第8話

「鍵を渡すのを忘れてたの。これよ。綺麗でしょう?」


シルヴィは金色のバラのブローチを、ギィの手のひらに乗せた。


布でできている一輪のバラは、花びらが少し外巻きになっている。花は金色だが、茎や葉は若草色だ。


「綺麗だ」


「ね? ギィはバラが大好きでしょう? これをいつも持ち歩いてね」


「そうだな。奇跡はいつ起きるか、わからないしね」


ギィはお気に入りの香水を、バラのブローチに吹きかけた。それを見たシルヴィが「あっ!」と叫ぶ。


「……まずかったかな?」


「ううん! すごいわ。いいタイミングよ。もっと見て。感じて。扉を開けて!」


三つのキーワードが揃いそうなのだろうか。


ギィは平常心を保ちつつ、目だけを素早く動かした。


鏡。自分。確かにナルシストなのは認めるが、「自分」ということはないだろう。


シルヴィが叫んだのは、香水をバラにかけたとき。そうか、香り。


室内にあるものとは限らない。ギィは窓の外に目をやり、空を見上げた。

晴れ晴れとした夏空ではなく、くすんだ色をしていた。


(空はやっぱり青空がいいな)


窓を開けると、さわやかな風が頬をなでていった。空中――風の中に、人の顔のようなものが見え、ぎょっとする。


それはギィと目が合うと戻って来て、彼の唇に触れた。


キス。風と、キスをした。手の中のブローチから、甘い香りが広がる。




風。香り。キス。三つのキーワードが揃った瞬間だった。




強風がギィの両隣を過ぎていく。思わず目を閉じたが、向こうに光り輝くものが見えた。扉なのだろうか?


ギィは右手を伸ばして、触れようとした。『扉』にノブはなく、ギィは輝く空間へと飲み込まれていった。


『行ってらっしゃい』と、シルヴィの声を聞いた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る