四話:あっちもこっちも、茨の道

 カミサマと話し込んだおかげか、心がとても軽い。

 かなりの時間を費やしていたみたいだ。民家の電気が徐々に消え始めた暗闇の町を、スキップでもしそうな勢いで歩く。

 家に帰れば案の定、もぬけの殻だった。ここ数日間、私以外に誰かが帰ってきた形跡は見られない。

 適当に買ってきたスーパーのお惣菜でお腹を満たし、明日の準備をする。所々にゴミが散乱する部屋は、どんなに綺麗にしたところであの人たちが荒らしていくので、早々に諦めてしまった。

 比較的綺麗な場所に丸まって目を閉じていれば、ドタドタと慌ただしい音が響く。ぼんやり眺めた、手元の時計は深夜二時を指していた。

 ……ああ、帰って来ちゃったんだ。

 ここは仮にもアパートの一角、近所迷惑だとか、そういうのを考えられないのかな。

 自分のことしか頭にないケダモノは、ゆっくり起き上がった私を見て、忌々しそうに視線を寄越した。


「まだしぶとく生きていたのか。ゴミと一緒に死んだかと思ったよ」


 暗くてよく見えないけれど、その顔はきっと醜悪なものを見つめる嫌悪へ染まっているのは間違いない。

 彼らが私を喜々として引き取ったのは、莫大なお金のため。

 年端もいかない幼子の面倒を見られるのか、と聞かれたら、目をそらしたくなるほどに周囲の評判は悪かったけれど、厄介者のレッテルを貼られた私だ。誰も口を挟まなかった。

 両親の遺産は既に手中へ収めた。そうなれば、私はとっくに用済みなんだって。

 証拠になると、あざになると後々面倒だからって、彼らは私に直接手出しはしなかった。 その代わりに行われた精神攻撃、育児放棄、汚部屋への放置。

 非常に残念ながら、行政なんて当てにならない。周囲に私を気遣ってくれる人がいないのだから、当たり前と言えば当たり前……か。

 私の中にもう一人分の記憶があるせいか、ある程度は持ちこたえられてていた。

 この謎を解明するまでは、モヤモヤを晴らすまでは死ねない、という使命感のおかげで。

 しかし、これが普通の子供ならば、耐えかねて衰弱死しているところであろう。

 ギシリ。肥大した欲望の権化が床を鳴らす。

 次いで聞こえた、耳障りな舌打ちと捨て台詞。


「赤い目の化け物、お前なんて消えてしまえ。はぁ……ここまでしてるのに、なかなかくたばらない。お前は本当に”化け物”なのかもしれないね」


 そうしてまた、乱暴な音を立てて夜の町へ。

 彼女は何をしに来たのだろう。パチンコで負けたから、八つ当たりをしに来たのか。それとも本当に家へ用があったのか。そして、私を見て諦めた……真意はわからない。

 男の方はここ数週間まともに顔を見ていなかった。それだけ帰ってきていない。なんでも、私のことを視界に入れることすら嫌らしい。

 ……言われなくたってわかってる。

 消えたいだなんて、それができてたら、とっくの昔にそうしてる。

 そんなこと紛れもない、私が一番よく理解している。

 でも私には、まだやるべきことが残っている。

 だからこそ早くあの気持ちの正体を、カミサマのことを、私自身のことを。一刻も早く解明しないといけないのだ。


「……会いたいな」


 何故だろう、無性にカミサマに会いたくなった。数時間前に顔を合わせたばかりなのに、もう顔を見たくてたまらない。

 まるで芸術品のように、美しい笑顔を向けてほしい。

 ……また、優しく頭を撫でてほしい。

 何日も洗濯されていない毛布の裾を掴む。ボロボロの布からは、少し嫌な臭いがした。

 ふわり、と頭を掠めていく触感は夕方のもの。

 どうしてか恋しくてたまらない、男性の顔を思い浮かべながら、私は再び眠りについた。


*******


『ご~めんねぇ? 本当はあたしが化け物のところへ嫁ぐ予定だったんだけれど、嫌だから代わってもらっちゃったあ。……そんな顔であたしを見るなよ。あんたが悪いんだよ? あんたが、私の好きな人を奪い取るからさぁ……!』

 

 今朝見た夢は、不愉快極まりないものであった。

 A子によく似たその女性は、私を馬鹿にしたようにケラケラ笑い見下した。彼女は、自分より背の高い男性に腕を絡め甘えている。

 彼女の隣に立つ男は、申し訳なさそうにこちらを見つめていた。

 ただでさえ、A子似の人間が夢に出てきたことで嫌な思いをしているのに、男性はあのB男に酷似していた。それが輪をかけて嫌になる。

 関連しているのか、はたまた偶然か。あの人、カミサマに出会ってから少しずつ夢の内容が変化している。

 それはまるで、私が私でない頃の記憶を追体験しているかのような感覚で――。


「神代さん?」

 

 声をかけられ、意識を現実に引き戻される。

 

「大丈夫かい?」


 心配そうにこちらをのぞき込んでくるのは、担任の先生。

 四十代の男性とは思えぬ若々しさを放つ彼は、誰にでも分け隔てなく親身に接する性格と整った顔のおかげか生徒からの人気は絶大であった。女子生徒の中には、密かに恋心を抱く者もいるという……。まぁ、既婚者なんだけれども。

 けれどその人気に反して、私はこの人があまり好きではなかった。


「大丈夫です。……何でもありません」

「そうか、ならいいんだけれど……」


 だから、できれば関わる時間は短めにしたい……しかし、それを許さないとばかりに声をかけては雑用を押しつけてくるのが、この男であった。

 今は教室に教材を運ぶのを手伝ってほしい、という名目で隣を歩いている。

 担当科目は理科。実験器具やら何やらを運ばされるのかと思いきや、教科書のたった数冊だった。私の力なんて必要ないと思うんだけれども……。

 ゆっくりとかぶりを振れば、彼はなんだか納得がいかないとでも言うように眉を下げ、頬をかく。


「君は笑っていた方が素敵だからね。それと、その目のことも。僕はすごく素敵だと思うよ。……すごく、ね」


 そして、蛇のように鋭い眼光を糸のように細め私をみやる。

 彼は唯一、私を化け物扱いしなかった先生だ。

 他の先生たちでさえ私を遠巻きに煙たがるのに、彼だけはたくさん話しかけ、そして接してくれた。

 この赤い目のことだって、今みたいに褒めてくれる。

 普通であれば、そのように扱ってくれることを嬉しく思うべきなのだろうけれど――。


「……ありがとうございます」


 私の返事は、苦笑いにも等しいものであった。

 ずいぶんと適当なことを言う人だ。内心呆れかえり、同時に鬱陶しいとさえ思う。

 こちらを値踏みするような、泥水のようにまとわりつく視線はどうにも居心地が悪い。

 けれどそれも気のせいだ、思い違いだ、と自分に言い聞かせ、先を急いだ。

 だって、この人は――。

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