第3話

彼はそのまま静かに部屋を出ていった。

扉の重い音だけが響いた。

フラットの机の引き出しを引くと、中には報告書が入っていた。

極秘と書いてある。

恐る恐る手に取り開いてみる。

そこには麻薬や武器の流通ルート、横流しされている穀物や家畜についても事細かく調べてあった。

フラットの言っていたことは嘘ではなかった。

「忠誠を誓った王。元々相容れない方だとは思っていたが」

街の人々は裕福とは言えないが幸せに豊かな生活をしていた。

穀物や家畜が横流しされていたなんて。

ちゃんと市場に出ていればもっと豊かだったのに。

それに水脈のある山を隣国に売るつもりだったようだ。

常に綺羅びやかな装飾をつけて、大きなサファイアやルビーの指輪をしていた。

俺の安寧を揺るがせたどころか失わせたフラットを許すわけにはいかない。

だけど、俺は昨日ほどの絶望はなかった。

今の生きる目標はソフィア様に会う、ただそれだけだ。

部屋に戻ってきたフラットに話しかけた。

「俺は何をすればいい。身体もなまっているし。

監禁されてもう何日も一日なにもしていない。

暇に過ごすのも飽きてきたところだ」 

「うーん、君にしてもらうことは」

フラットは頬杖をついた。

「食事を美味しそうに僕の目の前で食べることだけだ」

「は?何言ってるんだよ」

「僕は外泊はしないから毎日帰ってくるし」

「なんだよそれ。答えになってねぇ」

フラットは目の前のデスクで書類を見ていた。

ノックの音が響き、どうぞと声をかける。

「夜分遅く申し訳ありません。実は近頃、隣国に極秘情報が流れていることが分かりました。内通者がいるのではという噂が回ってまして」

一瞬にして空気が変わったのが分かった。

「内通者がいるだと。何をしている。早く探せ。

それとアルバートが怪我をしたらしいと聞いた。

指揮隊長の貴様が様子を見ていなくてどうする。

アルバートの怪我の調子はどうだ」

「申し訳ありません。もう随分と良くなっています。

あと一週間程で復帰出来るかと」

「もう下がっていい」

話を遮るように冷たい声が響いた。

部下は部屋を出ていった。

「少し厳しいんじゃないのか。いつか恨みをかうぞ」

「それくらいでいいんだよ。

優しい上司だと緩んでくるからね」

「それに意外とちゃんと仕事しているんだな」

「心外だなぁ。仮にも騎士長だからね」

彼はさっきの顔は嘘のように微笑んだ。

あれ、俺に甘くないか。

フラットは本当に俺に何もやらせない。

そうは言ったものの、そのくせ一緒にご飯は食べない。

忙しそうに手元の資料に目を通していて、完全に放置されている。

仕事で一日家を空けるときもある。

なんだよそれ。本当に捕虜なのか疑わしくなってきた。

何か他に目的があるのではないか。

逆に自由に出来るということを逆手に取れば、ソフィア様の居場所も調べられるかもしれない。



*****

フラットは夕食の時間に戻ってきた。

「何してたんだよ」

「別に。遊んでたんだよ。

リードと違って友達も多いんだ」

服と髪が濡れている。

頬には大きなガーゼが貼られていた。

「あーあ、綺麗な顔が台無しじゃないか」

皮肉を一言言ってやらないと気が済まない。

「そうだな。僕の完璧な顔が。無様だと僕を笑うがいい」

フラットはどこか疲れているような、いつものように言い返しては来なかった。

こんな雨の日に外で何をやってたのか。

「僕だって息抜きする時間がないと」

「俺なんか捕虜にされてこんなとこに監禁されてるじゃないか。酷い話だ」

フラットは何故か笑っていた。

「僕たちは一度は別々の道を選んだ。

ここで君に会えたことは運命だと思ってる」

「なんだよそれ。気持ち悪い」

次の日も、その次の日も俺の目を盗んで外出していた。問い詰めてもいつもはぐらかされる。

別になんでもないと。

お茶会に出ていただの散歩だの。

でも、何回かに一度は明らかにフラットは落ち込んで帰ってくる。

あの高慢で口の汚いフラットのこんな姿を俺は見たことがない。

興味が半分、もう半分は何だろうか。

ある日、こっそりと後をつけていくことにした。

変装はフラットの部屋にある、あらゆるものを使った。

一日目は確かにフラットが言っていた通り、隣国の王女のお茶会に参加していた。

王女と言っても年増の俺たちより一回り以上は年上に見える。

それから次の日はフラットは城の裏の山に入っていった。

どこに行くんだろうか。息を殺して尾行するとそこには小さな小屋があった。

彼は小屋の前の開けた場所で剣術の練習をしていた。

小屋の裏に回ると馬小屋がありフラットは愛馬の世話をしていた。

彼は何時間も毎日、鍛錬をしていた。

なんだ、思ったよりも普通じゃないか。

ここは誰も通ることのない裏山だ。

わざわざこんなところに来なくても。

そうか、こいつはこういう奴だったな。

全てうまくいっているように見える。

「僕に全てが味方するんだ。運や神でさえも」

その顔が憎らしかったときもあった。

才能と努力の賜物だった。

一生かけても彼には敵わない。

だけどまだ彼の怪我についての謎が解けない。

彼は酒は飲んでも酔った奴に殴られなどしないのだから。

身体能力的なとこもあるし、あのプライドの高いフラットがみすみす殴られてやるわけもない。

前ほど頻繁にではないが、それから気が向いたら俺はあいつの後をつけた。

フラットは小綺麗な家に入っていった。

誰の家だろう。

まさかあいつ、こんなところでうつつを抜かしていたのか。

中から怒号が聞こえてきた。

覗くと彼は必死に頭を下げていた。

外に出てきた彼は泥だらけになりながら、引き続き頭を下げていた。

この間の怪我はこれだったのか。

それから馬に乗ると森林の奥にどんどんと入っていった。

俺も着いて行くと丘の上に出た。

開けた丘の上には沢山の十字架があった。

彼はそのうちの一つの前に立っていた。

「フラット」

フラットは俺を見て目を開いた。

「なんでここに」

「それはこっちの台詞だ」

彼はいつもは見ないような哀しそうな目をして言った。

「友人の墓参りだよ」

彼の後ろには白百合の花畑があった。

「僕は君の国を愛していた。だから、守りたかったんだよ」

「それでも俺は許していない」

フラットは哀しそうに微笑んだ。

「そうだね。許されるとは思っていないよ」

その姿に無性に腹が立った。

俺の苦悩も知らないで。

「俺がどれだけ毎日眠れないか」

「じゃあ、一人で守り抜けたというのか。君が」

間髪入れずにフラットは強い口調で言い返してきた。

それは、どうだろうな。

俺は裏の話すら知らなかった。

全く気楽な奴だった。

きっと内乱や事件が起こってから気がついたのだろう。

「ソフィアは自害したよ」

息が止まる。

「今なんて言った」

思考が追いつかない。

呼吸が浅くなる。心臓が大きく拍動し冷や汗が流れた。

「だから」

「なぜだ。なぜソフィア様が自害しなければならないんだ。国のことを知らせたのか。

貴様らが劣悪な環境に監禁したんじゃないか」

フラットの言葉を遮るように問い詰めた。

「ソフィアには田舎暮らしはただの療養という風に伝えてるし、悲しまないように王と妃は事故で死んだことになっている。

欲しいものはなんでもあげたし、病気にもならないように定期的に医者を寄越した。それに」

フラットに写真を見せられる。

ソフィア様は楽しそうに牛の世話や水やり、花を摘んでいた。

小さな子供と走っている写真もあった。

「この老夫婦が毎日お世話をしていた」

足から力が抜け膝をついた。

なんてことだ。あっけなく俺の目標は絶たれた。

ソフィア様は最後に何を思ったのだろう。

「せめて葬式に行かせてくれ」

声を絞り出した。

「駄目だ。君は捕虜の身だ。

葬式には老夫婦とソフィアと関係のあった数人で執り行う。ほら、帰るよ」

このまま逃げる手もあった。

フラットは馬に乗りつつ、俺のことを拘束して連れ帰るなんて出来ない。

でも、もう俺には何もない。脅しも何も効かない。

帰る場所もない。

騎士になることを決めてから、故郷はとっくの昔に捨てた。

俺は黙ったまま家路についた。

部屋のシャンデリアがやけに眩しくてご飯も食べず布団に潜り込んだ。

「おーい、リード」

何度か俺を呼ぶフラットの声が聞こえていた。

そのまま何時間考えていたのだろう。

奇妙な音が直ぐ側でして布団から顔を出すと、気付けば辺りは真っ暗になっていた。

自分の腹の虫の音で夢から覚めるとは。

失意の底でも喉の渇きは感じるんだな。

「このまま飲まず食わずでいるつもりかい」

静かな部屋に深海のような優しく水のような冷たい声が響いた。

「死んだかと思った」

俺の頬は何故か濡れていた。

騎士になってから休みなどなかった。

こんなにゆっくりと布団の中から動かない日々など存在しなかった。

「相当やられてるな」

自嘲的な笑みを浮かべていただろう。

ここのところ色々なことがありすぎた。

「本当は慕っていた王やソフィア様がいなくなって俺はどうしたらいいか」

「もう忘れてしまえよ」

暗闇の中でフラットは優しく俺を抱きしめた。

彼の肩越しの傍のテーブルにはパンと水が置いてあった。

そんなに簡単に忘れられたのならどれほどいいか。

せめてソフィア様のお墓に行きたい。

そこできっぱりと未練を断ち切りたい。

これからは何か生きる意味を探していこう。

フラットは俺の濡れた頬を拭った。


翌日の早朝、俺は老夫婦の写真を手に取り街を回った。

普段は鎧や王家に従える人の着る少し豪華な装飾の服を着ているため、私服姿の俺を見ても気づく人などいない。

目深に帽子を被る。

端から家やお店をまわっていくも、どこも的外れだった。

何度か女性に声をかけられた。

その目は熱っぽく、今まで生まれてからほとんど男だらけのところにいた俺には奇妙な感じがした。

少し行ったところに市場があった。

賑やかで美味しそうなものが並んでいる。

すぐそこにいた果実を売っている店主に声をかけた。

「すみません。人探しをしているのですが、この人知らないですか」

「あぁ、町外れの小屋に住んでいるニックス夫妻だね」

やっと知り合いに行き着いた興奮を抑えつつ、出来るだけにこやかに話しかけた。

「本当ですか」

「行き方は、ここをまっすぐ行くと左右に道が分かれる。

そこを右に曲がってずっと行くとそこで牧場と畑をやっている。ニックスさんに随分と若いお客さんだな。

ニックスさんは愛情込めて育てているから、牛乳はこの辺りでは彼に敵うほどの美味しいところはない。

良かったら俺のとこで野菜でも買って行かないか。

ここのは今朝採ったばかりで新鮮で美味しいぞ。

特にこのトマトなんか色が綺麗だろう」

「ええ、とても美味しそうですね」

「手土産にはこの苺が喜ばれるんだよ。

この立派なかぼちゃも美味しいスープが作れる」

「では、その苺を頂けますか」

俺は買うはずのなかった苺を受け取った。

ニックス夫妻に手ぶらで向かうのも気が引ける。

俺の手元を見て笑っていた。

「その花束は…やるねぇ兄ちゃん。気をつけてな」

俺は言われたとおりに道沿いを歩いた。

町から外れて段々と建物も少なくなってきた。

大きく柵に囲まれたレンガの家を見つけた。

声をかける訳にも誰もおらず、門を開くと扉の前まで歩いた。

怪訝に思われないだろうか。

息を整えてノックをした。物音一つしない。

不在だったか。花を置いていく訳にもいかず、少し裏にまわってみた。

そこには小さな心ばかりの石像があった。

よく見ると「ソフィア」と彫ってあった。

金縛りにあったようにその場に立ち尽くした。

やっぱりここだったのか。頭が真っ白になった。

ずっと会いたかった人とこんな形で再開するなんて。

身体の力が抜け、跪いた。

俺はそっと花束を供えた。

「どなたかね」

背後から声をかけられ、振り返ると老人がこちらを見ていた。

「突然申し訳ありません。私はリードといいます。

ノックをしたのですがいらっしゃらなかったので、こちらにまわってきたのです。御無礼をお許し下さい」

「いえ。構いませんよ。何か御用かな」

老人は写真の通りにこやかに微笑んだ。

すると老人の背後から女性が顔を覗かせた。

「ねぇ、あなたチーズが上手く出来たのよ。

明日の市場に出そうかしら。あら、お客さん?」

写真で見たニックス夫人だった。

こんな優しそうな人達の中でのびのびと過ごせていたのだろうか。ソフィア様の最期は幸せだったのだろう。

馬小屋から喋り声がした。

馬小屋を覗くと、馬の世話をする少女がいた。

「いい子だね。大きく育つんだよ。ほらほら沢山お食べ」

愛おしそうに子供の馬を撫でている。その顔に見覚えがあった。

「ソ…ソフィア様」

少女は顔を上げた。その顔には驚きの色が出ていた。

「あなたリードね。なんでここに」

俺は思わず膝をついていた。 

「ソフィア様にずっと会いたかったです。ご無事でよかった」

「本当にひどい目にあったわ。

あの日は橋の下で一晩過ごしたの。

お腹が空いて喉が渇いて、どうしようも無くなって出てきたら捕まったのよ。

それでここのニックスさんのところに連れてこられて、匿ってもらったの。

匿ってもらっている身だから、誰にも知られてないと思ったのにあなたはなぜ私がここにいると分かったの。

…もしかして、あのフラットっていう騎士から聞いたのかしら」

「ええ、そうです」

彼女は一瞬、顔を曇らせた。

「殺されたくなかったら静かに元上司のもとで暮らすようにって脅したのよ」

そのむくれた顔も懐かしい。

ソフィア様との交流はそれほど多くないけれど、俺は王に仕えていて、ずっと見ていた。

「今日は帰るにはもう遅いわ。泊まっていったらどう」

「いえ、悪いです」

「私がいいといってるんだからいいの」

ニックス夫妻はにこやかにこちらを見ていた。

「じゃあ、ここの牧場でとれた新鮮な牛乳でクリームシチューでも作ろうかね。美味しいハムもあるよ」

二人は家の中に入っていった。

こちらを見るソフィア様の瞳が揺れる。

「貴方が生きててよかった」

そう言うと俺を抱きしめた。

「もう誰もいないの。貴方も死んだと思っていたわ」

初めてソフィア様の背中に手を回した。

「私も再会出来て嬉しいです。お伝えしたいことがあります。

チャーチ家に仕えてからずっと貴女のことが好きなのです」

「なっ、何を言っているの。身分をわきまえなさい」

彼女の声が上擦っている。

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