ラスト・ヴァルキリー 14話②

 見間違える筈もない。彼女達はこの日の為、夢に出るほどにその顔を頭に叩き込んでいたのだから。


「これで、1人1殺、か」


 第一地区総督。『泣き女』のジェン・ルー。


「おや、君は私を含めて2殺のつもりじゃないのかい?」


 第三地区総督。『悪魔の手』のニー・ミー。


 そして。


「冗談を言っている時ではありませんよ。敵は強力です。慢心無用」


 第二地区総督であり、帝国ヴァルキリー達の実質的リーダー。『黒い太陽』のチェン・イーラン。


 それが、襲撃班に選ばれた魔人達が今日殺し、歴史を変える狼煙とする筈だった者達の名だ。

 だが、今の状況はそんな英雄譚の始まりとは程遠く、狩る者と狩られる者の立場は逆転しようとしていた。


 どうしてこうなったのだ、と血が出るほどに歯噛みする隊長。

 油断は無かった。精鋭を揃え、数を揃え、万全の体制で以て実行した計画。想定外は付きものだとは彼女も理解していたが、それにしても限度があった。

 今や襲撃班の数は半数にまで削られ、そして陽動部隊も恐らくは………。


「…………どこだ」


「どこ、とは?」


「惚けるなッ!アオ・カザマはどこにいる?」


 そう、半ば分かり切った質問をする隊長。いや、本来聞くまでもないのだ。彼女達が戦力をみすみす出し惜しみする筈がないのだから。


 そして、そんな内心を見透かしたように、ニー・ミーは語りかける。


「………その様子だと、君も分かっているんだろう?今のこの総督府は、蓋をされた食品容器のようなものさ。そして、中ではミキサーの刃が暴れている。様子が知りたければ、その通信機を繋いでみればいい」


 ギリ、と歯軋りする音が微かに響く。考えを覗かれた不快感もそうだが、何より想像していた通りの最悪の状況になっている事への絶望感がそうさせていた。

 それでも、通信機へと伸びる手を彼女は止められない。逆境を跳ね返してくれているのではないかという儚い期待が、彼女が諦観に浸り切るのを阻んでいたのだ。


 だが、それは報われることは無かった。


 繋がった通信機から聞こえてくるもの。それは、悲鳴、絶叫、怒号、銃声、そして湿ったような嫌な音。そういった類のものだった。


 隊長が呼びかけても、それにまともな返答をする者は1人としていない。というより、する余裕など無いのだと嫌でも気が付かされる。それができる余裕がある者がいるとすれば、それは襲撃者の側ではなく、迎撃者の側だ。


『………やっぱり、別働隊がいたようだね。あわを食って通信してきてるあたり、総督達に手酷くやられてるみたいだけど………命が惜しかったら、抵抗はしない方がいいよ』


「ッ……!!」


 聞こえてくる声は、若い男の声。隊長は聞いたことはないが、恐らくはここにいないアオ・カザマのものなのだろうとはすぐに想像が付いた。

 そして、大人しく降伏しろとの事実上の勧告。屈辱が彼女の脳を焦がすが、それに対して怒声で返答できるほどの余裕は無い。代わりに、絞り出すような声で総督らに問うた。霞のように消えては現れた、そのからくりを。


「………チェン・イーラン、貴様……ここの兵たちは最初から消えてなどいなかったんだな。貴様の能力で、視認できないようにしていただけ………迂闊だった……!!」


 イーラン総督の魔力変換は『光』という比較的珍しい属性である。自ら生成して攻撃手段とすることは無論のこと、周囲の光のベクトルを操作して目に映る像を歪ませる事も可能だ。今回のように、大人数の姿を視界から消す事も。


 そうして、彼女達は悠々と襲撃者達の目を掻い潜って脱出し、今度はお返しとばかりに彼らを包囲したのだ。

 詰みへと追い込まれていたのは、解放戦線の方だった。自らの断頭台まで、自らの足で歩かされていたのだ。


「………それで、分かったのはいいけど、どうするつもりだい?抵抗するなら私達も容赦は出来ない。アオくんの言う通りにした方が賢明だと思うがねぇ」


 舐めるな。そう隊長は叫びたかった。こんな状況でなければ。


 もはや、シズクとエニシはアカネとチウの首を抑えることを止めていた。既にその身体から動きが無くなった事を悟っていたからだった。

 隊長も叶うのならば、2人の骸を持って帰りたかった。敵の手に落ちることも、家族に顔を合わせてやれないことも、どちらも耐え難い事だからだ。それでも、死ぬ訳にはいかなかった。


「ソラ、は……」


 シズクが、ぽつりと言葉を漏らした。彼女はソラとはとりわけ仲が良かったことを、隊長は覚えていた。姿が消えた時、ショックも人一倍強かったことも。

 不味いとは思いながらも、言葉を続けるのを制止するのが遅れてしまった。そして、それが命運を分けた。


「ソラは、どうしたんですか……」


 無事だと言って欲しい。そう懇願するかのような悲痛な問い掛け。彼女は若く先が長く、そして幸せを掴んでいて、これからも幸せになるべき人間なのだから、と。


 だが、それに対する第一地区総督からの返答は、あまりに残酷だった。



「向こうに転がっているぞ。藁のようになってな」



 ぷつり。何かが切れた音が聞こえた気がした。


「お………ま、え……………お前ええぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」


「っよせシズクッッ!!」


「ダメッ!!」


 もはや、彼女の目には差し違えてでも殺すべき敵の姿しか映ってはいなかった。仲間と隊長の制止の叫びも届かず、稲妻を纏いながら獰猛な野獣か猟犬のような勢いで飛び出してゆく。

 一瞬の内に距離は縮まり、その手に握られたナイフが振りかぶられる。対するルー総督は、大樹の幹の如く動く気配はおろか動揺すら見せない。それが、益々以て怒りの温度を高めた。疑いを持つ余裕も無く。


 そして、紫電を纏う刃が首に触れ……。


「………え?」


 ………触れなかった。

 正確にはすり抜けてしまったのだ。ルー総督の首を。それも、何も無い所を切ったように空気以外には何の抵抗も無く。


 いや、首だけではない。勢い余ってぶつかった身体さえも、まるで霧になったかのようにすり抜けてしまった。


 怒りの顔が困惑の表情に取って代わられる。だが、それが次の表情に遷移する事は無かった。何故なら、次の瞬間にはシズクの首があべこべに切り裂かれていたからだ。

 急速に暗くなる意識の中で最後の瞬間に見たもの。それは、血煙を上げながら斧を振り切ったルー総督の姿。そして、それがノイズと共に自身の真横へと瞬間移動する姿だった。


「シズクゥゥゥゥッッ!!」


「そんな……シズクまで……!そんな……!」


 絶叫し、真っ赤に染まる視界の中で、隊長の脳の片隅はどこか冷静にその現象を分析していた。そして、その正体に気が付いた時、確かに総督達は自分達を侮っていなかったのだと理解した。


 イーランは光を屈折させることで、自分たちの像の場所を実際にいる場所からずらしていたのだ。態とこちらを激昂させる為の挑発付きで。シズクはそれにまんまと引っかかり、そして自らの命でトラップの存在を暴くこととなった。


 いよいよ数的にも劣勢になってしまった襲撃班に、イーラン総督は努めて平静に語りかける。


「もう一度勧告します。速やかに投降して下さい。罪状は免れませんが、人道的扱いは保証すると約束しましょう」


 沈黙が場を支配する。しいんと静まり返る光源少ない廊下の中でゆっくりと血溜まりが広がり、血生臭い匂いが充満してゆく。慣れない人間ならば吐き気の一つも催していただろうが、ここに今更それで動揺する人間はいない。

 そして、その静けさの中で怒りの熱はぐつぐつと煮え滾り、圧力を高めていた。丁度火口を縛られた火山のように。


「…………な、ぜ……………何故、私達が、罪に問われる……?ヤシマを………故郷を………解放することが、罪だとでも、言うのか………?」


 震える声は恐怖によるものでなく、絶望によるものでもなく。唯々そこには、純粋な憤怒と憎悪が込められていた。

 何故自分達が悪人のように扱われなければならない?この場に悪人がいるとすれば、それは侵略者たる彼女達ヴァルキリーに他ならない筈だ。なのに、何故コイツは裁定者のような顔で自分達の処遇を決め付けようとするのか?


 イーランの言うことも、彼女の宥和政策も、隊長からすれば偽善以外の何物でもない。唯自分達の侵略行為に正当性を設けたい者の戯言でしかないのだ。その事に対する憤懣が、今この場で爆発しようとしていた。


「………下らんな」


 だが、そのボタンを躊躇いなく押そうとする者が、ここに1人。


「敗者に異論を述べる権利があるとでも思っているのか?お前達は戦争に負けた。それが全てだ。そして今、お前達はまた敗北した。我々にな。裁くに一体何の不道理がある?」


「っルー総督!!」


 ルー総督のそれは、嘲りだ。隊長達だけではない。解放戦線そのものへの侮蔑が、そこには込められていた。

 何を言おうとも結果が全て。文句があるのなら敗北した父母達に言え。そう言わんばかりに。


 そして、彼女は決定的な言葉を。ミー総督もイーラン総督も決して言おうとはしなかったその言葉を、言い放った。



「いい加減に自覚しろ。このヤシマは、この土地は、もうお前達のものでは無いんだ」



 その冷酷な言霊の刃は、隊長の首の堰を開け放たせた。同時に、登らないようこれまで必死に堪えてきた血の濁流が、頭の中に押し寄せた。


「ふ…………巫山戯るなッッ!!」


 そして気が付けば、掻き毟りたくなるような激情を、思うがままに吐き散らしていた。


「私達ヤシマの民がお前達に何をした!?こうして劣等者としてお情けで生かされるような、生き恥を晒さなければならない程の事をしたのか!!?お前達の下らない陣取りゲームを支える為に我々は生きているんじゃない!!そんなゲームに参加するために戦っている訳じゃない!!私達は、人としての尊厳を取り戻す為に戦っているんだ!!信じてくれる者の為に戦っているんだ!!欲のまま貪るばかりのお前達とは違うんだッッ!!!」


 肺の中の空気だけでは飽き足らず、体内の全ての酸素と二酸化炭素を纏めて吐き出すような勢いで、隊長は怒りを、悲しみを、悔しさを、胸中の全てを吐き出した。塊にして。


 はあ、はあ、と息継ぎの音だけが廊下に木霊する。その有様を、総督達だけではなく、エニシもただ眺めていた。


 やがて、隊長は呻くように再び口を開いた。掠れた声で、怨讐と報復心と、決意を宣言するために。


「私は……私は降りなどしない……死ぬこともない。私は、お前達から逃げ切ってみせる。そして、いずれその喉笛を噛み切ってやる……!!」


 地獄の底から響くような声色。聴く者を震え上がらせるそれはしかし、修羅場には慣れている総督達にとっては怖れるには二歩は足りない。それでも、警戒を増すには十分に過ぎるものであった。


「………大したものだな。この状況で啖呵を切るとは。尤も……出来るかどうかは別として、だが」


 とはいえ、隊長の宣言が難題である事は誰の目にも明らかなことであった。

 ヴァルキリーは魔人であれば誰でも扱えるというものではない。操縦センスもそうだが、魔力量とその制御能力、そして身体能力においても取り分け卓越していなければ務まらないのだ。そして、ここにいる総督達は即ち、それを持っている。数的劣性の中でそれを覆して逃げ切るのは容易ではない。


「隊長………」


 エニシは不安そうに、或いは縋るように隊長の顔を見やる。彼女にとっても、目の前の戦力を前に逃げ切ることは不可能に思えたからだ。まして、そう遠くないうちにアオ・カザマも合流してくるであろうとなれば。


 それでも、隊長の顔に絶望はない。あるのは、殺意と決意。鋭い光がエニシの目を貫き、半ば座り込んでいた彼女の精神を立てと叱咤する。


 エニシの目に力が篭る。それは、隊長に対する信頼から来るもの。音叉同士が共鳴し合うように、隊長の闘志がエニシへと伝播していった。

 戦えるな?との言葉が耳に届く。それにエニシははいと力強く答える。それを受けて、魔力操作によって指向性を伴った声が彼女の耳に再び届く。


「いい返事だ。いいか、この状況を切り抜けるには、お前の力が必要だ。お前にしてもらう事は………」


 作戦が伝達される。ヒソヒソ声で糸電話をしているかのように、その会話は外からは聞き取ることは叶わない。だが、唇の動きからしてそれがそこまで複雑な作戦ではないことは読み取る事が出来た。


「………分かりました、隊長!」


 力強い返答。もはや、先程までの蹲る敗残兵はいなかった。

 誰もが気を引き締める。方や、必ずや逃げ切って仇を取るために。方や、目の色の変わった敵への警戒から。


「どうやら作戦会議は終わったようだな?なら………」


 ぶわり、と空気が押しのけられる音がする。

 それは、ルー総督の魔力に大気が共鳴している事を示す現状。その有り様は、まるで命の源が彼女に平伏しているかのようで。


 それに続いて、ミー総督とイーラン総督からも爆発的な風が吹き付ける。それだけで、魔力量の差を敵対者に実感させてくる。もはや、物理的力を伴ったプレッシャーだ。

 それでも、隊長らの闘志が衰える事はない。


 そして、漸くの戦いの火蓋は、ルー総督の口から続けて吐き出されたその言葉によって、切って落とされた。


「手並みを見せて貰おうか」


 魔人の闘いが、始まる。

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