ラスト・ヴァルキリー 10話①

 虫を潰すように、とは無惨であっけない死に様の形容である。だが、本当に潰されて死ぬ者が、果たしてどれほどこの世にいるだろうか?それも、生き物に。

 しかし、その地獄はここに現れていた。原型を留めない、などというものではない。もはやそれが生物であったのかすらわからない残骸。それが、回転する生命に轢き潰された者達の成れの果てだった。


 地面という地面が平らかに均される。ゴロゴロと、ゴロゴロと、10つの迫る車輪によって。進むたびに木々が押しつぶされ、命が潰えてゆくその光景は、まさに黙示録の一場面だと言えるだろう。最初に草木が倒され、潰されて、そして命が終わりゆく。その文言のままだ。


 地響きと共に行進するそれらは、この世界では馴染みの、そして出ずることは多くない、生きて蠢く天災の一角だった。


 クラグ種。

 陸棲の軟体動物型怪獣の一種であり、ぜんまいを巻いたような螺旋の殻を持ち、自身を回転させることで移動するという風変わりな習性の持ち主だ。

 だが、これを風変わりというだけで済ませられるのは外野の感想というものだろう。何せ、クラグは怪獣の例に漏れず巨体だ。それが転がって動き回るということ自体、遭遇する者たちからすれば災厄以外の何者でもない。思わず、そんなに自分達地を這うものが憎いかと悪態を吐きたくなるだろうほどに。


 無論、彼らも悪意を持って轢き潰すのではない。彼らからすれば人間や尋常の動物などというものは気にかけるには小さ過ぎるという、ただのそれだけなのだ。だが、潰される側からすればそんな事実が慰めになるはずもなく、彼らは死とともに多くの怨嗟を集める存在であった。


 今なお命で自らの轍を舗装し続ける彼らが目指す先。それは第三地区の中心地にして研究都市でもある『新クスバ』。かつての工業地帯の面影はないそこ目掛けて、一心にその身を捩って走り続ける。まるで何かに惹かれるように、或いは追い立てられるようにして。


 警戒の網を潜り抜けるようにして不意打ち気味に現れた大侵攻という脅威に対して、軍は遅きに失していた。いや、正確には崖側で這い上がろうともがくような必死さで今も迎撃の準備を進めてはいた。ただ、その対応は致命的に遅く、外縁に到達するまでに間に合わない事は誰の目にも明らかだった。


 だがしかし、軍にとっては外縁の被害というのは許容できる範囲のものでしかない。何せ、そこに住まう者達の多くは元いた場所を追われたグレイライン達なのだから。むしろ、もし彼らが囮になったら幸運だ。そのように考える者も決してゼロではないのだ。

 押し付けられた命の価値は、ここでも無辜の人々に容赦なく牙を剥く。理不尽が理不尽を呼び、彼ら彼女らは今狼の眼前の兎同然となっていた。


 嘆きの声が、呪いの声が、諦めの声が、求める声が混ざり合って木霊する。

 壁に遮られた内部へと何とかして入ろうとする者。立ち尽くすしかない老人を押しのける者。倒れた子供を踏みつけてゆく者。冷静な判断など、もはや望めない状態だった。


 だが、クラグ達にはそんな事は知ったことではないようだ。彼らは自らの思考の元に、自らの価値観の元に、そして自らの生存本能の元に行動する。それに駆り立てられるまま、潰えさせる命など気にすることなく直進を続ける。人もまたそうであるように。



【シュヴェルトライテ、必殺!!】


「さてと、私とて仮にも総督の身……」



 ただ、人には人に踏み潰されるがままの蟻とは違うことが一つだけあった。



【戦乙女の刃を受けよ!】


「お給金分は、働くとしようか」



 それは、人には戦乙女が味方していた、という事だ。



【グングニルズ・エクセキューション!!】



 一体のクラグの横を、突風が通り抜けた。それは旋風というには小さく、しかし確かな力強さがあり、件のクラグは気を取られて思わず前進を遅らせていた。

 それと同時に、何かが自身の中を通り抜ける感覚が彼を襲っていた。痛みは、ない。だが、何か大事なものを喪失したような感覚は覚えていて、それは今もなお継続していた。


 喪失。そう喪失だ。かのクラグからは、何か……命が失われていっていた。流血。青い流血が滝を作り、河を作り、そして生命を押し流していっていた。

 やがて、ぞるりとその1本の傷跡から、白くてかる何かがまろび出た。肉肉しく、柔らかで、滑るそれは、切り裂かれたクラグのはらわただった。

 それでも、肉袋を破かれても、彼は最後まで痛みを感じることはなかった。その意識がぷつりと途絶えるその瞬間まで。


 隊列から遅れを取った血生臭い1体につられてか、次々とクラグ達の前進が止まってゆく。まるで、隊列を乱すことは罷りならぬと言わんばかりに。

 身体ごと振り向いた彼ら。その視線の先には、異形の戦乙女が己を誇示するがごとく宙に佇んでいた。



 ぽた、ぽた、と青血が滴り落ちる。水滴を産む切先は、右に5本左に5本。それは剣であり、それは腕より伸びる手だった。


 まるで練り上げられた頑健な戦士を思わせる彼女の姿は勇壮で、強靭で、そしてただ1つ、猛禽の翼のように巨大に広げられた手だけが異様。

 指は誰かと手を握るということを拒絶するかのように鋭く、名工が鍛えた鋭利な大剣を束ねて手を作ったかのようで、握れば何もかもを引き裂くそれは、まさに操縦者の異名通りの『悪魔の手』であった。


 彼女こそ、帝国のヴァルキリー3柱が1人、剣の乙女『シュヴェルトライテ』である。



 擱座したように立したまま動かなくなった1体のクラグ。流れる血液と臓物、そして漂う死の匂いは、彼が既に事切れているのだと理解させるのに十分で。

 それを成したのが眼前の悪魔であるのだと彼らが気が付いたのは、果たしてどのタイミングだったのだろうか。何にせよ、それはクラグ達の目標をシュヴェルトライテに変えさせるには十分に過ぎるものだった。


「どうやら脅威だと思ってくれたようだねぇ。重畳重畳。でも、産まれる程ではないかなぁッ!」


 眼前の凶鳥を破砕し、土煙に血を練り込んでくれようと迫り来る車輪達。移動を目的としたそれまでとは明らかに速度と込められた殺意が異なる、攻撃の為の前進だ。

 彼らの進みは巨体を考えれば驚くべき速度で、それを為す漏斗からの吐息は暴風となって巻き込んだものを高々と舞い上げる。


 だが、対する戦乙女に臆する心はない。この場において狩る者はどちらなのか、それを彼女はよく知っているかのように。


 シュヴェルトライテの巨大な腕がぶわりと広げられ、日光が刃指に反射して凶悪な輝きを放つ。それは、死にゆく者への鎮魂歌を指揮するタクトでもあった。

 そして、自らへと向かってくる車輪のうち最も突出した1体に狙いを定めると、それを物言わぬオブジェクトへと変えるべく、声もなく吶喊した。


 クラグ達からすれば異様、異常と言わざるを得なかった。何せ、自分達のこれに自らより小さき者が何ら臆する事なく突っ込んでくるなど、経験のない事なのだ。だから、決して速度は緩めなかったが、動揺に近いものはあった。

 とはいえ、自らの優位を疑っているというわけでもなかった。普通に考えれば、両者衝突して競り勝つのは明々白々にクラグ達の側なのだから、それも当然。だから、彼らは直進を続ける。同胞が如何にして殺されたのかも考えることなく。


 地を転がり進むクラグと、空を切り裂くシュヴェルトライテと。両者の速度が合算された相対速度は互いの距離をみるみるうちに縮めてゆく。やがて、それがゼロに近付いたその時、最も接近していたクラグの回転する視界の中から戦乙女の姿がかき消えた。

 どこに行ったのか、そう問う前に彼の感覚神経が中枢神経系へと信号を引っ切りなしに送り続け、その意味が思考するより先に理解させられる。これは、苦痛なのだと。


 見やれば、クラグの頑強な外殻に深々と5本の傷跡が刻まれ、そこから青い体液が大穴のあいた樽さながらの様子で漏れ出ていた。

 通常のストライダーの場合、対装甲兵器か非装甲化された部位を狙い撃ちしなければ有効打を与えることは難しい為、クラグ種は相対する兵士達からは嫌われる存在である。だが、シュヴェルトライテとそれを駆るミー総督は、こともなげにそれに手傷を加えていた。


 そして、苦悶から思わずバランスを崩しギリギリのところで持ち堪えた彼は、それに集中していたがために、天頂から放たれた続く第2撃を知覚することが叶わなかった。


「ぜあぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」


 振り翳したその手は、惑星の重力という巻き取り機の手助けを借りて悲鳴を上げる窒素と酸素とその他の混合気体諸共、クラグの身を外殻ごと火花をあげて切り裂いてゆく。

 それに一拍遅れて、肉袋を破られた事による血の決壊がより一層大きく、そして致命的になる。漏斗からは苦しみからテンポの外れた法螺が鳴り響き、それは必死さを増していく。


 そんな同胞の姿を見かねてなのか、或いは単純に仲間にかかりきりになっている姿をチャンスと捉えてか、殻の抵抗を手で受けながらも地面にまで勢いよく到達しそうなシュヴェルトライテへと、スピードを殺さないままに向きを変えた別のクラグが迫り来る。そのまま衝突も辞さず押しつぶそうというのだろう。

 実際、それはこの場ですばしっこい彼女を倒すには合理的選択肢に思えた。現在のシュヴェルトライテは手を外殻と肉に食い込ませていて自由を縛られた状態にあるのだ。その瞬間はヴァルキリーの圧倒的機動性は殺されている。好機と見るのは正しい判断だ。


「いい判断だねぇ。しかし……」


 だが、忘れるなかれ。この程度で屠れるのであれば、彼女は悪魔の手などと御大層な二つ名で呼ばれてはいないのだ。



【グングニルズ・パニッシュメント!!】



 瞬間、刃の指に噛みつかれて引き裂かれていたクラグの肉が、出し抜けに爆ぜた。血雫と肉の破片が細かくなって宙を舞う中、枷から解放されたシュヴェルトライテの推進器に魔力が瞬間のうちに充填され、目前まで迫っていたクラグの突進を軽々と回避してのけた。


 すると困った事態となったのは突っ込んで来たクラグの方である。何せ、何の成果もないまま、ただ死に近づいていた味方を谷底目掛けて蹴落とす真似をしただけに終わったのだから。

 ………いや、正確には、己ごと突き落とす形になったというのが正しいのだろう。クラグ同士が衝突して轟音が鳴り響いた次の瞬間には、突っ込んだ彼の側面に戦乙女の凶悪な腕が深々と差し込まれていたのだから。


「私に産ませたければ、面白く生まれ直してきたまえッッ!!」


 そして、炸裂。再び血と肉の青薔薇が生み出され、遅れてぽっかりと空いた穴からどくどくと生命力が勢いよく漏出してゆく。

 彼らの痛みというものが脊椎動物と同じなのかは分からないが、とにかくそれは冷静さを奪わせるには十分なもので、衝突された方共々、生体ジャイロを機能させる間も無く勢いそのまま派手に横転していった。


 今はまだ生きているものの、これで2体のクラグが死へと真っ逆さまに落ちる運命が確定した。


 残るは、7体。

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