃいきましょうか。靴は脱いで下駄箱の適当なところに入れておいてください。上履きは持ってきましたか?」
「あぁ、部屋にあったから一応な」
「サイズはどうですか?」
部屋に置いてあった上履きを袋から取り出して履いてみる。
蓮の足にぴったりだった。
「ぴったりだな」
「よかったです」
いつの間にか足のサイズまで測られていたのか。
マタイとは恐ろしい場所だと思いながら蓮は靴を拾い上げた。
蓮が靴を下駄箱に入れるのを確認して、芽依は歩き出す。
まず案内されたのは、床に造りつけてある長机が並ぶ教室だった。
「ここで座学を受けます」
「座学ってさ、何を学ぶんだ?」
柔造から座学があるとは聞いたが、詳しくは教えてもらっていない。
「それも説明するように八重さんから言われてまして、一応参考になりそうなものをいくつか持ってきてみました! 自由に見てもらって大丈夫です。」
元気に応えて芽依はカバンから分厚い本を何冊か取り出して机に置く。
元気があって小柄で、可愛らしい感じの子だ。
蓮は適当に一冊を手に取り、パラパラとページを捲る。
図もあるが、文字がぎっしりと書いてある。
見ているだけで嫌になりそうだ。
「ここでは魔生物やダンジョン、魔製道具の仕組みをはじめとしたあらゆる知識を学びます。討伐教課生だけでなく、研究教課生や技術教課生など全教課生が一緒になって学んでいます」
「生徒にも色々あるの?」
「はい。私や蓮さんは討伐課に入ることを目的とする討伐教課生です。他にも研究課や技術課など、それぞれの課ごとに教課があります」
「討伐課以外にもあるんだね」
「研究課で生み出した武器などを技術課で製造して討伐課の私たちが使う、みたいな流れです。今あげた三つ以外にもありますが、全部の課が大事な役目を担ってるんですよ」
「なるほど」
蓮が入るのは討伐課という話だったので、討伐教課生ということなのだろう。そして芽依も。
他にもある課も気になるが、今はまず芽依の案内に従う。
次に向かったのは広めの空間だった。
学校でいえば体育館に似ている。バスケットがフルコートでできそうなサイズ感に、鉄骨の柱が見えていて天井が高い。二階は観客席になっている。
体育館と違うのは大きなモニターが天井からぶら下がっていたりマネキンのようなものが床から生えていたりと、科学をそこかしこに感じる点だろうか。
「ここでは戦闘訓練を行います。座学と違ってここは討伐教課生だけです」
「戦闘訓練か!」
「訓練といってもここで真剣にやらないと、現場に出て死んじゃいますから、気合入れてやりましょうね!」
笑顔でさらっと怖いことを言う子だ。
しかし力がなければ死んでしまうのは事実。
蓮は身をもって理解している。
身が引き締まる思いで蓮は空間を見渡す。
「蓮さんの武器はなんですか?」
「んあ? あー、わかんないな」
そうか、戦うということは武器が必要か、と当たり前のことに言われて気づく。そういえば麗さんは剣、あの細長い刀身は確かレイピアとかいうやつだったか。
果たして自分は何で戦うのか、どうやって決めるのかもわからない。
「あ、そうですよね! 蓮さんは一般からの中途入学ですもんね。ということは、最初の訓練授業で適性を決めることになると思います。頭の片隅に入れておいてくださいね」
「おう!」
「それじゃあ次が最後です! ついてきてください」
次は昇降口から靴を履き替えて外に出て、別の建物に入っていく。
学校には他の人を見かけなかったが、こちらの建物にはちらほらと人がいる。
その誰もが柔造と同じ黒い制服を身に纏っていた。
「ここは討伐課の建物です。各隊の隊室やトレーニングルームがあります。トレーニングルームは討伐教課生も許可を取れば利用できるので自由に使ってください。受付に言えば使い方も教えてもらえます」
廊下を歩きながら窓から覗いたトレーニングルームには、機材の揃ったエリアと自由に利用できる広めのエリアがあった。
さらに進むと同じタイプのドアが等間隔に五つ並んで。
その一番突き当たり、五つ目のドアの前に立って、
「そしてここが、私たち五番隊の隊室です!」
芽依はドアを開けた。
八畳くらいのスペースに、両壁に沿って棚が置かれ、ドアの向かいの壁には窓がついている。
部屋の手前にはソファとテーブルが置かれ、窓際には机が四つ、二つ並びに向かい合うように置かれていた。
「お、来たな。案内は済んだか?」
窓際の席に座っていた柔造が、こちらに気づいて席を立った。
「はい、教室と訓練所、あとトレーニングルームも紹介しておきました」
「十分やな、あんがとさん。飴ちゃんいるか?」
「大丈夫です」
丁寧にお辞儀して断る芽依に、柔造はしょぼくれた顔をする。
しょぼぼんとした目のまま、訴えかけるように蓮を見つめる柔造。
苦笑いをしながら蓮は飴を受け取った。
パッと笑顔に戻ると柔造は、
「それでな、蓮クン。教課のカリキュラムは座学と戦闘訓練、あともう一つ」
「なんだ?」
「部隊での実地演習や」
柔造はペンを取り出すとホワイトボードに書き込む。
「座学で知識を、戦闘訓練で基礎を、実地演習で経験を積んでもらう。そして最終的に隊員試験に合格すると正規隊員になれるっちゅう訳や」
「その隊員試験っていうのはいつあるんだ?」
「半年後やな」
「なるほど」
なるほどとはいうものの、それが早いのか遅いのかわからない。
しかしそこで疑問を呈したのは芽依だった。
「半年後ですか?」
「どした?」
「いえ、隊員になるためには基本的に二年間教課に通うのが普通なので……」
「じゃあ隊員試験は受けられないってこと?」
「隊員試験自体はオープンなので二年通わなくても受けられます。教課に通ってない外部の方も受けに来られるので。ただそれはそれまでに何かしらの経験があって充分な実力があるから受かるわけで……」
「何の経験もない素人が半年で受かるなんて無謀っちゅう話や」
「じゃあ俺は半年後じゃなくて二年後に受けるってことか」
「いや、今度の試験を受けてもらうし、絶対に受かってもらうで」
「でも半年でなんて無謀なんだろ?」
「普通に通っとったら二年くらいはかかる。やから蓮クンには普通以上のことをしてもらう」
そう言って柔造は机の上に高く積まれた書類を蓮の前にドン、とおく。
これは広辞苑何冊分くらいだろう。
広辞苑を基準にするくらいには分厚い量の山になっていた。
「柔造さんお手製の特別問題集や。空いた時間はとにかく自習してもらうで。半年は休みないと思うてや」
「マジか……」
「いくらなんでも詰め込みすぎじゃ……」
蓮と一緒になって芽依も顔を顰めていた。
しかし柔造は一切譲る気もないらしく。
「半年後に受からんかったら蓮クン、クビやから」
「横暴すぎますよ!」
抗議する芽依に、柔造は首を振った。
「そもそもが中途なんていう特別扱いをした上に住むところまで用意してあげたんや。半年で受かってくれへんと採算が合わん。使えんようならとっとと切り捨てるっちゅうわけやな」
「そんな言い方しなくても……」
「ワシらも慈善事業やないんや」
柔造の強い語気に芽依はしゅんと小さくなる。
初めて会った蓮のためにこんなに言ってくれるとは、芽依は本当に良い子だなと蓮は思う。
しかし蓮はそれほどネガティブにはなっていなかった。
「半年後に受かれば良いんだな? やってやるよ!」
「蓮クンならそう言うてくれると思ってたで。」
柔造に負けない気合いで宣言する蓮。
それを受けて柔造も満足げにニヤリと笑った。
「それじゃとりあえず蓮クンのレベルを測るために簡単なテスト受けてもらおかな」
テスト用紙を柔造から受け取ると、蓮はペンを持って取り掛かる。
こうしてテストを受けるのは高校以来だった。
右上の名前欄に石原蓮と書き、紙にペンを走らせる。
制限時間を過ぎたところで、柔造が用紙を受け取り採点を始めた。
一通り点数をまとめたところで柔造は一息つく。
「なるほどな、だいたいわかったわ」
テスト用紙を蓮と芽依に見せて。
「二十問中三問正解。こいつは相当幸先不安やなぁ……」
空いている手で頭を抱えて下を向いた。
母親が死んでから、生活と双子の進学のために高校を辞めて働き始めた蓮はあまり学がない。
蓮も自分の実力を理解しているので驚きはなかった。
「すまん、俺そんな勉強できねぇんだ」
申し訳なさそうに、しかし暗い雰囲気を作らないようになるべく明るく謝罪する。
向かいのソファに座っていた芽依は優しさの見える苦笑いを浮かべていた。
「勉強の方は芽依ちゃんに見てもらうことになっとるから頑張ってな……。芽依ちゃん頼むわ」
「勉強は得意なので任せてください! 私も半年後の隊員試験合格を目指してるので一緒に頑張りましょう!」
「よろしくお願いしまぁす!」
元気いっぱいな芽依に蓮は深々と頭を下げた。
久しぶりの学生生活。それを共に過ごし、なんなら自分のために手助けをしてくれるという芽依。勉強は不安だが、芽依と柔造を信じて己にできる限りのことをしていくしかない。
半年後の試験合格を目指して、蓮のマタイ教課生としての日々が始まった。
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