CAMOUFLAGE

秋桜みりや

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 その警備員シモンは、夜勤明けの重い体を引きずりながら帰路につこうとしていた。シモンの職場でもある美術館は中世の町並みを残した片田舎のさらに町外れにあった。長閑なのだが町並みが美しいからか美術品が集まり、小さな美術館がいくつかある。わざわざ調べて寄贈してくれる人もいるくらいだ。無人なこともあり、美術品を朝日が神々しく照らしていた。絵画、彫刻、近代美術。どれも一般人には真似出来ない神の領域を一層輝かせる。シモンにとっては日常で、どんなに美しくても足を止めて見ようとは思わなかった。

「お疲れ様です!」

 底抜けに明るい声に振り返れば、受付の女性が手をあげていた。先日別の美術館から訳あって異動してきたがまだ名前を覚えられていない。適当に返事をして通り過ぎようとする。

「また最近盗まれたらしいですよ。」

 足を止めてシモンは話を聞くことにした。シモンが多忙になっている大きな原因を聞き捨てならなかった。

「それは例の怪盗か?」

「そうみたいです。また私職場変わるのかな嫌だなあ。でも警備員さんも大変ですよね。もしも盗まれたら全部その警備員さんが責任者とるんですよね。私だったら辞めちゃいたいなあ」

「全部ではない」

「でもクビですよね。嫌だな。世間の目も冷たいだろうし、家族も大変そう」

 保険に入っていて金銭的な不利益はないはずだが、確かにそういった不安はある。それで辞める人が多いのも事実。なおさら伴侶に先立たれたシモンは辞めづらい。強いていえばシモンにとって気がかりはかわいがっている孫くらいだ。

 受付の女性に適当に挨拶をして残りは新聞で確かめる。被害は近くの美術館で美術品累計数品。どれも有名な作家ではないようだが、作者も違えば共通点もない。盗まれた美術館は小さいからか来館者が途絶え廃館に追いこまれている。

 近頃世間を賑わせている怪盗の手がかりは今日も掴めないようだ。それにしても、どうやって美術品を盗んでいるのだろうか。警備員だけではなく、田舎とはいえある程度のコンピューターやらAIやらの機器はついている。それをかいくぐる方法。皆目検討はつかない。夜勤明けの頭では思いつかないと思った矢先、1つの方法が頭をよぎる。まさか、自分の身を危うくするような方法を何人もがもとるわけがない。脅されているのだろうか。そこまで考えたところで家に着いた。連日の夜勤のために寝なければならない。体をベッドに沈めれば暗闇にいた。

 次の日の夜勤、シモンはセキュリティのパソコンをいじっていた。いつもはしない業務であるのに珍しい。記憶を辿れば、検査の日だったことを思い出した。それならやるしかない。慣れないことだが全力を尽くそう。なぜかその作業はやる気に満ちていて電子音が暗闇に絶えず響く。エラーの画面が出れば出るほど正解画面を見たくてのめりこむ。見回りの時間を思い出してシモンは仕方がなく足早に異常がないことを確認して、またパソコンの検査を進める。パスワードを間違え続けて入れない。心当たりのものはすべて試した。あとは順番に全て配列を試すだけだ。エラーを何度も消して朝が来た。あの受付の女性はまた声をかけてくれた。勤務が続くから大変だそうだ。どこも賃金を削ろうと躍起なのだとシモンは霞がかった脳内を納得させる。

 また次の日、夜勤でシモンはこの前解読できなかったパスワードを打ちこむ。管理会社に不審がられたが、設定変更を伝えるとあっさり教えてくれた。設定画面についたが、呆気なくて物足りない。何故この作業が必要なのか放心してしまったくらいだった。しばらくして思い出したように設定を変更して画面を閉じる。裏玄関の監視カメラを一時的に切る。この設定が必要な理由はわからなかったが、老い先短い雇われの身は言われたとおりのことをやるだけだと無理矢理納得させる。

 忘れないように近くにパスワードをメモしておかなくては。メモして鍵のかかる引き出しに入れた。それ以外はいつもと同じ繰り返しでつまらない勤務だった。またあの受付の女性と勤務についてほぼ一方的な会話をされ自宅へ。

 さらに次の日、夜勤でシモンは絵を運んでいた。何故運んだのか自問すると、整理整頓をする日だということを思い出した。美術館の営業に差し支えないように夜行うのだった。これも初めてのことだが、たまには模様替えもいいだろう。最近夜勤続きだから頭がぼうっとするらしい。それでも体はよく動いて決して軽くない絵画を運んでいく。

 裏玄関まで歩いたところで足を止める。ここから出せば作業は終了になる。鍵を開けるために置いたら、暗闇でもわかるくらいカラフルな絵が見えた。

 途端に慌ててシモンは我に返った。貴重な美術品を何故外へ持ち出そうとしたのか、動揺し立ち竦む。

「あれぇ、もしかして気づいちゃいましたか?」

 聞き覚えのある声に振り返れば、裏玄関からあの受付の女性が入ってくるところだった。この時間にいつもと同じような口調で一方的に話してくるのが不気味だ。

「おかしいな。みんなうまくいったのに。もしかして、この絵大事なものだったりします?」

 暗くて詳細は見えなくても、シモンの孫が好きそうな玩具が書いてある絵だった。夜勤で通り過ぎる度に孫が喜ぶか考えては古すぎると止めていた。

「ああ、お孫さんのこと考えてたからか。さすがに仕事よりも大事なものは暗示に勝ちますよね。仕方ないかあ。じゃあ、もう少しなんで意図的に協力してもらいましょうか」

 女性は頼んでもいないのに顛末を語りだす。

 仕事に嫌気がさしている人に何度も仕事をなくすことを話すと、実行するらしい。大抵の人は辞職してしまうようだが、何人かに一人は仕事自体をなくすために自滅ともとれる行動をとってくれるんだとか。即ち、女性の目的に進んで加担してくれるのだ。

 そこまで聞いてもシモンの答えは変わらなかった。

「絵を持ち出すことはできない」

「どうしてですか? 今さら抵抗したところで何にもならないですよ。絵を戻して私を告発したところで証拠なんてないんですよ。

 監視カメラは切ってくれたじゃないですか。パスワードを何度も間違えてくれたおかげであなたが犯人になるし、指紋もばっちりついてます。老人と若くてか弱い乙女の言葉どっちを信じるかなんてわかりきってますよね?」

 身の潔白を証言しても信じてはもらえない。証拠は何もない。女性の言葉はどれも誘惑に負けてしまった者には決心が揺らぐ。

「君が怪盗なのか?」

 受付の女性はそこでようやくいつもの調子が変わる。

「世間はそういって騒ぎたいだけだから放っておきますけれど、私は盗んでるわけではないんです。奪われてしまったものを返してもらいたいだけなんです。この絵、作者は偽られてるけれどどれも亡くなった祖父の作品です。今さらどうしようもないけれど、祖父の形見なんです。せめてすべて集めて飾ってあげたい。それだけなんです」

 女性が今にも泣き出しそうな様子なのでシモンは外に絵を出したくなってしまう。これも暗示なのかもしれないと思い留まる。

「それでも、これは犯罪だ。違う方法で揃えよう」

「それには一人でなんて到底払えないお金が必要で、私一時期は体を使って稼いでたんですけれどそれでも無理だったんですよね。それともあなたも一緒にお金を準備してくれますか?」

 シモンはまだ暗示が解けきれない頭で考える。絵を盗ませない。そして本当にこの女性と絵を救う手立てを。不自然な時間が流れる前に、シモンの中の最善の答えが口から出た。

「おじいさんは本当に素敵な絵を描いたんだね」

「はぁっ?」

「そんなに素敵な絵なら隠して自分にしか見られないようにするなんて、犯罪を犯したようでもったいなくはないかな」

 女性は唖然としていたが、シモンの説得より怒りが勝ったようだ。怒号を受けてもシモンは怯まない。

「直に監視カメラも復活する。落ち着いて聞いてくれ。ここの美術館に全部飾ろう。君が周囲から見つけたと言えば君に被害はないし、もうどの美術館も潰れているから寄贈という形で可能なはずだ」

「……あなたが私を裏切らない保証は?」

「信じてもらうしかないね」

「しばらく考えるわ」

 監視カメラの赤いランプが点灯する少し前に受付の女性は姿を消した。今朝はあの受付の女性の姿はなかった。だいぶ疲れた。監視カメラの設定をもとに戻して、パスワードの紙はびりびりに破いて捨てる。家に帰って寝ればいつもの日常に戻る。

 数日後、美術館に何点か寄贈品が届いた。シモンは全て同じ部屋に飾り、カモフラージュに常設展の看板を掲げる。

 さらにその数日後、珍しくシモンは日勤だった。見回りをしていれば、あの受付の女性の私服の後ろ姿を見た気がした。

 二人だけが知っている真実の話は、まだ隠されたままだ。

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