ラスト・ヴァルキリー 11話①

 都市には、再びの喧騒が戻り来ていた。一時はクラグ達が退けられた事で静かに収まっていたそれは、またしても悲鳴と怒号と無数の足音が木霊する騒がしい灰色の森と化していた。更なる怪獣の襲来と、それが齎した、頭上より降る地面という異常事態によって。


 礫となって振り来る土色の塊は、数こそ多くはない。だが、運悪くその下敷きになる者達からすればそんな事は慰めとはならない。

 当たれば死へ真っしぐらの不運くじから逃れるべく、誰もが己の命を守ろうと必死になる中、包丁の面々もまた、今度ばかりは驚愕と危機を隠さずにはいられなかった。


「規格外怪獣、だって……!?」


「規格外怪獣!?なんたってそんなものがこんな所に!?」


「僕を物知り博士か何かかと勘違いしてないかい!?でもこれで分かったね。クラグ達は何も人間が憎くてやって来てたんじゃない。アレから逃げてたんだ……!」


 そう言ってアオ指差す先。そこには、煉獄の主が鎮座していた。


 大地が焼ける。燃ゆる山が蠢く。生ある限り生命は死を振り撒く。それは何者にも逃れられない影だ。怪獣とて。そして、今ここに立つ彼は、まさにその極致だろう。


 規格外怪獣……ここでは『アヴァル』と呼称しよう。

 怪獣の中でも一際な巨体もそうだが、彼の脅威は実に分かりやすい。背に空いた火口と、目一杯開けば天地まで届きそうな口から吹き出す溶岩状の体液。そして巨大な棍棒様となった第二の腕。これだけ。


 だが、彼にはそれ以上が必要ない。圧倒的な熱量はそれ自体が敵の接近を阻む盾であり、結界なのだ。攻撃は最大の防御、とはよく言ったものである。血までもが毒の蛇を狩りたがる生き物はおるまい。まして、炎の血ともなれば尚更。


 さっきまで緑に包まれていた山間が、見る間に岩漿と炎に沈んでゆく。

 怪獣自身を除いては何者も踏み込めぬ熱の結界。この世に、煉獄の顕現が為されていた。


 2人とも、こうして直に規格外怪獣を拝むのは初めてだ。だが、ランク1のアルファすら霞の向こう側へ置き去りにする脅威だというのは、見れば赤子にでも理解できる。これは、ヴァルキリーですら手に負えない敵だという事も。


「こんな奴、どうしようもない……!逃げるわよアオ!グリムゲルデを出して!それなら逃げ切れるわ!」


「っしかし、まだ人が……!」


「そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!?私達はヒーローじゃないのよ!!」


 だから、リンの決断も早かった。

 如何にアオが人より特別な力を担うとはいえ、限度というものがある。それを超えているのならば、たとえ他者の人命がかかっているとしてもアオと自身の命と安全を選択する。それが彼女の中のルールなのだ。酷薄、利己的などと言われようとも、だ。


 だが、アオにとってはそれは食事の中に紛れ込んだ蟲の如く許容し難いことだった。リンが自分の身を案じているのだと分かっていても。


「でも、ミー総督では勝てない!消耗だって少なくない筈だ!あのままだとこの都市は炭素の墓場になる!」


 それは恐らく、最も可能性の高い未来だ。流動性の高いアヴァルの溶岩血は、都市部を蹂躙するにはあまりにも効率的に過ぎる代物。侵入はおろか接近を許しただけで、この都市は岩漿の海に沈むことだろう。


 そして、クラグ達相手に大技を使用したミー総督にとって、アヴァルは分の悪すぎる相手。しかも、シュヴェルトライテは近距離戦型の機体。相性の面でもお世辞にも良いとは言えない。ミー総督が敗北するというアオの見立ては正しいものだろう。


「だったらアオなら勝てるって言うの!?あの化け物はグリムゲルデでも手に余るわよ!感謝なんて、墓場まで持っていってもしょうがないのよ!」


 無論、そんな事はリンにも理解できている。理解できているからこそ、なお反対するのだ。

 自分の命は当然惜しい。だが、それ以上にアオという相棒の命はなお惜しい。彼女を突き動かすのは、利己とそれ以上のたった1人に向けられた利他だった。


「いい?私はアオの昔の事に興味なんてない。大事なのは、アオが生きるか死ぬかよ。それが何よりの問題なんだから」


 何故アオが人の命を奪わない事に拘るのか。助けられる人の命を助けることに執着するのか。その理由を、リンは知っている。アオ・カザマという男のオリジンを。彼の人間性の底にあるものを。

 その上で、リンは否定する。アオの人助けの精神を、今回ばかりは。その命を守る為に。

 そのあまりに一途な訴えを、アオも無碍にはできなかった。


「……………リン、それでも僕は行くよ」


「っアオ!」「だけど」


「……約束するよ、リン。決して英雄にはならないって。危なくなったらちゃんと逃げるから」


 リンは沈黙するしかなかった。こうなったらどうしようもない、と直感出来てしまったからだった。唯一救いと言えるのは、1つの約束だけ。一番大事な命だけは粗末にしない、というある意味当たり前の宣言だけ。だから、リンに出来ることは、念押しすることだけだった。


「…………約束よ。破ったら、死んだ後あの世でアオの身包み剥いで豪遊してやるんだから」


「それは怖いね。折角天国に行ったリンが地獄に行きかねない」


「何言ってるのよ。その時は獄卒を買収してまた戻ってやるから。だから、死んじゃダメよ。私は死なないよう頑張るから」


 そう言い残して、リンはベランダから飛び上がっていった。恐らくは、建物の屋根伝いに避難しているのだろう。

 その様子を見届けたアオは、先程までリンを安心させるべく薄く浮かべていた笑顔を消し、改めて遠方に佇む怪獣の方へと向き直った。此方まで届いてくるような熱波を顔に受けながら。


 そして、アオはその手に、戦うための力を呼び起こした。



【Awaken!!】





******************





「全く………これは難産極まりそうだねぇ。流石に産みの喜びだけでは不足だよ」


 眼前に繰り広げられる地獄、いや煉獄の有様に、これは本国から研究費を割り増しで貰わないと割に合わないとの意を込めて、半ば現実逃避するようにそうごちたのはミー総督。

 包丁の2人に分析されるまでもなく、このままでは不味いという事は彼女自身がよく分かっていた。こんなものが現れると分かっていたのならばもっと効率の良い討伐を心掛けていたろうが、それはもはや過ぎたことだ。


『総督!一体何が!?』


「総員、市民の避難に尽力したまえ」


『総督!?』


「迅速に、だ。紙束を幾ら重ねて詰め込もうと、火の山を堰き止めることなど出来ない。規格外怪獣とはそういう相手なんだよ」


 規格外怪獣。その名が聞こえた途端、通信機の向こうが騒がしくなった。それはそうだろう。規格外怪獣とは戦場都市伝説にも近い存在だ。何せ遭遇ケース自体が殆どない上に、討伐記録など皆無なのだから。


 怪獣討伐は各地の神話や伝説にて英雄の証として語られて来た。だが、それはアゼロやクラグといった尋常の存在に対してのもの。規格外怪獣に相当する存在は討ち倒すべき者とは見做されなかった。それはつまり、人類一般に一つの認識が染み付いている証左だった。


 人は、規格外怪獣には勝てない、と。


『し、しかし総督は……!』


「なあに、最悪でも時間稼ぎ位はするともさ。それより、無駄な問答に時間を費やす気かい?悪いがそう暇は無いんだ」


 暗に邪魔だと言われて歯噛みする気配が通信機の向こうより聞こえてくる。だが、反論はない。ニー・ミー総督がこういう時にまで冗談を言う人間ではないと分かっているからこその沈黙。静かなる了承だった。


「どうやら分かってくれたようだね?なら、後の事は任せたよ」


『まブツッ―――』


 通信の切断は、有無を言わないという彼女なりの意思表示。それと同時に、眼前の怪獣へと意識を集中させる。


「さて、どういう訳でここに迷い出たのかは知らないが……ここにはそれなりに愛着の一つも湧いているのでねぇ。熱意が過ぎては暑苦しくて堪らない。お引き取り願おうかな」


 そうは言いながらも、現状の自分では追い払うどころか避難の時間を稼ぐのが精々だろうと自嘲してもいた。その末路にも想像は及んでいて、しかし心の中には己で想像していたほどの怯えは無かった。

 正義感から、というよりは、死という一大イベントに対する好奇というのが正確なのかもしれない。少なくとも、普通の人間の感性からはかけ離れたものなのは確かだった。


(やれやれ、探究の蝋燭はここで終わる運命か……だがまあいい、それなりに面白い影の形だったし、最後にひと楽しみさせてもらうとしようか)


 そして、覚悟を決めると言うにはどこか喜ばしげなそれを胸に、シュヴェルトライテの手を向けんとする。


 ここに来て、漸くアヴァルが反応を見せた。自身に向けられた敵意を悟ったのか。はたまた、自らに挑戦してくる気配を動作から読み取ったのか。その巨大な身体をゆっくりともたげて、天空に座するシュヴェルトライテを睨み上げる。未だその身から炎を滴らせながら。


 そうしてゆっくりと、メキメキと、まるで引き裂かれるように大口を広げて、地を震わせる低い低い咆哮をひとつ決めた。


 ビリビリと全てが震える。聴く者の心さえも。

 それはニー・ミーですらも例外とは言えず、常人離れした好奇心からなる期待の中から、湧水の如く原始的恐怖が這い上がってくるのを知覚していた。生物としての圧倒的格の違い。それを心胆の底に叩きつけられたのだから無理もない。むしろ、発狂することもなく顔を歪めるだけで済ませていることが異常なのだから。


 だが、それでも一瞬動きは止まる。耳を塞いでいるせいか、はたまた声だけで怯まされたのか。何にせよ、アヴァルという怪獣は見せたその一瞬に対して容赦が無かった。


「……っ!手荒い挨拶だ!!」


 反射的に身を翻したシュヴェルトライテ。彼女が先程までいた場所に、何か熱くて赤くて勢いのあるものが飛んでいた。


 体勢が崩れた所に更に2射目。今度は先ほどよりも必死に躱す。

 そして、そこで攻撃の正体を、ミー総督の目は確かに捉えていた。


 それは、アゼロ種が用いたような高圧砲の亜種。流体を高圧で噴出することで攻撃手段とするシンプルな代物だ。ただし、流体の正体はマグマ状の高温体液である、という但し書きが付くものだったが。


 水などよりもずっと比重が重い液体を高速で叩きつけられるというだけでも驚異的なのに、それに超高温まで加わっているとなれば必殺そのものだ。こんなものが直撃すれば、戦乙女といえど消し炭になることは避けられないだろう。

 おまけに、攻撃精度もかなりのものだ。単なる射撃の正確さも相当なのだが、アヴァルは明らかにシュヴェルトライテの回避方向を予想した上で射撃を繰り出しているのだ。


 それでも2射目までは、訂正、3射目、4射目までは躱せた。なんとか。

 だが、5射目以降は避けられるか分からない。アヴァルがシュヴェルトライテの、ニー・ミーの癖に早くも慣れてきているのだ。

 エネルギー量の甚大さだけでも厄介極まりないというのに、その上技術の面でも隙のないアヴァルに、早くもミー総督は苦境に立たされていた。そして、彼女は悟った。


(………これは、回避に徹していてはダメだな)


 ならば、攻撃に移るしかない。そう決断した後は早かった。

 指の代わりとばかりに生えた片手で五本剣。両手で十本の剣が、推進器と共に唸りを上げる。重力の助けを借りて、アヴァルとの綱引きにわざと負けたような格好で急降下してゆく。


 無論、アヴァルがそれをタダで見逃す筈もない。飛んで火に入る夏の虫そのままだと言わんばかりに、先程よりも出力を上げた高圧砲を向ける。

 轟轟と力が貯められる音が鳴り響き、やがて最高潮にまで溜まったことが誰の耳にも明らかになった時、彼の口内が光った。そのまま、溶岩の奔流は愚かな戦乙女を焼き尽くさんと迫り……。



【She's the Masked Maiden!】


『待ってくださいよ、ミー総督。雇われでは晴れ舞台に不足ですか?』


【GRIMGERDE!!】



 そして、それは唐突にズレた。丁度横にスライドするような格好で。


 邪魔するもののなくなったシュヴェルトライテは、勢いそのままアヴァルの硬い硬い外殻に確かな傷を付けて、勢いそのままに再び上空へと舞い上がった。


 何が起こったのか?その問いに対する正確な答えを、ニー・ミーはすでに持ち合わせていた。

 今の現象は、アヴァルの横面を何者かが引っ叩いた証で、その何者かの正体は、声が教えてくれていた。


 あの時確かに耳朶を打ったのは、つい先ほど覚えたばかりの聞き覚えのある声。つい先日聞いたばかりの聞き覚えのある電子音。

 ミー総督の顔に喜色の炎が灯る。やはりイレギュラーとはいいものだ、と。


「―――ふ、ふふ。いやいや。よもや君達がこんなにも得にならない残業をするとは思わなかったからねぇ。素敵な産みをありがとう、アオ・カザマ。やはり君達と知り合ったのは望外の幸せだったと確信できるよ」


 思わず、シュヴェルトライテの顔を自身の正面の方へと向かせる。そこにいたのは、自分の予想通りの戦乙女。

 槍のような脚。黒くてつるりとした顔。そして、そこに浮かぶ、獰猛に牙を剥いた顔を模ったような橙色のライン。ミー総督の想定では、こんな所に来るはずのない存在。


 それは、この世で唯一の傭兵ヴァルキリー、グリムゲルデだった。


『それは光栄です、総督。でもサービス残業をする気はありませんよ。貰うものは帰ってから貰うことにします』


 それは即ち、"貴女と共に生きて帰る"という宣言で。益々の想定外に、ミー総督の口からは自然と笑いが溢れていた。だが、それには愚か者への嘲笑といった色は含まれておらず、好奇心と喜びから来る純色のみがあった。


「は、はははっ。また面白い事を言うじゃあないか。勝算があるのかい?」


『そんなものありませんよ。今は。でも、僕も貴女も、ここの人達も死なずにいた方が目覚めがいいでしょう?だから、目標は大きくしておくんです』


 その、自分の命がかかった戦いの場にノープランでやって来ました、という白状の言葉に、総督の愉快と笑いの堰はいよいよ決壊したようだった。


「…………ぷっ……あはははははっ!!なんだいそれは!?君みたいな珍生物がこの世に本当にいるとは思わなかったよ!!あはははははっ!!今日はなんて産みの日だ!!信じてもいない神に感謝したくなる!!面白い。計画なしにやってみようじゃあないか!!」


 抱えるだけ腹を抱えながらも、ひと段落付けば直ぐにも戦闘体制を取り戻したのは流石と言うべきか。だが、未だグリムゲルデの通信からはくっくっという含み笑いが聞こえてくる。よほど可笑しかったのだろう。未だ愉悦の残渣が残って彼女の中で反響し続けていた。


 一方で、いい所で横槍を入れられて不愉快な心象になっていそうなアヴァルは、意外にも怒りを感じさせるような何かを見せることはなく。むしろその身そのままに闘志を燃え上がらせているようだった。来るなら来い。そう言っているかのように。


 轟、と再びの咆哮。それは都市の中にまで響き渡り、人々のパニックを助長していた。が、近距離で浴びせかけられた2人の戦乙女は流石にもう慣れたのか、揺らぐ事はなかった。


「では、私と一緒に良い産みを作ろうか、アオくん?」


『……オーダー了解。ご期待に添えるよう努力しますよ……!』


 かくして、剣と仮面の姉妹は共に並び立ち、その身を灼熱の戦場へと踊らせた。

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