ラスト・ヴァルキリー 21話②
「そんな………!?」
「嘘………エリナに勝っちゃった……!」
信じられない。当初観客気分だった彼女達を最初に染め上げたのは、そういった色の感情だった。
エリナは一番手にこそなったが、決して隊の中で最弱という訳ではない。というか、シャガと隊長を除けば、それぞれの実力は拮抗していると言ってもいい。だからこそ、そんな彼女をアオ・カザマが大きな苦戦もなく敗北せしめたという事実は、彼女達にとっては深い衝撃となったのだ。
「………しかも、まだ余力があるよ。彼、相当強い……」
「そういうの言わないでよ……次私なのよ?あ゛〜こんなの受けなきゃ良かったー………」
「何よ今更。そっちだって乗ってたでしょ?あのグレイラインの挑発に」
「だから頭抱えてるんでしょ!?折角隊長のお仕置きを回避できたのに〜!」
ざわざわと草が風に揺れて擦れるような話し声が密やかに響く。ある者は純粋に驚愕し、ある者は感心し、またある者は気に食わないといった様子で、そしてある者は頭痛を起こしている。
そんな喧々とした空気の中、彼女達から動揺の味を感じて取ったミネ隊長は隊員達を挑発するように、或いは叱咤激励するようにお言葉を一つ発した。それはもう、にっこりとした笑顔で。
「あらあら……皆様お忘れかもしれませんが、これは五番勝負ですわよ。その先出が斃れたからといって、もう敗れた気持ちになっておられるのですか?」
「ぐっ………」
早い話が弱気になってどうする、という訳だが、先程まで一転して弱音を吐いていたレイネには特にグサリと来るものがあったようで、その顔をまるで特別苦い芋虫でも齧ったかのようなくしゃくしゃとしたものに変形させていた。
そんな彼女の、ちょっと心の準備が欲しいんだけど……という内心での願いを知ってか知らずしてか、ミネ隊長は気絶したエリナを安全圏まで運んで行くのと同時に、早く準備をしなさいとレイネを急かす。モタモタしていれば手刀が飛んでくるだろうことは容易に想像出来たので、レイネは肩を落としながらトボトボと位置に着く他なかった。
「…………大変だね?」
「貴方が挑発なんかするからですよッ!!」
遂にはこれから戦う相手から同情されてしまい、屈辱からかレイネは怒り出してしまった。
とはいえ、そもそも彼女達がアオに対して排他的な感情を向けていなければこうはならなかった筈なので、彼女の怒りは所謂逆ギレの類いではあるのだが、それはさておき。
散々に弱音を言っていたレイネではあるが、流石に戦さ場に立てば覚悟が決まるのか、マチェットを抜いて構えを取ると同時に、抜け落ちるようにその顔から情け無さが失せていった。代わって、腹の底から湧き上がってきた緊張と闘志が空になった容器に注がれて表情を染め上げてゆく。ここで勝利し、同僚にして友人たるエリナの仇を取るために。
それを見たアオも、表情の中から笑顔を消し去る。先程は上手くやれたとはいえ、戦いの世界に想定外や番狂せは付きものなのだから。まして、覚悟して戦いの場に立っている戦士が相手となれば尚更だろう。だからこそ、アオも油断なく迎え撃つ。勢いのまま白星を重ねる為に。
やがて、奥の方からエリナを運び終わったミネ隊長が戻って来た。コツコツと靴音を立てて早足で歩く様は、どことなく式典のような優美さと気品を感じさせた。
「どうやら、お互い既に位置に着いているようですわね?大変結構。聞き分けの良い部下を持てて果報者です」
それに対して、隊長がおっかないだけです、とは口が裂けても言えないレイネであったが、気を逸らしたのは一瞬。直ぐに目の前の敵へと意識を集中させる。
「では、これより、第二戦を始めます。用意………」
そんなレイネの様子に満足そうな笑みをより深めたミネ隊長は、先程の試合と同様に、その手を処刑前のギロチンの如く高らかに振り上げ………。
「初めッッ!!」
そして、遠くの方に立つ部下達までもが耳を塞ぎたくなるほどに、鋭く振り下ろした
******************
戦闘が始まると同時に最初に飛び出したのは、アオの方。一方のレイネはというと、それを待ち受ける側に立っていた。
彼女も何も、仲間との今夜の話の種にする為だけに、エリナの戦いを観戦していたわけではない。兵士として染みついた彼女の目は、アオ・カザマの戦いぶりをしっかりと観察し、そして分析していたのだ。そうして先程の戦闘から理解した事。それは、アオ・カザマは少なくとも一対一では後の先を取るタイプだという事だった。
初撃以外では自らから仕掛けず、基本的に相手の攻撃を受け止めてから隙を見出して反撃。その後形勢を覆させる暇を与えず攻め続ける。アオ・カザマの戦い方は、そういうものだった。
だからこそ、レイネは敢えて迎撃に回ることとした。本来ならばこうしたぶつかり合いは先手が有利なのであるが、彼女は相手の得意な戦い方に付き合うリスクを取らず、それを潰す事のできる戦い方。即ち、アオ・カザマが先程までやっていたものをそのまま真似た戦法を採用する事にしたのだ。
それを見て、アオの目線がより一層鋭くなる。狙いを看破したのかは分からない。だが、少なくとも何か考えを持っている事は見抜いていたのだろう。それまでの鷹が翼を振り下ろした時のような腕が軽く広げられたような形から、ぐいっと上体を強く捻り、得物を握る右腕が後ろに隠れるような姿勢へと変化した。
何か来る。それも大きいのが。そう直感して強く身構え、魔力変換を身体強化に回したレイネ。その予感と懸念は、果たして正しいものであった。
瞬間、先のエリナが見せたものを上回る爆音が響き渡った。それは一つの爆発によるものではなく、複数のそれが重なってのものだった。
アオの背中、鉈剣の背中、そして足裏。僅かな狂いも無くタイミングよく起爆したそれらは、アオと鉈剣の切先を影を置き去りにする程の速度へと導いた。
『―――剣牙猛虎地を砕く』
「ちょ………!!」
それを目撃したレイネの第六感と経験の双方が、大音響で警鐘を鳴らす。この攻撃は絶対に受け止め切れない、と。そう理解した彼女の行動は早かった。
聴く者の鼓膜を破かんばかりのけたたましい衝突音が、空間とその中にいる物体のあちこちへと突き刺さった。
その音の主。空中に浮き上がったレイネのマチェットと、アオの鉈剣が特大の火花を上げてぶつかり合う一点は、長くは存在していなかった。冗談のような勢いでレイネが後方へと吹き飛ばされて行ったことで。
「くっ……ああぁぁあぁぁああッッッ!!?」
見る見るうちに遠くにあった筈の壁が迫り、そしてレイネは落っこちるような勢いで背中から叩き付けられた。肺の空気が強制的に吐き出され、横隔膜が慌てたように呼吸を荒げる。だが、整えていられる時間は長くはない。
追撃が来る。その予感に従って、身体を転げさせるようにして今いる場所から退避するレイネ。その直後、先程まで彼女がいた場所に柱が突き刺さり、砕けたコンクリートが煙を上げた。
よくよく見れば、柱に見えたそれはアオ・カザマの伸ばされた脚だった。直撃地点は、レイネの胸があったあたり。なるほど容赦が無い。だが、何とか回避できたレイネにとってはチャンスだった。
「っおおっ!!」
魔力によってブーストされた運動エネルギーを身に纏い、レイネは未だ壁に脚が浅く刺さったままのアオ目掛けて飛び掛かった。こちらの刃が達するより早くは体勢を立て直さない筈だと。それは正しいだろう。普通のやり方で、ならばだったが。
次の瞬間、もう一つ爆発音が木霊した。それと同時に、先程まで壁に縫い付けられていた筈の脚がドアを勢いよく開けたように回転し、レイネの左半身を打ち据えた。
「あぐっ!」
再び吹き飛ばされ、受け身を取りながら転がるレイネ。何とか体勢を立て直したその時には、既に鉈剣の刃が生む煌めきが視界に入っていた。
レイネは咄嗟に構えたマチェットで、自分の肩の辺りに振り下ろされていた鉈剣を、痺れの残る腕に鞭打って何とか受け止めることに成功した。しかし、それでも士気は上向かない。自分の、アオ・カザマに対する見立てが間違っていた事に気が付いたからだ。
(………まさか、さっきは思い切り手加減されてたって事……!?)
エリナとの戦いの時とは打って変わって初手から猛攻を浴びせられている現状に、レイネはそう思わずにはいられなかった。恐らく、さっきのは自分達のレベルを測る為の様子見だったのだと。その上で、もっと本気を出しても構わないと判断して、自分の番でよりギアを上げて来たのだと。
そのように理解したレイネの顔が歪む。それは、彼女の本能がアオ・カザマを自分達よりも明確に格上だと、隊長と同類の化け物だと認識してしまった事を自覚したが故だった。
急速に弱気になる本能。それを振り払うように、レイネは力を込めて鍔迫り合いを演じているアオを押し返さんとする。それに対して、アオは逆にふっと力を緩めて敢えて大きく押される格好となった。
思わずつんのめるレイネ。その視界から、アオの姿が消える。どこに、と疑問を抱く暇もなく、右から気配と共に迫り来る小さく連続した爆発音に反応して、思わず頭をマチェットで護るような格好を取った。
その直後、衝撃が身体を揺らす。その大元は、頭でもそれを守るマチェットを握る右腕でもなく、自身の横腹だった。蹴られた、と自覚したのも束の間、彼女の身体が横向きにくの字に曲がり、三度吹き飛ばされてゆく。
少しの浮遊感の後、冷たい地面に激突する感覚。だが、腹越しに横隔膜に強烈な打撃を加えられたレイネは、今度は呼吸が整わず、受け身をまともに取ることも叶わない。ゴロゴロと転がりながら、ズキズキと痛む脇腹を思わず抑えてしまっていた。
回転する視界の中、途切れ途切れの天井の光景の中に、出来の悪いパラパラ漫画のようになってアオが上から飛びかかってくる姿が見える。それをどこか、他人事のように彼女は見ていた。
「―――がはあっ!!?」
腹を大型プレス機に潰されるような圧力が上からかけられたレイネの口から、唾液混じりの呻き声が漏れる。アオからの渾身の踏みつけがレイネの内臓を押し潰したのだ。もしもこれを食らったのが並の人間だったなら、最低でも内臓は破裂して腹に足跡が深々と付けられていたことだろう。
意識がチカチカと点滅し、まるで死ぬ間際の虫のような有様となったレイネの首に、何か細くて冷たいものが触れた。それがアオの鉈剣の刃先だと分かった時には、湧き上がっていた筈の悔しさすら諦観に押し流されていた。
「そこまで!勝者、アオ・カザマ!!」
******************
「何……あれ……?」
一戦終えたアオ・カザマがふうと溜め息を吐いて気を弛緩させていた一方、観戦していたホワイトファング隊員達は、まるで通夜のような空気となっていた。
正直なところ、エリナよりもレイネはもっと上手くやれると彼女達は考えていた。エリナがあっさりとやられたのは初見だったからだ。観察していたレイネなら悪くても善戦、良ければ勝ちも不可能ではないと。それは侮りではなく、仲間への信頼からの真剣な評価だったのだ。
だが、それは裏切られた。ミネ隊長相手でしか見たことが無い、あまりにも一方的な負け方。そして、それは何もレイネが不甲斐無いからではなく、アオ・カザマという魔人が強すぎたことによるものだと、彼女達は理解してしまっていた。最早アオを侮る者など誰一人としておらず、代わってその穴を埋めていたのは、畏怖の感情だった。次は誰かが相手をしなければならないという事に対して、仲間の仇撃ちの士気は湧き上がることはなく、むしろ絶望だけがあった。
「…………位置に付かないんですか?」
そんな彼女達の様子を知ってか知らずしてか、アオからの挑発するかのような問い掛けが静かな訓練場に響く。ぼそりと呟かれたものにも関わらずやけに遠くまで届いたそれに、普段なら誰かは意気揚々と、或いは憤慨と共に乗っていただろう。だが、今この場に限っては、誰も乗ろうとはしなかった。それは、1つの共通認識が彼女達の間に生まれていた証だった。
『彼には自分達では勝てない』と。
「っ………!」
屈辱に唇を噛んだのは、シャガ・コチョウだった。
彼女はコチョウ家における当代のロスヴァイセの担い手として、英才教育を施されて来た身だ。そして、ヴァルキリーもホワイトファングも、そこに行き着くまでの道のりは決して平坦なではなく、血を吐くような努力を積み重ねた末のものだ。だからこそ、自分は特別な存在だという自負が彼女にはあった。ミネ隊長という化け物に叩きのめされるまでは。
そして、シャガは今、その時と同じ悔しさを味わっていた。
エリナもレイネも、シャガからすれば格下の相手だ。ただ負けたというだけならば、こうも揺らがされる事は無かっただろう。だが、その負け方が問題だった。もしも、あの男の立ち位置が自分だったらどうだったか?そう考えた時、彼女の脳は一つの残酷な結論を弾き出したのだ。あんな勝ち方は出来ない。ああも圧倒的にはなれない。つまりは、アオ・カザマは自分よりも格上だと。
自らでは彼には敵わない。その冷徹な自己分析がシャガを苛む。そして、食ってかかる事すら出来ていないという現実が、益々それを助長していた。
「…………アオ・カザマ様、お恥ずかしながら、どうやら部下達は戦意を喪失してしまったようですわ」
そんな彼女達の姿からミネ隊長はその内心を察したようで、如何にも申し訳なさそうといった様子でアオに再度頭を下げていた。尤も、アオが最初からこのつもりで喧嘩を売ったことは理解しているので、言葉程には申し訳なく思っていなかったのだが。
「…………分かりました。では、今回はここで終わりにしましょうか?作戦のこともありますから……」
アオは容赦なく殴り倒しているが、予定では作戦開始は3日後である。作戦に支障が出てはことなので、戦う気が無くなったのならばここでやめにするというのも確かに選択肢だろう。それならばもっと加減しても良かったようにも思えるが。
だが、ミネ隊長が考えていることは、むしろアオとは真逆であった。ぐつぐつと煮立つ戦意が彼女の中に先程から渦巻いていたのだから。
「いいえ、ここは怠け者の部下に代わって、私がお相手したく存じます。貴方のダンスに見惚れてしまいましたので。お手を取って頂けますか?」
ざわ、と俄かに騒がしくなる。ミネ隊長は第一部隊だけに留まらず、誰もが認めるホワイトファング最強の戦士だ。そして、先程のアオの実力を見れば、それが普段のような可愛がりのつもりなどではないことは明らかだった。
つまり、ミネ隊長はこう言っているのだ。お前と本気で死合いたい、と。
どうなる!?隊長が負けるとは思えない、けど………。
大変なことになる!!
それは、誰もが一斉に共有した直感的結論だった。ミネ隊長がすでにその気になって位置に着く中、隊員達の間に緊迫が走る。少しばかりの、隊員たちにとっては何時間にも思える沈黙の後……。
「………分かりました。お受けいたします」
アオはそう、返答を返した。
「ふふっ、貴方ならそう言って下さると思っていましたわ。ヒオウ、私に代わって審判を」
「え、は、はい……!」
代理審判も迅速に立てたミネ隊長は、その腰に通した刀に手を掛けながら腰をゆっくりと下げる姿勢を取る。それが抜刀術の構えだと、アオは一目で看破していた。
内心では膨れ上がる戦意と殺気に震えながらも、それを押し殺してヒオウは両者の間に立ち、指名された審判としての役割を全うしようとする。
「………それでは、アオ・カザマとマヤ・ミネによる最終戦を開始します。用意………」
すっとヒオウの左腕が挙げられる。それに伴い、両者の筋肉が痙攣を始める。込められた力が今直ぐにも暴れ狂わんと扉を滅茶苦茶に叩いている証だ。
そして少しの間の後に、遂にそれが解き放たれる時がやって来た。
「―――初めッ!!」
その瞬間、爆発が起きた。
「逃げてッッ!!ヒオウ!!」
『―――剣牙猛虎地を砕く』
『―――電光石火 無影天上り』
周囲の一切を吹き飛ばさんばかりの衝突が、最後の戦いの火蓋を切った。
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