第4話

「許されるなら今夜だけ、一緒にいるのを許して頂けないでしょうか。もう顔を見せることは一生ないと思いますので」

ソフィア様は照れたように笑った。

「そんなこと言わずにまた会いに来て。気分転換になるわ。

この通り誰かが王政奪還しない限り、私はこれからここで一般人として手伝いをしながら暮らすわ。

ねぇ、草の片付けと牛乳搾り手伝ってくれる。

これ結構、力と体力がいるのよ」

仕事を終え家に入ると夕食が出来ていた。

忘れかけていた家族団欒に頬が緩む。

「ところで、あのソフィアってお墓は」

「あぁ、あれは前に飼っていた犬のお墓だよ。

ソフィアって名前で偶然もあるものだな。

私も昔は騎士だったからチャーチ家には仕えていた

んだが、まだ先々代の頃だったからね。

こちらのソフィア様には会ったことがない」

「そうですか」

ほっとしたようなしてないような釈然としない気持ちだ。

「ソフィア様が来てくれて、生活にハリが出た気がするよ」

「私もこんな可愛い孫娘が出来てすごく嬉しいわ」

ニックス夫妻はにっこりと微笑んだ。

本当に良い人の元で生活出来ていて、良かったと心から思った。

夕食を終え暖炉の前で談笑をしていた。

ソフィア様が眠そうに目を擦った。

「そろそろ寝るわ」

「明日、ソフィア様が目覚める前には城へ戻ります。

お別れの挨拶をさせて下さい」

「そう、また来てくれるわよね。おやすみなさい、リード」

ソフィア様が手を伸ばして、頬に軽くキスを落した。

何が起こったか分からないほど俺の頭は真っ白になった。

学生時代はモテなかった訳ではないけど、好きな人には

振り向いて貰えないタイプだった。

フラットもその金髪と生まれ持った美貌が王子様だと大層モテていたが、一度も相手がいたことはない。

「僕は興味がない」とか断っていたっけな。

その日は泊まって早朝に城へ戻った。


「朝帰りなんて関心しないなぁ」

開口一番、フラットはいつも通りだったが少し不機嫌そうだ。

「まさか捕虜の分際で女遊びしてたんじゃないだろうね」

「それより聞きたいことがある」

フラットは俺の方を見た。

「ソフィア様に会わせないように仕組んだんだろ」

「何が」

まだはぐらかすつもりか。俺が鎌をかけていると思っているんだろう。

「だから、ソフィア様に会ってきた。

街の人にニックス夫妻の写真を見せたら、辿り着いたんだ。

ソフィア様はピンピンしていた。なぜ俺を騙した」

フラットはお手上げという風に両手を上げた。

「そこまでもう知っているのか。

あぁ、バレてしまったら仕方ないね。

君のためだよ。前に進めるように足枷を外してあげたんだ。

ソフィアも何もかもなくなれば、君はリザ様に仕えるだろうってね」

フラットは悪びれる様子もない。

でも、何か本質とは違う気がする。

「本当の理由はそれじゃないだろう」

俺は短剣を自分の喉に突きつけた。

「話さないのならこうする」

短剣の先が僅かに首に赤い線を引く。

俺の首から流れる血を眺めていた。

死んだらせっかくの捕虜も元も子もない。

きっとフラットは嫌がるだろう。

「いっそのこと彼女を殺しておけばよかった。

ソフィアに会ってほしくないんだ。

君の気持ちが離れてしまう気がして」

髪の毛で顔が隠れていて表情が見えない。

「きっとリードがうつつを抜かして僕のことなんか考えてくれなくなる」

なんだって。フラットを騎士の育成学校時代からずっと見てきた。だから分かる、これは本気で言っている。

「これは運命だと思ったんだ。

一度は敵国に別れたはずの僕達が再会できるなんて。

君のことを繋ぎ止めておきたかった」

「それでも俺は」

そんな理由か、呆気に取られつつも俺は今の状況を上手く使わない手はないと考えていた。

「僕のことが嫌いになっただろうね」

哀しそうに呟いた。

俺はその言葉を無視して、首に短剣を突きつけて横に引いた。

なるべく血は出ないようにゆっくりと。

「俺にはもう未来はない。

一生ここで過ごすくらいなら死んだほうがましだ」

「何が駄目なんだ。ここには国イチのシェフが作る美味しいご飯と寝床がある。

それに最高級の部屋やベッドだって。

何も不足なんてしていないし、君に労働や何かを無理強いすることもない。一日好きに過ごすといい」

「嫌だ。俺はこんなとこにいたくない」

さらに強く引き、首から生暖かいものが流れるのが感じる。

「僕のことが嫌いでもいいから、生きててくれ。

お願いだ…死なないでくれ、君がいなくなったら僕は」

フラットの瞳から初めて涙が落ちるのが見えた。

膝をつき項垂れた。どんなときも泣かないあいつが。

親が事故で死んだと知ったときも泣かなかった。

「俺のことを精神的にも物理的に縛り付けても、一方的な思いや力による支配は振り向かせることはできない」

こいつは油断ならない。

今までも何度騙されたことか。少し警戒して近づく。

俯いた彼の長い睫毛は朝露のように濡れていた。

彼は顔を上げて俺の方を見た。

「もう一度チャンスをくれ。君の条件は何でも飲む」

俺はため息を付き頷いた。

「俺には何もない。これから生きる意味を考える。

こんなことになった責任を取るつもりがあるなら、

生きる意味を俺が見つけられるまで一緒にいてくれ」

「ありがとう」

ソファに腰掛けそこにあった布で首を押さえて止血する。

「なあ、一つ教えてくれ。

騎士の中で一番身分が高いお前が何で言いなりになって、土下座なんてしてるんだよ。

体術でも成績上位のお前がみすみす殴られてやるなんて」

彼は目を細めた。

「ときにはプライドを捨ててでも、頭を下げないといけないときもあるんだ。

それとその布、王室御用達のシルクで作られた最高級の布だよ。はぁ、信じられない。

君はそういうガサツなところがあるよね。

医務室に行こう。早く手当をしないと」

フラットに着いて医務室に向かった。

ドクターに傷を見てもらっていると、フラットは隣に腰掛けた。

ドクターにどうやったらこんな怪我をするんだと小言を言われ、フラットは横で苦笑いをしていた。

「何か前にもこういうことあったよな」

フラットは顔を上げた。

「何が」

「だから俺が怪我をして医務室に行ったこと。

その時はフラットが包帯を巻いてくれたんだよな」

彼は笑う。

「そんなこともあったね。懐かしいね。

あの時はリードが喧嘩を売って、無茶をして怪我をしたんだっけ。どう見ても体格差で勝てる訳がないのに。

後先考えず動くところは相変わらず変わってないね」

二人とも大人になった。

華奢で殆ど俺とは同じ背丈だったフラットが今は俺を少し見下ろしている。

「違う。正確に言うと、俺は喧嘩を買ってやっただけだ。

キリスト教を崇拝していたリンの前で神を冒涜した。

リンが心から信じていたものを分かっていてあんな風に言い捨てた。だから許せなかったんだ。

元々、すぐに頭に血が上るのは俺の悪いところだけどな。

お前だって変わってないじゃないか」

「僕は変わったよ。昔の僕じゃない。

ねぇ知ってた?僕と君は貴公子と言われていたこと」

「ふぅん、それで」

「君は相変わらずでじゃじゃ馬貴公子、僕は微笑みの貴公子と言われていたらしい。

リードはクールで、僕は心優しいと思われていた。

いつもリードに詰められて、僕が謝っていたっけ。

今は逆転してしまったね。

実は僕、君と出会ったのは学校が初めてじゃないんだよ」

「どういうことだ」

チクチク痛む傷口を多少乱暴にガーゼと包帯を巻かれて、あの夏を思い出した。

「幼少期に君と遊んでいた。覚えていないかい?」

手には貝殻に紐がついたものを持っていた。見覚えがある。

親の仕事で着いていった土地で、いつも近くの向日葵畑で近所の子供と遊んでいた。

その中の誰か。

そういえばずっと屋敷に籠もっている子供がいた。

その子は泣き虫ベンジャミンと言われていたっけ。

たまに出てきては一緒に遊んでいたっけな。

その子に海辺の砂浜で取ってきた貝殻をあげた。

「あのチビでフリフリの服を着ていた泣き虫ベンジャミン」

彼女は金髪でフリフリのレースのついた服を着ていた華奢な女の子だったはずだ。

いつも俯いていてからかわれていた。

今思えばあの辺りで彼女ほどの美人はいなかった。

透き通る白い肌に綺麗なサラサラの金髪。

あれは皆、ベンジャミンが可愛くて好きな子をいじめたくなるような気持ちだったんだろう。

「でもベンジャミンは女だったはず」

フラットは頬を赤らめて頭をかいた。

「お母さんの趣味なんだよ。元々お姉ちゃんと二人兄弟で可愛い服を着せられていてさ」

「じゃあ、ベンジャミンって…」

そういえば何故気づかなかったのだろうか。

「僕はフラット・B・ジーク。ミドルネームで呼ばれていた。

確かに女の子だと勘違いされていたこともあったね」

あの美少女がフラットだったとは。

一夏の恋もこの一言で泡のように消えた。

「信じられねぇ。泣き虫で俺に泣かされていたくせに。

今は俺が好き勝手されて」

治療が終わり部屋に戻った。

「あのとき、リンの為に闘っただろう。僕は正義感が強いリードのそういうところが好きなんだ」

昨日まで散々俺のことを適当に扱ってきたのに急にこれか。

「褒められても何も出ないぞ」

「分かってるよ」

フラットは久しぶりに純粋な笑顔を見せた。

学生時代の彼のままだった。

「大人になるのは嫌だね。色々なしがらみがあって。

君が変わらずいてくれることが僕の唯一の希望であり望みだ」

ソファに腰掛けて今日のことを思い出していた。

さっきまで俺はフラットと敵対していたのに、いつの間にか仲直りどころか、生きる意味を一緒に探してほしいなんてどうかしてる。

「まるでプロポーズじゃないか」

自分で口に出てしまったかとはっとした。

しかし、その声は自分の声ではなかった。

気を抜いていたのか、直ぐ側にフラットがいたことに気が付かなかった。

「僕じゃ駄目だろうか」

耳の横で金色のピアスが揺れる。

「ふざけるなよ」

鼻と鼻がくっつくような距離に近づいた。

香水のいい香りが鼻をくすぐり、金色の髪が俺の頬に当たる。

「昔から君のことが好きだった。

もっと素直に早く言っておけばよかった」

気恥ずかしくなるくらい痺れる声で耳元に囁いた。

俺の手を握り指を絡めた。

強さは五分五分のはずのフラットに抵抗出来たはずなのに、抗えなかった。

俺の気持ちがそうさせたのだろうか。

気がつくとそのままソファに押し倒されていた。

俺のことをじっと見つめている。

その瞳に引き込まれそうだ。

「ソフィアの元に行かないでくれ」

横を向くと、質のいいソファの柔らかく細やかな布が頬に当たっている。

彼の長い金髪とクラヴァットが俺の胸の上に落ちる。

今の状況で場違いだと分かっているが、ふと、学生時代を思い出していた。

「隣の教会見たか、凄いかわいい子ばっかり」

ヘクターが俺達の席に来た。

「へぇ、確かにかわいい。ほら」

「僕はそういうのはいいよ」

フラットは手元の本に視線を戻した。

「そんなこと言って…狙いは誰だよ」

この間、三人で教会に行ったときに見習いのシスターがいて、名前を聞いたのだった。

「いや、いない」

俺は誰にでも手を出していた訳では無いが、かわいい子がいたら声をかける。

それなりに俺のファンはいたし。

「本当に初心なんだな。まさか歳上が好きなのか」

「んん、まぁね」

一瞬考えたように顔を上げた。

「僕の信仰している宗教は婚前の交渉はご法度なんだよ」

「なんだよ、面白くないな」

それから俺はシスターの一人に声をかけ、教会に通った。

「今度、デートに誘ってみようと思うんだが、着いてきてくれよ」

フラットは黙ってついてきていたし、ヘクターは何回も声をかけてチャレンジしていた。

ある日、フラットが「僕は行かない」と言い出し、それからは二人で通っていた。

酒が飲めるようになって、三人でしばしば酒場に赴いた。

女性から声をかけられることは多かったが、フラットが彼女達を相手にしたことはなかった。

冷たくあしらう時もあるが、ほとんどの場合は笑顔で断っていた。

節のない長い指が俺の耳を撫でる。

「ずっとこの気持ちを押し殺してきた」

低い声が響く。

「悪いことをしたな」

近づいていた手がピタリと止まった。

「どうしてリードが謝るんだ」

何て言っていいかわからない。

彼は悲しそうに俺の上から離れた。

「こうなることは分かっていた。一時の気の迷いで君に打ち明けるんじゃなかった。墓場まで持っていくべきだったのに」

俺は部屋を出ていこうとしたフラットの腕を掴んだ。

「待ってくれ、少し考えさせてくれ」

フラットは俺を見返すとゆっくりと頷いた。

突然、大勢の足音が近づき扉が開かれた。

そこには騎士達が並んでいた。諜報員のオスカーの姿はない。

「これより俺達が統制する。傍若無人なフラットには従わない。監禁させてもらう。大人しく従え」

俺は何人かに取り押さえられ、騎士達はフラットの腕をロープで縛り、そのまま近くの柱にくくりつけた。

「テセウス。お前が謀反なんて」

テセウスはフラットの部下で真面目なやつだった。

一度だけ話しているのを見たことがある。

「いい加減、貴様の勝手な行動や無茶な指示にはこりごりだ」

テセウスは恨みがましくフラットを見下ろした。

「俺の故郷の国を乗っ取った。

それがどれだけ残酷なことか。

今は俺達の国の支配下にあるが、必ず取り戻して解放してみせる。チャーチ家の誇りにかけて」

「私的な怨恨もあるみたいだな…それは僕も悪かったよ。

でも、頭ごなしに怒鳴ったりしたことはない。

僕はあくまで」

「負け犬の遠吠えか。そのままそこでじっとしていろ。

そのまま腹が減って惨めに死ぬといい」

テセウスは俺の方を向いた。

「さぁ、リードと言ったか?」

緊張で息が止まる。

拷問か最悪の場合、ここで殺されてしまうのだろうか。

「可愛そうに。君はパラノイアからの捕虜だろう。

このフラットにとても酷いことをされただろう」

優しげな笑みでテセウスは俺の手を取った。

「これで君も解放される。俺もパラノイアの出身なんだ。

チャーチ家のことを慕っていた。

きっと、騎士として従っていた君が俺よりも一番痛いほど辛さを分かっているだろう」

俺は判断を委ねられている。

確かに俺の慕っていた王家を滅亡させて、別のやつを玉座に座らせたのはフラットだ。

まだ、彼を許していない。 

だけど、俺は揺れていた。

ここでフラットを置いて逃げるのか。

旧友のことを見捨てるなんて出来ない。

この生活も悪くなかった。

俺の肩に手を置いたテセウスは俺の拘束を解かせた。

「さぁ、俺とくるか。別に君は俺の隊に入らなくてもいい。

元々は別国の騎士なのだから」

「俺は故郷に戻る。助けてくれて感謝している」

「構わないよ。何かあったらまた戻ってくるといい。

優秀な騎士だと聞いているから大歓迎だよ」

廊下に出ると、召使い達は何も聞かされていないのか、いつもと何も変わらなかった。

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