第11話 昼食
「…着いたよ」
そう言うと俺は、広い広い緑地公園の前で立ち止まった。
「ここ…?ってことは斑目くんお弁当持ってきてくれてるの?」
俺は頷き、背負ったリュックを軽く揺らして見せた。
「地面に敷く用のブルーシートも入ってるから、誰も近くにいない所でお昼にしようか」
ザッザッと芝生の上を歩き続け、遊具から遠く、周りに人が来ないであろう場所でリュックを下ろす。折りたたんで入れていたブルーシートを広げ、四隅を二人の靴や荷物で抑える。
リュックからランチバックを引っ張り出し、そこから『LunchBox』と大きく書かれているプラスチックで出来た二段式の弁当箱を取り出した。
関口さんに「ハイこれ」と言い一つを手渡す。
蓋を開けた彼女はワァッと声に出して驚いてくれた。
弁当の一段目は肉団子や卵焼き、昨夜の残りの焼きそばだったりのおかずを入れており、二段目は食パンを切って作った大きめの野菜多めサンドイッチを入れている。
「作ったって言っても、半分くらいは冷凍とか昨日の晩の余り物だけどね」
「でも凄いよ。もしかして学校のお昼もお弁当作ってるの?」
「毎日って訳じゃないよ?前日のおかずが余ってたときとかに気が向いてたら作るってだけ」
「へぇ〜、じゃあ…明日って作ってきてくれたりする?」
「もちろん。そのために今日こうして会ってるんだもの」
「やった、ありがと」
関口さんは早速サンドイッチを手に取り、食べるため僕に背中を向ける。
「…見ないでよ」と後ろ向きに話す彼女に、映画館と同じ様に「もちろん」と返し、お互いに背中合わせという状態となった。
背中の方からシャキシャキのレタスが挟まれたサンドイッチが食べられている音を聞きつつ、ランチバックからお茶の入った水筒と、持参した紙コップの束を取り出し飲み物を出す準備をする。
「ねぇ斑目くん」
蓋の開いた水筒を手に持つ俺に対し、関口さんは背中からもたれかかり、俺の左の耳元あたりで右の手をパタパタさせてきた。
「!」
「お箸ある?肉団子に串は刺さってるけど、他のが食べられない」
俺の心臓は、今日一番と言える急接近と直接の接触によりドクンドクンと早鐘を打っている。くっついている背中から僕の心臓の音が彼女に届くかもわからない程だ。
「ちょっ…と待ってて!ハイこれっ!」
差し出された右手に対して、慌ててランチバッグにあった弁当用の箸を取り出し持たせる。関口さんはありがとと言って手を引っ込め、背中も離れていった。
びっくりした。関口さんが異性に対してここまで積極的なタイプだとは思わなかった。
いやしかし、俺が男として見られていないだけなんじゃないか。もしくは、俺からしたら不自然に映るさっきの行動も、長い間人に顔を向けないよう過ごしていた関口さんだからこその行動だったりするのだろうか。
当の関口さん本人はそんな僕の考えなど露知らず、焼きそばを啜る音を鳴らしている。
「…はいこれ、緑茶」
「ん゙、んぐっ…ありがとね」
紙コップに入れたお茶を彼女の側に置き、俺も持参してきたお弁当に手をつけ始める。
今回のピクニックは、正直な話…やや苦肉の策と思いつつも実行していた所があった。最初の内はお店からのテイクアウト等を利用して、どこか人目につかないところで食べようと考えていたが、わざわざ移動をして食べること自体に価値を感じず、関口さんを人の目から離すことだけにしか目を向けていない気がしてならなかった。
それならばこの緑生い茂る自然の中で、サンドイッチ片手に遠くで遊んでいる子供たちを眺めることの方が余程良いんじゃないかと考えた訳だ。
初デートに手作りの弁当を持参してくるのは俺自身でも少し重すぎやしないかと思わなくはなかったが、後ろから美味しそうに食べ物を頬張っている様子が聞こえているため、そう重要には考えられていないようで安心した。
気分が良い。太陽の下で見渡す限りに緑が生い茂る緑地公園でのピクニックは、普段は決してポジティブな思考をしているとは言えない俺でさえも、今ならばあらゆる物事が前向きに考えられるという気にさせてくれる。
「ふぅ…ごちそうさま斑目くん」
「あれ?早いね関口さん」
関口さんはマスクを着けた状態で、空の弁当箱をランチバッグに戻していた。二つの弁当の量には特別差はつけていなかったが、俺の手に持った弁当箱はまだまだおかずが残っている。
関口さんは胡座をかいた俺の隣に座り、その状態で体を伸ばすと、後ろに向かって倒れ込んだ。
「ねぇ、食後のおしゃべりに付き合ってくれる?」
寝転がりながらそう聞いてきた。
「食べながらで良ければ付き合うよ」
肉団子を口に放り込みながら答えた。
「あのさ…。ずっと気になってたんだけど、ちょっとこっち見てくれる?」
「…?どうしたの?」
隣の関口さんの顔を上から覗き込む。彼女は横になってお腹に両手を当てた体勢のまま、じっとこちらを見つめている。こうやってあらためて顔を見ていると、初めて目が合った時のことを思い出して自然と体温が高くなっていき、つい視線をずらしてしまう。
「…やっぱり」
「ん…、何がやっぱり?」
関口さんは寝ている状態から起き上がり、俺の目の前に移動してきた。先程と同じ様に、目を合わすことが出来ずに下の方へ目線が降りていく。
「…どうしたの?」
「…斑目くんって、他の人と目が合うのが怖い?」
「…えっ!いやこれは、怖いって言うより…」
照れの一種なのだが、関口さんから見ればもっと別の、精神の病による反応に見えるのだろうか。
「…うん、決めた」
関口さんは何かを決心したような目をしている。
「私だけ協力してもらうのもずるいしね、手伝うよ。斑目くんが人の視線が怖がらなくなるように」
「いや…俺は視線が怖いって言うよりは…」
「遠慮しないで、お互いに助け合いましょうよ」
何とも頼もしい声で語りかけてくれる。下を向いていた目線を戻すと、関口さんは慈愛に満ちた目で俺のことを見つめていた。
「…じゃあ、具体的にどうするの?」
優しい眼差しに根負けし、解決策と言うものを募ってみる。
関口さんは腕を組み、いかにも考えているというポーズをとって「う〜ん」と唸っている。
「…茹でガエルって知ってる?」
「蛙?」
「蛙を水が溜まった鍋に入れて、少しずつ温めていったらそのまま気付かずに茹でガエルになるって話。聞いたことない?」
「…聞いたことぐらいはあるけど」
「ああいう風に、少しずつの刺激を加えていって訓練するのが大事だと思うの」
「熱湯に気付かないくらい鈍感な蛙を参考にするのは…」
それ聞いた関口さんは少しばかりムッとした。
「…こういうのって本能というか人にとっての動物的な部分が関係してくるんだろうし、動物の反応を参考にするのは間違ってないんだよ」
関口さんから愛想というか、表に出ていた機嫌の良さといった要素が消えたのを感じ、やってしまったと感じた。
後ろ向きな考えから、否定が口から漏れ出してしまう俺の癖は治すべきだろう。
「…そうだね、頑張るよ」
舌先だけの前向きな言葉だが、声に出すと思ったよりも気分が良かった。
「うんうん、二人で頑張っていこう。遠回りに見えても、色んなことを試すのが大事なんだから」
「じゃあ…俺は一体どうしたら良い?」
単純に刺激に慣らしていくといっても、慣らす方向性だったりそれ自体の強度だったりで多種多様だろう。
「それじゃあ、今日は訓練ってことで私と……訓練しよっか!」
関口さんはいきなり『頭痛が痛い』みたいなことを口走った。
「あぁ…ノープラン?」
「まっ、そうだね」
潔い返答だ。朝比奈さんもこのメンタルを見習って欲しいと強く願った。
「ん〜…私が斑目くんのパーソナルスペースに近づくってのは?」
「…もう十分近いとは思うけど」
今の俺と関口さんの距離は三十センチも無い。先程の映画館の時点では十センチほども無かっただろう。
「じゃあ…話をするのはどう?」
「…関口さんと?」
「私とはもう十分できてるし、そこらへんを歩いてる人相手にやってみる?」
「急に難易度高くなった…、てかそれって所謂ナンパじゃない?」
今の俺にはあまりにも縁遠い言葉だ。
「ナンパなんかじゃないよ。ほら、あそこでキャッチボールしてる人たちとかどう?」
関口さんが指差したところを見ると、小学生低学年くらいの二人組の男の子がお互いにワンバウンドでキャッチボールをしていた。
「…この年の差じゃ不審者扱いされるよ」
「まぁ…たしかに」
関口さんから出てくる案に対してことごとくNOで突き返す。
つい先程に否定を口から漏らす癖を自覚し治そうと思ったのに、この変わりようの無さだ。治そうと思って治らないのが癖なのだと理解した。
「じゃあ…触れ合う?」
「…いいの?」
「他になんにも思いつかないし、とりあえずやってみよ」
関口さんは「とりあえず握手から」と言って俺に右手を差し出した。
「…お手柔らかに」
そう言って彼女の手を取ろうと近づけると、全身の毛が逆立った。
「…斑目くん?」
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン
俺はなにをしようとしていた?
今朝の時点で、関口さんと肩を並べて歩くのにも自身の心臓の鼓動を喧しく感じていたのに、たったの三時間で手を繋ごうとしていた。
映画だ、あの映画だ。関口さんと見た映画で感じた強い虚無感が錯覚を起こさせ、俺が関口さんに向ける感情までもを酷く緩やかなものに変えていたのだ。
話にでていた『茹でガエル』、俺はアレの逆なんだ。はじめから熱湯だとわかって触れたのに、それに慣れてしまったと勘違いして、余計な薪を焚べていった馬鹿ガエルだった。
「ねぇ、大丈夫?」
「…ちょっと厳しいかな」
「そう…そこまで深刻だったなんて…」
ハァハァと荒くなった息を整える俺に対して関口さんはまた少しずれた感じ方をしているが、今はそう思ってくれている方が俺にとっては都合が良いだろう。
「握手以外となると…」
「ハァッ…あっ、まだやるの…?」
「まだまだやるよ。というか逆に『思ってたよりも重症なのでやめておきます』って本末転倒もいいところじゃない?」
そう言って関口さんはまたも腕を組み考える。しばらくしてなにかを思いついたようで、胸を抑える俺の後ろに回った。
「…嫌だったら言ってね」
俺が「なに?」と言ったところで背中に重さを感じる。昼食を食べ始めたタイミングでしたように、関口さんは背中から僕の背中にもたれかかってきた。
あの時はほんの数秒だったが、今はとっくに十秒を過ぎている。落ち着かせようとしていた心拍がまたも大きくなる。
後ろからしきりに関口さんが「どう?」と聞いてはくるが、今の僕は返事をするだとかいう状態ではない。
顔が熱い。心拍数が上がったことによって血流のめぐりが早くなり、自分の顔がどんどん赤くなっているのを感じる。
今までも、というよりもここ最近でも顔が真っ赤になることは数回はあったが、今回は密着したままの状態で時間が経っている。頭が火照ったままで冷静になれず、ボーッとしてきた。
文字通り心臓に悪いことこの上ない訓練ではあるが、それでも続けたいという思いはたしかに存在する。
「…あぁ、だいぶ良いよ…」
「本当に?じゃあもうちょっと続けようか…」
それから数分間、子供たちの笑い声や鳥の鳴き声を遠くに感じながら過ごしたが俺と関口さんの二人の間に会話は無く、俺は両手に抱えたまま放置していた弁当を一人黙々と食べていた。
「…ごちそうさま」
緊張からかひどく薄味に感じた弁当を片付けようと、ブルーシートの重石にしていたランチボックスへ手を伸ばす。
「おっとっと…」
遠くのランチボックスを取ろうとして前のめりになったからか、関口さんの頭は俺の背中を滑るように下へと動き、そのまま横にゴロンと転がってしまった。
「ん〜〜〜…!」
弁当をランチボックスへ収めていると斜め後ろから体を伸ばす声が聞こえた。
俺とは対照的に、関口さんは心の底からリラックス出来ているらしい。一応僕は異性で、まだ知り合って一週間も経ってないのだから、俺ほどじゃないにせよ緊張だったり、それ相応の警戒心を持ってもらいたいものだと思う。
片付けを終え先程の位置に戻ると、またも関口さんは体重を預けてくる。
彼女から見て俺は犬を通り越して、でかいぬいぐるみに写っているのだろう。
「…ねぇ、関口さん」
「ん…?」
「…今って退屈してる?」
「…?いや、そんなことないけど?」
我ながら面倒臭いことを聞いてしまったと思う。
「なら…良かった」
姉からデートでの退屈=相手に対しての退屈と言われ、今日一日会話が途切れることを恐れてそれとなくその場にあった会話をしていたんだ。
それなのに、当然の接近から余裕を無くしたあまり黙食に走ってすぐ、関口さんの気の抜けた態度がハッキリと見られた。
冷静さを欠いた状態でそんなことがあれば、ついこんなことを口走るのも仕方が無いと思わないか。
「…ねぇ、関口さん」
先程とまったく同じセリフを言う。
「…どうしたの?」
「…明日、どうやって恋人同士に見せる?」
「おっ!その話する?」
沈黙を恐れるあまり、今日は絶対にしないと決めていた話題を切り出した。
だが後ろから聞こえた関口さんの声色は、はっきりと明るくなった。
「明日学校でするわけだし、事前にどうしたいか聞いておきたくて」
「まぁそれもそうだね。私としてはお昼一緒に食べて、金曜の時みたいに一緒に帰ってたら周りは付き合ってると思ってくれるんじゃないかな?」
「うん、それだったら十分だと思うよ」
心なしか、先程からずっとガチガチだった俺の緊張が緩んでいるように感じた。
今になってこの状況に慣れたのか、他のことに集中できていれば気にならなくなるのかはわからないが、上手く利用できれば映画の時のようにまた『茹でガエル』になれるかもしれない。
「…ところで、『周りが』ってことはあの三人以外にも黙っておくの?朝比奈さんとかには話しても良さそうに見えるけど…」
「ん〜………無しかな」
「バレるのが怖い?」
「朝比奈さんがバラすのを心配してるわけじゃないけど、わざわざ話すメリットも無いように感じるの」
「まぁ…朝比奈さんに特別なにかを協力してもらうってのも思いつかないか」
「あの人、リアクションが正直で大きいから、私達の関係を周りに知らせるのに役立ってもらおうよ」
「拡声器扱いかぁ…」
背中合わせでも作戦会議自体はしっかりと出来ていた。朝比奈さん、姉とここ最近女性との一対一で話し合うことが多く、図らずともその経験が生きているのかもしれない。
「ところで斑目くん…カップル同士ってどういう会話するんだろうね…」
「会話?普通に世間話とかでも良いんじゃない?」
「本当に?私カップルって学校だと、甘ったるい空気醸し出して好き好き言い合ってる印象なんだけど」
「それはごく一部だとは思うよ」
「そう、なら良かった」
「というか本当にそんなカップルいたの?」
「いたよ、園山さんってわかる?ほらあの三人の中の…」
「あぁ、あの金髪の」
「そうそう、この前なんか彼氏の男子に抱きついて――――」
その後も、しばらく俺と関口さんは学校でどう偽の恋人を演じるかについて話を弾ませた。
その甲斐あってか、俺の『茹でガエル』も上手く作用したため有意義であり、とてもリラックスの出来る時間になった。
背中合わせの会議も終わりを迎え、その体勢のまま二人のんびりと過ごしていた。
「…私、今日ここに来れて良かったよ」
先程訓練のためにと背中が合わさった時よりも、今の方が彼女をより強く感じる。
「…それは良かった」
非常に穏やかな気分だ。そして、何よりも幸せだ。
「斑目くんって来週は暇?」
「…!またデート?」
「ダメだった?」
「まさか」
「良かった。行きたいところってある?」
「ん〜…急にどこ行きたいかって言われても…」
「アレだったらまた映画館は?来週から今日見たのと雰囲気に似てる新作が出るんだけど」
「いや〜…映画館はまた今度でいいかな〜」
「え〜なんで?」
「なんでって――」
人の気持ちにはピークがある。
怒りも悲しみも、ある一定を超えさえすれば次第に気持ちは穏やかになり、平静を取り戻していく。恋愛感情だってそうだ。
俺はあの日、あの教室で関口さんに一目惚れをした。心臓が早鐘を打ち、思考がただ一色に塗り替えられた。
緊張に弱く、ああいう時はいつも口ごもる事しか出来ずに不戦敗ばかりを積み重ねてきた僕が、盲目になったがゆえの愚かさの代償に獲得した勇気をもって思いを伝え、玉砕する。あの一瞬がピークとなり、時とともに彼女への感情も薄れていく…はずだった。
しかし、事情はあれど俺の思いは受け入れられ、鳴り止まなかった鼓動は緩やかに、緊張で硬く閉ざした口はいつの間にやら彼女との談笑が楽しめている。
ピークだと思っていた感情は尚も高まりを見せ、顔は見えずとも背中合わせで寄り添えている事実が何より愛おしい。
食後の会話も程々に済ませ、お互いに帰りのの移動手段がバスだったこともあり同じバスに乗って帰路についた。
「じゃあ斑目くん、また明日学校で」
「うん、また明日」
そう言って俺は少し早くバスを降りる彼女を見送った。
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