ラスト・ヴァルキリー 15話

「総督、生存していた解放戦線の兵士達の積み込みが完了しました」


「……分かりました。くれぐれも乱暴には扱わないで下さいね。人道的な対応でお願いします」


「………了解しました」


 第二地区における総督府の襲撃というヤシマを揺るがす一大事件は、襲撃者であった解放戦線部隊の鎮圧により、占領者たる帝国側の勝利に終わった。生存していた解放戦線の兵士達も皆捕らえられ、捕虜収容所への移送を待つばかりの身だ。

 そして、現在は政治的な混乱を抑えるべく事件の後処理が全力を挙げて行われ、イーラン総督はその陣頭指揮を執っていた。


「良かったのかい?」


「何がですか?」


「随分と甘い対応じゃないか。反逆罪で首チョンパにされても可笑しくない事をしているのに、捕虜待遇とはね」


 そして、この場にいるミー総督を含めたヴァルキリーの2人もまた、その補佐として復旧の手伝いに当たっていた。


「………これは戦争ですよ。兵士として扱うのが道理でしょう」


「詭弁だね。あの隊長の言葉を気にしているのかい?ま、いいけどさ……」


 実際、イーラン総督の言い分は詭弁だ。ヤシマと帝国の戦争は、もうとっくの昔に終わっているのだ。である以上、帝国の扱いとしては解放戦線は唯のテロリスト、或いは反逆者でしかない。まして、総督府への襲撃となれば処刑したとしても何ら問題にはならないだろう。

 それでもイーラン総督の我儘が通っている辺り、帝国におけるヴァルキリーという存在の大きさが窺い知れる。


「貴女はどうなのですか?ミー総督。貴女は同じようにするのですか?それとも………」


「どうだろうね。そういう目には幸運にも遭っていないからねぇ。ただ……」


「ただ?」


 それから、ぐっと空気を飲み込むような仕草をして、ミー総督は躊躇いがちに口を開いた。


「………ねぇ、イーラン。私は傷付きやすそうに見えるかい?」


「………傷付いたのですか?」


「質問で返さないで欲しいなぁ。でも、そうだねぇ………私はきっと、傷付いているんだろうねぇ」


 それは、どこか悲しみと哀しみを内包した嘆きだった。

 彼女の脳裏に焼き付いて離れないもの。それは、解放戦線の兵士達からの憎悪の目。ミー総督はイーラン総督ほど融和に力を注いでいる訳ではない。それでも、決して嫌悪している訳ではなく、自分達と同じ人間と看做した上で政を行って来た。その上でなお、自分が憎まれる立場であると改めて突き付けられたのは、ミー総督にとっても堪えるものがあったのだ。


「ままならないねぇ……私達はどこまで行っても、どんなに努力しても、所詮侵略者の手先でしかない。イーランのやっている事も、彼らからすれば侵略者の偽善でしかない。ヴァルキリー。総督。苦労して勝ち取った称号は、ここでは烙印になってしまっている………」


「………意外ですね。てっきり、貴女は研究以外興味の無い人だと思っていましたが」


「間違ってはいないさ。ただ、私にも血が流れているというだけの話だよ。それとも、私の事を生ける屍かブリキ人形だとでも?」


「……いいえ」


 くすりと笑って否定するイーラン総督。そこには、一種の安堵が込められていた。

 彼女も何も自分と同じ考えでなければ人間扱いしないという訳ではないが、それでも自分の甘さが自分だけのものではないという実感を与えてくれることは純粋に嬉しいのだろう。


 だが、世にはそれを快くは思わない者も存在する。彼女もまたそうであった。


「何を気取っている変態め。この場所はもうグレイラインどもの土地ではない。そう言っただろう」


「おやおや、ブリキ人形がやって来たよ。木こりの仕事はしなくていいのかな?」


「黙れ、実験の奴隷め。鉄の首輪を付けて閉じ籠っていろ」


「なあに、人に首輪を付けるのが趣味の変態には劣るさ」


「貴様………」


 ジェン・ルーとチェン・イーラン。2人の相性の悪さはここにも及んでいた。

 ルー総督という人間はイーラン総督以外の他人を根本的に信用していない。それ故に、彼女の統治政策は苛烈だった。一例を挙げるなら、第一地区の人口のおよそ50分の1が秘密警察かその関係者であると言えば、その凄まじさの一端を理解できるだろうか。

 そんなルー総督の統治のあり方に、イーラン総督は心を痛め、そしてミー総督は嫌悪を隠さなかった。


「おやめなさい2人とも。ここは第二地区ですよ」


 こうしてイーラン総督が制止しない限り、2人の口争は止めどなく続く。それどころか、殺し合いに発展しかけたことも一度や二度ではなかった。だから、イーラン総督は可能な限り両者を2人きりにしないよう心を砕いていた。


「………はあい」


「ちっ………」


 今更仲良くして欲しいなどとは思いませんが、せめて当たり障りの無い対応はできないものでしょうか。

 概ねこんな事を思いながら、イーラン総督は胃をキリキリとさせていた。実の所、イーラン総督がアオを呼んだのは、このギスギスとした雰囲気を多少なりともどうにか出来ないかという縋るような気持ちも僅かにあっての事だった。尤も、こちらの方は徒労に終わったのだが。


「それでルー総督、何か私に用事が?」


「ああ、尋問の結果をな」


「…………そうですか。何と?」


 ルー総督の言う尋問なるものが如何なるものかは、彼女の人となりを多少でも知っている人間なら想像に難くない。それはイーラン総督にとってもそうで、情報を得るという大義のために支配と苦痛を与えられたであろう解放戦線の人間への悼みを胸にしまいながら、続きを促した。


「奴らは解放戦線の中でも好戦派だ。どうやら、主流派に黙って独断で事を起こしたらしいな」


「……つまり、今回の襲撃は解放戦線の総意ではない」


「ああ。好戦派は近年発言力を低下させていたようだからな。分かり易い成果を欲した結果がこれだ。全く無様なことだな」


 そう嘲るルー総督の顔は、言葉とは裏腹に表情は窺い知れない。態々顔に出す労力も惜しいほど侮蔑しているのか、それとも彼女も内心思う所があるのか、それは定かではないが。


「しかし、総意であろうが無かろうが、情報が漏れているという事に変わりはない。イーラン、あまりグレイラインどもを甘やかすなよ」


「………ご忠告痛み入ります。情報源の調査はこちらでも進めさせて頂きます。ですが、貴女の言うグレイラインにも尊厳があります」


「………ふん」


 イーラン総督はミー総督と違い、ルー総督を嫌っている訳ではない。むしろ、大切な同僚であり同期として認識している。それでも、冷酷な彼女の行いに対しては思う所を抱かないという事はない。叶うのならば、地獄と呼ばれる第一地区の状況を改善してほしいという思いも持っている。それが、少なくとも今は叶わないものだと分かっていても。


「………しかし、情報を漏らすとしたら一体どこの誰なんだろうねぇ。まあ、身内か方舟しか考えられないんだけども」


「どちらも有り得そうな話ですね………エマさんにも話を通しておかなければ……」


「どの道、自分以上に信用できる人間はいない。足を掬われない事だな」


 半ば吐き捨てるようにそう言うと、ルー総督は用は済んだとばかりに何処かへと去って行った。その背中が指で挟めるほどに小さくなったのと同時、ミー総督は深い深い溜息をついた。


「信用、ねぇ。生き辛くないのかねぇ、彼女は」


「生き辛いでしょう。そうでなければ、ああも剣山のようにはなりません」


「はぁ………無様なのはどっちなんだろうね。自分が傷付かない為に態々辛い生き方をして、それで逃れたつもりなのかな」


 イーラン総督も、ミー総督でさえも、彼女が何故ああなってしまったのか、その訳を知っている。知っているからこそイーラン総督は哀れみ、知っているからこそミー総督は余計に苛立つのだ。


「………そう言うものではありませんよ。ルーの苦しみは真にはルーにしか分からない。私達が簡単に変えられる事ではありません」


「変われるようになる前に一体どれだけ血が流れる?彼女は総督になるべきでは無かった。折れて家に閉じこもってめそめそしていた方が、多くの人にとっては幸運だったろうさ」


「ミー総督」


 あまりにも歯に衣着せなさ過ぎる物言いに、さしものイーラン総督も声を荒げずにはいられなかった。それに心の何処かで同意している自分に対しても。


「おっと、済まなかったね。しかしイーラン、彼女の問題はどの道解決しないといけないんだ。その時、君はどれだけ彼女の力になれる?」


「それは………」


「イーラン、君は優しい。私からして羨ましくなる程に。だけども、それは友人の心に踏み入らないことの免罪符にはならないよ」


 それでは、と手をひらひらと振りながら去っていくミー総督。その後ろ姿を、イーラン総督はただ見送る事しか出来なかった。


「………私に、そんな資格はありませんよ………」


 呻くような独り言は、誰にも聞かれることなく憎たらしいほどに蒼い空へと溶けていった。



******************



「いやはや、こうも矢継ぎ早に事件に襲われるとは、お主ら呪われておるのではなかろうな?」


「罰当たりな事をした覚えはありませんよ。殺生以外では」


「あら、なら怪獣の祟り?にしては地味ね」


 所変わって方舟は包丁の社屋。その応接間には、ここでは見慣れた3人が座して会話を弾ませていた。


「しかし、解放戦線の襲撃とは………お陰で今タワーの方はてんやわんやじゃよ。帝国からの疑いを晴らさねばならんからのう」


「まあ、漏れるとしたら帝国内部かこっちですからね。帝国的には自分とこの不始末のせいにはしたくないでしょうし、何やかんやと難癖付けても可笑しくはない」


「アオを円卓会議に捩じ込んだのはイーランさんとミー総督ですし、そうなったら2人の立場も悪化するでしょうね。穏健な統治政策を良く思わない人もいますから、今頃拗れてそうですよ」


 方舟は現在、帝国との関係が少々悪化している。理由は、情報漏洩の嫌疑を帝国側からかけられているからだ。その疑いを晴らすために、現在方舟の諜報部門は証拠集めに大忙しだった。ついでに外交部門も胃薬を片手に協議という名の言いくるめに労力を費やしていた。全員の縮んだ寿命を総計すれば、人一人の人生分はありそうな勢いだ。


「………と、いうか。そんな状況なのにエマさんはこんな所で油売ってていいんですか?」


「はっはっは、勿論良くない」


「じゃあ何でここに?」


「んー?抜け出して来たに決まっておろう」


「「とっとと帰って下さい」」


 この女、仮にも方舟の防衛の要なのだが………この有様では側から見ていても非常に不安になってくる。

 で、2人からも早く帰って仕事をするよう要請されたエマはどうしたかというと。


「嫌じゃーっ!!儂ここでお茶しばくんじゃーっ!!」


「駄々っ子ッ!?というか38でそれやめて下さいキモ……キツいです!!」


「ちょっと、キモいって殆ど言っちゃってるじゃないの」


 まあ無理もないだろう。見てくれだけなら可愛らしい子供の駄々だが、実際は40も近い大人がこうなっている訳なのだから、知っている人間からすれば非常に精神に来るものがある。

 そんな非常に情けない姿を何度か見て来ているアオからの割と酷い言葉に、エマは急に正気に立ち返ったようになって悔しげな顔を浮かべていた。


「ぐぬぬ……こんな愛らしい童に酷い言いようじゃの。まあ良いわ……それで、どうじゃったかのアオ?第一地区総督は」


「………どうだった、とは?」


「お主にとっては、初対面ではあっても浅くない縁の持ち主じゃろう。印象はどうじゃったかの?」


 その問いかけは、アオにとって深く深く刺さるものだった。思わず、胸を押さえてしまう程に。


「…………怖い人でしたよ。噂以上に。あれは……人間不信の目でした」


「そうか。まあ、そうなるじゃろうなぁ」


 アオの評に、エマは何故か納得した様子だった。リンも、口こそ挟まないものの、その様子はエマに同意しているようで。


「………アオのソレの事は教えられないわね。何されるか分かったもんじゃないわ。というか、知ってる様子はあったの?」


「いや。僕の事は傭兵としてしか知らなかったよ」


「なら尚更ね………」


 総督達は兎も角、初対面だった筈のアオと、会った事もないリンとエマが何故ルー総督の事情を知った様子なのか。それは、アオという人間がヴァルキリーとなった経緯に関わる事だったからだった。アオ・カザマが魔人となったその時から、ある種の因縁めいたものがルー総督との間に生まれていたのだ。彼女は、知る由もなかったが。


「儘ならぬのう。再会は未だ遠く、か」


「知らぬが仏、とも言いますよ。再会は誰にとっても感動的なものではありませんから」


「………そうか」


 恨み、怒り、悲しみ。ルー総督の中に渦巻いているであろうそれらを思えば、アオは己の秘密を彼女に明かす気には到底なれなかった。リンに言われるまでもなく。

 だからこそ、ここにいる者達以外には墓場まで持っていくつもりでいた。万一にもそれが漏れないよう。


 ずず、とお茶を啜る音だけが響く。どこか湿っぽい空気は、果たしてルー総督への同情からか、それともアオの憐れみに同調してのことか。少なくとも、愉快そうなものではないことは確かだった。


 そんな静かでしんみりとした雰囲気を変えたのは、3人のうちの誰でもなく、鳴らされたインターホンの甲高い音一つだった。


「………?誰だろ」


「ちょっと見てくるわ」


 パタパタと足音を鳴らして扉へと向かうリン。あっずるいとの声を背中に受けながらだったが、この葬式場のような空気から逃れたかったリンとしては譲る訳にはいかなかったようだ。


 そうして、扉をガラリと開けたその先にいたのは、タワーの制服を着た数人の魔人と1人の男性だった。彼ら彼女らの顔に、リンは見覚えがあった。


「あら、防衛室の。どうしたんですか?」


 それは、エマの部下達だった。アオもリンも何度か防衛室には行っていたので、顔を覚えていたのだった。

 同時に、背後からガタンという椅子をぶつけたような音が聞こえてきた。


「これはリンさん。失礼ですが、そちらにエマ室長は来ておりませんか?」


「エマさんが?来てませんが何かしたんですか?」


 実際の所デスマーチ中に抜け出してきた事は知っているのだが、ここは敢えて惚けたフリをしておくことにした。尤も、それはエマを助ける為という訳ではないのだが。


「そうですか………実はあの人、4徹目だからって仕事をほっぽり出して逃亡しているんです。お陰で防衛室の業務が滞っていて………見かけたら知らせて下さい。お願いしますね」


「分かりました。では」


 がらがらぴしゃん。

 戸が閉じられるのと同時に、人が去っていく気配がした。それを確認したそのままの足で応接間に帰ってみれば、エマはまるで神様を見るような目でリンを見つめて来ていた。


「リン〜〜お主は味方してくれると信じておったぞ〜〜!あ奴らどう逃げても儂が居る場所をどうやってか見つけて来るんじゃよ〜。発信機でも付いとるんじゃなかろうな?」


「いや、貴女こんな事何度もやってるんですか」


 エマの情けない嘆きに、こんな事でよく防衛室長になれたな。方舟の七不思議に入るんじゃないだろうか。などと思っている2人であった。


「仕方ないじゃろ。儂に決定権集中し過ぎなんじゃよ。お陰で2徹3徹が当たり前になっとるんじゃ。逃亡したくもなるわい」


「はぁ……そう思うのなら首席に言ったらどうなんですか?」


「やれば出来る!じゃとさ」


「ひっどい根性論」


 タワーの政治大丈夫かな、というのがアオの心境。方舟に来たの間違いだったかしら、というのがリンの心境である。


「まあそういう訳でじゃな、暫くここで匿ってはくれんかの。無論生活費は出す故」


「逃亡先にまで迷惑かけないでください室長。苦労しているのは我々だって同じなんですから」


「迷惑とは失礼な。儂と包丁の仲じゃぞ?友人が泊まりに来たようなも、の………で…………」


 ギリギリギリ、と錆び付いた玩具のような動きで振り向くエマ。その視線の先には、憤怒の表情を貼り付けて彼女を睨む部下達の姿があった。


「な………」


「なんで、ですか?リンさんに裏口の方が空いていると教えてもらいましたから。ジェスチャーで」


「う………」


「裏切り者、って?生憎ですけどエマさん、私は最初から味方する気はありませんでしたよ」


 ダラダラと脂汗を垂らしながら、どうにか逃げ出す算段を立てようとするエマ。だが、この部屋の出入り口は部下達によって完全に塞がれ、オマケにアオとリンまで敵に回っている。早い話しが、詰みの状態だった。

 そんな絶体絶命を通り越してまな板の上の鯉と化したエマは、諦めの中で最後の手段を試みた。


「……………ごめぴっぴ!」


 ぶちっ、と何かが切れる音がした。


「「「「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」」」」


「うぎゃあああああああああす!!!?」


 この後簀巻きにして連れ戻され、あと3徹はさせられたのだった。

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