ラスト・ヴァルキリー 9話

「ゔぅ゛〜身体中が怠い〜……」


「程よく苦労したみたいだね、リン」


 第三地区内で包丁が取っていた宿の一室。アオが苦笑しながら薬箱を開いている目の前で、リンは生ける屍となっていた。


「これが程よくなら、アオの給料減給しようかしら……」


「やめてよ。ほら、これ飲んで。取り敢えず差し当たっては持ち直せると思うから」


「はーい……あむっ」


 今の彼女には嫌味を続ける気力もないようだった。

 何せ、ニー・ミーは良い意味で見る目があり、悪い意味で容赦がなかった。リンがグリムゲルデに慣れるのに合わせて段々とテストの内容を苛烈にしていくので、ひと時も休まる時が無いのだ。しかも、全武器を十分にデータ出しし終わるまでそれが続いたとなれば、幾ら魔人でも最近運動不足気味のリンには堪えた。


「これを機に、リンももっと身体動かしたほうがいいよ。魔人でも体の丈夫さとかスタミナとかに関わるんだから」


「耳に痛いわね……でも私だって他にやることあるのよ?仕事とか買い物とか…」


「あと買い物とか買い物とか買い物とかね」


「そこまでじゃないわよ!?」


 第三者視点からしてもさして間違ってもいないように思えるが、少なくともそれを指摘する命知らずはこの場にはいない。アオも含めて。


「まあまあ、運動したい時は気軽に言ってね。僕も手伝うよ」


「アオが手伝うって、あの早起きして走りこんだりジム行ったりしてるヤツ……?」


「ジムまではしなくてもいいけど、軽く走るくらいはした方がいいよ。体力はつくから」


 そんなアオのお誘いに嫌そうな顔になるリン。実際のところ、ただ単に身体をハードに動かすのがそんなに好きじゃないだけなのだが、それは恥ずかしいから言いたくないようだ。若干バレている節もあるが。

 とはいえ、アオも強制してまで勧める気はないようだが。


 なお、この後この話がエマの元に伝わった結果、リンは早朝から方舟中を走らされるようになるのだが、それはまた別のお話。


 閑話休題。まあそのうちね、と結局やらない人間の鑑のような言葉で締めたリンは今、アオからの按摩を受けて濁音付きの汚い声を上げていた。まるで熱々の風呂に入るオヤジである。


「あ゛ぁ゛ぁ゛〜そこそこ……枯れた体に染みるわぁ〜……」


「すごい声だねリン……自分でもやってるけど、そんなにいいものかい?」


「最っ高よ゛ぉ゛〜…身体中の堰が開けられた気分だわ゛〜……」


 百年の恋も冷めるってこういうのを言うんだな、などと失礼なことを考えているアオ。だがそのような感想を抱くのも無理らしからぬ事だろう。彼もその気は無いとはいえ異性の、それも贔屓目にも綺麗所のリンの身体を触る事に思うところはあったが、始めてからの醜態にそんな感情も引っ込んでしまっていたのだから。


「それで……どうだった?」


「ん゛あ゛〜……え、言ったでしょー?キツい依頼だったーってー……」


「そうじゃなくてさ、ニー・ミー総督だよ。どんな人だったの?」


 アオはミー総督という人物と会ったことはないが、それでも些か変わった人間だという事は聞き及んでいる。というか、そもそも経歴からして異色なのだ。


 魔人ながらにして皇国軍の基盤的技術局へと飛び級を重ねて入局し、その後すぐに兵器開発において頭角を現す。ここまでならば珍しくはあれどもよく聞くスーパーエリートの経歴といった所だろう。

 しかし、彼女はその後技局を一時休職したかと思えば急にヴァルキリー候補生の道を歩み始め、遂には帝国のヴァルキリーとしての地位を実力で勝ち取ってのけたのだ。こんな人物に興味を湧かせるなというのが無理があろう。

 そして、それに対するリンの評は……。


「あ゛ー………なんというか……」


「なんというか?」


「…………頭のおかしい人?」


「そこまで言うかいリン?」


 側から見ても酷いものだった。


「いやそうは言うけどさ、事あるごとに『産まれる!』とか『妊娠しそうだ!』とか言う人が可笑しくないと思う?」


「おかしいねその人」


「失礼な、妊娠は言ってないよ」


 アオもアオで掌を返すのが早い。無理もないが。


「大体何が産まれるのよ……これじゃあ処女受胎のバーゲンセールじゃないの」


「キミからもらった感動で産まれてるんだから、リンくんとの子ということになるねぇ」


「認知したくないわよそんなの……」


 先程の心底気持ちよさそうな気分も吹き飛んだとばかりのげんなりした顔になるリン。脳裏に白無垢姿のミーが出てきたのを払うように頭をブンブンと振る。妄想でもごめんだと言わんばかりである。


「嫌われたものだねぇ。私はキミのことを中々気に入っているんだけども」


「逆になんで好きになれるのか聞きたいわ。あんな目に遭わされて」


「キミなら出来ると思ってのことだよ。信頼の証さ」


「いや出来たけど、でも加減ってのがあるでしょ……?」


 リンのげんなり顔は益々深まっていく。厄介な人間に好かれてしまったという事実から逃げたい思いからか、或いは最終的に二桁のストライダーを軽々殲滅できる程度にまで無理矢理慣らされた事を思い出しての事か。


「それをするだけの価値があると思ったのさ。私とてストライダーを消耗しすぎだと部下から絞られてしまったが、後悔はしていない。あれだけ産まれたのは久しぶりだからねぇ」


「あ、やっぱり。あんなに出して大丈夫かしらってずっと思ってたもん」


 後で怒られたと聞いて内心ざまあみろと舌を出しているリンだったが、ここではおくびにも出さない。態々腹の空いたクマのごとく怒らせかねない行動をとる意味もないのだから。


 そんなふうに損ねた機嫌が少し回復した所で、いつの間にやらマッサージの手を止めていたアオがツンツンと指先を釘にしたように肩の肌を突いた。

 こういう時のアオは何かを尋ねたいのだと知っているリンは、それに対して怪訝にはなりながらも何事かと顔を振り向けた。


「………どうしたのよ、そんなキツツキみたいに叩いて」


「ねえリン、さっきから誰と喋ってるの?」


「………はえ?」


 そこで漸くリンは気が付いた。先程まで喋っていた相手がアオではないということ。そして、何か得体の知れない……いや、聞き覚えのある声と口癖の人物と話をしていたという事に。


 ギリギリ、と油をさしていないゼンマイ仕掛けの玩具のような動きで首を回すリン。その視線の先には果たして思い描いていた通りの、そしてここに居るはずのない人物の顔があった。



「やあ、また会ったねぇ。気が付いてくれたようで嬉しいよ」



 悪魔の手、ニー・ミー第三地区総督の悪戯っぽい笑顔がそこにはあった。



「―――うぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 一瞬の静寂。その後、リンの言葉にならない悲鳴が部屋中に響き渡った。

 部屋の中にいた者達は幸運にも耳を塞ぐのが間に合ったが、その凄まじい音量は3つほど隣の部屋の宿泊者の脳すらシェイクし、苦情を言う前に記憶をゴミ箱に勢いよく投げ捨てさせた上で夢の世界へと旅立たせた程だった。


 きいんと叫びが未だ反響する世界で、思い切り叫んだ事で多少は落ち着きを取り戻したのか、先程に比べればだいぶマシな音量でリンは質問を口にする。なんで貴女がここに!?と。


 それに対して、ミー総督はにいっとどこか粘着質さを感じさせる笑いで応える。知り合いだと言ったら鍵をくれたからねぇ、と。


「どんなセキュリティ意識なのよここの主人は……!というか、一体何の用なんですかッ!?」


「特段の用はないよ。ただ、折角だから顔を合わせようと思ってねぇ」


 総督ってそんな暇なの!?という疑問が思わずリンの口を突いて出る。懇意にしている別の総督、第二地区のチェン・イーランは、客人へのもてなしが息抜きになる程度にはいつも忙しそうにしている事を知っているからだ。


「暇とは心外だねぇ。単に仕事を急いで一通り片付けただけだよ」


「随分早いんですね……?」


「ふふ、キミに会えるかもしれないと思うと捗ってねぇ」


「ひっ!?」


 リンは自らの肌がゾゾゾッと総毛立つのを知覚していた。生理的な嫌悪が身体に現れるのを抑えきれなかったのだ。普通に考えればミー総督のそれは悪いジョークの類なのだろうが、リンには冗談に聞こえなかった。

 そんなリンの様子を見ていられなくてか、アオが2人の間に割って入る。ついでに、リンはアオを盾にするような格好になった。


「そこまでですよミー総督。ウチの代表を虐めてあげないで下さい」


「おや……そうか、キミがグリムゲルデの正規パイロット?成る程成る程……噂には聞いていたが、本当に男だとは。リンくんを見た時はデマかと思ったよ。いやはやよもや包丁の双方に産まされるとはねぇ……これも運命というものかな?いい終わりにはいい始まりがないといけない。君達とはいい終わりが楽しめそうだねぇ」


 今度はアオをしげしげと観察しながら、捲し立てるように一方的に話すミー総督。

 確かにこれはリンが苦手にもなるな。まるで重機にストーキングされてるみたいだ、とアオはどこか納得したようになる。気の毒にもなっているが。


「総督」


「おっといけないいけない。済まないねぇ、よい産まれに我を忘れてしまった。エマ殿には内緒にしてくれたまえよ」


 そういう自覚があるのなら我慢してくれないかなぁ、とはアオの心の中の弁。まあ、出来るのならとっくにもっと殊勝な振る舞いをしているのだろうが。


「はぁ……ミー総督、次からはアポをお願いしますね?」


「ふふふ、了承したとも。キミたちとはもっと親睦を深めたいからねぇ」


 ねっとりとした視線に、心の毛がゾワゾワと逆立てさせられるアオ。リンに至っては完全に顔をアオの背中で隠してしまっていた。


「まあ、今日の所は顔合わせといったところだね。リンくんには嫌われてしまったようだし、時間をかけて仲良くしていこうじゃないか。ふふふ、キミ達には今後も実験で世話になることだろうから、機会はあるからねぇ。私はキミ達の秘密をもっと色々知りたいよ。一体どれだけ産まれることになるか今から楽しみでしょうがない。そうそう、これは土産という事で置いていくから、好きに食べてくれたまえ。それでは、また会おうじゃないか」


 またしてもそう一方的に捲し立てるミー総督は、言葉が終わるなり袋を置いて部屋から立ち去っていった。


「…………嵐のようにやって来て嵐のように去っていったね」


「だから言ったでしょ。頭のおかしい人だって……私もーイヤよ!あんなのに会わないといけない第三地区なんて金輪際行きたくないんだから!!」


 リンは若干ヒステリーを起こしてしまっているが、それも無理もないことだろう。彼女からすれば巨大な毒虫に求愛されているようなものなのだ。

 ついでにアオも、妙なのに気に入られちゃったなぁ、と半ば現実逃避するように思考していた。


「……それはまあ、エマさん次第なとこはあるかなぁ。あの人、依頼が偏らないように気を揉んでる節あるし……取り敢えず、次からは僕が出るよ」


「ううう………本当に頼むわよアオー………」


「ところでこのお土産、中身は……… エッグタルトみたいだね。しかもまだあったかい。食べる?」


「い・や・よ!!」


 そんなリンの様子にアオはじゃあ僕が貰うよ、と早速土産に手を付けた。何気に甘いものが好きな彼にとっては嬉しいお土産だったようだ。


「あむ……うーん、なんだか不思議な味だね。そんなに甘くないのにしっかり甘味をしてるというか……いい趣味してるよあの人」


「そんなのよく躊躇いなく食べられるわね……」


「気にしすぎだよリン。それに、美味しいお菓子に罪はないでしょ?」


 アオが早速籠絡されてる、と若干絶望したような眼差しを向けるリン。この様子では第三地区の土を踏むという体験に次が出来てしまいそうだと直感したのだ。


 しかし、そんなリンの暗い雰囲気をよそにアオは上機嫌そうにエッグタルトを頬張っていた。こんなのが貰えるならまた来てもいいかもね、などと考えているあたり、リンの懸念もあながちと言ったところか。


 一つの部屋にくっきりと境界が見えそうな隠と陽が現れ、片方は溜め息を溢し、片方はもぐもぐと菓子を貪っている。そんな壮大でないようで実際その通りな空間が展開される。

 そんな気の抜ける空気を破ったのは、アオとリンのどちらでもないし、まだ気絶中の隣人達でもないし、まして腰を抜かしているこの宿の従業員達でもなかった。


 緩んだ、或いは混沌としたその空気を切り裂くハサミとなったのは、耳を劈くようなけたたましい高音だった。

 それと同時に、落ち込んで下げられていたリンの頭はバネが跳ね返るように上を向き、そしてアオは口に入れていたものをびっくりして飲み込み損ね、喉に詰まらせていた。


「〜〜〜〜ッ!!?!」


「何事!?……ってアオーっ!!どうしたのーっ!!?」


 突然の事に動揺していたせいもあってか、顔を土気色にして膝を突くアオに駆け寄り、襟を掴んでブンブンと振りたくるリン。なお、そのせいでますますアオの顔色が悪化していることには気が付いてない。


「しっかりしてしっかりしてしっかりしてしっげすふっ!!」


「―――っはぁーっ……殺す気かいッッ!!?」


「良か゛っだぁぁぁっ!!」


 だが、運良くいい角度を向いたのか食道の方に飲み込むことができたアオ。その返礼は、リン顎目掛けての鮮やかな掌底であった。あんな目にあっては無理もないが。

 とはいえ、喰らったリンの方は気にする様子を見せず安堵を先に見せていたようだった。


「はぁ、はぁ……全くもう……悪かったねリン。それで、これは一体何事なんだい?」


「………私にも正確なところは分かんない。けど、昔似たようなの聞いたことある。もしかすると……」


 リンの記憶領域から、一つの鮮烈な思い出が蘇る。警報。逃げ惑う人々。家族と共に逃げる自身。そして、母の後ろ姿と勇姿。

 今は捨てたかつての家、そこでの記憶が今の事態に対する一つの推測を付けさせていた。


 そしてリンのその予想は、アオ自身も疑問を呈しながらも薄々予感していたそれは、果たして当たっていた。




『―――避難警報発令。避難警報発令。怪獣接近。怪獣接近。脅威度、最大ランク1と推定。市民は直ちに避難してください。繰り返します。避難警報発令。避難警報発令。怪獣接近。怪獣接近。速やかに逃げてください』





 ******************





「やれやれ、少し出掛けていたらこんな事に巻き込まれるとは……いい産みばかりだった跳ね返りかな?」


 逃げ惑う人の急流。生半可な堰であれば押し流してしまうだろう色とりどりの流れの中心に、その姿はあった。まるで深々と差し込まれた杭のように。


 掻き分けられ、ぶつかる波にも動じることはなく、くっと脚に力を込めたかと思えば、その身を高々と空に運び上げた彼女は、まさに第三地区総督にして、ヴァルキリーの担い手たるニー・ミーその人だった。


「まあいいさ。元より、こちらも私の本分だからねぇ」


 そう言うなり、その手に機械的な意匠をした棒状の物体が出現する。それはまるで脈動するように光を発していて、素人目にも何かの力を宿しているのだと直感できた。

 徐に、ミーがそれを両手で端と端を握り込んだかと思えば、ぐい、と軽く力を込める。それだけで棒はパキリと折れ……いや、元からそうだったように折れ曲がって、コの字型に変形したのだ。



【剣を持ちては握る手を剣となす!!】


【故に、彼女は剣そのもの!!】



 唐突に、手の内に握られるそれから、勇壮なる男の声が流れ始める。

 光の波動の中から高らかに読み上げられるそれは讃歌であり、誇示であり、宣戦布告だった。

 戦乙女を讃え、その強さを誇り、敵対者を畏れさせんとするもの。


 そしてミーは、今まで何度も聞いたそれを出陣のバックミュージックにして、己の戦乙女を顕現させる最後の一押しを押し抜いた。



【覚醒!!】



 戦いに生きる鎧が、守護者の剣が、這い回る光と共に形作られていく。

 曲がりくねるそれは初めは輪郭を作り、次には中身が作られて、最後には緑葉が紅葉するように色が付いてゆく。


 光が晴れる。

 そこには、まさしく翼のごとく広げられた「悪魔の手」があった。



【聞け!聞け!彼女こそは刃の手持つ剣の乙女!!】


【シュヴェルトライテなり!!】

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