ラスト・ヴァルキリー 20話

 灰色と白。それが、この死んだような殺風景な空間において最も主張する色だ。いや、実際ここには生気というものがない。草木も虫も黴さえも、その気配を見せないここは、本当に死んでいると言っても過言ではないのかもしれない。

 だが、少なくとも今この瞬間はそれは当てはまりそうにない。何故ならば、今のこの空間には、血の通った色、人肌の色が新たに加わっていたからだ。それも、何人もの白っぽい色と、より濃い肌色が1人分だ。


 そして、その内の2人は、空間の中央に近い位置にて、向かい合うように対峙していた。その気迫はまるで、同じ極の磁石のように反発し合っていて、永遠に離れ合ったままであるかのような錯覚を覚えた。


 一体何をしようとしているのか?その答えは至極シンプル。


「では、両者位置に。審判は僭越ながら、このマヤ・ミネが務めさせて頂きますわ」


 彼は、彼女らは、闘争をしようとしているのだ。それも、児戯のようなおままごとめいたものではなく、どちらかが倒れ切るまでの真剣勝負。互いのプライドがかかった一つの戦なのだ。


「用意…………」


 静寂が耳に痛い中、審判を務めるミネ隊長の右腕がすっと挙げられる。猛獣に繋がれた鎖を、斧で断ち切ろうとしているかのように。

 実時間としてはほんの僅かなもの。しかし、この場にいる者達にとっては非常に非常に長く感じられる程に引き伸ばされた時間。その永遠の須臾の後、遂に持ち上げられた刃は振り下ろされた。


「………初めッッ!!」


 瞬間両者は、アオ・カザマとホワイトファング隊員の1人たる魔人は、お預けを解かれた獣のように互いへと飛びかかっていった。



 何故このような事になったのか。その訳を説明するには、今から十数分ほど前に遡る必要があった。



******************



「ようこそ、私達の城へ」


 そう言ってアオとリンが案内された場所。そこは、四方を灰色の壁で覆われた、どこか圧迫感のある無機質な施設だった。何も刑務所に2人を叩き込もうと言うのではない。ここは、オオヒラ基地の地下に存在するホワイトファングのセーフハウスであり、そして訓練施設も兼ねている場所だ。本来ならば秘匿されるべき場所だが、コハクから2人は信用できると伝えられていた為、ミネ隊長はこうしてここに招いていた。


「本来ならもっと丁重な歓待をしたい所ですが、精鋭と知られようとも、私達は本質的には日陰役。味気のないもてなししか出来ないことを許して下さいませ」


「………いえ、僕は市井の身ですので、それを気にかけられる程の者ではありません」


「恐れ入りますわ。ふふっ、謙虚ですわね、貴方様は」


 そう言って、ミネ隊長は柔らかな微笑みを一つ作る。その様は、とても特殊部隊の隊長などという荒事に就いているとは思えないもので。


「それでは、コハク殿下から聞いて下さっているようですが、改めまして自己紹介を。私はマヤ・ミネ。非才の身ですが、このホワイトファング第一部隊の隊長を務めさせて頂いております」


「これはどうもご丁寧に。ではこちらからも自己紹介を。私はラン。人材派遣会社包丁の代表取締役をさせて頂いています。そしてこちらが……」


「アオ・カザマです。包丁で社員としてヴァルキリーパイロットを務めさせて頂いております」


「お二方の活躍は私も聞き及んでおります。今回、任務を共にさせて頂けて光栄ですわ」


 社交辞令でなく本当に心からそう思っているのではないか。2人が一瞬そのように考えてしまう程、ミネ隊長の話ぶりは堂に入っていた。アオなどは何だかコハクさんより貴人らしいな、などとかなり失礼な事を考えていたが、それはさておき。


「こちらこそ。精鋭と名高いホワイトファング。お目にかかれて歓喜に堪えません」


「ふふ……だそうですわよ皆様?これから戦友となるお方に挨拶はなさらなくて宜しいので?」


 そう言ってぐるりと周りを、より正確には、周りにいる部下達を睥睨するように見回すミネ隊長。口調は先ほどと違わず穏やかだが、その背中からはどこか凄みにも似た威圧感が吹き出していた。それに気圧されてか、これまで沈黙を保ちながらも視線だけは色とりどりにアオとリンを向けていた彼女達は、隊長に倣うようにしておずおずと自己紹介を始めた。


「……エリナ・サイトウです。宜しく」


「レイネ・フジワラです」


「ヒオウ・ミツルギよ。何をしようと勝手だけど、せめて私達の汚点にならないようにして頂戴」


「………キョウスイ・ミツミ」


 自己紹介こそしたものの、まだ心を許していない……というか、お前を認めていないといった様子が、その声からはありありと感じられた。ヒオウなどに至っては、直接面と向かって言う始末だ。

 無論、だからといって2人が気を悪くする事はない。初めから受け入れられるとは毛頭思っていないし、これもまた慣れたものだからだ。


 とはいえ、隊長としてはそれは気に入らないものだったようで、ぎろりと鋭い眼光で部下達を睨み付けていた。特に、未だ挨拶をしていない最後の隊員に対しては。


「シャガ、どうかしました?口にうっかり糊でも付けてしまいましたか?」


 要するに早く挨拶しろと言っているのだが、それにシャガと呼ばれた彼女………この部隊のヴァルキリーたる魔人、シャガ・コチョウは応える様子を見せない。代わりに口を突いて出たのは、ミネ隊長への抗議の言葉だった。


「………隊長。今からでも私達だけに変える訳にはいかないんですか?グレイラインなど居なくとも、レジスタンスの一拠点程度はものの数ではありませんよ」


「口を慎みなさいシャガ。貴女はヴァルキリーではあっても不死身ではないのですよ。それに、戦力は多くて困るという事はありませんわ」


「でもグレイラインなんでしょう?だったらレジスタンスの仲間のようなものではないですか。何時後ろから撃って来るのか分からないような相手と仕事など無理………」


 その瞬間、けたたましい爆音が鳴り響いた。その、人の原初の恐怖を煽らずにはいられない音の出所は、室内に現れた一条の稲妻。産んだのは、ミネ隊長の指先だった。


「………シャガ。駄犬は必要ない。そう言った筈ですわよ?」


 暗にそれ以上言えば只では済まさないぞと警告するミネ隊長。その本気の怒気を前にしては、プライドの人一倍高いシャガも従わざるを得なかった。


「っ………シャガ・コチョウ。これでいいでしょう?」


 そう言って彼女は、拗ねたようにそっぽを向いてしまった。

 はあ、とミネ隊長の口からため息が漏れる。


「………重ね重ね申し訳ありません。これは私の教育不足が招いた事。深くお詫び申し上げますわ」


 そう言って隊長は深々と頭を下げた。それに、外での焼き増しのように頭を上げてくださいと返しつつも、アオはこのような排他的な上に体裁を保つ事すら出来ない人物と協業となる事に、早速不安を覚え始めていた。


 だが、だからといって尻込みする事はしない。そうなれば間違いなく侮られ、益々打ち解けるのは不可能になると分かっていたからだ。

 故に、アオはここで一つ、一計を案じる事にした。


「僕も、いきなり受け入れられるとは思っていませんよ。貴女方からすれば実力も未知数の馬の骨でしょうし、不安になるのも無理はないでしょう。それに………」


「………それに?」


「………慣れていますから。こういう事にも、その後掌を返されるのにも」


 その言葉に、ホワイトファングの隊員達は反応せずにはいられなかった。アオが言わんとする事はつまり、お前達は後々評価を覆さざるを得なくなるだろう、という一種の挑発めいたものだったからだ。そしてそれは、彼女達の自負と自尊心をいたく刺激した。


「………へえ、大きく出たじゃない。随分と自信があるのね」


「安く見られたものですね。私達がそう簡単に態度を翻すと?」


 食い付いた。挑発が上手く行ったことに、アオは心の中でほくそ笑んだ。隊員がプライドが高い者達ばかりなのは、アオも先ほどの自己紹介の様子で察していた。だから、少しばかり大きな口を叩けば反応するだろうと思っていたが、こうも食い付きがいいとは思わなかったようだった。


「今までがそうでしたからね。だから、多分今回もそうなりますよ」


「………ふうん、じゃあ見せて下さいよ。戦場でなんて言わず、今すぐに」


 益々心の中の口角が上がるのを、アオは感じて取っていた。それは、信頼を勝ち取る上で、一番効率的なやり方に向こうの方から近付けてくれたからだった。即ち、この場で実力を示すという、最も手っ取り早い方法を。


 そして、普段ならば部下達を一喝して静めているだろうミネ隊長も、アオの意図を汲んでか、その挑発に便乗する事にしたようだった。


「あらエリナ。貴女こそ大きく出ましたのね。かの有名な方舟のヴァルキリーに勝てる、だなどと」


「勝てと言われれば勝ちに行きますよ。相手が誰であれ」


「………ふふふ、私にも未だ勝てていないというのに、随分な大言壮語ですわね?私が少し見ていないうちにいたく増長なさっているようで」


 無論、ミネ隊長も決して部下達の力量を軽くは見ていない。むしろ、強く信頼していると言っていい。部下達は並大抵の相手には負けない。そういう確信を持っていた。

 だが同時に彼女は、その実力が眼前のヴァルキリー相手にも通ずるのか興味があった。彼は、アオ・カザマは決してパイロット一辺倒の兵士ではない事を、ミネ隊長は知っていたからだ。

 故に、彼女は此方からも挑発する事とした。恐らくはアオ・カザマが望んでいるであろう行為へと、自然に持ち込むために。


「そりゃあ隊長には勝ててませんけども、それは隊長が強すぎるだけで、それ以外だったらそうそう負けはしませんよ」


「………アオ・カザマ様がお相手でも?」


「勿論です」


「………成る程成る程………」


 そして、その目的は叶った。仕掛けたミネ隊長自身も、発端を作ったアオも心配になる程順調に。


「ではアオ・カザマ様。大変無礼な要望となりますが、どうか私の部下とお手合わせをお願い出来ますでしょうか?エリナも斯様に申している事ですし………」


「………了解しました。では、五番勝負でお願いします」


 ざわり、と空気がざらついた。この場に、五番勝負という言葉の意味が分からない者はいない。それは即ち、アオ・カザマが隊長を除く全員を順番に相手取るという事。言い換えれば、連続で相手取れる程度の存在と見做している、という意味でもある。

 アオに向けられる視線が一気に赤く染まってゆく。それは、舐められていると取った彼女達からの敵意。逆に叩きのめしてその大口を塞いでくれると、叩き付けられる手袋だ。


 一方で、ミネ隊長からの視線はその真逆。如何にも面白そうといった青緑色の糸だった。


「ふふっ、私の部下を前にそこまで言ったのは貴方が初めてですわ。いいでしょう、ではそのように手配いたします。訓練所へご案内いたしましょう」


 そう言ってミネ隊長は、くるりと踵を返して部屋の扉の方へとつかつかと歩んで行く。それにアオが追従しようとしたその時、背後から声が掛けられた。それは、リンからの激励だった。


「アオ、私から言える事は一つだけよ。遠慮は無用。ギッタンギッタンにしてやりなさい」


 それに、アオはにっと笑ってこう返した。


「言われるまでもなく」


 と。

 そして、今度こそアオは、ホワイトファングの面々と共に、ミネ隊長の跡を追って部屋を後にした。

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