第12話 月曜の教室
次の日の朝、登校して自分の席で本を読んでいると、教室に入ってきた朝比奈さんが早足でまっすぐ俺の机に向かってきた。
「斑目くん、聞いて」
「…?どうしたの朝比奈さん?」
持っていた本から目線を朝比奈さんに移すと、息を荒くしておりやけに興奮している様子だった。
「なんだか今日の舞、すごい機嫌が良いみたいなの…」
どういったところが、と聞けば「関口さんから笑顔で挨拶をしてきた」らしい。
それだけで特別機嫌が良いと判断されることに驚きはするが、彼女からすれば普段から塩対応の関口さんが見せた大きな変化なのだろう。
「実は…俺、関口さんと付き合うことになったんだ…」
昨日のデートで確認したように、朝比奈さんに対して恋人になったと嘘をつく。
「へぇ〜…おめでと」
「…信じてない?」
「い〜や?まさかそんな」
そう言いつつも、朝比奈さんは俺に可哀想なものを見る目を向けてくる。
「本当だって、金曜に告白のOK貰えたし」
「それはすご〜い」
「昨日の日曜なんかデートもしたんだ」
「良かった良かった、それはなにより」
全くもって手応えがない。
「…まぁ、後で直接関口さんに確認取ってよ」
「…え、ホントなの?」
俺は頷いた。
朝比奈さんは「またまた」と言って信じてない素振りだが、目をしきりに瞬かせてぎこちない笑顔を見せており、先程とは真逆の感情を見せていた。
そうしていると、教室に関口さんが登校してきた。
目が合った俺は、迷わずこっちこっちと手招きをして近くに呼ぶ。
「おはよう二人とも」
関口さんはマスクを着けていてもわかる弾けるような笑顔を見せた。
「…おはよう、舞」
「おはよう関口さん」
「朝比奈さん…登校してる時に声かけたのに、なんで無視して行っちゃったの…?」
「いやそれは…」
朝比奈さんはモゴモゴと口ごもっている。
「…なんか今日のあんたすごい変だし、まさか舞だとは思わなくて…」
「そこまでなんだ…」
どうやら朝比奈さんは、自身への対応の仕方が変わった関口さんを関口さんとして認識できなかったらしい。
「別に私、変わったことしたつもりじゃなかったんだけどな〜…」
「ごめんってば…てか今日本当にどうしたの?」
それを聞いた関口さんの顔は、いたずらっぽく笑って見えた。
「それは……斑目くん」
「…えっ!?俺から言うの?」
「いざ言うぞってなったら恥ずかしくなっちゃった。だからお願い」
「わかったよ…」
そう言って俺は座った状態から立ち上がる。不思議とそうした方が良いと感じたから。
関口さんの隣に立ち、二人一緒に朝比奈さんの方を向く。三人で囲んでいた状態から一対二の構図にする。
「あの…俺達、お付き合いすることになりました…!」
「…」
隣から小さくで「チャージ中」と聞こえた。
「ええぇぇぇぇぇええっ!!!?」
朝比奈さんは廊下まで響く音を出した。
俺は驚いて両耳を手で覆う。
「えっ!えぇっ…えっ!ほんっ…と、だっ…だたーの!」
朝比奈さんは不規則なリズムで首を左右に動かし、俺と関口さんの顔を交互に見ていた。
「…朝比奈さん、本当だって言ったじゃないか」
俺は呆れたという顔をして嘘を吐く。
「え…?あっ…ごめんっ…、あっああ〜…おめでとう…?」
「…ありがとう」
ひどくうろたえた状態の朝比奈さんから、謝罪と祝福の言葉を受け取り感謝を贈る。
隣の関口さんを見てみれば、朝比奈さんの反応を面白く思ったのか、お腹を抱えた状態でずっと笑っていた様だった。
「ははっはぁ…っ!はぁ…っ、はぁ…」
「…落ち着いた?」
「うん、ふふっ…!私の方は、なんとかね…」
その言葉の通り、朝比奈さんはまだ収まらないらしい。
先程から「あ」と「え」の二単語を中心にしきりに口にしているが意味のある言葉になっておらず、情報を理解しようとする過程で自然と口から出てしまうのだろう。
周りを見てみれば、既にクラスメイトの視線を僕ら一点に集めてしまった様だ。直接コンタクトを取りには来ないが、ヒソヒソとそれぞれが俺達のことを噂にしているのを感じる。
通りがかったのか隣のクラスかは知らないが、廊下からも見物をする生徒が見える。
「…拡声器ってのも、間違ってないかもね」
隣の彼女にだけ聞こえる声で話した。
朝比奈さんの肩を揺すっている彼女は「でしょ」と笑い、呆けたクラスメイトの頬をペチペチと叩き出した。
「あ……あえっ!?あ、舞…」
情報過多気味の脳の処理が終わったらしい。
「や〜っと戻ってきた」
そう言うと彼女は自分の席に向かって行った。
俺は関口さんの代わりに、上の空から戻ってきた朝比奈さんの相手を引き継ぐ。
「気分はどう?朝比奈さん」
「…どうやったの?」
「それは…俺達の馴れ初めが聞きたいと?」
「まぁ、そうね。あんな状態からどうして付き合えてるの?正直、今も疑ってるまであるんだけど…」
今日の朝比奈さんはどうにも疑り深い。実際に嘘なのだから、彼女は本当に感が冴えてるのだろう。
どうやら一から十まで全て嘘というのはダメらしい。どこかで聞いた話だが、嘘をつく際のコツは嘘と本当を混ぜることにあるそうだ。
「…僕がどうしたとかじゃないよ。受け入れられただけで、他に考えがあるんだと思う。関口さんは今でも僕が言った『一目惚れ』って言葉をあまり信じてないみたいだし」
「それホント?告白にOKしたのに?」
「一切信じてもらえてない。関口さんの中で俺は、イジメから助けるために朝比奈さんが考えたセリフを一言一句言った事になってるよ」
眉を下げ少し大げさに肩を落としてみれば、朝比奈さんは俺に苦労人を見る目を向けてくれた。
「…めんどくさい娘ねぇ」
「まぁ、これから付き合っていく中で信じてもらえるよう頑張るよ」
「…あの娘が外見の褒め言葉を素直に受け取るとは思わないけど、相当な時間と関係性が必要よ…」
「長く深く、末永い関係でいたいものだね」
俺はどこか、達観してものを見る人風に言ってみた。
紛れもない本心からの言葉だった。それを少しふざけて見える様に言うことで、俺の望みが遠くのものに感じられて、忘れることが出来そうだったからだ。
「案外…そう時間は掛からないかもよ」
俺は朝比奈さんの思わぬ一言に「本当?」と聞き返した。
「だって私、あの娘が笑ってるのを最後に見たの、小学生の時以来だもの」
「そんなに…」
「中学に同じクラスになってたけど、その時も全然だったし…さっき舞が笑ったの見た時、この娘こんな風に笑うんだ〜って思っちゃった」
「…さっき笑ってたのは、朝比奈さんのリアクションありきだったよ」
「それでも、あの娘の中で何かしら大きなものが変わってるってことなんだと思うよ」
朝比奈さんは、横目で席に座った関口さんを見ながらそう言ってくれた。
「…そうだったら、彼氏としても鼻が高いよ」
「舞だけじゃないでしょ、斑目くんも」
「俺も?」
聞き返した俺に、朝比奈さんはフッと笑って言った。
「変わったよ。先週まではず〜っとこの世の終わりみたいなひどい顔してたのに、今は毎日が楽しくて仕方ないって思ってるでしょ」
「そんなに顔に出てた…?」
俺は自分だけ浮かれてるのが見透かされたようで恥ずかしくなり、軽く手で口元を覆う。
「私から見れば、幸せオーラってやつが全開に出てるよ」
実際に透けて見えていたようでひどく照れくさい。
だが、この関係が両者にとって良いものであるならば、それは大変喜ばしいことだろう。
「あっそうだ!朝比奈さん」
俺は、月曜になったらやっておこうと思っていた大事な用事を思い出した。
「なに、斑目くん?」
「クラスライン、入れてくれない?まだ入れてないんだ」
「あぁ、はいはい…ってどうせなら舞に頼めば良いじゃない」
朝比奈さんはちらりと席に着いた関口さんの方を向きながらそう言った。
「いやぁ…頼んだんだけど、関口さんクラスライン入ってないみたいで」
「えっ嘘!」
彼女はスマホを取り出し確認をする。
「…本当だわ、何やってるのあの娘は…」
「まぁ…無くても困らないと思ってたんじゃない?」
「でも、うちのクラスラインって担任も入ってるのよ?」
「それが?」
転校する前の高校のクラスラインにも担任は入っていたし、特別珍しいことでは無いだろう。
「うちの担任世界史教えてるでしょ?小テストの告知とかは頻繁にしてるし、それに他クラスには授業中にノート取らせてるんだろうけど、うちでは定期テストの範囲もそこで知らせてるってのに、困らないわけないでしょ!」
「めっちゃ重要じゃん…!」
「一学期の中間と期末のテストどうしてたのかしらあの娘…クラスの中でも外でも、他に教えてくれる人がいたわけでも無いのに…」
「…直接先生に聞いてたとか?」
「だったら良いけど…斑目くんから入るようちゃんと言っておいてね?」
俺が「もちろん」と返した後、朝比奈さんとラインを交換し、クラスラインへの招待メッセージを送ってもらった。
そしてその日の昼休み、一緒に昼食をとるため関口さんに声をかけた。
関口さんは「いい場所があるの」と言って、俺についてくるよう促し、二人で下駄箱へ向かった。
「外で食べてるの?」
「晴れてる日はね。人があまり来なくて、落ち着いたいい所を知ってるの」
今から胸が踊る。一人でモソモソと教室で食べていた先週と比べ、遥かに有意義な昼食になるだろう。
関口さんは、普段は中々使われない旧体育館の方向へ向かっていた。
体育館の中で食べるのか?と一瞬思ったが違ったらしい。入口を通り過ぎ、外壁に沿うように曲がって裏側へ行く。
気付けば、両側が旧体育館と学校の塀に挟まれた場所まで来ていた。
そこにはこの狭い空間に比べ明らかに不釣り合いな大きさの、立派な木が生えていた。
幹は太く、俺がもう一人いて両者が腕を一杯に広げてようやく足りるほどの太さだ。
落ちてある葉を見てみれば、とても特徴的な形をしている。
「これって…モミジの葉か」
まだ九月も前半と言うこともあり、モミジの葉はまだまだ緑一色で軽い風に吹かれてザァザァと音を立てている。
「そう。去年の秋はこの葉っぱ一枚一枚が真っ赤になってて、すっごい綺麗だったんだよ」
そう言うと関口さんは木の根元まで歩いて行ったと思えば裏側に回った。
何をしているのかと思い様子を見るため覗き込むと、木の根に座っていた。幹に背を預け、下からモミジの葉一枚一枚をじっと見上げている。
「私、普段はここで食べてるの」
「知らなかったよ、確かにここは『いい場所』だ」
関口さんは「でしょ」と言い静かに笑っていた。
持ってきたランチボックスを地面へ下ろす。弁当箱を二つ取り出し、一つを彼女へ手渡す。
箱を開けた彼女は昨日と同じ様に「おぉっ!」と驚きとも喜びともとれる声を出した。
「すごいカラフル。私の分まで大変だったでしょ?」
「今日のは冷凍のものが中心だし、それほど手間は掛かってないさ」
「でもありがと」
俺は手早く二人分のお茶を用意し、幹の裏側に回る。後ろの方から「いただきます」と聞こえ、俺もまた復唱する。
食べ始めてからじっくりと周りを見渡すと、それこそ告白のスポットに思えてきた。
体育館裏で三方向が壁に囲まれ、大きな木の下と来てこの静けさだ。俺が知らないだけで、生徒たちの間では告白と言えばここだという常識があっても不思議では無い。
そんなことを考えていると後ろから「そういえば」と声がした。
どうしたのと聞き返すと関口さんが嬉しそうな声が聞こえた。
「上手くいったんだよ。あの三人、朝遅くに登校してきて他のクラスメイトから私達の噂を聴いたみたいでさ、少なくともあの告白のことは言ってこないだろうね」
俺はそれを聞き「それは良かった」と返した。
しかし声が小さかったのか、「え、なんて?」と帰ってきた。
「上手くいった様で良かったよ」
気持ち声を張って返す。
今度は上手く聞こえたようで「朝比奈さんのおかげかもね」と帰ってきた。
幹が大きいからか、向き合ってないからか、普段の会話の声量では届かないのが不便に感じる。
それからしばらく食べ続け、マスクを着け空の弁当箱を持った朝比奈さんが裏から回ってきた。
「ごちそうさま」
「やっぱり早いね。中身は俺と同じ量なのに…」
「お弁当が美味しいからね。一応言っとくけど、変に私に気を使って早食いとかしないでね?極端な早食いって普通に体に悪いから」
ランチボックスに弁当箱を戻す彼女に「わかってるよ」と言い、まだまだ残った弁当を口に運ぶ。
食べてる途中に朝比奈さんから頼まれていたことを思い出し、コップでお茶を飲んでいる関口さんに話しかける。
「そういえば関口さん、クラスラインに入ってくれない?」
「もちろん、いいよ!…で合ってるのかなこの場合?」
「場合って?」
「いやだって…私が入れてもらう立場なのに、『いいですよ』はなんか違う風に思えてさ」
確かにそうだが、つい今朝朝比奈さんに入れてもらったばかりの俺が関口さんに「関口さんずっと入れてなかったでしょ!俺達のクラスラインに入れてあげるよ!」と言うのはまた違っている気がする。
「…日本語って難しいね」
そして俺は関口さんに対して招待メッセージを送った。送ってすぐにスマホの通知音が鳴り、クラスラインに関口さんが入会したことがアナウンスされていた。
クラスラインを開けば、当たり前だが『斑目 宗二が参加しました』と『関口 舞が参加しました』が二つ並んでいた。
「なにか言われたらどうする…?」
俺のスマホを覗いていた関口さんがそう言った。
「言われたらって…どんな?」
「どうって…『よろしくな』とか『盛り上がっていこうぜ』とか…?三十人くらい見てるのに半端なこと返せないよ私…」
俺もその気持ちは別にわからなくはないが、思考が後ろ向き過ぎる。
「流石にそんな元気な人はいな―――」
言い終わる前にポンッと音がした。
『斑目に関口、よろしくな!28人全員合わせて良いクラスにしていくために盛り上がっていこうぜ!』
返信は、担任の先生からだった。
「「…………」」
二人でクラスラインの画面をじっと見つめたまましばらく固まっていた。
「…これ、返したほうがいいと思う…?」
沈黙を破った関口さんから俺に確認が取られる。
「…返すって言ってもどんな熱量で?中途半端なことを返信しても、また先生から返信が来るかもよ…?」
「…スルーしちゃ「駄目だよ?」」
関口さんは足を伸ばして座っていた状態から、膝を抱えてうずくまってしまった。
「…だからヤダったのに〜…!」
「…二人一緒に考えようか」
俺は弁当を口に放り込みながらそう言った。
結局、二人とも無難に『頑張ります』とだけ返した。既読は十件付いたが、返信は来なかった。
「…これ、後から私が斑目くんのをコピーして雑に貼り付けて返した薄情な人間に写らない?」
「提案した者の特権だよ」
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