第15話 舞の家
「…どうだった、朝比奈さん?」
「ダメ、昨日送ったのは見ても無いみたい」
金曜日、関口さんが学校に来なくなって最初の週が過ぎようとしている。
放課後に教室で残ってラインでメッセージを送っても、既読は付いても返信は無く、朝比奈さんからも送っているようだが反応は無いようだ。
「いっそ連投でもしてみようかな…」
「それ朝比奈さんがブロックされるだけだと思うよ」
結局あの喧嘩の件は俺も朝比奈さんもその場に居なかったため又聞きになり何があったのか正確に把握が出来ていない。
朝比奈さんが他のクラスメイトに聞いた話だと、女子三人は周りの人間に対して一部詳細の口封じをしていたらしい。
おそらくはこのことが大事になり、関口さんへのイジメが明るみに出ることを恐れての行動だろう。
結果としてあの喧嘩は友達同士の口喧嘩の末の出来事であり、自分たち三人と関口さんのお互いに非があるということになった。三人組は担任である村田先生に、当人である四人だけで解決できる問題だと言って大人の介入を遅らせている状態だ。
「…どうするつもりなんだろうね」
「誰?舞のこと?」
「あの三人。関口さんを学校に連れ戻す気なんか最初から無いだろうに」
「先送りにしてるだけでしょ。もし先生にそのことを聞かれても、『家に行っても舞ちゃんがへそ曲げてて話を聞いてくれないんですぅ〜』って言ってやってる感だけ出すつもりなんだろうし」
朝比奈さんは肩をクネクネさせて、嫌味のこもった名演技を披露した。
「村田先生だって、いつまでも信じてくれないだろうにどうするんだろうね」
「い〜や、あの担任なら信じるよ。今村田は、授業に空き時間ができるといつまでもしてた古臭いドラマに出る熱血教師の気分に浸ってる」
担任の先生を呼び捨てにし、ひどい言い草だ。
「愛すべき生徒の言うことは無条件で信じるんだよ、ドラマはそうしてたから。今の村田の目には、舞の不登校がドラマのそれに見えてる」
朝比奈さんに「頭の中が学級菜園」と毒づかれている担任の村田先生が、教室で話していた俺達二人に「お〜い」と声をかけた。
「斑目、朝比奈、悪いんだけど二人のうちどっちか、関口の家に数学の提出物のプリントを届けてやってくれないか?」
突然舞い込んできた頼みごとに二人で顔を見合わせる。
「僕らが…ですか?」
「あぁ、二人とも関口とよく話してたろ」
「もちろん構いませんが、なんというか…私達じゃなく園山さん達の方に頼むと思ってました」
園山さんはたしか女子三人組のうちの金髪の女子だったけ。
「あぁ、あの三人か。頼もうと思ったがもう出てしまっていてな…、おそらくはもう関口の家に行ってしまってると思うから、申し訳ないがお前らには余分な手間を掛けさせることになってしまったな」
もし仮にあの三人に頼んでも、面倒に思って俺あたりに丸投げをするだろうから結果としては変わらなかっただろう。
「いえいえ、僕らも関口さんと話したいと思ってましたから丁度いいですよ」
「そうか、ありがとう。園山達に会ったらよろしく言っといてくれ」
そう言うと村田先生は、授業で預かっていた大量のノートの入った籠を手に教室をあとにした。
見送った後、朝比奈さんは「ほらね」と呆れるような口調で言った。
「良い人すぎるのもアレだねぇ…」
「良い人ってより、本気で生徒を信頼している『良い教師』の自分が好きなだけでしょ」
「朝比奈さん…今日はやけに毒づいてるね」
「やるせない気分なだけ」
机の上に置かれたプリントを手に取った朝比奈さんは、バッグから新品のクリアファイルを取り出してプリントをそれにしまった。
「それで…」と口にした彼女はファイルにしまったものをまたも机の上に置き、俺と向き合う。
「どっちが行く?」
「どっちって?」
俺は言葉の意味を汲み取れずにただ繰り返した。
「私か斑目くん、どっちが舞の家に行くか」
「…どっちもじゃダメなの?」
机を挟んで対面していた朝比奈さんは「あのね」とため息をこぼし下を向く。
「このままじゃ非行少女まっしぐらのあの娘をなんとかするために、私達は家まで出向いてどうにか上手いこと言って教室に連れ戻す必要があるの」
「だったらなおさら二人で行けば…」
「私達はお見舞いに行くんじゃないの」
「?」
「不安定な状態にある舞を、ただ励ますでも元気づけるでもなく、このままじゃダメだっていう不安に寄り添ってあげなきゃいけない。カウンセラーってのは、患者一人につき一人だけなの」
弱音は一気に複数の人には話しにくいものだから、と朝比奈さんは続けた。
「斑目くんは自信ある?」
「自信って…」
「無いなら私が行く。このままじゃ一生引きずるもの、多少強引にでも連れ戻してくるから」
顔を上げた朝比奈さんの目にはギラギラとした光が灯り、覚悟のようなものを感じた。
「強引にって…関口さんは不安定な状態なんじゃ…」
「…嫌われてもいいよ。そもそも私があの告白を見た時に先生に全部話しておけば済んでた問題だもの、嫌われる覚悟は出来てる」
「朝比奈さん…」
ここで勝算も関口さんに嫌われる勇気もない俺が行って毒にも薬にもならない結果になるより、朝比奈さんに任せた方が上手くいくのだろうか。
しかし、不安はある。朝比奈さん自体にその覚悟が出来ていても、関口さんの方はどうだろう。
これが時間の解決する問題とは言わないが、関口さん自体が自身の気持ちを測りかねているタイミングだとしたら。
強引に連れ戻す朝比奈さんを拒もうと、関口さんの中の天秤が後ろ向きに振り切れてしまったらどうなる。
後ろ向きな思考から出る、俺の中だけのちっぽけな悪い予感だとしても、どうにかして避けるべきことに思えてくる。
「それは…まだやめておいた方が良いよ」
「どうして?」
「関口さんには、朝比奈さんを嫌う覚悟が出来てないから」
「…どういう意味?」
「荒療治をするには早すぎるって意味だよ。こういうのは、ぬるま湯から少しずつ慣らしていくものなんだ」
いつだったかの関口さんからの受け売りを話す。
「…たしかに強引に連れ戻すには早いと思うかもだけど、待ってても解決はしないでしょ?」
「そうだね、だから俺が行く」
そう言いながら俺は机に置かれたままだったクリアファイルを手にする。
これに対して朝比奈さんは「ちょっと」と声に出し、ファイルを持つ俺の右手首を掴む。
「少し…自分本意過ぎない?舞のためにベストを考えようって話のはずだけど」
「大きく脱線はしてないさ。関口さんにとってのぬるま湯には俺が適任ってだけ」
「…私だって舞に寄り添える、優しくしないわけじゃない。斑目くんじゃなきゃいけない理由は無いはずでしょ?」
「じゃあ…少し想像してみようか。優しく話を聞いてくれた存在が、あるタイミングから急に強引な方法で安全な場所から引き離そうとしたら…どうなる?」
手首を掴んでいた力が少しばかり緩んだ気がした。
「…誰も信じなくなる?」
「ちょっとオーバーだけど、まぁそうだね」
朝比奈さんは俺の言いたいことをわかってくれたようで手を離し、あからさまに不機嫌な様子で椅子に座る。
「…嫌われる覚悟はあるとは言ったけど、嫌われ役になるとは言ってない」
「その役が回ってくる前に連れ戻せるよう頑張るよ」
「…変わってくれたりしない?」
俺には少し無理なお願いだ。
「ワガママなこと言うけど、関口さんにだけは嫌われたくないんだ。絶対に」
「…舞の彼氏だから?」
「…彼氏だから」
最近会えてないしね、と付け加えた俺を見上げる形で、朝比奈さんは恨めしそうな目を向けていた。
「…次があったら私が行くから」
「そうしてくれると助かるよ」
「別に、その時は厳しくはしないからね」
「じゃあしばらくは、関口さんには飴だけをあげることになりそうだね」
「いい加減にしないと鞭でうつからね?」
席から立ち上がった朝比奈さんは僕の背中にきついのを一つ見舞った。
「じゃあ…舞の家に行こうか」
「え?俺が一人で行くんじゃないの?」
「…いやだって、斑目くん舞の家知らな――」と話した後で朝比奈さんは手で口元を覆った。
「…もしかして…もう家行ったことあるの…?」
「まっさかぁ!?」
まぁそうだよねと、どこか納得した様子の朝比奈さんと共に教室を後にする。
関口さんと下校を共にしていた帰り道、今回はこの十字路を真っ直ぐ進むのではなく右に曲がる。
「道、一回で覚えてよ?私の家まるっきり逆の方向なんだから」
「努力するよ」
二人で軽く雑談をしながら歩いて二十数分、朝比奈さんがキョロキョロを周りを眺めだした。
「…迷ったの?」
「ん〜…なにせ小学生の時以来だから、なんとなく近くだってのはわかるんだけど…」
朝比奈さんは道の右端まで寄って表札を確認する。それを見て俺も左端に体を寄せ、一つ一つを見て回る。
『山中』、『Satou』、『WATANABE』と色々あるが『関口』がどうにも見つからない。
しばらく探していると、遠くから朝比奈さんの声が聞こえた。「おぉーい」と俺を呼ぶ彼女の声のもとへ小走りで向かう。
「ここが…」
白い壁に藍色の屋根をもつ二階建ての一軒家の前まで来た。塀に掛けられた表札を確認すると、たしかに白い大理石に黒い字で『関口』と掘られてある。
「…じゃあ私はこれで」
「うん、ありがとう朝比奈さん」
少し歩いた後、彼女は立ち止まる。
「…任せたからね?」
振り返らずに問いかけてきた言葉に、軽く笑いながら返す。
「上手くやるさ、今回も」
朝比奈さんは変わらず後ろを向いていたが、笑ってくれたような気がした。
「今回も、応援してる」
「…行くか」
そう言いながら俺は門を跨いだ。玄関ドアの前まで来て、ゆっくりと深呼吸をした上で呼び出しベルを鳴らす。
扉一枚挟んだ先から籠もった音でピンポーンと聞こえ、上の方からからガチャリと扉を開ける音がしてすぐ後に、階段を降りる足音が聞こえた。
近づいてくる気配に強い緊張を感じながら扉が開かれるのを待つ。
警戒するようにゆっくりと開かれた玄関からは、しばらく見れてなかった顔が覗いてきた。
「…!…斑目くん」
「…久しぶり、関口さん」
関口さんは家用なのか、普段の白のマスクとは別の、グレーの洗えるマスクをしていた。
「…どうしたの?」
「あぁ、プリント。数学の提出物だって」
そう言いながらリュックから取り出したファイルを手渡した。
「ありがと…じゃあね」
そう聞こえると、扉が閉まろうとした。
「ちょっと待って!」
閉じようとした扉の間から関口さんがまだ何かあるのかという目を送ってきた。
「…なに?」
「少し…話せる?」
彼女は俺から目線を外し、明らかに嫌そうな顔をした。
「…玄関までだよ」
扉は一気に開かれ、顔だけで見えなかったTシャツにスウェットパンツ姿の関口さんが出迎えた。
「…おじゃまします」
「座って」
関口さんは靴を脱ぎ、膝を抱えた状態で廊下に座った。俺は靴を履いたまま、玄関に腰掛ける形で彼女に身を寄せる。
「それで、話って?」
「…何があったの?」
関口さんは俺の質問に面食らった顔をした。
自分でもあまりにド直球な質問であったと思うが、何もかもが曖昧な状態ではどうにも出来ない。
「…あの三人組はなんて?」
関口さんから聞き返され、俺は女子三人が見ていたクラスメイトに口封じをしていること、彼女らは大事にしたがっていないこと、ついでに先生ら大人からの介入はしばらく遅れることを話した。
「…そうか、それならしばらくは大丈夫かな…」
「それで、俺の質問には答えてくれる?」
もう一度何があったのか聞いてみたが、腕に顔を伏せた関口さんからは沈黙だけが返ってきた。
「…責めてるわけじゃないさ。さっきも言ったけど、クラスで箝口令がしかれてて俺や朝比奈さんからすれば本当は何が起きたのかサッパリなんだ」
「…言いたくない」
ずいぶんとか細い声だったが、今は返事をしてくれただけありがたかった。
「頼むよ、俺は…絶対、何があっても関口さんの味方だからさ…」
「なんで?」
先程とは打って変わってハッキリとした声の返事が返ってきた。
俺は言葉の意味が呑み込めておらず「なんで…?」と復唱する。
「なんで、どうして私の味方なの?」
「…難しいこと聞くね」
正直に言えば惚れているで済む話だが、ただその一点だけで味方しているのはどこか格好悪い様に思えてしまい回答を濁す。
「朝比奈さんに頼まれてるから?それか私がイジメられてるから?アンダードッグ効果ってやつ?それとも協力関係の延長?アレはもう終わりだよ。あんな面倒なことはもう解消しようよ」
「それは…」
どれも違う、と言いたかった。
だが考えて見れば、そのどれもが今まで俺と関口さんを繋ぎ止めていたものに他ならなかった。
「…大した理由も無いのに、何があっても味方でいるなんて言わないで」
関口さんは立ち上がり背を向ける。このままだと部屋に帰ってしまう。
「待って…!」
関口さんは、一瞬だけ待ってくれた。だがその一瞬が終われば、ゆっくりとではあるがまた動き出した。
言わなければ。思えば告白の時以降、ハッキリとした声で伝えられていなかった。
「…好きなんだよ!」
言ったそばから顔が熱くなる。
関口さんは聞いてなお歩を進める。
「…!最初はっ、一目惚れってのもあったけど…デートしていく毎に好きになってったし…!」
久しぶりに自身の鼓動が喧しくて仕方がない。
「この前とかっ…!手とか…繋いだら、許されるかと…流石に駄目だよなってのでめちゃくちゃ悩んでたんだよっ…!」
心の内を晒すことで顔が赤くなっていくのに、頭に血が上り続けることで段々と歯止めが効かなくなってくる。
それでも関口さんは止まってくれず、階段の一段目に足を掛けた。
「…!待っ――」
「玄関までって言ったよね…!」
顔をこちらに向けること無く言い放った。
俺は靴が片方脱げた状態で棒立ちになる。
「でも…」
言った直後に眉間にシワを寄せた顔で睨まれる。
「だったら…」と言った彼女の右手は少し震えており、段々とそれを持ち上げていった。
喉元辺りまで上がるとそこで止まり、顔を勢いよく背けて大きく深呼吸をしていた。
「フーッ…!とにかく、上がってきたら…本当に破局だから…!」
それを出されてしまうと、こちらは何も出来なくなる。
結局俺は、片方が裸足の状態で階段の軋む音を聞くことしか出来なかった。
「…ハァ」
玄関に腰掛け、片方の靴を履き直す。
今思えば、俺はデートをする時に関口さんに本当の自分で接することは出来ていなかったんだろう。
あの告白の日のようにはしまいとする心が、少しでも格好つけようと、少しでも心を守ろうとして、慎重に発言を選び安定択を取り続けた。
それ故に、信じてもらえなかった。
溢れ出た照れは対人恐怖の一種と捉えられ、回数をこなす毎に俺は関口さんに慣れていき、それすらも上手く隠せるようになっていってしまった。
俺はもっと愚直に向き合うべきだったんだろう。
彼女の容姿の劣等感を打ち消すぐらいには緊張して見せ、普段から好意を伝えられていれば関口さんは俺を味方として認識してくれたんだろう。
朝比奈さんになんて説明をしようかと考えていると、家の外から車の音がした。
最初はただ通り過ぎるものだと思い気にも止めてなかったが外のエンジン音は半端なところで止まり、ドアのすりガラス越しにテールランプの赤い色が光って見えた。
もしやと思い扉を開け外を見ると、シルバーの車が今まさにこの家の駐車場に入ってくるところだった。
「…どなた?」
車から出てきたのは、三十代半ばといったほどの女性一人だった。
車内から、家の玄関から出てきた見知らぬ俺の存在を認識し警戒しているためか、車のドアは締め切らずに車を挟んで顔を覗かせていた。
「あっ…あの僕、斑目宗二というもので、担任の村田先生に頼まれて関口さんに提出物を届けに来ていたんですが…」
俺はおそらくは関口さんのお母さんであろう女性に、言い様の無い気まずさを感じつつもここにいた経緯を話す。
「あぁ舞のクラスメイトさん…娘には届けられました?」
お母さんは俺に笑い掛けてくれたが、仕事の後だからか関口さんの現状に対しての心労からか、ひどく疲れを感じさせる笑顔だった。
「えぇ…なんとか」
俺も形だけの笑顔を返す。
「じゃあ…」と、トートバッグを肩に掛けたお母さんは言い、開かれた玄関の前で二人が通りれるよう体を壁に沿わせた俺の横を通り過ぎ中に入る。
俺がこのまま帰るのだと信じて疑っていないが故に出た発言だろう。
玄関のドアを閉めようとした時、俺がまだその場を動かず体の向きはそのままに目線を送っているのに気づいた時、お母さんはぴたっと固まった。
「…どうしたの?」
この人からすれば、俺が閉まるドアを押し返したりしているわけでは無いのだから、このままドアを閉めること自体は訳の無いことだ。
しかし人というのは、すぐ目の前に別の人がいるのに扉という壁を造ることはどこか失礼に感じてしまい、大抵の人は我慢できずにこちらに確認を取ってくる。
「忘れ物?」
このままじゃ帰れない。朝比奈さんに顔向けがとかじゃない。ただただ帰りたくない。
何かが欲しい。きっかけが、活路が、逆転の一手が欲しい。
「…関口さんは、いつ頃から登校されますか?」
「…!」
先程までの意図のわからない俺の行動に対して困った様な顔をしていたお母さんは、俺の言葉にハッとした後に一瞬だけ悲しい顔をして、三秒前よりも困った顔でまた俺に笑い掛けた。
俺は少し遅れて気づいた。自分がとても残酷な質問をしてしまったことを。
「いつ………いつかぁ…」
身長の差から見上げる形で目を合わせていたお母さんは、段々と目線が下がっていった。
ドアを閉めようと掛けてあった手は離れ、肩に掛けたトートバッグはするりと玄関の床へ落ちていった。
中に入っていた財布だったり口紅等の化粧品が散らばってしまい、俺はそれらを拾い上げるためにドアより内側に再び足を踏み入れた。
お母さんは一瞬遅れて「ごめんなさい」と一言発し、俺よりもいくらか素早い動きで落ちたものをバッグに収めていった。
「ありがとうね、拾ってくれて」
「いえ…」
俺はお母さんが両手で広げたトートバッグの中へコンタクトのケースを入れる。
「…舞のことだけど、ごめんなさいね…いつになるかはわからないの」
「…そう…なんですか」
なにがそうなんですか、だ。最初からわかっていた癖に白々しい。
自分がしくじったことを認められずに、有りもしない可能性に賭けた結果がこれだ。
もう帰ろう。俺は関口さんのお母さんに背を向けドアに手を掛ける。
「あんなことが無ければ…」
関口さんのお母さんは溢れ出た様に一言だけ発した。振り返ると、お母さんは関口さんがいるであろう階段の先の上の方向をじっと見つめていた。
「…あの」
俺はきっと、反省の出来ない人間なんだろう。
「関ぐ…いや、舞さんは過去に何があったんですか…?」
この期に及んで、この人からずっと知りたかったことを聞き出すつもりでいる。
「え…?」
お母さんは階段に向けていた視線を俺の方へ移し、奇怪なものを見る目をしている。
「その…あの娘から話してないことを私の口から言うことは出来ないわ…」
「そう…ですよね」
関口さんが話したがっていないことは、母親であるこの人が一番良く知っているだろう。初めから無茶なお願いだった。
「ところで、貴方は舞のお友達…でいいのよね…?」
少し困ったことを聞かれた。
ここで学校でしているように、関口さんとは恋仲ですと偽るのは大きな間違いだろう。関口さんだって実の母親にまで嘘をつくつもりで僕に協力を仰いだわけでは無いだろうし、そもそも今はそんなことを考えられる状態ではない。
だが、これだけ無茶なお願いをしているんだ。ただの友人の一人だと言っても関口さんについて知りたがっていることの説明にはならない気がする。
「僕は………少し前に、舞さんに告白をしました」
「…!舞に?」
俺の一言に、お母さんはとても信じられないという顔をした。
「はい。一目惚れをしたと言って、好意を伝えました」
「一目惚れ…」と、お母さんは一部分だけを切り取って復唱した。
「それで…あの娘はなんて…」
「玉砕…だとは思いますが、まだ返事が貰えて無くてあやふやな状態なんです」
嘘は言っていない。
ビンタはされたし逃げ出されもした。
十人いれば十人が振られたと言う結果だったが、あの時は俺はからかうつもりだと勘違いをされていたわけで、まだこれと言った返事が無いのは紛れもない事実だろう。
「まぁ…そんなことに…」
「だから…知りたいんです、…舞さんのこと」
いつの間にか降ってきたチャンスに飛びついた。
お母さんに向かい合い応答を待つ。
顔に手で触れ、首を傾げ、目は泳ぎ、ひどく迷っている様子だった。
「斑目くん…って言ったわよね…?」
「…?…はい」
まっすぐに向いた瞳は、なにかの決心を感じさせた。
「舞に…一目惚れしたって伝えたの…?」
「はい」
「あの娘は…それを信じたの…」
「…いいえ」
「………でしょうね」
お母さんは、ずっと疲れた様子だった目元が少し柔らかくなった。
「斑目くん、どうぞ上がってって」
そう言うとお母さんは玄関を上がってすぐにある引き戸を開けた。
「…おじゃまします」
通されたリビングに入ると、壁に掛けられたいくつもの額入りの表彰状が目に入った。
「…すごいですね。全部舞さんのですか?」
「えぇ、小学校の時にバレエのコンクールだったりであの娘がもらったものよ」
表彰状はそれぞれ大きさだったりデザインの方向性が違うものばかりで、重々しい卒業証書の様なものはもちろん、デフォルメされた動物がプリントされているカラフルなものまで、全て等しく額に入り大切にされていた。
だが、一つ気になったものがあった。
「あの…これ、大分しわくちゃですけど…子供の舞さんがしちゃったんですか?」
「あぁ…それね」
クリーム色の用紙に墨で書かれたなんとも立派な表彰状だが、折り目だったり水滴の跡のようなものが目立ってなんとももったいないという印象を感じる。
「それについても話してあげるから、どうぞ…そこに座って」
俺は四人掛けの木製のテーブルに座った。
「そうねぇ…どこから話せば良いか…」
お母さんはそう言いながら、どうぞと飲み物を手渡してくれた。お母さんは俺と向かい合う形でテーブルに座る。
「あれは舞が幼い頃――――」
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