第26話 本番当日
文化祭当日の朝、家を出る前にスマホを使って関口さんに連絡をする。
『今日の俺達の出番は1時からだけど何時に学校に着く?』
登校してから返信を確認しようと思っていたが、送ってすぐに既読が付いた。
その後に彼女からのメッセージの通知が届く。
『出番の三十分前には登校するから』
『衣装も持っていくからね』
メッセージを確認し、俺は『了解』と送った。
「たい焼き二つで四百円になります。千円ですね……六百円のお返しです。ありがとうございました」
「精が出るわね斑目くん、朝から休憩無しでレジ担当してるじゃない?」
朝比奈さんは、電子レンジで温めたたい焼きを紙に包みながら言った。
「午後は手伝えそうにないし、代わりに午前はフルで手伝おうかなってね」
「そういうことなら、うちのクラスは最初から四人分手が足りてないんだし、じゃんじゃん働いてよね」
四人と言うと、関口さんとあの三人のことだろう。
「あの娘、午後から来るんでしょ?舞台が終わったらちょっとくらい屋台手伝わせようかしら?」
「勘弁してよ。出番が終わったら一緒に屋台を巡ろうって誘うつもりなんだから」
「クラスの屋台でたい焼き売るのだって、高校生にとっては大切な思い出よ?」
「…そう言われると、そんな気もしてくるな」
俺がそう零すと、朝比奈さんは笑って言った。
「フフッ…それが嫌なら、私よりも先にあの子を屋台巡りに誘いなさい」
「良いの?譲ってもらっちゃって」
「私だって気を使えるのよ?年に一度の文化祭に、舞から彼氏を取り上げるような真似はしないわよ」
この場合だと俺から彼女を取り上げるが正しい気がするが、朝比奈さん目線だとまた別なのだろう。
「じゃあ悪いけど、そうさせてもらうよ」
その後、俺は正午までこの二年五組でレジを担当し続けた。
午後になったことで屋台巡りに行っていた別のクラスメイトとレジ担当を交換し、俺は何をするでも無く教室で休んでいた。
すると、スマホの通知が鳴る。
『校門に着いたけど、どこに行けばいいの?』
時計を確認すると十二時二十分、関口さんは思っていたよりも早めに登校した。
『先生が旧体育館の更衣室を使えだってさ』
俺は旧体育館に移動をしながら返信した。
その後すぐに『わかった』と返信が来たことを確認し、小走りで向かう。
「いないな…」
どうやら俺の方が先に着いたようで、旧体育館の中で彼女を待っていた。
「お〜い」
外から声が聞こえ振り返る。
「関ぐ…」
現れた関口さんは、何ヶ月かぶりに制服を着ており、黒いダッフルバッグを肩に掛けていた。
しかしなぜかその頭には、俺の衣装であるシルクハットを被っていた。
「ゴメン、待たせたかな。人が多くてなかなか進めなくてね」
別にふざけてやってるわけでは無いようで、いつもの調子で話しかけてくる。
「どうして…シルクハットを被ってるの?」
「そりゃあ…バッグに入れたらグチャグチャになるし、被るか手で持つかしか無かったの」
「その二択なら手で持つと思うけど…?」
俺がそう言うと、関口さんは少し怒ったように頭に被ったシルクハットを俺に投げ渡した。
「面倒くさいからだって…もういいから、早く着替えようよ」
「まぁ…それもそうか」
更衣室に入った俺は、シャツを着込み、蝶ネクタイを着け、タキシードに身を包み、手袋をはめ、革靴を履き、シルクハットを被った。
衣装に着替えた俺は更衣室の外に出て、彼女を待った。
女子生徒用の更衣室から出てきた彼女は、フェイスベールが丁度良い位置にこないのか、両手で調節をしながら出てきた。
「上手く着けられないの?」
「ん?いや、大丈夫だって。それよりも早く体育館に急ごう」
「わかった。裏口から入るよう言われてるから、ついて来て」
俺達はその衣装のまま急いで体育館に向かった。
途中に生徒から何度も好奇の目で見られはしたが、これから大勢に見られるのだ。気にしてられない。
体育館の正面の入口は、大量の生徒だったり地域に住んでいる人だったりがゾロゾロと入場しているところだった。
「こっち…!」
俺達は本来の入場口とは別の、裏口から入って実行委員の生徒とコンタクトを取る。
「二年五組の斑目宗二と関口舞です」
「ステージに上がる人たちですね」
メガネをかけた実行委員は、手元の紙束を確認した。
「この後に行われる書道部のパフォーマンスが終わったらすぐなので、ステージ袖で待機していて下さい」
「「わかりました」」
俺達はそのまま、カーテンが閉め切られ真っ暗な体育館を通ってステージ袖に向かう。
中には、小道具を準備する実行委員や、出番を控えて和服に身を包んだ書道部が窮屈そうにしていた。
空いたスペースで二人並んで座り出番を待つ間、間近に迫っている本番に俺の心臓は強く鼓動していた。
しかしそんな状態でも、暗闇の中で彼女の横顔を見つめることで、俺の頭は緊張を忘れることが出来た。
平穏では決して無い。現に今も、俺の心臓は鳴り止まず、明らかに平常時よりも強く脈打っている。
それでも、俺はこの状態にある意味慣れることが出来た。いつかのゆでガエル様様だ。
しばらくすると、俺達と同じ様に出番を待っていた書道部の彼らの出番が来たようだ。
幕の降りたステージで、大量の墨汁だったり巨大な筆の準備をしている。
「緊張してる…?」
ステージで忙しそうに準備をしている風景を見ていた俺に、関口さんは話しかけた。
「…全然、なんてこと無いさ」
それは本音でもあったし、強がりでもあった。
「私は……ちょっと怖くなってる」
「えっ…?」
関口さんは座った状態で体を丸めた。
「成功しなくちゃって思ったら、これからくる本番が永遠に来ないで欲しいって思っちゃってる…」
膝を抱き、顔をその膝の間に入れて俯いてしまった。
「関口さん…」
「でもね…」
下を向いた顔を上げ、その顔は確かに笑顔を見せていた。
「今の私、すっごい楽しみなのっ…!」
「えっ…!?」
「こんなの、バレエやってた時にも感じたこと無い…!どうして!初めてで私もうわっかんなくなってる!」
「ちょ…落ち着いて…というか他の人に聞こえるから静かに…」
「斑目くん!」
立ち上がった彼女は俺の正面へ周り、両肩をがっしりと掴む。
「絶対に、成功させようね…!」
彼女は、捉えようにはプレッシャーをかけてきているようにしか思えない言葉を俺に放った。
「う、うん…」
書道部のパフォーマンスが終わり、いよいよ俺達の出番だ。
幕の降りたステージの上で、今か今かと始まるのを待っている。
『次は、二年五組「斑目宗二」さんと、同じく「関口舞」さんによる、ダンスパフォーマンスです。どうぞ』
いくつかの拍手と共に、幕が上がった。
俺達の舞台は、ステージ端でマネキンのようにポーズをとる俺から始まる。
おかしなな格好をしている俺が動かずにいるのは、観客の多くに疑問に感じさせ、多くの興味を惹くためだ。
その後にドレスを着た関口さんがステージ袖から足早に歩いてくる。顔は下を向き、靴底を鳴らして早足で歩く彼女は、なにか直前に悪いことがあったのだと感じさせる。
動かない俺を通り過ぎた彼女は持っていたドレスと同じ赤い色のバッグを、大きな音を立て地面に叩きつける。
地団駄を踏み、肩で息をする彼女に皆自然と視線が集まる。
そこで背を向けた彼女に、ずっと動かないでいた俺が近づいていく。
俺の足音に気付いた彼女は振り向くが、俺は先程のポーズでまたも固まる。
そうしてまた動き出し、また振り向かれを繰り返していく内に彼女の隣まで人形は近づく。
驚いていた彼女へ人形はぎこちなくも紳士的に右手を差し出し、俯いて動かなくなる。
彼女は怖がりつつも、差し出された手をとる。
するとたちまちに人形は動き出し、彼女はまた驚いて手を放す。
しかしまたも人形は動きを止め、時間でも止まったかのように動かなくなるのだが、なぜだか首から上だけは彼女のことを追っている。
彼女が魔法をかけたのか、彼女に触っている間だけの魔法なのか、人形のルールを観客に周知させた。
今度は少し長く手をとると、人形は四肢が糸で吊られたような動きでステップを踏み始めた。
そこで音源がスタートする。
楽器は一種類。ピアノだけで一音一音ハッキリと紡ぐ、シンプルなバックミュージックだ。
彼女は笑い、人形と自身の空いた片手同士を繋げ、身体を寄せる。そうして人形は今夜限り、傷心中の彼女の気晴らしとしてのダンスパートナーとなる。
彼女の足さばきは見事で、踊る姿を見れば観客が百人居ればそのうち百人が美しいと答えるだろう。
それのせいか、逆に人形の踊りは不格好だ。吊られたような動き、不自然なほど見つめる姿、軸というものが無く踊る彼女に振り回される始末。
だからこそ、時折人形の手を離れ行われる彼女のソロがより美しくなる。
柔軟な動き、華麗なステップ、楽しそうな表情、素人目から見てもレベルの高さを感じさせるだろう。
その間も人形は、体は手が離れた状態で固まっているものの、顔は観客と同じように彼女をじっと見つめていた。
何だこれは、頭がどうにかなりそうになる。俺は固まった状態で今までに無い焦りを感じていた。
そもそものスケールが違うのだ。この大観衆の中、光に照らされて踊るということがどれだけの緊張を生むのかを想像できていなかった。
それでも、今までの人生の俺よりは遥かにマシだ。俺の緊張は、関口さんに対する「綺麗だな…」という感情で埋められて忘れることができているからだ。
だが一瞬でも目を離せば危ない。思考を一度冷静にさせてしまえば、関口さんとのダンスのタイミングで全てが台無しになってしまう。
俺の心臓はかつて無い大舞台と、感じたことのないレベルのトキメキにより心拍数が三倍程になったと感じた。
身体が熱い。上から照らしているスポットライトのせいでは決して無い。
ラストシーンもそろそろだ。人形として、ダンスパートナーの役割を終えた俺は彼女に投げ飛ばされ、彼女が感じていたイライラだったりを消し去りスキップで帰るところで終幕だ。
あともう少し。そう思いながら俺は関口さんに手をとられ、最後のダンスシーンに入る。
その時だった。関口さんの着けていたフェイスベールの片紐が、宙に浮かんだのを見たのは。
俺の呼吸は止まり、世界はスローモーションのように感じられた。
俺の視線はずっと見ていた関口さんの目から、今正にヒラヒラと舞い落ちていく真っ赤なレースに固定された。
それが舞台に落ちるのを見届けている間、走馬灯のように俺の頭の中を駆け巡るものがあった。
『あっそうだ、斑目くんにこれだけは守ってほしいってことが一つ…いや二つかな』
『守ってほしいこと?』
『うん、それはね…。一つ目は私の顔を絶対に見ないで、二つ目は私の顔を他の人に見せないよう守って』
見てなるものか、見せてなるものか。
まず俺は、両目を思い切り瞑った。
この目の眩むスポットライト差す舞台の上で、一筋の光も目に通さないように。
それと同時に、俺は掴んでいた関口さんの手を思い切り自分の方へ引っ張った。
彼女を抱き寄せ、頭を自分の頼りない胸板へ押し付けた後、覆いかぶさるように彼女ごと下へ体を落として座り込む。
踊るダンサーのいない舞台でバッグミュージックは虚しく響き、フィナーレだ。
体育館は静寂に包まれ、俺の荒い呼吸だけが反響した。
「ハァッ…!ヒューッ…ハァッ…!ヒューッ…ハァッ…!ヒューッ…ハァッ…!ヒューッ…」
暗い闇の中、抱き寄せた彼女がモゾモゾと動いているのを感じた。
「…めくん…離してっ…!」
「駄目だっ……絶対にっ、駄目だ…!」
彼女は自分の頭の横辺りに巻かれた俺の腕を叩いた。
それをプロレスのタップのように、彼女は自分が息を出来できないことを知らせるものだと思った俺は、すぐに腕の力を弱めた。
「…プハァッ!」
息をする音がしたと共に俺の腕は振りほどかれ、上から覆いかぶさるようにしていた体は前の方向へ倒れ込む。
頭を地面に擦り付け、人間が恐怖を感じた時に本能的にとるポーズで突っ伏した。
「斑目くん…顔上げてよ…」
「見ない…!見てないから、絶対にっ!」
「着けた!着けたからもういいって!」
彼女の言葉を聞き、俺はようやく目を開けて彼女の顔を見る。
フェイスベールを着けた彼女は、息が出来なかったからか、はたまた俺が舞台がめちゃくちゃにしたからか、俺と同じくらい息を荒くしており、その目には涙が浮かんでいた。
ごめん。そう言おうとした時、俺の視界の端に彼女の着ているドレスのように真っ赤なレースが舞台の上に落ちてあるのが見えた。
「えっ…?あっ…あぇ…?」
何が起きたのかわからずに情けなく声を出すと、どこかから拍手の音が聞こえた。
パチパチ
パチパチパチパチパチパチパチパチ
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ
段々と音は大きくなり、滝のような拍手になっていった。
色々と理解が出来ない物事が重なり、座って呆けていることしか出来ない俺の腕を関口さんは掴んだ。
「行くよっ…!」
その声と共に俺は彼女に立ち上がらせてもらい、二人で舞台袖へ逃げていった。
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