皇国編

ラスト・ヴァルキリー 16話

 方舟は今日も晴天。

 降る時は長々と、しかもたらいをひっくり返したように降り注ぐだけに、晴れの日は気持ち良いほどに晴れる。それ故、ここに住まう皆々は、空が青々としている時は重い思いの場所へと外出するのだ。まるで、太陽の影かのように。


「うーん………」


「リン、そんなに悩んでも片方タダになったりはしないよ」


「わ、分かってるわよ!」


 そして、二つのヘッドホンを手に、唸り声を上げながら悩んでいる彼女と、それを背後から眺めながら急かしている彼もまたそうだった。


 アオとリンと、包丁の2人は今、方舟の一角に座するオーディオショップにいた。目的は、今日が発売日の新型高級ヘッドホンを買う為、だったのだが、案の定お目当ての品だけに止まらず別のヘッドホンにも目移りしてしまい、そして今こうして悩んでいるという訳だ。


「分かっているなら早く選んでよ………その2つ両方買ったら予算オーバーでしょ?どっちか片方だけだよ」


「う、うぅ〜………」


 擁護しておくと、リンは決して普段から優柔不断という訳ではない。むしろ、規格外怪獣アヴァルの襲撃時がそうであったように、危機の際には明確な優先順位を元に行動を決める事が出来る人間だ。

 だがこの場においては、その即決力は無いに等しいものだった。


「あーん!もう、お小遣いがあと1.5倍もあったらいいのにー!」


「高い方買えばいいじゃないの?そっちが元々のお目当てなんだし、いいやつを買ったほうがいいでしょ?」


「おバカ!オーディオ機器ってのは、値段が高いほどいい音って訳じゃないのよ!」


「じゃあなんで態々高いのを買いたがるんだい!?似たようなのいくつも持ってるでしょ!」


「あれは違うやつなのー!あれはダイナミック式でこっちは平面駆動式なのー!」


 まるで子供の我儘、というかそのまま子供のそれだが、自分がどの程度情けない事をしているのか、果たして自覚はあるのだろうか。


「ねぇー!後生だから!一生のお願いだから!」


「あーもー五月蝿い!お金なら貸さないよー!」


「うわーん!」


 遂には情け無く縋り付く始末である。散々リンの為にお金を使ってるアオも流石に今回は助ける気は無いようだ。尤も、散財のし過ぎで飢えているのを助けるのとでは切迫度合いからして違うので当然と言えば当然なのだが。


「………もう、いいもんいいもん。貸してくれないなら考えがあるもん」


「盗んだらタダじゃおかないよ?」


「私の事何だと思ってるのよ!?そうじゃなくて、規定の予算内でどっちも手に入れる妙案があるのよ」


「………えっ?」


 そんな方法があるのなら早くそうすれば良かったんじゃないかな?というか、そんな事本当に出来るの?そうアオが思うのも無理も無い。ここは個人営業店に近い店ではあるが、実質的に片方をタダか半額にするレベルの値引きが出来るとはとても思えなかったからだ。


「………疑ってるわね。ちゃーんと見てなさいって、両方買っちゃうから。ま、上手くいけばの話だけどねー」


「はあ………」


 取り敢えず、妙な事をしたらすぐに止めようと身構える。こういう時のリンに対しては基本的に信用が無いアオなのであった。


 そんな彼を尻目に、リンは手に取っていた物の中で安い方を2つ手に取り、妙に軽い足取りで会計の方へと歩を進めてゆく。


「すいませーん。これ、お会計お願いできますか?」


「はい。袋はお付け致しますか?」


「いえ必要ありません」


「分かりました。それではお会計が1万5千クレジットですね」


 アオは面食らっていた。どんな狡っからい事をするのかと思えば、至って普通に買い物をしていたからだ。その後も様子を見届けていたが、リンにおかしな様子は無く、遂には支払いとポイントの付与も済ませてこちらに戻って来た。


「なんだリン、結局高い方は諦めるのかい?」


「そんな訳ないでしょ?ここからが作戦なのよ」


「?」


 そうは言っても、予算はもう使い切ってるんだからどうしようも無いのでは?そう疑問に思うアオを置いて、リンは今度は高い方を1つ手に取った。とうとう万引きでもするのか、と思いきや、彼女はその高いヘッドホンをさっき買ったのと一緒にまたレジに持って行った。


「すいません。さっき買ったの、1つをこっちにしたいんですけど」


「あ、はい。そちらは3万クレジットですね」


「分かりました、ではこちらを渡しまして、それでは」


 と、何を思ったのか、リンは安い方を1つレジに置いたかと思うと、そのまま会計をせず高い方を持って行こうとした。当然、店員はリンを呼び止める。


「ちょ、ちょっと待ってくださいお客さん!お会計が済んでいませんが!?」


 しかし、それに対してリンはきょとんとした顔でこう返した。


「えっ、お会計はもう済んでますよ」


「いや、3万の方です。そっちはまだ払ってもらっていませんので……」


 別に店員に思い違いがある訳ではない。リンは実際高い方のヘッドホンに対してお金を支払っていないのだから。だが、リンに怯んだ様子はなく、それどころか店員に対して反論を始めた。


「店員さん、さっき買った時私3万クレジットを支払いましたよね。1万5千分を2つ」


「え、ええ………」


「それで、1万5千分のヘッドホンをさっき渡した訳ですよね」


「そうですね」


「支払った分のうち、品物を渡してない方を引いて1万5千。さっき渡したヘッドホンが1万5千分。足したら幾らになりますか?」


「え?えぇーっと………」


 店員は頭を悩ませた様子で指を折りながら上を向いて考え始める。暫くそうしていると、はっと納得したような、或いは疑問が氷解したような顔になってリンの方を改めて向いた。


「あっ、そうでした!丁度3万クレジットでしたね!失礼しました!」


「いえいえ、店員さんも忙しいでしょうしそういう事もありますよ。またお願いしますね」


「はい、こちらこそまたお越し下さい」


 そうして、それではと手を振るなり、リンは一目散に店の外へと出て行った。



「……………りーんーー!!」


 ………怒りに燃えるアオを残して。



******************



 それから、少しの時間が経った頃。


「良かったのですかな?」


「どうかいたしましたか、エマ室長」


 プレハブ作りに手作り看板が目立つ包丁の社屋。その後ろにある生活スペース用の玄関の前に、影を後ろへと長く伸ばす3人の人影があった。

 その中で最も短い影を持つのは、包丁とは最も縁深いヴァルキリーであるエマ防衛室長。


「用事とあらば、儂がタワーまで2人を呼んでも良かったのですが?コハク殿下、ラン補佐官殿」


「ふふ、それには及ばない。私はここが気に入っているからな」


 それと対照的に最も長く影を伸ばす人物は、皇国を支配する皇家の一員であり、そしてヨンゴクの地に君臨するヴァルキリーたる女。第二皇女コハク。


 そして。


「………殿下。それは構いませんが、あまり行政府の方々を困らせないで下さい。そもそも今回の来訪にしても、もっと事前に予定を……」


「分かった分かった。だから小言はやめにしてくれラン」


 コハクの傍に立ち、彼女同様に銀色の長い髪と抜けるような白い肌を持つこの女性こそ、コハクを行政面で支える首席補佐官という立場に弱冠25の若さで立つ才媛。そして、皇国が3つ保有するヴァルキリーの一つ、ジークルーネを駆る戦乙女。皇族にも連なる血統を持つ名門、ハナヤシキ家の至宝たる『銀百合』のラン・ハナヤシキだ。


「しかし、アポイントメントも取らずの訪問というのは、流石に礼を失しています。第一に、家を留守にしているということも考えられるでしょう」


「心配には及ばない。前者は今更のことだし、後者については上がり込んで待っておくだけだ。そこのエマ室長のようにな」


 それを聞いてぎょっとした顔になるラン補佐官。その視線は信じられないといった色を含んでエマの方を指していた。どうやら悪い冗談だと言って欲しかったようだが、当のエマはバツが悪そうに顔を逸らすのみ。その様子を見て、ラン補佐官の顔は益々壮絶な事になっていった。


「どうしたラン。そんな所で立ち止まっていないで行くぞ」


「…………いえ、あまりのカルチャーショックに………」


「……お前は時々分からない事を言うな。まあいい」


 方舟がそういう文化という訳ではなく単にエマが非常識なだけなのだが、若干気が動転しているラン補佐官にはそこまでは伝わっていないようだった。

 そんな彼女をよそにして、コハクは待ちきれないといった様子を滲ませながら呼び鈴を力強くぐっと押す。


 ピンポン。甲高い呼び出し音が鳴ったのが、耳を澄ませて漸くといった程度に微かに聞こえる。プレハブの割には防音性が高いのが見て取れるが、そのせいで向かって来ているのか否か見分けるのが難しいのが難点だ。故に、居るかどうか判別するには待つより他に無い。

 そして、今回はたっぷり1分は待っても現れる様子が無かった。もう一度押して待っても同じ。やはり現れない。


「………留守にしているようですね。殿下、本当に上がり込む気ですか?」


「外で待つ訳にもいくまい。エマ室長、開錠してくれ」


「うむ」


 いや、うむじゃないでしょう。何で合鍵を持っているんですか。プライバシーはどうなってるんですかプライバシーは。こんな所に来てリンは大丈夫なんですか。

 こんな調子で頭の中で一々突っ込んでいるラン補佐官だったが、それをおくびにも出さずに、不法侵入が行われる場面を乾いた目で見ていた。


 カードキーがかざされると同時にピッと電子音が鳴り、ロックが外れた音がするのが聞こえてくる。そして、エマとコハクはまるで自分の家かのようにずかずかと、ラン補佐官はおずおずと上がり込んでいった。


「邪魔するぞ……と言ってもいな、い……?」


 コハクが、というか上がり込んだ全員が違和感を覚えた。それは、何か物音が奥の方からしていたからだ。それも、ドタンバタンと何者かが暴れているかのような。

 一行に緊張が走る。空き巣が入っているだけならまだいい。だが、もしもアオとリンが誰かに襲われているとしたら……。その想定が頭をよぎった時、誰もが音の方へと走り出していた。そして、物音の中にアオとリンの怒声のようなものが混じっていると気が付いた瞬間には、それぞれの顔が真っ赤になったり真っ青になったりした。


「ッアオッ!!」


「アオ!リン!」


「リン!無事ですかッ!?」


 上から順番にコハク、エマ、ランが音の聞こえていた部屋、リビングへと雪崩れ込む。3人の目に飛び込んできたのは。



「大人しくしろリンー!(あの店)好きなんだろー!!?」


「好きよーッ!!」


「好きだったら(その手の高級ヘッドホンを返しに行くから)よこせー!!」


「イヤーッッ!!」



 意味深そうでそうでもない言葉を叫びながら取っ組み合うアオとリンの姿だった。



「―――一体何をやっているんですか貴方達はーッ!!?」


「この泥棒猫がぁーーッッ!!」


「わはははははははは!!」


 社屋に3人の不法侵入者の叫びと笑いが木霊した。

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