ラスト・ヴァルキリー 23話①
真っ暗な闇の中に、押し寄せる波頭が埠頭に衝突し砕ける音が規則的に響く。天上にはウサギがゆっくりと跳ね、星の向こう側へ隠れた陽光を僅かな施しとばかりに跳ね返し差し込ませているが、光を食むに貪欲な天幕の前には焼け石に水といったところか。
多くの船によって日々運び込まれる荷物で、夜間でも昼間とは変わらない活気を持っているそこは、しかし積み上げられたコンテナが夜の静けさの中で眠る怪物の群れを思わせ、太陽の明るさがある時とは違うどこか不気味な威圧感を感じさせた。
そんな、人の営みの中で生まれながら人の接近を忌避するような場所を一望できる所に、都市の化石を思わせる古びた一つの廃ショッピングモールが佇んでいた。ここは近隣ではそこそこに有名な心霊スポットで、かつてここで焼身自殺した社長の幽霊が出るのだとか、会社を恨んで飛び降り自殺をした女が今も自殺を繰り返しているのだとか、そういったお決まりの怪談がくっ付いていた。
ただ、そういった逸話を補強しているのは、ここが廃墟となってそれなりに時間が経っているのにも関わらず、一向に買い手が付く気配がないということだった。建物は兎も角、土地自体は決して悪くない立地なため、普通ならばどこかの企業なりが買い取って新しく建物を建てるとかしていても良さそうなものなのだが、そのような動きは現在に至るまで見られなかった。
故に、その不可思議さは何時しか、幽霊が化けて出るがために不気味がって買い手が付かないのだという噂へと変化して、それが様々な怪談の種になってしまっていたのだった。
その、噂の廃墟が生み出す光当たらぬ影の中を、幾つかの黒い人影が蠢いていた。ついに本当に幽霊が現れたのかと思われたそれは、よくよく見てみれば黒ずくめで身を固めた人の集団だった。ヘルメットとバラクラバで徹底して顔は隠され、それ以外についても肌の色が現れる場所は殆ど存在しない。その、偏執的なまでに姿を闇に溶け込ませようとする有様は、彼らか彼女らが真面な集団ではない事を示唆していた。
やがて、影の群れは廃ショッピングモールの従業員用入り口へと到達し、先頭に立っていた人物が壁を背にしながらおずおずと後ろ手にドアの取っ手を捻った。鍵は、掛かっていないようだ。それを確認するなり、音を出来るだけ立てないよう注意してゆっくりと開いてゆく。それでも、キイと油の切れた金属同士が擦れ合う音が静謐で散らかった屋内の中に響いた。
ドアが何事も無く開き、何事も起こらなかったのを見届けた先頭の影は、そのまま埃の舞う闇の中へと入ってゆく。そして、後続の影達もまた、それに追随してゆく。黒い風が音も無く翔け、闇の中に5つ目を持った影法師達が蠢く。
「………見張りは、少なくともこの周囲にはいないようですわね」
そうどこか気品を感じさせる女性の声でひっそりと喋ったのは、先程まで先頭に立っていた人物。彼女こそは、白い牙の中でも一際硬く鋭い、部隊最強の名を欲しいがままにする魔人。皇国の精鋭特殊部隊ホワイトファング第一部隊隊長マヤ・ミネだ。
彼女達ホワイトファングは、今まさに作戦の時を迎えていた。この廃ビルは、オオヒラにおけるレジスタンスの拠点、その中でも大規模でかつ重要な情報がある可能性が高いとして諜報部から挙げられて来た場所だったのだ。
「ええ。それに、静かです。情報通り、構造物は本命ではない………」
「やはり地下、ですか………」
そして、牙を隠した雌狼達の中に1人、異質な存在が混じる。本来ならば女性しかいない魔人部隊であるホワイトファングの中にはあるまじき存在。男性の声が聞こえてくる。と言っても、彼女達との同行を許されている以上は、彼も尋常の人間ではない。
彼は、この世界で確認されている限りただ1人の男性魔人。そして、この世界で恐らくはただ1人の傭兵ヴァルキリー。人材派遣会社包丁の社員、アオ・カザマだ。現在は、ヨンゴク占領政府からの正式な依頼を受けてホワイトファング達と作戦を共にしていた。
「誰も居ないのは幸いでしたね」
「とはいえ、既に勘付かれている可能性はゼロではありませんわ。急ぎましょう」
既にこの建物に関する構造の情報を得ていた彼女達は、地下への入り口として目星を付けていた場所へと足早に、そして密やかに走り抜けてゆく。
この建物は本来、地階を娯楽エリアとして作る予定で建設されたのだが、想定外の予算超過から地下は空間がつくられたのみで封印放棄され、以降は存在自体を忘れ去られていたという経緯がある。そんなものを見つけ出してアジトとしたレジスタンスも、それを探り当てた諜報部も流石と言わざるを得ないが、実働担当たる彼女達には今は関係のない話だ。
そして、やがて7人はその場所の手前へとたどり着いた。従業員用スペースに申し訳なさそうに設けられた非常階段に。
地下への入り口は見える場所は封印されていたが、裏方に設けられた非常階段だけは避難空間として使うことを想定してそのまま残されていたのだ。出入りをしているのならそこだろうと想定されていたのだが………。
「………どうやら、当たりのようですわね」
そう言えるのは、そこに先程まで建物の中を駆けずり回っても感じられなかった人の気配があったからだ。恐らくは降りた先に見張りがいるのだろう。制圧する事は容易いが、出来れば気付かれないように倒したい彼女達にとっては面倒な存在であった。
だが、ここで手をこまねいて時間を浪費する訳にもいかない。リスクは承知で行くより他に無い。
「キョウスイ、私と」
「………了解」
指名されたキョウスイ・ミツミは、音の操作を得意とする隊員だ。魔人として特筆する程の魔力量はないものの、その操作精度は非常に高い。それこそ、聞いた音をリアルタイムで逆位相の波で打ち消す事も可能な程に。そして、彼女は隊長が自分を指名するとはつまりそういう事だと理解していた。
2人分の影が一気に飛び出し、黒い流星となって階段を落っこちるよりも早い勢いで一息に降ってゆく。その先に待つ敵を討ち倒すために。だが、その際に出て然るべき物音は、まるでペシャンコにされたように著しく小さい。拮抗した綱引き勝負にも似た相殺は、見えず聞こえずとも確かな威力を発揮していた。
それから少しして、再び2人の姿が階段から見えてくる。それは、上手くいったという事を知らせる合図だ。言葉は無い。夜の目を持つ彼女達にとって、この程度の知らせには必要無いものだからだ。
その合図を皮切りに、残った隊員達も後を追って次々と階段を降りて行く。そして、その先に置かれていた、何が起こったのかも分からないまま首を一閃されたのであろう3人分の遺体を乗り越えて、ホワイトファングは漸く地下空間へと辿り着いた。
「………各員へ。警戒を厳に」
元より緊張を緩めてなどはいなかったが、いや増してそれが強まってゆく。情報を消させない為にも発見されないのに越したことはないが、ここから先は敵の空間だ。不意の接敵はいつどんな時でもあり得る。その危機感を胸に、気配を殺して前進を続ける。
恐らく元は上と同様に従業員用スペースとして作られていたのだろうそこには、見張り以外の人員は配置されていないようだった。つまり、敵の殆どはその外にいるという事だ。それを証明するように、扉の向こう側から何やら話し声らしきものが聞こえてくる。それは段々と近づいて来ているようで、その事を察した皆々は速やかに扉の側の壁に身を預けた。
「………こんなに暗いと眠くなるなぁ」
「仕方ないでしょ。ここじゃ電気は無駄遣い出来ないんだから」
「だからって照明まで無駄扱いしなくても………」
どうやら、巡回しているレジスタンスの兵隊達のようだ。ここに近付いているのは、見張りに何か異常が起きていないかを確かめる為だろうか。死体を確認されれば面倒なことになるだろうが、同時にこの状況は食虫植物の罠に迷い込んだ羽虫のようなものでもある。顎を開いて影法師達は待ち構える。
「しかし、見回りの次が見張りって、シフト可笑しくないか?」
「文句言わない。それに、それ終わったら休憩でしょ?もう少しの辛抱だから」
「はいはい、っと………」
ガチャリと扉が開かれ、3人の女性が中へと入ってくるのが見えた。幸いにして、彼女達には不幸な事に、懐中電灯を前にしか向けていないせいもあって、すぐ横に隠れているホワイトファング達には気付くことは無かった。
「うおーい、そろそろ交代の時間だぞ」
「寝床は空いてますから、仮眠も取れます、よ……?」
彼女達が気付いた違和感。それは、返答が返って来ない事ではなかった。それは、嗅ぎ慣れない匂い。鉄臭くて生臭いような、そんな不快でどこか危機感を煽るような赤色の匂いだった。その出所を探るように、懐中電灯の光をあっちにこっちにと振り回す。
「なんだ、これ………」
「分かんないけど、何だか変………」
咄嗟に手を鼻を押さえるように持って行ったのは、彼女達の危機意識の現れか。そして、懐中電灯の光筋の一つが、非常階段の方を照らそうとしたその時だった。
「な…………ガッ!」
「何………がっ!?」
「んむぅぅ………!?ぐっ………」
背後からの突然の衝撃により2人の意識は数時間ほど絶たれ、そして残った1人は口元を抑えられたかと思えば、ベキリと嫌な音を立てて首を捻られて沈黙した。
「………脅威を無力化」
「此方も無力化完了」
「結構。このまま前進しますわ」
慣れた手つきでバンドによって気絶させた2人の手足を拘束し、口に服を割いて作った即席の猿轡を嵌めるアオ。その手際の良さに、ヒオウは聞かされていた通りの拘りねとある種の感心を覚えていた。
今度は内側から開けられる扉。外から見れば、先ほど入っていった3人組が、土に潜って羽化する蝿さながらに姿が変わって出てきたようにも見えただろう。実態としてはむしろインベーダーの類なのであるが。
扉を開けた先には、何処となくオオヒラ基地地下を思わせるようなコンクリートが剥き出しになった広く暗い空間が広がっていた。その中に立ち並ぶ壁のようなものは、恐らくは後から付け足した間仕切りだろう。何にせよ、彼女達の身を隠すには心許ない空間であったのは確かだ。それでも、黒ずくめの白い牙達は歩みを止めることはない。
間仕切りの向こう側からは何かの話し声や何やら娯楽をやっているような声などが聞こえてきていて、屋内はドヤ街のそれをトーンを3〜4段階は落としたような喧騒に包まれていた。そして、同時にそれらは侵入しているホワイトファングの足音を掻き消すのに一役買っていた。
ふと、隊長の左腕がLの字型に掲げられた。それは、停止のサインだ。
「………近くにいます」
どうやら、さっき始末したのとは別の巡回が来ていたようだった。指示を受け、進行ルートになると思しき通路からの視界を遮れそうな間仕切りに背中を預ける形で身を低く取った。可能ならばやり過ごそうという算段だろう。
やがて、話し声と足音が徐々に近付いて来るのが聞こえた。
「あー、トイレ行きたいな」
「もう少し我慢しろ。これが終われば小休憩だ」
「しかし、いい加減携帯トイレじゃなくて普通のトイレが恋しい……」
どうやら生活環境は良くなさそうだな、とアオが頭の中で評している内にも、段々とその通路の明るさは増していっていた。
「それを言うなら、風呂だってまともに入りたいよ………もう濡れたタオルで身体を擦るだけの生活はうんざりだし」
「仕方ないだろ。持ち込める物資には限りがあるんだから」
「そりゃ分かってるけどさ………いいよな、中央にいる奴らは」
「まあ真ん中のは大事な人間だっていうのは分かるんだけどね……」
そんな会話をしているすぐ側に死神が隠れているなどとは思いもしない見回り達は、その事に気が付く事はなく、やがて通路の奥へと消えていった。
「………聞いていましたね?中央を目指しますわよ」
了解、との密やかな了承が耳の中から隊長の鼓膜を揺らす。場合によっては最悪大立ち回りをしてでも情報を確保するつもりでいたが、図らずも相手の側が教えてくれたとあって、何処かほっとしたという空気を感じた。
この建物の間取りは、地下も含めて皆頭に叩き込んでいる。故に、中央というのが概ねどの辺りなのかは察しがついていた。先程巡回が通ったであろう通路を辿って、目星を付けた場所へと地点へと足早に向かっていった。ルートが重複していなかった為か、幸いにも他の巡回に接触することはなく、十分も経たない内にホワイトファングの面々はそれらしき場所へと到達することが出来た。
そこは壁を背にしていた他とは異なり、開けた空間の中央に鎮座していた。四方を間仕切りで囲まれた正立方体型をし、内側から光が漏れ出ているそれはまるで行燈のようで、誰の目にも他とは異質だと理解できた。
「あれ、ですか……」
「恐らくは。重要情報はあそこに集積されている可能性が高い。ですが………」
そこが異質だと。もっと言えば特別な場所だと察せる理由はもう一つあった。それは、警備要員が隅に1人ずつ配置されているという事だった。それも、皆近接武器を持っている事からして恐らくは………。
「魔人とは、厄介な………」
「ですが、どうあれ相手取る必要のある相手です。皆様、影に隠れるのはお仕舞いですわよ。覚悟を決めてくださいまし。フラッシュバン用意!」
ピリリと空気が張り詰める。これから寝ぼけなまこの熊を殴り倒そうというのだ。初弾は、急所でなければならない。しくじれば作戦の失敗にも繋がりうるとなれば、それまでとはまた別種の緊張が走る。
とはいえ、回避出来ない戦いであるのならば、覚悟もまた決まる。ベストに取り付けられた円筒形の物体、閃光手榴弾を各々が握り込み、指示された場所へといつでも投げ込める準備を整える。
「では、合図と共に投擲します。3…2…1…」
カウントダウンが進む毎に、各々の握りが強くなり、ギリリと軋む音が僅かに響く。それが聞こえたのか、ふと警備の1人が彼女達の隠れている方を向いた。だが、その時には全てが手遅れだった。
「投擲!」
そして、それを合図として、開戦の狼煙が閃光と共に上げられた。
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