第3話 蓮と魔生物対策本部

「ん……?」

 目を開けると知らない天井が目に入る。

 真っ白な天井に、眩しいシーリングライトが丸く縁取られている。

 細く目を開けて周囲を確認すると、小さなテレビの置いてある小さな棚と、自分の寝ているベッドと、ベッドを囲むように仕切られたカーテンがあった。

 どうやら病院にいるらしい。

(いや、見たことあるか……?)

 一瞬見慣れない景色だと思ったが、最近見たような気もする。

 記憶が混濁しているのか、はっきりとしない。

 確か、トロールに襲われて……。いやそれはもっと前だ。

 直前の記憶では何と戦おうとしていたか。

 記憶の海を探りながら、蓮は周りをもっとよく確認しようと体を起こして、気づく。

 自分の寝ているベッドの上、蓮だけでは不自然に膨らんだ掛け布団。

 そして自分の足に感じる重量感。

 何かいる。

 蓮は恐る恐る掛け布団を捲ると――。

 片方だけ包帯の巻かれた蓮の足と、怪我していない部分の上で規則的な呼吸に小さな体を上下させてすやすや眠る少女が目に入った。

 なんなのだろう、この少女は。

「……ん、むぅ?」

 少女はもぞりと動き、眠そうに眼を擦りながら上体を起こす。すると綺麗な白く長い髪がさらさらと溢れた。

 何故だろう、眠りを妨げてしまったような謎の罪悪感が蓮を襲った。

 しかしそもそも蓮の上で寝ていることが理解出来ないので一先ず罪悪感は振り払う。

 少女はあくびを一つして伸びをした。

「……ん……起きた…………?」

「あぁ……」

 まだ眠いと言いたげな、幼い顔で蓮に問う。

 起きたのはそっちなのでは、と思いながらも返事をした。そして。

 その顔がはっきりと認識できたところで、蓮の頭にバチンと電流が走ったように気を失う直前の記憶が蘇った。

 そうだ、蓮はウェアウルフに殺されそうになっていた。そこをある女性が助けてくれたのだ。

 その女性は普通の人とは思えない力を持っていて、軽々とウェアウルフを屠った。

 そこで蓮は気を失ってしまったのだが……。

 今、目の前にいるこの少女は最初にウェアウルフに襲われそうになっていた少女だ。蓮が身代わりとなって助けようとした少女。

「無事だったのか! 良かったな……!」

 パァッと顔を明るくして、蓮は少女の肩を掴んで少女を見つめた。

 ダボダボの白い服に隠れてよく見えないが、手や足といった見えるところに怪我はない。

 逃した後の手助けはできなかったが、特に問題はなかったようだ。

 一瞬で蘇った記憶と少女が無事だという事実に感情のジェットコースターが急降下していったが、蓮はほっと一息をつく。

「……?」

 少女はなぜか不思議そうな顔を浮かべて、何か言いたそうに口を開きかけたところで。

「まいどー!」

 関西弁のでかい声で、病室の扉を勢いよく開けて一人の男が入ってきた。

 黒い服に身を包んだ細目の男。

 あれは確かマタイの制服だ。

 男はツカツカと部屋を中へ進むと、ベッドの上を見て。

「お、目ぇ覚めたんか!」

 糸目を少しだけ開いて嬉しそうに蓮を見た。

「いやぁ〜心配したんやで、なかなか目ぇ覚さへんからこのまま一生植物状態なんちゃうかって」

「俺、そんなに寝てたんですか……?」

「せやで」

 神妙な面持ちで声のトーンを落として男は頷いた。

 植物状態を心配されるほどとは、かなりの生死の瀬戸際だったのだろうか。

 怪我としては足だけだったと思ったが、実際はそれ以上のダメージがあったということか。

 蓮も同じく真剣な表情を作って男にさらに尋ねる。

「ちなみにどれくらい……」

「そうやな」

 男は重苦しそうに小さく息を吐いて、そして言った。

「……三十分や」

「ちょっとだけじゃねーか!」

「お、ナイスツッコミ!」

 想像以上に短い時間で蓮は思わず突っ込んでしまった。

 初対面にも関わらず馴れ馴れしい感じもあるが、男もどこか喜んでいそうなので全く問題ないだろう。

「それで、あんたは誰なんだよ」

 バカバカしくなって蓮は敬語も付けるのを忘れて投げた。

 人笑いを終えた男はそれでも軽い口調で。

「あー、俺はジョセーヌ・ミランコビッチ。皆からはミラちゃんって呼ばれとる」

「ミラちゃん……」

「よろしくな〜」

 俄かに信じがたい名前だ。明らかに見た目は純日本人だが、見た目だけで判断するのも失礼か。

 何か重大なワケがあるのかもしれない。

 ここは困惑は顔に出さず、受け入れるべきだろう。

 ミラちゃんの差し出す手を取って、よろしくと返す。

「それで、キミの名前は石原蓮クンやな?」

「そうだけど、なんで知って……?」

「悪いけどキミの荷物勝手に見させてもらったわ。諸々手続きするのに必要やったから許してや」

「そうだったのか……」

 ということは入院手続きなどもしてくれたのがこのミラちゃんということになる。

「ありがとな、助かる」

「えーてえーて」

 精一杯の感謝の気持ちを表現するべく、笑みを浮かべて感謝を述べた。

 ミラちゃんは手を振って、気にするなというハンドサインを送った。

「ところで、その制服ってマタイのだよな?」

「おー、せや」

 会話が一区切りついたところで、蓮はもう一つ気になっていたことを聞く。

 前にスーパーでモンスターが出た時に来たマタイの服と同じ。

 ミラちゃんがそれを着ているということは彼もマタイなのではあろうが。

 聞きたいのはその先。

「なんでマタイがこんなところにいるんだ?」

 確かにモンスター討伐やその処理をするのはマタイだが、怪我人などは普通に救急車によって運ばれるはずだ。

 病院の救急隊や先生が見てくれるのではないだろうか。

 病院にまでマタイがついてきてくれたという話は聞いたことがない。

 ただ蓮がテレビをあまり見ないから世間に疎いだけかもしれないが……。

 しかしミラちゃんから帰ってきたのは予想外も予想外の答えだった。

「んあ、そりゃマタイがマタイにいるのは当たり前やろ」

「……は?」

 いや確かにマタイがマタイにいるのは当然なのだが、ここは病院でマタイではない。

 だからこそおかしいのであって、と蓮は一つの結論に至る。

「ここって普通の病院じゃないのか?」

「まー、そうとも言えるな。ここはマタイ――魔生物対策本部の中の病院や」

 なるほどそれならマタイがいるのも納得である。

 だが、であれば逆に納得できないことがある。

「なんでそんなところに俺が……?」

 魔生物対策本部は基本的に外部の人間を中に入れることはないと聞いたことがある。

 一般人である蓮が入れるはずもない場所だ。

 それがなぜ。

 ミラちゃんはうーんと少し考えて。

「いろいろ理由はあんねんけど、まず一つはここに連れてきた方が治療が早かったってのがある」

 言われて蓮は足を見る。

 ウェアウルフに抉られた足は今は痛まない。

 麻酔が効いているのもあるかもしれないが、早急に適切な治療が施されたのは疑いようもない。

 なんともありがたい話だ。

「それともう一つ」

 ミラちゃんは気まずそうに頭をかいて続ける。

「隊長が蓮クンを相当気に入ってしもたっていう、まぁどっちかっていうとこっちの方がでかいっちゅうか」

 突然しどろもどろになるミラちゃんに蓮は話についていけなくなる。

 隊長が気に入った? なんの話だろうか。

「それってどういう……」

「まぁ端的にいうとや、キミをうちに勧誘したいっていう話や!」

「うちって、マタイか?」

「あぁ」

 突然の話に蓮は面食らう。

 ――自分がマタイに?

 全く想像だにしない話で蓮は何をまず考えたらいいのかもわからない。

 疑問符を浮かべる蓮を見て、ミラちゃんは落ち着いて。

「隊長が蓮クンのこと気に入ったから、マタイに入れようって話になって、マタイに入るならマタイで治療してもいいよなって話になってやな」

「なるほど……?」

 なんだか分かるような分からないような話だ。

 とはいえ蓮の頭に何か引っかかることがあった。

 隊長が気に入ってくれた……。

 そういえばそんなことを言われた記憶がある。

「もしかして隊長って、ウェアウルフを真っ二つにした人ですか?」

「ん? おぉ、そうや」

「確かにあの人も部下になれとか言ってた気が……」

 あまりに衝撃的な場面で、かつ気を失う直前だったからで一言一句覚えてるわけではない。しかしかろうじて思い出した。

 あの人が隊長だったということか。

 よく見るマタイの制服はミラちゃんのように黒色だったから、すぐには結びつかなかった。

 モンスターと戦えるのだからマタイではあるのかと思ったが、白い制服は隊長の証なのだろうか。

「まぁそんなわけなんやけど、どうや、マタイ入らんか?」

「そんなこと急に言われてもな……」

 あまりに突然の申し出に、蓮は躊躇する。

 ミラちゃんは話を続ける。

「マタイに入れば寮もあるし、給料ももちろん出る。最低限の生活は保障されると思ってくれていい」

 家も、仕事も失った蓮にとってはどちらも必要なものだ。

「やけど当然命を落とす可能性はある。無理にとは言わん、キミが決めることや」

 命もすでに捨てたようなもの。

 二人を失った時点で蓮は死んだも同然だったのだ。

 だが逆に、それは守るものもないただの抜け殻だ。

 そんな蓮がマタイに入って何ができるというのだろう。

 沈黙が流れる。

 最小限のものしか置かれていない病室は、小さな物音でもよく聞こえた。

 キーという電器のコイル鳴きの音。

 窓の外を飛ぶ鳥の声。

 血液を送り出す自分の心臓の鼓動。

 抜け殻でも、愚かしく心臓は鳴り続けている。


 ――ふと手元に動きを感じた。


 ミラちゃんが来てからじっと静かにしていた少女が手をそっと、蓮の手に重ねて見上げる。

 幼気な顔の大きな目で蓮の内を見るように目を見つめて。

「…………入らないの?」

 小さな、か弱くも耳を撫でるような優しい声で言った。

「俺、は……」

 少女の目は純粋なまでに美しく、蓮に目を逸らすことを許さない。

 逃げたい気持ちはあるはずなのに、しかし少女を見ていると不思議と心が安らいでいく。

 漣たった蓮の心は落ち着きを取り戻し、その透き通った水面から中を見通せる。

 恐れ、逃げようとする心の内に、蓮はある想いがあることに気がついた。

 それは目の前の少女が気づかせてくれたものだ。

 あのとき、蓮を走り出させたもの。

 それを掬い上げて、蓮は優しく抱きしめた。

 蓮の手の上に重ねられた少女の手を、蓮は割れ物でも触るように優しく握り返す。

 少女は蓮の顔を見て、ふわりと微笑んだ。

 蓮は返事を待つミラちゃんに視線を移して答えた。

「俺をマタイに入れてください」

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