ラスト・ヴァルキリー 22話
「ふうん。そんなに強かったのね、かのポン刀隊長は」
「うん。あんなのはエマさん以来だと思うよ」
オオヒラ基地に設けられたホワイトファング用の地下施設。その中にある、包丁の2人用に当てがわれた、他の地下空間同様に何処となく圧迫感のある空き部屋には今、疲労困憊となったアオと呆れ半分興味半分といった様子のリンの姿があった。
「どう?エマさんとどっちが強いの?」
「………まだエマさんかな。でも、かなり肉薄してたと思う」
アオはベッドにうつ伏せになりながら主にリンの言葉に対して返答を返し、リンは別のベッドに腰掛けながらそんなアオを肘をついて眺めつつ、枕を投げるような気軽さで質問を投げていた。
「そんなのがヴァルキリーじゃないなんて……皇国って窮屈よね、やっぱり」
「まあ、悪い事ばかりでもないと思うけどね。帝国でも皇国でもヴァルキリーは大体エラーいけど、押し並べて縛りも増えるものだし」
「………そうね。そんな人と一歩間違えれば再起不能にしかねないような戦いをした人がここにいるらしいみたいだけど?」
「うぐっ……でも、それが手っ取り早かったし………」
2人の話の中心は、やはりと言うべきかアオが最後に相手した人物。ホワイトファング最強の魔人、マヤ・ミネであった。如何に彼女が手強かったか。彼女のパーソナリティが如何なる物であったのか。彼女は果たして如何にしてホワイトファング隊に行き着いたのか。そして、そんな人間と殺し合いギリギリの激闘と死闘を繰り広げたアオが如何におバカなのかという事も。
「あのねぇ………そりゃあ侮られないって大事だけど、物事には限度ってのがあるのよ。作戦が近日なのに魔力も体力も使い果たしてヘトヘトになるなんて、そういうのは向こう見ずって言うのよ」
「先の事を考えず買い物をするリンには言われたくないよ………」
「シャラップ!!!」
話の腰を折るなと頭にチョップを食らい涙目になるアオ。頭を抑えて呻る姿は哀れだが、完全に自業自得なので事情を知れば今一同情し難いと感じることだろう。
「詭弁は聞き飽きたのよ。今はアオの話をしているの。オッケー?」
「お、おっけー……」
「宜しい。それに、鉈剣も折っちゃったでしょうが。作戦の得物どうするのよ」
アオが愛用していた鉈剣は、彼の蛮用に耐えられる特注の一品物であるが為に予備が無い。今から再製造してもらうとしても相当に時間がかかるだろう。作戦にはどう足掻いても間に合わない。
なお、それで頭を抱えているのはミネ隊長も同じだったりする。
「まあ、それはホワイトファングのマチェットを借りるしかないかな……ああ、コウボウに怒られる………」
「私からも言っておくからたっぷり絞られて来なさい。無茶の絶えないアオにはいい薬よ」
「ぐぐぅっ………リンの鬼……悪魔………妖怪金食い虫……」
「ふん、なんとでも言いなさ………何ですってぇ!?」
大抵の罵倒は聞き流すリンも流石に最後の一言は聞き逃せなかったようで、うつ伏せになるアオの上に馬乗りになるなり、こめかみの辺りに拳を当ててグリグリと圧迫し始めた。耐え難い独特の痛みから、アオから悲鳴が上がる。
「い、いだいいだいいだい!取れる疲れも取れないってば!」
「余計な事言う方が悪いんでしょーがッ!誰が金食い虫よ誰が!」
「そんなのリンしかいな……あいだだだだ!!」
その通りで反論出来ないからか、余計に力を込めてアオの頭を痛め付けるリン。このままだと目玉が圧力で飛び出てきそうな勢いだ。
そうして、取っ組み合うと言うには一方的な戦局が続く。傷付き弱った虎は駄犬でも仕留められると言うが、今のこれはそれに近い状況と言えよう。そして、いいようにやられている彼を救う者もここにはいない。その後も、たっぷりとその身に筋力謹製の頭痛を叩き込まれたのであった。
そして、漸く解放された時には、唯でさえ身動きが労苦であったアオは半死人のような有様へと成り果てていた。
「あ゛、あ゛ぁぁ………」
「ざまあみなさい」
そんな光景を作り出したリンはといえば、清々したといった様子でべっと舌を出していた。金食い虫呼ばわりだけでなく、何度言っても無理無茶を重なるアオが余程腹に据えかねていたようだ。
「………ま、暫くはそうして大人しく寝てなさいよ。明日は筋肉痛かもだけど、気力も身体も治すのは早い方がいいでしょ?」
「りょ、了解です………」
承服の返事を返すと同時に、遂にアオは力尽きてパタリと夢の中へ旅立って行った。余程疲れていたのだろう。泥人形のように溶けて呼吸以外に動く気配というものを見せない。そんな彼の様子に、リンは大きなため息を一つ。
「………ホントに、心配掛けさせないでよね。アオも包丁も、私の大事な居場所なんだから」
実の所を言うと、リンはアオを決闘に送り出した時には特に心配をしていなかった。アオの強さを知っているからこそ、ホワイトファングが相手だろうとアオは負けないという確信を持っていたからだった。
だが、その中でも別格のマヤ・ミネ隊長と本気で死合ったという知らせを聞いた時には、流石に血の気が引くのを抑えられなかった。如何にアオが冗談のように強いエマ直々の訓練を受けた身とはいえ、そんな彼と対等に戦える相手との決闘となれば、大事に至る可能性は決して低くないのだから。
故に、こういう時はリンは容赦しない。自分を散々心配させたバツとして、天日干しにも負けない位カラカラになるまで絞り上げるのだ。
「ふふ、可愛い寝顔。コハク殿下が入れ込むのもちょっと分かるかも」
そう言いながらツンツンとアオの頬を突いて遊ぶリン。突かれているアオの方はといえば、その刺激に何か変な夢を見ているのかうんうんと魘されていた。
そんな彼を観察して遊んでいる最中、ふとリンは扉の方を見やった。そして、暫くじっと見つめてから、誰かがそこにいると言わんばかりにそっと声をかけた。
「…………アオに用事があるなら出直して下さいね。今、寝てますから」
『…………貴女様も中々に出来ますわね』
ギイ、と軽く軋む音を立てて、部屋の戸が開けられる。その先に立っていたのは、リンの予想通りの人物だった。
「別にそういうのじゃありませんよ。何となく、貴女はここに来そうだと思っていただけです」
「あら、私がストーカーの親類と?心外ですわね」
そう言って部屋の中にずんずんと入ってくる彼女は、つい一時間ほど前にアオと熱く激しいダンスを演じていたマヤ・ミネだ。彼女も相当疲れている筈なのだが、それを押してこうして来られているのは流石と言うべきか。
「そうじゃなくて、何かアオに言うことがあって来たのでは?後ろの方々も」
「ぎくっ……」
「や、やっぱりバレてる………」
明けられたドアの向こう側。その陰から、慌てたような気不味いような声が聞こえてくる。それがアオに叩きのめされたホワイトファングの隊員達のものであろう事は、リンにも容易に想像が付いた。
躊躇うような少しの沈黙。その後に、ゾロゾロと電車のように連なってやって来たのは、やはりと言うべきか見覚えのある顔触れ。違いがあるとすれば、険しげだった初対面とは違い、どことなくしおらしさを感じる顔になっていることだろうか。
「………その様子だと、随分手酷くやられたみたいですね、アオに」
「ええ、戦ったのはお2人だけですが。他はそれを見て折れてしまったようで」
「ぐふっ……!」
「……反論できない……」
その反応と、顎と腹にそれぞれとっさに手をやった仕草からして、誰がアオと戦って誰が戦わなかったのかはリンにも概ね想像が付いた。
「成る程………ミツミさんは兎も角、あれだけ大きな口を叩いてたフジワラさんとコチョウさんが折れるとは、意外ですね」
「くっ……!」
「がはあっ!!」
「吐血ッ!?」
誰の目にも分かる程のあからさまな煽り。だが、それに対してシャガは悔しそうに俯くしか出来ない。ヒオウに至っては、羞恥のあまりに血を吐いてしまっていた。
「まあまあその辺りで。元よりアオ様の狙いはそれでしょう?私としても、良い薬になったと考えておりますわ。増長は死に至る病故、治療には苦薬が必要ですので」
「それはどうも。ご用事はそのお礼ですか?」
「ふふっ、貴女様は察しが宜しいのですね。私はその通り。部下達は謝罪。ですが、今回は出直した方が良いようですわね」
そんな言葉と共にアオへと視線を向けるミネ隊長。すやすやと穏やかな顔で眠りにつく彼が何処となく微笑ましいのか、身を屈めて覗き込むように観察し始めた。
「………度の過ぎた悪戯はやめて下さいね。折角寝てるんですから」
「しませんわよ。コハク殿下のお気に入りとは噂で聞いておりましたが、こうして見ると、実力からなのかそうでないのかが分からなくなりますね」
「えっ、そうなんですか?」
初耳だと言わんばかりに思わずそう呟いたのはエリナ。彼女達もアオ・カザマという傭兵の事を知らない訳ではなかったが、自分の国の尊い血筋にして自分達の遥かな上司に当たるコハクと彼に関係があって、その上お気に入りだというのは、隊員達の皆にとっては寝耳に水の情報だった。
「………コハク殿下はお得意のクライアントの1人ですよ。やけにアオが気に入られているのは確かですが」
気に入られているどころか2人は爛れた肉体関係にあります。それとアオの事が本気で好きみたいです、などとは流石に口が裂けても言えないリンであった。たとえ、コハクの側はバレても構わないと思っている節があったとしても。
しかしながら、隊員達にとっては明かされた分の情報だけでも十分に過ぎる爆弾だった。自分達の行動を顧みると、端的に言えば殿下のお気に入り相手に対面早々侮辱的な態度を取った、という訳なのだ。その事実を飲み込むにつれて、彼女達の顔色は徐々に土気色に変じていった。
「………あの、隊長は私達の味方ですよね?」
皆を代表して縋るようにミネ隊長に質問をしたのはレイネ。こんな事がもしも殿下に知られてしまえば、自分たちはどうなるか分からないという恐怖が彼女達の中に巣食っていたのだ。だから、どうかこの事は内密にして下さいと隊長に懇願しているという訳だ。
そんな部下達に対して、隊長からの返答は残酷なものだった。
「あら、場合によっては敵にもなりますわよ?特に反省のない駄犬相手には」
残酷で美しい微笑みを浮かべながら、懇願をバッサリと切り捨てるミネ隊長。それに、益々隊員達の顔色が悪くなる。
「ちょ、ちょっと待って下さい!私達は反省しているからこうして謝りに………」
「自分の失言を揉み消して欲しいと私に懇願する事が反省ですか?それも、相手が殿下のご友人だったからという理由で?」
「う…………」
つまりは、ミネ隊長はこう言いたいのだ。そうやって自分事しか考えていないうちは反省したとは言えない、と。それに対して、隊員達は何も言い返せなかった。ぐさりと刺さるものがあったからだ。
そんな彼女達の様子に嘆息すると、ミネ隊長はリンの方へと向き直って、静かでしかしどこか気迫を感じさせる口調で言った。
「申し訳ありませんリン様。私にはどうやら他人を指導する才は無いようです。しかし、隊長の役を預かっている以上はそれでも果たすのが責任というもの。機を改めて参りますわ」
一聴しただけでは自責的な、その実皮肉のたっぷり籠ったその言葉に、隊員達の顔が苦酸っぱくなる。そんな彼女達に内心同情しつつも、しかし助ける事はしないリンなのであった。
「………ミネ隊長。私はこう見えて身内には厳しい方だと自負しています。馴れ馴れしいですが、貴女とは気が合いそうですね」
「………ふふっ、そうですわね。貴女のご期待に存分に応えて見せましょう。それでは失礼致します」
終わった。そんな絶望して乾き切った目となった部下達を見えないリードで引っ張るように引き連れて、ミネ隊長は扉から出て行った。それに追随して隊員達もトボトボと部屋を後にし、とうとう最後尾のシャガも出て行こうとした所で、彼女は何を思ったのか立ち止まってアオが寝ている方を振り返った。
じいっと、渦巻き過ぎていて底の見えない泡立った海面のような瞳でアオを見つめているシャガ。そんな彼女を、リンは何も言わずに観察していた。落ち込んで座り込む童をそっと見守るかのように。
「………………どうすれば………………」
見知らぬ土地で道に迷った挙句の弱音にも似た呟き。その言葉の続きは果たして、如何なるものだったのか。
「どうしたのですかシャガ?」
「……………何でもありません」
ついて来ないシャガを訝しく思ったミネ隊長からの呼びかけ。それにただの一言だけで答えて、漸くシャガは出て行った。心残りがあるような、振り切れないような、そんな感情を込めて。
パタンと閉じられる扉。それから暫くの間、リンはじっとしながらアオを見つめる事だけをしていた。何かを思い出すように。その間ずっと貝のように閉ざされたようやく口が開かれたのは、それから数分後のことだった。
「……………お姉ちゃんも、ああだったのかしらね」
見覚えのあるシャガの目に思いを馳せながら、リンはそう呟いた。懐かしむような、哀しむような、哀れむような、そんな声色で。
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