ラスト・ヴァルキリー 12話

「―――と、いう訳だったんだよ……あ痛ててっ!こっちは怪我人だよ!?」


「全く……何が『という訳だったんだよ』よ。結局無茶してるじゃないの……」


 そこは白くて、天井が高くて、そしてどことなく暖かみを感じさせる清潔な部屋。人の声の他には外の僅かな音だけが響くここは、世間一般では病室と呼ばれている場所だった。

 そして、この場で人の声を立てている唯一の人物達。アオとリンの姿がそこにはあった。


「いやでも、ああでもしないと勝てなかったし……痛い痛いって!肋骨ミミズみたいになっちゃうから!」


「誰が勝って来なさいって言ったのよおバカ。危なくなったら逃げるって約束したのはどこの誰よ?ん?お蔭で包丁も当分営業できなくなっちゃったじゃないの」


「ハイ、スミマセン………ワタシハ嘘ツキデシタ……」


 規格外怪獣アヴァルとの戦いは、アヴァルのエネルギー暴走による自爆という形で幕を閉じた。爆発のエネルギーが主に口と背中の火口という開口部に集中していたため、奇跡的に都市への被害は規模の割に軽微なもので済んだのだが、近距離にいた戦乙女達は無事では済まされなかった。

 もしヴァルキリーに自己修復能力が備わっていなければ研究用に解体されていただろうと確信できるほど、シュヴェルトライテとグリムゲルデの損傷は酷いものとなっていた。そのため、包丁の業務はアオの怪我もあって暫く休止と相成ったのだ。


「分かればよろしい。まあ、こっちも報酬はたんまり頂いてきたけどね。勲章代わりに」


「あ、やっぱり撃破はミー総督単独ってことに?」


「そーそー。どこのメディアでもアオの活躍は伏せられてるわ。戦闘を目撃してた市民にも緘口令が敷かれてるみたい」


「そうなるだろうね。記録がある限りでは初めての規格外怪獣撃破な訳だし、政治利用しない訳がないよね」


 バサリ、と布団の上に広げられた帝国の新聞には、第三地区総督の偉業を讃える煌びやかな文言がこれでもかと踊っている。自らの危険も顧みず、規格外怪獣という前代未聞の脅威に単身勇敢に立ち向かい、激闘の末これを征したのだと。

 いっそ薄気味悪さすら感じるようなそれを見たアオの顔はといえば、ああやっぱりかという何処か呆れも混ざったもので。


「笑えるね。肝心のミー総督からの言葉は記事のどこにもない」


「そういうのあんまり好きそうじゃないもんね、あの人。多分インタビューとかも面倒臭がって断ってるんでしょ」


「………随分よく分かってるんだね?」


「見れば分かるわよ。好きな事が絡めばやる気が出るけど、それ以外はとことんやる気を削がれる。そーゆー手合いよ」


 リンのそれは真実であった。実際、現在アオ同様に入院中のミー総督も、押し寄せる記者や軍の報道官などに対して、総督としての権限を利用しての門前払いを繰り返していた。名目上は療養に集中したいということだが、本当は単にプロパガンダ通りのインタビューが面倒なだけなのだと、病院関係者や側近の誰の目にも明らかだった。それどころか、そんな生活にうんざりしてか、こっそりと病院を抜け出しては研究施設に出没し、発見され次第病室へと連れ戻されるということが続いている有様だった。

 ちなみにそんな彼女は今現在、隠れて持ち込んでいたスナック菓子をもしゃもしゃと頬張りながら、はっ!今リンくんとアオくんが私の話をしていた気がするねぇ!などと独り言を言っていた。


「どうしたのリン」


「いや、なんだか悪寒が……」


「?」


 唐突にストーカーに跡をつけられているかのようなゾクゾクとした感覚に襲われた勘のいいリンだったが、アオは鈍いのかそういうことはなかったようだった。


「まあでも、アオが生きててよかったわ。天界で豪遊できなくなったのは残念だけど」


「お金が必要だなんて世知辛い天国だなぁ……生きててよかったと言いたいのはこっちもだよ、リン。戦場で君の声が聞こえないのはやっぱり不安になる」


「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。褒めてもお給金は上がらないけど」


「ちっ、バレたか」


 そして、顔を見合わせてどちらともなくクスリと笑い合う。その中には心からの安堵が込められていて、2人が互いをどれだけ大事に思っているかという強い気持ちが伺えた。


「ならせめて、この美味しそうな果物でも貰おうかな。昇給代わりに」


「だったらそのまま寝てなさいよ。皮剥くくらいはしてあげるから」


「ふふ、社長直々とはいよいよ贅沢だね」


「そーよ。だから感謝して味わいなさいよね」


 そんな和気藹々とした空気の中、しゃりしゃりとナイフで果物を剥く以外の音が聞こえたのは、半分ほど剥き終わったところでのことだった。

 コンコン、と扉を叩く音が部屋の中に響く。それ自体は特に奇特なことではない。看護師や医者だって病室に入ってくる時はノックするものだ。だから、気になるのは扉の向こう側に誰が立っているのか、ということだ。


「はい。開いていますよ」


 アオがそう返事を返すなり、スライド式の扉がガラガラと開かれる。その向こう側から現れたのは、纏う大人びた雰囲気とは対照的な、幼子と見まごうような矮躯。普通ならば、どこかの子供が迷い込んで来たと思うところだろうが、その面貌に2人とも見覚えしかなかったため、そうした勘違いを抱くことは無かった。


「ふむ、医者から聞いてはおったが……成る程確かに頑丈なようじゃの」


「これはエマさん。今日は何時もみたいにこそこそ侵入しないんですね?」


「はっはっは……そろそろその無駄に大きい尻肉もぎ取ってくれようか?そしたら平たい上と釣り合いが取れるじゃろ。ん?」


 そうリンと親しげに毒を吐き合う彼女は、方舟の防衛室長にして防人のヴァルキリー。つまりは仮にも方舟の重鎮たる人物のエマだった。その体格は平坦で小さくて細かった。あと見てくれだけは愛らしい。


「室長だと上と下に分けても余りますね?均整が台無しですよ」


「なあに、お主の品のない花瓶体型よりかはマシじゃろて」


「そこまでです室長。リンもだよ。キリが無くなる」


 放っておくと毒舌の応酬が延々と続きそうな気配を感じてか、2人を静止するアオ。リンとエマも、叱られたことに対して少々バツの悪そうな顔をしてそれに応えた。


「室長。今日はどういったご用件ですか。貴女がただ見舞いだけでここに来たということは無いでしょう?」


「ふむ、理解が早いではないか。とはいえ、お主らも聞くこと言うことが何に絡んでかは察してはおろう?」


 エマの予想は、当たっていた。アオもリンも、彼女が何故故に自分達の元を訪れたのかについては察しが付いていたのだから。何せ、今現在アオが怪我をするに至った事件に巻き込まれたのは、元を辿ればエマの仕事斡旋が原因とも言えるのだ。そのことについて、エマが何の聴取もしないなどということは有り得ないと2人とも理解していた。


「………大侵攻と規格外怪獣について、ですね?」


「うむ。ミーの嬢からはプロパガンダ以上の事は言えぬと連絡が届いておる。故に、アオの方から情報を聞き出しに来たという訳じゃよ。どうじゃ。何か気が付いたことは無かったかの?」


 前回から本来であれば有り得ない間隔で起きた大侵攻。そして、規格外怪獣の出現。そのどれもが異常事態中の異常事態だ。誰もが、それが起きた理由を知りたがっていた。また自分の所で起こるかもしれないという恐怖故に。

 エマもまた、この方舟の防衛を預かる身として恐怖と不安を常に網として張り巡らせていた。危機を察知し、危機を遠ざける為に。だからこそ、今回の事件については情報を少しでも集めたがっていた。


「………とは言っても、原因は我々からしても謎としか言いようがありません。言えることといえば、先に現れていたクラグ種は規格外怪獣に追い立てられてやって来た可能性が高い、ということ位でしょうか」


「やはりそうか。儂も諜報部も情報収集をしておるが、現状はそれ以上のことは分からぬ」


 つまるところ、調査は行き詰まってしまっていた。

 尤も、原因に開幕見当が付かず手詰まり、という状況は帝国も皇国も例外を除けば同じようなものだったので、別段方舟だけが情報面で遅れを取っているという訳ではなかったのだが。


「すみません」


「気に病まずともよい。駄目で元々じゃからの」


 実際、元からさほど期待はしてなかったのだろう。その顔は残念そうには見えなかった。

 ただ、深刻そうな色がなかったといえば、それもまた嘘になるだろう。原因に繋がるものはなくとも、それとは別に無視できない情報が網にかかっていたからだ。


「ただ、気掛かりな話も上がっておる。まず一つに、第三地区にて秘密警察の動きが活発化しておるそうじゃ」


「秘密警察が?」


 帝国の秘密警察といえば、主に国内や占領地内での諜報・防諜活動と治安維持を担当する機関だ。不穏分子を捕える為なら他者の財産を侵害することも厭わない容赦の無さのため、占領地の原住民は無論のこと国民からも評判の悪い存在だった。


「なんだってまた……混乱に乗じて皇国か解放戦線あたりが何かやってる、とか?」


「分からぬ。じゃが、ミーの嬢には何か思い当たる事があったのやも知れぬな。あやつは頭の造りがいいからのう」


 秘密警察も決して一枚岩という訳ではなく、占領地では当地の総督の影響が強くなる。例えば、イーラン総督が統治する第二地区では比較的秘密警察の捜査は穏健であると言われている。そして、第三地区で秘密警察が大きく動いているとなれば、その方針にミー総督の関与を疑うのは至極当然と言えた。


「成る程……それで他には」


「もう一つは規格外怪獣そのものについてなのじゃがな……良くも悪くもないニュースと悪いニュースの2つがある。どちらから聞きたい?」


「何ですか勿体ぶって……まあ取り敢えずマシな方から聞きましょうか」


 リンはエマのその物言いに嫌な予感を感じつつも、先を促すように前者のニュースから話すことを要求した。そして、その選択をアオとリンはこの後少しばかり後悔することとなった。


「マシな方はじゃな、あの規格外怪獣の呼称が決まった。識別名を『アヴァル』とすることにしたそうじゃ」


 成る程、確かに良くも悪くもないニュースだと2人とも納得した。名前が決まったところで呼びやすくなる以外に良いことはないのだから。だから、気になるのはその続き。悪いニュースの方だった。


「で、悪いニュースの方はじゃな、都市の混乱が落ち着いてから帝国側がアヴァルの調査をするべく踏み入ったそうなのじゃが………」


 そうして、少し逡巡するような様子を見せてから、エマは意を決したように続く衝撃をその小さな口から告げた。



「………奴の死体が、現場から消えておったそうじゃ」


「な……ッ!?」


「嘘……!?」


 その言葉が意味するところを、理解できない2人ではない。

 アヴァルの巨体を捕食できるような怪獣が混乱に乗じる形で新たに接近していた、という可能性も無いわけではないが、それよりも可能性の高いことは……。


「………アヴァルは、まだ生きていたってことですか?体内を黒焦げにしておいて……」


 嘘だと言って欲しい。そんな気持ちと願いを込めたその質問は、しかし無情にもエマ自身によって打ち砕かれた。


「………そう、考えるのが自然じゃろうな」


 重苦しい沈黙が、耳に突き刺さる。

 特にショックが大きかったのはアオだった。それはそうだろう。戦乙女2機がかりで命を擦り減らす思いをしながら、危険を冒して漸く勝ち取った勝利。それが、もう一歩届いていなかったのだと突き付けられたのだから。


 彼ら彼女らが、文鎮が乗ったように動かない唇を漸く動かせたのは、果たして十数秒程度のことだったか、それとも数分ほどかかってからだったか。少なくとも、最初に口を開けたのがアオだったのは間違いがないことだった。


「………また、現れますかね」


「それは分からぬ。今回の件で痛い目を見た以上、街には近寄らなくなる可能性も大いにある。じゃが、再び大侵攻が起きれば、現れる可能性は無きにしも非ずじゃろうな」


「そう、ですか………」


 再び、沈黙が病室の中を襲う。

 もっとちゃんと確認できていれば。無理をしてでもトドメを刺せていれば。そういう後悔の念が、またどこかの街が焼かれる危機に襲われるのではないかという不安と共に、アオの中を渦巻いていたのだ。


 そして、次にため息混じりに口を開いたのは、そんな彼の姿を見かねたエマであった。


「はぁ……そうしょげるでないわ。お主はあの場所に住まう者達の生命と財産を護ったのじゃろう。それで十分ではないか」


「………エマさん」


「それとも、後で魚拓でも取るつもりじゃったかの?だとしたら御愁傷様と言わざるを得んが」


 そう、悪戯っぽい笑顔を浮かべる姿は、彼らがよく見る『ぬらりひょんのエマ』のそれだった。


 そして、リンの方はといえば、エマの言葉に少し惚けたようになっていたアオの腹を呆れ顔になりながらグリグリと圧迫し始めていた。無論、骨折箇所近くをそうされたアオは涙目になりながらリンの腕を掴んで静止していた。


「あ痛い!だから痛いってば!何なのリン!?」


「アオがあれだけ言ってもまだ分かってないからよ。自分で英雄にならないって言ったでしょうが。そもそも、アオは街と総督守るために出たんじゃないの?」


「う………」


 リンの言う通り、アオの目的は当初より市民と総督の命を守ることであり、倒すこと自体は必要だからそのように対応しただけ。彼自身それが分かっているからこそ、リンのその言葉には反論できなかった。


「私達は神様じゃないんだから、当初目標が達成できただけでも御の字と思いなさいな。優しさも過ぎれば傲慢よ」


「……………ごめん」


「謝罪はいい。次からは気をつけるよーに」


 そう言われて、アオは力無くはいと答えるしかなかった。その様子にエマもどこか満足そうで。


「さて、辛気臭い話は済んだようじゃな。それで、最後まで話を続けてもよう御座いますかな?」


「私達は大名ですか?まあ構いませんが……」


 リンからのそんな返答を耳に入れて、先程までの妖怪じみた怪しい笑みを消すエマ。代わって顔に現れたのは、防衛室長エマとしての真剣さに満ちた面持ちで、暫くぶりに目にするそれに2人もぴりりと気を引き締められた。


「お主ら、円卓会議についての知識は持っておろうな?」


「ええ。帝国のヴァルキリーでの緊急会合ですよね。ミー総督が面倒だとぼやいていましたよ」


「やれやれ、ミーの嬢らしいの……」


 重大事が発生した際、全てのヴァルキリーが一堂に会して情報の共有や方針の協議が行われる場。それが円卓会議である。

 全ての戦乙女は頂点であり、そして平等。故に、その集いは上座も下座もない円卓である。帝国でのヴァルキリーの立場と、円卓会議の性質を端的に表した言葉だ。


「で、その円卓会議がどうかしましたか?私達の明日の献立でも代わりに考えてくれる訳でもないでしょうに」


「まあそう急かすでない。これはミー総督とイーラン総督双方からの要請なんじゃよ」


 3人いる総督のうち2人が連名で要請。それがどれだけ普通でないことなのか、この世界に住まう者ならば分からないということはないだろう。現に、アオとリンの2人もその表情を訝しげにさせていた。


「………穏やかそうじゃないですね、その2人からとなると」


「身構えずとも荒事の心配は無用じゃよ。何もお主らに警備をせよということではない」


「えっ……じゃあ一体何の用なんですか?」


 てっきりテロの情報でも掴んでいて警備を要請しに来ていたものと思っていただけに、それを否定されるのはリンにとっては意外であった。だが、アオは何となく予感がしていた。ある意味で警備以上に面倒そうな依頼だという予感が。


「まあ、内容についてはこれを読むがよい。イーラン総督からの依頼状をな」


 そして、果たしてそれは正しかったのだと、アオは思い知ることになる。エマが懐から取り出して手渡した、1枚の紙によって。


 その内容は、以下の通りだった。



『アオ・カザマ様


 謹啓


 常夏の暑さ厳しい折、いかがお過ごしでしょうか。先日の怪我の知らせを伺い、大変驚いております。貴方にお会いする時は如何なる時においてもとても元気でおられたため、信じられない思いで一杯です。


 手術が無事に成功し、快方へと向かっているとエマ様から伺い安心致しました。無理をなさらずゆっくりご静養なさってくださいませ。遠くより一日も早いご全快を心からお祈り申し上げております。


 さて、本日はアオ様にお願いがございましてお手紙申し上げた次第でございます。


 エマ様からもお知らせがあることと存じますが、2度に渡る大侵攻の発生と規格外怪獣アヴァルの出現に伴い、このたび第二地区の総督府にて円卓会議を行うこととなりました。


 つきましては、たいへん厚かましいお願いではございますが、お怪我の方が回復次第、アオ様にも是非円卓会議へと外部アドバイザーとして参加していただきたいと思っております。


 こちらの勝手なお願いで誠に恐縮に存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます。


 謹白』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る