ラスト・ヴァルキリー 10話③
彼の生涯の多くは孤独だって。
彼は頂点にある者だった。
彼は生まれながらの厄災だった。
彼は、鏖殺の王だった。
息を吸い、吐き、身じろぎし、蠢き、歩き、時に吠える。それだけで、全てが焼け落ちてゆく。
だから、彼と語り合える者はなく、並び立てるものはなく。己を生かし、己を知るのはただ唯一己のみ。
彼は、永久の時の中で期待というものを捨てた。何も変わり映えしない。いつも通りに起きて、いつも通りに活動して、いつも通りに死を振り撒き、いつも通りに眠りに付く。その繰り返しだから。
故に、微睡みと夢の中で、彼はかつての闘争を夢見る。当時はうんざりとしていて、今では恋しい闘争の記憶を。
これまでも、これからも、ずっとそうなるはずだった。
だが、その時は違った。
その時の目覚めは、いつもとは明らかに違っていた。
その覚醒は、己の衝動ではあれども己の内から出るものではなかった。
それはまるで、久しぶりに誰かに呼びかけられたかのようで。
もはや聞くことは無いだろうと思われた、傾注せよ、集結せよとの命令。
昔は反応せざるを得ないよう刻まれた本能にうんざりとしたそれに、今の彼は嬉々として応えた。何か、面白いことが起こるのではないかという、久しぶりの期待があったからだった。
だから、彼は目覚めた。目覚めて、そこが鬱陶しさから避け続けてきた人の住処だと分かっていてもなお、進み続けた。その途上にある全てを追い立てながら。
彼は進み続ける。魂の充足を得るために。喜びを知るために。
******************
瞬きほどの間に幾度となく刻まれた切断線。それらが網を成して敵対者を襲う。絡めとるためでなく、裁断するために。
だが死を宣告する死の線は悲しいかな、投げられた彼らには認識できず、何かが起こったと知覚できたのは、切り刻む網が起きあがろうとするクラグ達をするりと通過して、その下に隠れた地面に、自らの形を深々と刻み込んでからだった。
尤も、その正体には最後まで気付けず終いであったが。
突風が怪獣達の間を通り過ぎる。身を揺るがすほどのそれは、しかしそれだけで押し潰すほどではない。
一拍置いて、敵意が増大した。群れの同胞を殺戮した者への報復心だろうか。或いは忌々しいこけ脅しをされた事への怒りか。赤色の目線が赤色の戦乙女に改めて集中する。
生体ジャイロを稼働させて身を起こし、今度こそは眼前の鳥をはたき落とさんとし……。
そして、その全てが唐突に途絶えた。
怪獣達に唐突に慈愛と慈悲が目覚めたわけではない。ただ、一切の生命活動を停止しただけだった。その身を、コマ切れに切り刻まれたことによって。
ボトボトと、白い肉の塊が地面へ吸い寄せられるように落ち、転がり、青い臓腑の破片がそれに僅かに遅れて続く。その肉肉しさと吹き出す液体がなければ、積み木が崩れゆく様にも似ていたかもしれない。
屍山血河とはかくのごとし。
青血が刻まれた溝に我先にと溜まり、入りきれなかった分が死臭を巻き上げながら今より低い場所を目指して地を這ってゆく。
その中心。肉と殻で出来たうずたかい小山の上を踏みしめるかのような様子で降り立つ影。目を惹くのは、溶岩だろうと火傷させられるとは到底思えない頑丈で巨大な手。シュヴェルトライテだ。
その2つのセンサーが、足元の無惨な様を睥睨する。己が作り出した地獄の有り様を。果たして、彼女は満足だったのだろうか。それとも我がした事ながらに嫌悪というものがあったのだろうか。それは、表情を変えないままのニー・ミーの姿からは窺い知ることはできない。
ただ、確実に一つ言えることがあった。それは、生き残ったたった2体のクラグにとって、シュヴェルトライテは途方もなく恐ろしい存在であるように見えた、という事だった。
彼らは眼前の存在を先程までは恐ろしい外敵と認識していた。だが今は、それは脅威としては桁数からの読み違いであったのだと悟っていた。彼女は、コレは、自身達にとっての理不尽。一種の運動する災害。怪獣たちにとっての怪獣なのだと、そう認識を改めていた。
不意に、シュヴェルトライテが振り向く。未だ直立し、恐怖と畏怖に固まるクラグの方へと。関心を向けられしまった、という災難が彼らを襲う。
ぎろり、とシュヴェルトライテの双眼が睨んだように見えた。無論、機械の目故、そのような器用な感情表現が出来るわけではない。だが、向けられた側の主観としては、そのような事実が分かるわけではないし、分かっていたとて認識を覆し切れるものではない。
最早、生き残りのクラグ達からは戦意は損なわれていた。
折角災厄から逃げ延びてきたというのに、なぜ逃げた先でこんな化け物と鉢合わなければならないのだ。彼らが人のように口を効けたのなら、このように悪態を吐いていたことだろう。だが悲しいかな、彼らに声帯はないし、感情表現といったら漏斗からの吐息くらいのものだ。
シュヴェルトライテの少しばかり広げられた異形の腕は、まるで飛びかかる前の猛禽のような印象を見るものに与えていた。それは怪獣達からしても例外でなく、これから自分達も足元の悍ましい惨状の一部となるのか、という類の悲壮さを彼らに抱かせた。
そのまま、一体どれ程の時が過ぎただろうか。何十分も凍り付いたままだったかもしれないし、或いは数十秒かそこらだったかもしれない。だが、一枚絵のように動かない状況が動いたのは、シュヴェルトライテがその異掌を閉じて降ろしてからのことだった。
最初、クラグ達には理解が追いつかなかった。この小さき厄災は、自分達を追い詰めて全て根切りにする気なのだと、そういう認識がいつの間にか彼らの中で固まっていたのだ。だから、自ら攻撃の姿勢を解くということの意味を、彼らはすぐには解せなかったのだ。
だが、徐々に時間が経つにつれて、図体の割に頭の少々鈍い怪獣達にも状況が飲み込めていったようだった。つまるところ彼女は、シュヴェルトライテは、ニー・ミーはこう言いたいのだ。引くのならば見逃してやる、と。
それが分かった時、彼ら2体の間にはより賢そうな妥協案が浮かんでいた。
1体から、唐突に空気を吹き出す音が響いた。その奇怪な喇叭は、漏斗から吹き出す吐息の音だと、この戦を見てきた者達は誰もが分かっていた。
まだ抵抗する気なのか。この戦いを見物していた者達は再び緊張を湧き起こし、張本人たるニー・ミーはむしろまた産めるかどうかとどこか楽しみにしている様子だった。
だが、少なくともミー総督の期待は裏切られることになった。今も耳朶を打つその音は、立ち向かうためのウォークライではなく、一種の降伏宣言だったのだから。
「………狙い通りというのは嬉しいが産めないねぇ。愛しい伴侶のイレギュラーは未だ帰らず、か」
そう1人ごちる彼女の視界に機械の目越しに映るのは、地面そのものが回転台になったようにぐるりと踵を返す怪獣の姿。尻尾を巻いて逃げ帰るのでもなく、かといって都市の方へとあくまでも進撃するのでもなく、その外縁をなぞるように逃亡してゆく。ニー・ミーの思い描いた構図通りに。
それを見たもう1体のクラグも、倣うようにして同じルートで逃げてゆく。先達の轍をなぞるが如く。
巻き上がる土煙を眺めながらふう、と安堵と疲れと失望の入り混じった吐息を吐くのはミー総督。肺の中の空気を鼻息にして、出番がない安心を込めて思い切り捨てたのはアオとリン。互いに、危機が去ったという事実を噛み締めていた。
ミー総督は、残った2体のクラグが飽くまで抵抗してくるという可能性は低いと見積もりつつも、内心では期待を胸に抱いていた。だがそれは叶わず、熱の冷めた身体と頭と心は、既に指と指の間ほどに姿の小さくなった彼らに対する興味を喪失していた。
代わりに胸の内に湧き上がってきていたのは1つの疑問で、奇しくもそれはアオやリンの中に存在していたものと共通していた。つまるところ、"一体全体彼らに大侵攻を選択させた要因は何なのか"という事だ。
怪獣達の習性のことは、当然ながらミー総督もヴァルキリーとして知識に入れている。大侵攻という現象が短期間のうちに2度も起きるなどという事は有り得ない事態だということも。
それでも、現実にはこうして起こってしまっている。それもこのヤシマに対して。何か、特別な原因が無ければ説明が付かないことだ。
しかし、彼女もその特別な原因とやらに思い当たるものがあるわけではない。故に、悪魔の手のニー・ミーとて全くの謎、としか言いようがなかった。
「………やれやれ、これは円卓沙汰になりそうだねぇ」
総督、つまり帝国のヴァルキリー達だが、その間でこの後行われるであろう緊急会議にミー総督は思いを馳せ、怪獣達の横列を目にしても一切見せなかったうんざりとした顔になっていた。特に、第一地区総督と顔を合わせなければならないという事に対して。
仏の第二地区総督は兎も角、第一地区総督に関しては、有り体に言ってしまえば大嫌いだったのだから。
一方でアオとリンはといえば、やはりミー総督同様に考えが纏まっている訳ではないようだった。
何せ背景情報がほとんど無いのだ。何か前兆になる事があった訳でもなく、現状分かっていることといえば見たままの事だけなのだから。
とはいえ、原因はどうあれ、怪獣達による都市部の蹂躙という事態は防がれたのは紛れもない事実だ。
ミー総督はイーラン総督ほどグレイラインと呼ばれる原住民の生活に関心がある訳ではない。それでも、彼らが無惨に轢殺されて赤水染み出すグロテスクな押し花になる様を愉快に思う趣味はないのだ。それに、大勢の人命を救ったということ自体はシンプルに愉快なものであった。
包丁の2人にしても、惨劇を見ずに済んだことも自分達が無償での奉仕をせざるを得ない事態を避けられたことも、不愉快なことではなかった。
特にリンは、アオに不必要な危険を犯させずに済んだ事に人一倍の安堵を見せていた。彼の力量を信頼しているとはいえ、毎回のように見送る彼女の心境は決して凪いだものではなかったのだから。
3人だけでない。避難していた人々。避難を誘導していた人々。取り残された人々。立ち向かわんとしていた人々。誰もが怪獣が退けられたという現実を前に心を落ち着けていた。いや、一部は戦乙女への賞賛に心を沸かせていた。被征服者の中にさえ。
「……むず痒いものだねぇ。私も一応征服者なんだが……これも産みの痛み、という事なのかな?」
そして、それらは戦乙女の目にも届いていて、彼女を痛みとも快感ともつかないムズムズとした何とも言えない感覚に陥らせていた。
ミー総督の行動は占領政策的にも上の上の行為であるのだが、それに対して被征服者から返されるものが純粋に過ぎれば、かえって迷路じみた複雑な気持ちになってしまうようだった。
「まあ、いい……守備隊に告ぐ。シュヴェルトライテは帰投する。引き継ぎを頼むよ」
『りょ、了解しました……申し訳ありません、お役に立てず……』
「そう思うのなら素早く片付けをしてくれたまえよ。腐った空気の中では実験もできないからねぇ。産むに産めなくなってしまう」
原型を留めない死骸の上に未だ立つシュヴェルトライテ。その足が、肉の地より離れる。最早この死臭の丘に止まる意味はないと言わんばかりに。
既に脅威は失せた。であるからには、去らねばならない。彼女は必要とされなくなるために戦ったのだから。
とは言え、こんな魚介類にとっての悪夢を模ったような場所で顕現解除するというわけにもいかない。ミー総督も足を血液に浸しながら帰る気はない。だから、こうして空より帰るべき場所へと帰ろうというのだ。
そして、戦乙女が帰り行く光景は、即ち全てが終わったという証だった。
帰り来た安堵と安寧の象徴。常にそうであり、今もまたそうなるであろうもの。
存在と振る舞いだけで人々の心に安らぎを齎す。それもまた、戦乙女の魔力といえるものなのだろう。
だから、それを引き裂かれる。その絶対とも思える法則が破られるという事は、それ即ち特大のイレギュラーなのだ。
地鳴りが、初めはカタカタと。次にはグラグラと。仕舞いには轟轟と。次々に大きくなりながら大気をも揺らす。まるで、巨大な手に揺さぶられているように。
それは既に空高く舞い上がっていたシュヴェルトライテの元にも届いていて、大地の異常事態を知らせてきていた。
地震か?との言葉はミー総督の口を思わずついて出たもの。だが、その言葉とは裏腹に、彼女はより悪い事が起きそうな薄寒いものを感じていた。足先から頭の頂点まで氷柱に刺されたような、そんな感覚を。
こういう時には殆どの場合、碌なことが起こらないのだと彼女も身を以て知っていた。サバイバル訓練でのアクシデントの時。搭乗訓練での事故の時。地獄週間で同僚が死にかけた時。似たような感覚を味わっていたのだから。
やがて、地鳴りが収まり始める。ゆっくりと確実に首を引っ込めていくそれは、しかしミー総督と包丁の2人にとっては、むしろ嫌な予感を大音響の警告へと変えさせられるものだった。
そして、脈絡もなくピタリと止んだ、その一拍後の事だった。
地面が、爆ぜた。
なんだ、という驚愕の言葉も、布を破くように引き裂かれる大地の轟音に掻き消された。
巨人が下を向いて思い切り息を吸い込んだように土埃が舞い上がり、続いて土色と灰色と赤茶色の塊が空へと跳ね飛ばされる。それらはやがて、頂点で一瞬立ち止まり、思い出したように地面へとこぞって回帰してゆく。
大地は天空からの帰還者たちを喜んで迎え入れてくれるが、その上に住まう生命たちにとっては災厄以外の何者でもない。押しつぶされる命。叩き折られる命。引き抜かれる命。埋められる命。それらは等しく死という結末へと叩き落とされる。
何が起きたのか?その問いに対する答え方は大きくは2つあるだろう。大地が割れた、という見たままのものと、地下から何かが出現した、という根本的なもの。その2つが。
やがて、地面に死が蔓延し始める。それは、ごうごうと燃え盛る炎でもあり、それは、ゆっくりと溶け始めた大地でもあった。
想像を絶する熱波。それが、厄災の中心であり、厄災の産む悪夢であった。
それは、『のたうつ火山』だった。
「規格外怪獣、だって……!?」
火山が、吠える。星よ、我を祝福せよとばかりに。
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