ラスト・ヴァルキリー 14話①
敵襲。その知らせに、空気がざわりと騒がしくなる。
「………状況は?」
『タンクローリーが突っ込んだことで正門は突破されました!現在は正面ホールにて交戦中です!応戦していますが数が多く、死傷者も多数出ています!』
「そんな事に……」
この地下空間は外部からの盗聴を避ける為、遮音性の高い構造となっている。外部と会話が可能なのは、この通信機のみ。だが、今回はそれが災いし、外の騒ぎを認知するのが遅れてしまっていた。
「分かりました。撃退が不可能な場合は、時間稼ぎを最優先に。私が向かいます」
『りょ、了解しました!』
ぷつり、と通信が途切れる。それと同時に、痛いほどの静謐が部屋の中に充溢した。
「………イーラン」
「………どうやら何処かから情報が漏れていたようですね。恐らく、解放戦線の目的は我々でしょう」
そう、努めて冷静に返答するイーラン総督。その顔には何の感情の色も浮かんではいなかったが、果たして内心はどうだったのか。それを窺い知る術はない。
だが、何をする気なのかはおおよそ想像が付いた。先の言葉と、踵を返して出口へと向かうその足を見れば。
「イーラン、1人で行く気かい?」
「ええ、これは私の責任ですから」
確かに、イーラン総督の魔力変換と操作は殲滅戦向きだ。並の軍集団が相手であれば、彼女1人でも殲滅には事足りるだろう。それに、実質的な主催が彼女である以上、そのセキュリティーの責任は少なからず彼女に集中する、というのもまた道理だった。
だが、その上でミー総督はイーラン総督を制止する。それは、解放戦線側の戦略が彼女には見えていたからだった。
「止めておいた方がいいよ。ヴァルキリーだらけの所に唯の歩兵だけで突っ込むバカはいない。恐らくこれは陽動で、本隊は少数精鋭の魔人部隊の筈だ。イーランだけでというのは、流石に無茶と言わざるを得ないねぇ」
そもそも、この円卓に集っている存在は魔人の中でも更に特別な者達だ。赤壁に常駐している守備隊の全てよりも明らかに強大な戦力を、今現在足止めを食らっている程度の戦力がどうこうできる筈がない。その事実を分からないほど、解放戦線も馬鹿ではないとミー総督は理解していた。
そして、それはルー総督とアオも同様で。
「癪だが同感だ。害虫駆除を望むのなら、私も出たほうがいいだろう」
「総督。雇用契約は何も、リンを必ず通さなければならない訳ではありません。この場で決めることだって出来ます」
そう、自らの出撃を請うた。
アオは兎も角、ルー総督までもがそのような事を言うのは意外にも感じられる。だが、見方を変えればそれは、彼女が果たして誰に対して心を許しているのか、という問いへの解答を映す鏡であるとも言えた。
そして、そうまで言われてはイーランも無碍にすることなどできなかった。
「………集結している戦力の編成は、恐らく私たちの存在と能力を把握した上での筈。危険ですよ」
「それは君だけでも同じ事だろうに。どの道、いたずらに戦力を分散させるべきではないねぇ」
「何か考えが?ミー総督」
その問いにふふ、と怪しげに笑うミー総督。まるで悪だくみをする子供のようなそれは、彼女にはよく似合っていた。
「……なんだか悪い顔をしてる」
「失敬だねぇアオくん。でも、ちょっとした考えがあるのは事実だよ?」
「………勿体ぶらずにさっさと話せ」
「やれやれ、せっかちは万難の元だというのに……まあいいさ。イーラン、それでどうするかい?」
イーランという女は責任感の強い人間だ。人一倍といっても過言ではない程度には。それは美徳だが、同時に明らかに他者に頼るべき場面であっても自己解決しようとする悪癖でもあった。だから、ここにいる誰もが助力を申し出ている状況においても、彼女は迷っていた。時間が無いことは、分かっているのだが。
だから、そんな彼女を見かねて口を出す者が現れるのは必然だった。尤も、ミー総督もアオも、イーランさえも、それがルー総督だとは思わなかったようだが。
「……イーラン。私は頼りなく見えるか?」
「………いえ、そういう訳ではないのです。ただ……」
「ならば連れて行け。置いて行かれる者の心証を、少しは考えるんだな」
その言葉に対する反応は十人十色だった。
イーランは怯んでいた。彼女の言葉には、確かな真実があると感じていたからだ。
アオは驚いていた。露悪的な物言いが目に付いていた彼女が、よもやそんな血の通った事を言うとは思わなかったからだ。
そしてミー総督はといえば、口をあんぐりと開けて驚愕していた。そして言い放った言葉は、大分失礼なものだった。
「…………君、もしかして偽者じゃないだろうね?」
「殺されたいのか貴様」
「いやだって!君が他人の気持ちを考えられるなんて絶対嘘だ!偽物だ!もう産んでしまったよ!?認知してくれ!」
「誰がするか気色の悪いッッ!!悍ましい!!」
他人の気持ちを云々というのはミー総督が言えた事ではない気がするし、ルー総督もルー総督で反応する所はそこじゃないだろう。などとアオはどこか呆れたように考えていた。こんな時にまで騒いでる2人に対して。
そして、それを打ち破ったのはやはりイーラン総督だった。
「2人ともそこまで。ミー総督、考えがあるんですね?」
「………勿論だとも」
「なら、分かりました。その考えについて聞かせてください。手短に」
返答はない。代わって、不適な笑みが了解したと告げる。
「じゃあ、これから手早く説明するよ。いいかい?手始めにまずは―――」
そうして、ミー総督から続けて放たれた言葉は、驚くべきものだった。
「―――彼らを、この中に招き入れる」
******************
赤壁に総督達が集結しているのと情報を協力者から得て襲撃していた解放戦線の部隊は、今まさに困惑の中にいた。
守備部隊が情報以上に頑強だったからか?否。では逆に守備部隊が予想よりも弱かったからか?それも少し違った。
「何なんだ奴ら……?」
「分からん。だが、引いたのは確かだ。」
それは、それまで抵抗を続けていた守備部隊が急に退却していったことからの困惑だった。
「………罠、ですかね?」
「だとしても、俺達のやる事に変わりはない。裏からの奴らのことを気取らせない為にも、ここで暴れるだけだ」
解放戦線の人間達も警戒を隠さないが、どの道彼らに攻めないという選択肢は無い。退いていった守備部隊を追いかけるように、総督府の中へと歩を進めていく。
途中で左右に分かれながらも、陽動部隊は抵抗もなく内部をくまなく捜索する。
だが。
「………いない?」
「待ち構えている様子もありませんね。誰もいない」
「そんな筈は……奴ら、何のつもりだ?」
先程まで大勢いた守備部隊はおろか、中で執務をしていた筈の者達の姿すら見えなかった。まるで神隠しにでも遭ったかのように、誰も彼も姿を消していた。
彼らが困惑と警戒を益々深める中、不可解は更に重なる。それは、別働隊にして本命の斬首部隊。襲撃班からの知らせだった。
『……こちら襲撃班。地下の会議室まで予定通り到着しましたが……』
「こちら陽動チーム。どうした」
『………いません。総督達も傭兵も、1人も』
「………何だと?」
それは、本命にすら誰1人として掠らなかったという知らせ。ここと同様に、だ。
「本当にいないのか?」
『誓って真実です!すれ違ったなどという事もありません。この目で間違いなく確かめているんです。奴らはどこにも居ません!』
その言葉を受けて陽動部隊の面々も、この建物の中にいた者達は突然のうちに1人残らず霞のようにいなくなってしまったのだとという現実を、認めざるを得なかった。
「………馬鹿な。一体、奴らはどこへ行った!?」
隊長の疑問の叫びは、虚空の中へと虚しく溶けるしかなかった。
******************
『兎に角、お前達は一旦引き返せ。何か……尋常でない事が起こっている。お前達を失う訳にはいかないんだ』
「…………分かりました」
そう命令を受けた受けた襲撃班の隊長は、伽藍堂となった暗い会議室の中をライトで照らしながら見回す。相変わらず、その先には人はおろかネズミの一匹も見当たらない。
「隊長、行きましょう。どこに行ったのかは確かに私も気になりますが、撤退するには好都合です」
「………そうだな。残念だが、そうするしかない」
後ろ髪を引かれる思いを残しながらも、副隊長からの促しに隊長は撤退を決めた。何か、良からぬことが起こるのではないかという漠然とした不安が棲み付く胸を無視して。
得体の知れない魔物に背を向けている感覚に襲われながらも、振り返って爆破した扉を踏み付けながら疾駆してゆくのは、6人の魔人達。解放戦線が有する魔人戦力の中でも選ばれた精鋭だ。
「全く……とんだ臆病者達だわ。さっさと脇目も振らず逃げ出すなんて……」
「引き際を心得ていると言え、ソラ。戦場においては、こういう恥も外聞も無い敵ほど恐ろしいものもない」
「……分かってますよ隊長。褒め言葉のつもりで言ったんです。唯の臆病者ならどうとでも料理出来ますけど、実力も一流なら話は別ですし……」
隊長からの窘めの言葉に、少しむくれたようになりながらそう返答するのは、ソラと呼ばれる班の中でも歳若い魔人。気は強いが、度々恋人との惚気を披露するので同僚からは若干辟易されている人物だ。
「………しかし、本当に何処へ……いや、そもそもどうやって?私達は確かに総督陣を目にしていないのに……」
「考えるのは後にしろ。イレギュラーは付きものだ。今は、一刻も早く撤収する事を考えればいい」
「っ、失礼しました」
「構わない。その疑問は、私も頭にこびりついて離れないものだからな」
その言葉に偽りは無く、隊長はどうしてもここにいる者達が姿を消したというのが解せなかった。嫌な予感というか、何かを見落としているような、そんな気がしてならなかったのだ。
だがそれも、この場から離れてしまえば関係の無い事だと自分に言い聞かせて、自らの脚の運びを益々以て加速させる。今は逃げているとはいえ、時間を掛け過ぎれば増援と共に戻ってくるだろう。それは彼女達にとっては避けたい事態だ。
やがて、自然の光が瞳の中に戻ってくる。それは、窓から陽が差し込んでのもので、地下からすぐにも脱せる所まで来たのだと理解できた。
「出るぞ!」
簡潔極まりないその言葉は、圧縮された意味を解凍すれば、あの窓から1人ずつ出るぞ。といった所か。ともあれ、彼女の胸には漸く安堵の光が戻りつつあるようだった。
了解!と力強い返答が4つ。それが益々隊長の心を晴らす。そして、自らを砲弾として窓を破らんと、脚のバネにギリギリと力を蓄え……。
ふと、違和感に気が付いた。何か、見落としてはいけないとても重大な違和感を。
その直感に従い、違和感の糸が伸びる先へと視線を向ける。自分の後ろにいる、部下たちを。
全て、彼女にとって見慣れた顔だ。アカネ。シズク。エニシ。そして、チウ。4人の顔があった。誰か見知らぬ人間が紛れ込んでいる訳でもない。彼女達に変化がある訳でもない。
ただ、1人足りなかった。つい先程まで隊長と話していた、ソラの姿が無かった。
ぞわり、と隊長の全身が総毛立つ。
「っ総員警戒!!敵襲だ!!ソラがやられている!!」
「なっ!?」
「ソラッッ!?」
驚愕を口々に叫びにしながらも、淀みのない警戒体制への移行は流石にこの任務に選ばれた者達なだけはあると言えた。しかし、感情を押し殺す事は出来なかった。驚き、悲しみ、怒り。遷移してゆく感情は、彼女達の顔をも次々に変形させていっていた。
一体いつの間に。気が付かないなんて。よりによってどうしてソラが。そんな声が方々から湧いて出る。報復心を胸に。
それでも。目を皿のようにしてもなお、襲撃者の姿は誰にも捉えられない。何が起きているのか隊長にも分からなかったが、今こうしてじっとし続ていることが状況の改善に繋がるとは、彼女には思えなかった。
「………撤退だ。ソラは諦める」
「そんな!隊長!!」
「全滅したいのか!?仇は必ず取る……だが今は………」
生き残る事が最優先だ。そう続けようとした隊長の口は、開いた形のままで止まった。ぴしゃり、と生暖かいものが顔に飛んだ事で。
ぬるりとしていて鉄臭いそれは、荒事に慣れた人間なら嫌でも目にすることになるもの。
それは、アカネとチウの首筋から吹き出していた。
間の抜けたような声が誰ともなく漏れる。
それは、2人の血だった。
「な、あ……っ!?」
「な、んで……?」
隊長には、状況がまるで理解できなかった。急に発作でも起こしたように、部下の2人が血を吹き出して倒れたのだから。
同僚だった残る2人とてそれは同じ事。その行為が隙を生むと、手遅れだと分かってはいても、必死になって倒れ込んだ仲間の傷口を抑えるのを止められなかった。
………そう、無駄な行為だ。既に血を失い過ぎているのだから。ピクピクと痙攣してこそいるが、それが止むのにそう時間はかからないだろう。
(何故だ……!?何故こうなる……攻撃の気配など、一切無かったというのに………まるで、透明人間にでも襲われている気分だ……!!)
そうだ。透明人間に襲われているのでもなければ説明が付かない。無論、そんな新兵器を帝国が発明したなどという話は皆聞いていないが、だとしても彼女にはそうだとしか思えなかった。
泣き叫ぶような悲鳴が木霊する中、隊長は周囲を最大限に警戒しながら思案の海に沈む。
(透明………透けて見える………光………!)
透明人間。肉眼では見えない、光の透ける人間。屈折も反射もなく、誰の目にも映らないようにできる。
そういう事が出来そうな敵に、彼女は今まさに思い至った。
そして、一度気付けば行動は早かった。
伏せろ!との怒号が飛ぶ。それに反射的に2人が従った瞬間、隊長は怒りの叫びと同時に己の魔力を解放した。
「姿を見せろ!!チェン・イーラン!!」
隊長を中心に放たれた衝撃波が大気を揺らす。部下には当たらないよう調整されたそれが、2人の頭上を通り過ぎて後ろの方まで回った時、まるで雪が人肌に溶けるようにして衝撃波は掻き消えた。
空間が、揺らぐ。ノイズが走るかのように視界が瞬きほどの間ぼやけたかと思うと、次の瞬間には隊長が思い描いていた通りの面貌が、そこにはあった。本来彼女達が狩るべきだった対象が。
「………見破るとは、中々いい産みをくれるじゃあないか」
それは、悪魔の手だった。
「その気味の悪い口を閉じろ」
それは、泣き女だった。
「…………成る程」
それは、黒い太陽だった。
それらを視認した隊長の顔が憎悪に歪む。
「………貴様ら……ッ!!」
その影の正体こそ、今まさに狩人たる襲撃班を狩らんとする、帝国の戦乙女達だった。
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