ラスト・ヴァルキリー 11話②

 熱戦、とは激しい戦いを指す言葉であるように、闘争というものはしばしば"熱"に喩えられる。それは、単に激しい運動によって体温が上昇しているというだけのことではなく、沸き立つ闘争心と興奮の激しさが、時に何もかもを焼き尽くす災厄ともなる、めらめらと燃え上がる焔を連想させるということもあるのだろう。

 古今東西、どこでも戦いとは熱さと無縁ではいられなかった。たとえそれが、どんなに静かなものであったとしても。


 そして今、文字通りの意味での熱戦が、ここにあった。灼炎の大地をリングにして。


 赤々とした大地が空を焦がし、地を焼いてゆく。全てを飲み込んで炭素の塵へと変えんとする奔流は、今もなお拡大の一途を辿っている。

 その、熱された真っ青な空を、2体のヒトガタが泳いでいた。片方の影は刃を翼にしたような掌をその双腕からぶら下げ、片方の影は手に双剣、脚に双槍を備えていた。


「総督!」


『私が鏑矢だ!』


「了解!」


 灼熱の線、いや柱が天を焼き切り分ける。その狙う先にあるのは、ダンスをするように軽やかに空を舞う無貌の機械人形グリムゲルデ。魂を刈り取る鎌を避けながら死神の骨ばかりの腕を手に取ってクルクルと踊る姿は、現実感に乏しくて。


 そうして、仮面の乙女が死の興味を惹きつけている中、剣の乙女は握り締める全てを切り裂くその手を目一杯に開きながら、這いずる火の山へと弧を描くようにして向かってゆく。


 炎の主たる怪獣アヴァルも、それをただ見ている訳ではない。すぐさま標的をグリムゲルデからシュヴェルトライテへと変更し、未だ放射され続けている高圧砲の矛先を彼女に振り向ける。

 だが、その間に生じた僅かな隙はヴァルキリーにとっては突いて穿つに十分なもので。


「よそ見をするなァッッ!!」


 グリムゲルデの推進器が魔力共振で魔獣のような咆哮を上げ、トップスピードへと殆どゼロタイムで到達する。目標、前方。規格外怪獣。


 それに迷ったのはアヴァルだ。自身の外殻強度を信じて無視するか、それとも再び矛先を自身に吶喊して来る存在へと向けるか。

 グリムゲルデの加速力に面食らって一瞬フリーズした判断。そのような迷いは、大抵碌な結果を産まないものであるが、この場合も同様だった。


 裂帛の咆哮と共に、最大速度を乗せた剣の一撃がアヴァルの目の下へと叩き込まれ、それは直撃と言っていい程に力強く決まった。恐らく、アヴァルが咄嗟に身じろぎをしていなければ、その美しいルビー色の眼球を瞼ごと切り裂き、彼を隻眼に変えていた事だろう。


 ……だが。


「………足りないか」


 新たな小噴出口を作る程に深々とした切り傷はしかし、通常よりも遥かに素早く冷え固まる溶岩血によって見る見るうちに塞がってゆく。

 それは、グリムゲルデがシュヴェルトライテへの加勢に入った時から既に見せ付けられていた現象で、巨岩の表面をナイフで削ろうとするように、普通の外傷では大したダメージとはならないという事実を突きつけるもの。


 2人もこうなる事は予想していたらしく、先程の攻撃は事実確認といった所だったようだった。しかし、だからと言って何のショックもないという事はない。


『これは想像以上に厄介だよ、アオくん』


「ええ、ただでさえ硬くて熱いというのに、その上この修復能力………失血は狙うだけ無駄と思った方がいいでしょうね」


 そもそも、いかに巨体とはいえ一体何処に収まっていたのか不思議なほどの量の溶岩血を先程から噴出し続けているのだ。失血死などという事態が起こり得るのかすら怪しい。


 つまるところ、物理的な攻撃を闇雲に与えるだけでは絶対に倒せない。それが2人の一致した結論だった。

 そして、その次の仮説もまた声に出さずとも共通していた。


「総督」


『分かっているとも。体の外から攻めてダメなら、身体の内側から叩く。そう言いたいんだろう?』


 押してダメなら引け、というのに近い至極シンプルな発想だ。実際、体内の臓腑というのは凡ゆる生物に共通する急所と言っていい。それが規格外怪獣にまで当てはまるかは分からないが、しかし試さないのに足る理由もなかった。


 だが、問題が1つ。それは、一体全体どうやって歩く煉獄の中に攻撃を加えるのか?という事だ。

 何せ、2人の武装は接近戦に特化している。高速一撃離脱型のグリムゲルデは兎も角、組み付いてのパワー勝負こそが本領のシュヴェルトライテには辛い戦場だ。その上で、体内に対して有効な一撃を加える、となると相当の困難が伴うのは、戦術のせの字も知らない者でさえ理解できそうなことだった。


『それで、どうする気だい?生きて帰ると宣言した以上、よもやヴァルキリー爆弾などという手を取るわけにも行くまい』


「しませんよ。そんな昆虫みたいな真似。一応、自分に考えがありますが……」


 ほう、と興味あり気に総督が呟く。先程の全くのノープランだという旨の言葉に嘘がないのなら、アオはつい今し方それを思いついたという事だ。その内容に、彼女は俄然関心が湧いていた。


『……成程、それで?今それを実行しようとしないという事はっ!』


「ええっ!貴女の助けが必要って、事ですっ!」


 再び地上から空目掛けて迫ってくる炎の激流。それを剣の乙女は宙返りするように。仮面の乙女は横にスライドするように回避した後、追いかけてきたそれを更に身を屈めながら直角に急降下する事で躱した。


 アヴァルが戦乙女の回避パターンを覚えていくように、2人もまたアヴァルの攻撃を幾らか見切り始めていた。

 果たしてアヴァルの学習が追いつくのが先か、それともヴァルキリーの学習が突き放すのが先か。命懸けの追いかけっこが既に始まっていた。


『承ったよ!で、何をすればいいんだい?』


「………少しの間、グリムゲルデを無防備にしないといけません。あの怪獣の注意を、完全に逸らす必要があります」


『………中々、無茶なオーダーをしてくれるねぇ』


 言うは易し行うは難しとは言うが、これはその典型のようなものだ。

 これまでの接敵で、アヴァルがある程度以上の知能を持つことはミー総督は理解できていた。恐らく、グリムゲルデが不審な動きを見せれば即座に阻止にかかるだろうし、何よりその隙を見逃してくれるとは、彼女には思えなかった。


 とはいえ、他に出来ることは多くはないのも事実。何かやらなければ2人纏めて都市と諸共に黒焦げのシミに成り下がる未来は避けられそうにない、という事もまた理解できていた。


 ミー総督は特段死を恐れている訳ではない。むしろ、常人と比すれば死に対する感性は異常と言っていい。彼女にとって、死とは1度きりの大イベントという認識なのだから。

 ただ同時に、出来ることなら長く研究や実験を続けていたいという気持ちも確かにあった。だから、無茶とは思いつつも、最終的にはアオの提言に従うこととした。


『………まあいい。だがそれには、私に対する脅威度認定を引き上げてもらう必要があるねぇ』


「………なら、今度は僕が鏑矢ですね」


『ふふ、"悪魔の手"の真髄を見せようじゃないか』


 かくして作戦は纏まった。


『では行くぞ!!』


「了解!!」


 2体のヴァルキリーが揃って剣を剥く。四肢で以て蠢く火の山目掛けて。

 連携手順は先と同じ、互いが互いの陽動役となって、タイミングのいい方から接近するというもの。ただし、今回は可能な限りシュヴェルトライテを優先的に接近させなければならない。布石の為に。


 それに対して、アヴァルの対応は先程までとは違っていた。その首の辺りまで裂けるかと錯覚しそうな大口を向ける代わりに、背中に背負った火口を、丁度土下座をするような姿勢で彼女達の方へと向けたのだ。


 何をする気だ。そうどちらともなく呟いたその時、アヴァルの巨体が小刻みに震え始めた。それが、既に一杯の水槽に力を込めて水を押し込むかのように力を溜めているのだと気付くには、時間は必要なかった。


 アオは生存本能が大音量で鳴らす警告に従うまま、ミー総督はどういう意図でこの行動を取ったのかという論理的洞察に従い、火口の射線から大きく離れるように散開した。


 その瞬間、爆発と共に放たれたのは、溶岩の槍衾だった。


「んなぁっ!あんな真似まで!?」


『やれやれ、小技というものを知らないねぇ!』


 それは言うなれば、"拡散高圧砲"とでも呼称すべき代物。一本一本は口からの柱の如きそれよりは随分と細いが、驚異となるのはその数。面となって迫り来る溶岩血の太糸は、それぞれが未だ戦乙女の翼をもぎ取るに足るだけの威力を有している。咄嗟に大きく回避していなければ、その時点でこの戦いは決着していただろう。


 とはいえ、そんなIFの話はここでは価値のないもの。確かなのは、2体の戦乙女は火の針鼠を回避したという結果だけ。大振りな回避によって失速こそしたものの未だ高速を保つグリムゲルデとシュヴェルトライテは、重力を運動エネルギーに替えて再加速しながら、改めてアヴァルへとアプローチを開始する。


 高圧砲の死角に入り込まれた。そう察したアヴァルは、今度はその巨木の如き第二の腕を乱雑に、しかし的確な狙いを以て振り回しにかかる。

 圧倒的な質量と先端が超音速に達する程の速度の純粋な暴力。それは破砕力という点で言えば高圧砲よりも凶悪な凶器であり、直撃は無論のこと掠る事も許されないだろう。緊張は未だ解けない。


「このっ……唯の腕なのに……!」


『落ち着きたまえ!確実に接近できている!あとは継続あるのみだ!』


 ミー総督のその言葉通り、確かに戦乙女達はじわじわと自分の間合いへと近付きつつあった。そのせいか、少しずつアヴァルの腕の動きにも焦りが滲み出てきているようだった。


 そして、決定的になったのは、グリムゲルデが急加速で片腕をすり抜けて一気に接近したことだった。応急的に治癒するとはいえ、アヴァルにとってもグリムゲルデのスピードの乗せられた一撃は決して軽いものではない。故に急いで迎撃しようと意識を振り向けた、その瞬間が決定的な隙となった。


『おやおや、いいのかなぁ?そっちにかまけてッ!』


 それを見逃さず、シュヴェルトライテが飛翔する。攻撃的にその手を振りかぶりながら。その事にアヴァルが気が付いた時には、既に手遅れな所まで来てしまっていた。


 左手の5本の剣が甲高い悲鳴を発し始める。それは、高周波振動という形で運動エネルギーを付与された事によるもの。より攻撃性を増した刃が、アヴァルの外殻へと襲いかかる。


『ぜああぁぁあぁぁぁああッッ!!』


 斬撃。

 火花と共にシュヴェルトライテの左手がアヴァルの首のあたりに食い込み、血よりもなお赤い溶岩血が吹き出してくる。灼熱の返り血を受けて、表面にこびりついていたクラグの青い血が焼け焦げ、その身を黒く染めてゆく。

 コックピットに警告音が鳴り響くのも構わず、ミー総督は更に機体を横にスライドさせ、傷口を広げにかかる。


 堪らずアヴァルも苦悶の声を上げる。そこには、単に苦痛に対する反応というだけでなく、自らが焼けるのも厭わない捨て身に対する驚愕も込もっているように思えた。


 やがて首を通り過ぎ、下顎の辺りまで切り裂いた辺りで機体が限界と判断したのか、溶岩血に触れ続けて赤熱を宿した左手を切り抜くようにして引き抜いた。

 だが、ミー総督にはここで止めるつもりはない。続く第二撃。より殺意と殺傷力の込められた一撃を繰り出すべく、痛みにもがきながらシュヴェルトライテを噛み砕かんと接近してくる大岩のような牙を避け、アヴァルの頭上へと躍り出る。


 高熱に晒されて損傷を負った左手に代わり、右手が大きく掲げられる。その指が窄められたかと思えば、一瞬手首から高速で回転し、それが止んだ時には一つの銛がそこにはあった。



【シュヴェルトライテ、必殺!!】



 右手を収束させた銛……いやドリルが、先ほどよりも更に出力を上げて回転し始める。元来の出力に加えて魔力変換による上乗せもあって、手首の稼働部から火花が散るほどの速度へとあっという間に達する。



【戦乙女の刃を受けよ!】



 推進器とドリルの金切り声がドップラー効果を起こしながら、アヴァルの頭頂目掛けてシュヴェルトライテが落下してゆく。天から堕ちたる稲妻のように。


 そして、回り穿つ剣の一刺しは、遂に轟音を伴って火山の頭を捉えた。



【グングニルズ・エクセキューション!!】



 絶叫。そう、絶叫だ。熱い血肉を穿たれ、抉られ、掻き回されるという、世人の想像を絶するであろう苦痛。それが、アヴァルに今現在進行形で与えられているものの正体だ。

 シュヴェルトライテも、飛び散る溶岩血に己の身体そのものを焼きながら、炎の巨獣の肉を掻き分け続ける。暴れ回って首を振り回すアヴァルに執念深くしがみ付きながら。


 シュヴェルトライテのコックピットにオーバーヒートの警告表示が現れ、アラートがより一層激しくなる。この時点で既に熱ダメージは無視できないものとなっていた。血塗れになっていた左手も、冷え固まったそれによって作動不良状態に陥っている。

 しかし、それと引き換えに、深々と食い込んだ右手のドリルが何かひどく硬いものに到達した。それがアヴァルの頭蓋だというのにミー総督が気が付くのには時間は必要なく、気が付けばより一層込める力が強くなった。


 だが。


『ぐっ……硬い……!一体何で出来ているんだい!?こんな産みもあるとはねぇッ!』


 ドリルが、右腕がそこから先に進まない。骨があまりにも硬すぎるのだ。その頑丈さは、木の杭を分厚い鋼鉄版に突き立てているかのような錯覚をミー総督に抱かせた。

 そうしている間にも、アヴァルの暴れは益々以て激しくなっていく。刃が骨にまで達したのを察したのだろう。このままでは生命の危機があると、無理にも振り解こうと首を滅茶苦茶に振り回している。腕で取ろうとしないのは、下手に押し込むと危険だと理解しているからだろうか。


 穿たれる前に何としても引き剥がさんとするアヴァルと、その前に致命を与えんとするシュヴェルトライテと、両者の綱引きは筈かに剣の戦乙女が勝っているようにも思えた。もしも時間が許したのなら、或いはシュヴェルトライテの刃がやがては怪獣の脳を串刺しにしていたのかもしれない。

 しかし、時間という女神は残酷で不公平だった。


 ゆっくりとだが確実にアヴァルの頭蓋骨を削って行っていたその時、急速に右手の回転が弱まり始めた。機体診断を急いで表示してみれば、そこには熱による破損を示す警告が無慈悲に映っていた。

 無理もないだろう。何せ、溶岩ほどの超高温の中を無理やりに掘削し続けていたのだ。むしろこれまで故障無く掘り進められていたことが奇跡だったとさえ言える。


『………限界か……!』


 口惜しそうにしながらも、最低限の仕事はこなしたとばかりに、振り解きの勢いを利用するようにして急速離脱するシュヴェルトライテ。そのまま、推進機の出力を全開にして、大気を牽引しながらその反作用で吹き飛ばされるような恰好で飛翔していった、のだが。


 突如、推進器から聞こえてくるはずの音が鈍くなった。コックピットの中からそれを聞いていたミー総督は、それが何であるかをすぐに理解し、苦笑いを一つ浮かべた。


『やれやれ、少し頑張りすぎたかな……』


 攻撃中も猛烈に飛散していた溶岩血は、彼女の腕のみならず、機体そのものにもかかって熱によるダメージを与え続けていた。更に、冷えれば岩のように固まるという嬉しくないオマケつきだ。当然、推進器だけが無事ということはなく、しっかりとダメージを受けていた所にいきなり最大出力を出したせいで、オーバーヒートによる故障を引き起こしてしまったのだ。


 急速に速度を失い、母なる大地へと帰還してゆくシュヴェルトライテ。そこまでなら、落着してからも何とか立て直しようがあったかもしれない。マグマの溜まる地面の上に落ちることだけは避けられたのだから。

 だが、落ちる方向があまりに悪すぎた。


 そう。そこは、丁度アヴァルの正面だったのだ。



 あ、と間の抜けたような呟きがミー総督の口から漏れる。それは、「これから自分は死ぬ」ということを直感で確信したが故。振り向いた瞬間に猛獣が飛び掛かって来るのを見た人間の心境に近いものがあったかもしれない。


 アヴァルの方も、自分の頭に穴を開けかけた相手に対して、天晴れ見事、人の身でよくぞここまでやった、などと健闘を讃えて見逃すような精神は持っていない。シュヴェルトライテはどこまでも、討ち倒すべき敵でしかないのだ。

 だからこそ、これで終わりにすべく洞窟のような大口を開き、喉奥が真っ赤に発光する程に力を溜め始める。回避は、不可能。間違いなくこの一撃を以て、シュヴェルトライテは真っ黒な炭素と雑多な金属の混ざり合った何百もの小さな塊になるだろう。


 走馬灯が、ミー総督の脳裏を駆け巡る。今更になって、やりたかった事の後悔が溢れてくるが、それを口にする余裕は、ないようだった。


 そして、光が溢れて………。





「待たせました、総督」


【Armor Change!!】



 その光は、アヴァルからのものでなく。



「総督には、危険な役をさせてしまいましたね」


【Valkyrie's arrow is fired!!】



 その光は、仮面の戦乙女より放たれしもので。



「後は、僕に任せて下さい」


【GRIMGERDE Meteor Form!!】



 その光は、砲火を携えしグリムゲルデからのものだった。

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