二話:しつこい人たち

『クロ。……クロ。私ね、あなたが大好き。出会いは、最悪だったけれども……。でも私は、あなたと一緒でよかったと思ってる。あの男よりも、ね』

『分かっている、分かっている……。だから頼む、もうこれ以上喋らないでくれ。お前は、お前は……』

『……そうね。もう私たちは、一緒にいられない。叶うことならば、永遠にあなたの隣にいたかった』

『その方法を見つけてやると再三言っているだろう! だからもう少し、もう百年だけ生きてくれ。頼むから……』

『それはただの人間には、難しい話よ。だからねどうか、約束してほしいことがあるの――』


 泥船の底からゆっくり意識を引き上げて、目を覚ます。

 また、奇妙な夢を見た。

 一人称視点で進む夢の中、”私”は一人の女性である。”私”は見麗しい黒髪の男性と会話をしていた。和室のような場所で身体を横たえ、枯れ木のような細い手を握られながら。

 これは……別れの場面? それを惜しんでいるということは、二人はきっと幸せだったのかな。

 詳しい背景はわからない。なんなら”私”の名前もわからないのだから。

 幼い頃から繰り返し見ている物語。けれど、一つだけ。いつもとは違うところがあった。

 普段は見知らぬ男が自身に語りかけてくるのに対して、今日は他の女性と会話をしていた。

 そして、”クロ”呼ばれていた男。

 心なしか、彼は昨日の男性と酷似していた。

 

*******

 キャッキャと声を上げ登校する女子たちの後ろ姿を眺めながら、今朝の夢について考える。

 もしかして、あの女性が「もう一人の私」なのだろうか……? 時代背景も考えれば、なんとなく辻褄が合うような気もするけれど。


「おい、お前!」


 物思いにふけっていると、肩に手を置かれた上、偉そうに呼びかけられた。

 身体を跳ねさせ、振り返れば学ラン姿の男子が一人。黒髪を校則に則りきっちり整えた彼の顔に、すんでのところで不満を漏らしそうになる。

 馴れ馴れしいその手を反射的に振り払い、何も見なかったことにして歩き出そうとした。


「おま、なんで無視するんだよ!?」


 必要以上に喚くせいで、先を行く彼女たちが訝し気にこちらを振り返った。

 刺さるような視線が痛い、これ以上騒ぎ立てられるのは嫌だ。しぶしぶ口を開いて、相手にする。


「えっと、何か用……?」

「お前、まだ雉本たちにいじめられてるんだろ? なんで誰にも言わねぇんだよ」

「どうして?」

「どうして、だ? ……困っている奴がいたら心配するのは、当たり前のことだろ? 俺は学級委員長だからさ、何かあったら頼ってくれよ!」

「……そうなんだ」


 ……やっぱりか。

 まるで予想通り、聞くだけ無駄。毎回同じ代わり映えしない回答。

 この男はいつもそうだった。自分は学級委員だなんだと理由をつけ、私に絡んでくる。

 内容は決まってA子のこと。彼女にちょっかい出されていることを案じ、相談事があれば聞くと持ちかける。

 ただし、それが実行に移されたことは今までとして一度もない。

 それでもしつこくしてくるのは、点数稼ぎ? それとも本当に心配で? 彼はお世辞にも頭がいいとは言えないので、真意は読み取れない。

 ただその善意が心底煩わしいと感じるのは、紛れもない事実である。

 振り払ってもいいけれど、きっと忘れた頃にまた絡んでくるんだろうな。

 どうせ助けてくれやしないくせに。


「じゃあ、その時はよろしくね」


 抑揚のない声で口にすれば、彼は笑った。

 昨日の男性に比べたら幼稚であどけなく、年相応の拙い笑顔。

 文学的に表すならば、”太陽のように眩しい笑み”とでも称するのだけれども――、私にとっては暑苦しいという他なかった。


-------

 あれから、私は速度を落として通学路を歩いた。

 件の彼は体調が悪いのか、と心配そうにこちらを見ていたけれど、遅刻したら悪いと言えばさっさと先を行ってしまう。

 何かあったら頼れ、とはなんだったのかと思えるほどに、速く消えた背中。

 しつこくて鬱陶しかったから、離れてくれたのはありがたいのだけれども……。

 私の不運はまだまだ続く。昇降口を出て自分の教室を目指していれば、担任の先生に呼び止められてしまった。

 頼まれた内容は、教材を職員室に運ぶまでのお手伝い。

 私は今朝の学級委員と同じくらい、この人が苦手だった。

 けれど悲しいかな、断ることの出来ない私は、渋々ながらもそれを引き受ける。

 道中、交わされる他愛ない会話だって、今すぐ耳を塞いで逃げ出してしまいたいほどには苦痛でしかない。

 そして――。

 

「あんまり調子に乗ってんじゃねえぞ」


 クラスに足を踏み入れたばかりの私を出迎えたのは、バケツいっぱいに注がれた冷水。

 真正面から浴びた私は、来て間もないというのに早速制服を汚されてしまう。


「少し優しくされたからって、ねー」

「ほんとほんと」


 優しくされた? 一体誰に、何を?

 ここに来るまでの行動を思い返してみても、まるで思い当たる節がない。

 学級委員にお節介を押しつけられ、学校に着けば昇降口で担任の先生と遭遇。そしてやはり押しつけられた雑用。

 きっと彼女は、私がB男と接触したことが許せないのだろう。たった少し、言葉を交わしただけだというのに。

 その間クラスメイトは無反応だ。なんとなく、雰囲気が悪いとは感じ取っていながらも何もしない。それぞれの会話に興じ、読書をし、終わってない課題とにらめっこをする。

 ほら私、今まさにA子にいじめられていますよ。

 試しに、朝声をかけてきた彼に視線を送ってみた。

 男は机に手をつき立ち上がって見せるも、思いとどまったのか再び着席する。それまでしっかりこちらを見据えていた双眸は、気まずそうに逸らされた。

 そこから先、目線が絡み合うことは一度としてない。

 ほら、やっぱりね。

 やれもしないことを、口にしないでよ。

 失望なんてしないよ。だって初めから、期待もしていなかったから。

 それから私は、A子たちによる暴言を静かに聞き流していた。

 担任の先生がホームルームに訪れるまで続いた時間を、さも効いてないふりしてやり過ごしていたけれど……胸の底は、チリチリと焼き焦げそうな気さえした。

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