第2話 労働環境
「何回言わせんだ」
昼休憩が終わり、イヤホンを耳につけ、無線機のスイッチを入れると、そのとたんに今日も無線から佐久間の怒鳴り声が聞こえてきた。元消防士で、七十近いじいさん。社員というわけではなく同じアルバイトの身だったが、その肩書で教育係を任され、立場的には上に立つ。
佐久間も、働く動機は生活のためではなかった。公務員年金に、職場の近くに分譲のマンションの部屋を所有、奥さんもいて、悠々自適に老後を過ごそうと思えば、できる立場だった。
「お前いつまでそんなこと言ってんだ」
また、怒鳴り声が無線から聞こえる。ターゲットはいつもの石尾だった。元引きこもりで、ちょっと、鈍いところがあり、いつも佐久間に目の敵のように怒鳴られていた。
佐久間は根っからの、親分肌というか威張り気質で、ちょっとでも下の人間にはすぐに態度デカく威張り散らし、常に横柄な態度だった。逆に、一方この職場のベテランの老人たちにはペコペコし、おべっかまで使った。その辺は妙に要領のいい人間だった。
彼は悠々自適なのんびりとした老後など、無理な人間だった。佐久間は威張れる場所が必要な人間だった。だから、その年齢で働く必要もないのに働いていた。
「いい加減覚えろ。お前は小学生か」
「・・・」
例え、他人に対してのものでも、怒鳴り声を聞くのは気持ちのいいものではない。博史はいい知れぬ精神的な負担と疲労を感じる。しかし、ここではパワハラは日常だった。
巨大な複合福祉施設の警備員。そんな人をやさしく助ける場所という存在とは裏腹に、ここでの労働条件は劣悪で最悪だった。会社は日本全国でナンバーワンの規模と言われる警備会社の系列会社だった。御年七十二歳という創始者の孫という人が社長をやっていた。結局世の中、家柄とコネだという流れを地で行くような会社だった。
地元ではかなりの規模の会社だったが、実情は労働法に反してることが普通に行われ、基本的なコンプライアンスすらがないような会社だった。そして、賃金は最低賃金。しかも、仕事で使う車をぶつけると自腹。無線機を壊しても自腹。とにかく労働条件は無茶苦茶だった。
七時間と十二時間の勤務があり、休憩は昼のみ。十二時間勤務だけ夕方に三十分あった。それ以外の休憩はなかった。この三十分の休憩も契約書では一時間となっていたが、実際に現場に来てみるとなぜか三十分に削られていた。肉体労働には必ずといっていいほどある午前と午後のちょっとした休憩もなかった。そして、昼休憩は、緊急対応と兼務していて、何かあったら出て行かなければならない。基本休憩ではなかった。しかも緊急出動は決して珍しくない。実質的に休憩はないのと一緒だった。
そして、現場管理もいい加減で、ほとんど現場任せ。この職場で勤続二十年以上というベテランのじいさんたちが、幅を利かせやりたい放題の勝手なルールや価値観で、現場が出来上がってしまっていた。
「・・・」
定着率は一割以下だった。十人雇って一人残るか残らないか・・。残った人間もみんな六十過ぎか七十過ぎ。全部で二十三人いる同僚の中で、四十代は博史ともう一人だけで、他も五十代が一人いるだけだった。しかも四十前半という博史が、この現場の最年少だった。
こんな労働環境に他に仕事が見つかる人間はみんなすぐに辞めていった。だから若い人間は一人も残らない。それが、この職場だった。
しかし、博史にはそんな仕事しか見つからなかったし、他に行く当てもなかった。だから、博史も理不尽な職場と思いつつ辞めることもできないでいた。ちゃんとした仕事に移れるなら、今すぐにでも移りたかった。
「お疲れ様です」
「おう、お疲れ」
今日もやっと終わった七時間勤務の仕事の喜びを感じる前に、そそくさと博史は帰り支度を始める。一刻でも早くこんな職場からはおさらばしたかった。今日は七時間勤務で早く帰ることができる。まだ夕方で外は明るかった。
事務所でかんたんに上着だけ着替えると、すぐに博史は事務所を出た。そして、私設の片隅の駐輪場の脇で、博史は辺りを見回し、隠していた自転車にまたがって、走り始める。会社や上司には、バスで通勤しているということにしていた。バス代を浮かし、博史はそれを少しでも給料に上乗せしていた。月数千円にしかならないそんな所得でも、博史には貴重なものだった。
博史の住む団地は職場から四キロほど離れた丘の上にあった。その団地したには急な上り坂が一キロあまり続く。しかし、バイクも車も買う余裕のない博史は、今日もバイト帰りの疲れた体で自転車をこぐ。もちろん電動自転車ではない。
「大変ねぇ」
すると、突然、そんな必死で急な上り坂を自転車で上る純をジロジロと無遠慮に見つめながら、その道の脇で井戸端会議をしていた二人のおばちゃんが、純のその背中にわざと聞こえるように言った。
「・・・」
純は振り返ることもせずに、そのままこぎ続けた。
バカにした感じだった。多分、嫌味なのだろう。そういう感じがあった。その坂の途中の団地の下に広がる住宅街の人間と、坂の上にある団地に住む人間との所得格差は、その住む場所で分かりやすくはっきりと別れていた。だから、住宅街に住む人間は団地に住む人間たちを暗黙ではあったが、どこか見下していた。
しかし、それにしても、なぜそんな嫌味をこの見も知らぬ人間に言うのだろうと、悔しさを感じながら博史は自転車をこぎ続けた。ただでさえ、職場で辛い思いを日々しているのさらになぜこんな仕打ちを受けねばならないのか、博史はやるせない気持ちでいっぱいになった。
「お前少し痩せたんじゃないの」
夕食時、母が心配そうに向かいのテーブルに座る博史を見る。
「うん・・、ちょっとね」
「大丈夫かい?」
「うん・・」
そう答えた博史だったが、正直最近は、体調もあまりよくなかった。特に天気の悪い日などは体が堪らなくだるく、ただ立っているだけでもしんどかった。過去に医者にも何度か行ったが原因は分からず、ストレスか精神的なものと言われてしまった。
腰の状態もかなり悪化していた。こちらも過去に医者にも何度も行ったが、どこに行っても原因は不明で、診断も適当なことを言われて痛み止めを出されるか、さして効き目もほとんどない電気療法を慰め程度にするのが落ちだった。整体や針療法など色々と試してみたいがそんなお金は今の博史にはなかった。
「無理せず安静にしてください」
医者には毎回そう言われた。博史自身も休んで、静養したかった。腰痛はすでに慢性化し、無理をするとすぐにぎっくり腰になり、動けなくなるということを繰り返していた。そして、それが最近では癖になってきてしまっていた。ぎっくり腰になり動けなくなれば休まざる負えず、職場にも迷惑をかけるし、日当で働いている博史には経済的にも辛かった。
「無理しないようにね」
「うん・・」
博史は年と共に、確実に働けない体になっていた。博史の体は、無理のきかない体になっていた。しかし、今さら、デスクワークなど経験もスキルも資格もなく、無理だった。辛くとも肉体労働をするしかなかった。
老いた母との貧しい借家暮らし、生活は厳しかった。母は、ずっとスーパーでのパートの仕事をしてきていたが、去年あたりから老齢と心臓の持病で働けなくなっていた。だから、辛くとも、二人の生活を支えるために博史はなんとしても働かなければならなかった。休みたくても、休む必要があっても、それをすることはできなかった。無理がきかなくとも無理をするしかなかった。
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