帝国編

ラスト・ヴァルキリー 7話

 光が、跳ね回る。


 そこは光の監獄。白亜の世界。

 天井から降り注ぐ光線は、白と白と白の中で少しずつ弱まりながら、隅々を旅して白を強調して回る。それが出口のない、閉じた世界の旅なのだとしても、文句の一つも言うことなく光は一瞬の間に役割を全うする。

 消失と生成の現在進行形たるこの部屋には、ひどく生気というものが薄かった。


 だが、今死んだ光の部屋に立つ者が一人だけ。いや、一体だけ。

 光を喰らう黒いのっぺらぼうの顔が、白づくめの空間でひどく浮いて見える。まるで、面が宙に浮いているかのような錯覚さえも覚えるほど。


『やあ、待たせたようだね。実験というのは本当に心踊るが、前準備が多すぎていけない』


 唐突に、声が響き渡る。明らかにスピーカー越しとわかるそれは、抑えきれない好奇心を孕んだ女の声。この空間、この試験場の支配者の声だ。


「いえ、安全であるに越したことはありませんので」


『ふふふ、私としては直ぐにでも始めたいのだが、君に何かあっては方々が五月蝿いのでねぇ』


 どこか舐めつけるような粘度を感じさせる声色。これにリンは苦手意識を拭えなかった。この女にあまりまともな感性は期待できそうにないという事は、翻って言えば何もなければ安全を軽視してでも実験を行っていた、という旨の台詞からも分かるだろう。

 だが、実際にそうなってはいない以上、彼女も文句を言うことはできない。今できるのは、その手に握られたものの試験をやり遂げることのみ。


『それじゃあ、試験を開始しようか』


 そうして、始まりを告げる言葉と同時に、グリムゲルデの黒い無貌に光の筋が燈った。




 〜1週間前〜




「新装備の性能評価試験?」


 方舟第一都市は包丁の事務所。今日は晴れ。

 寒がりのリンのために冷房を弱めに効かせた応接間にて、リンとアオが隣り合って下座に、その対面の上座へとエマ防衛室長が腰掛けていた。

 ちなみに今回はいつものようにいつの間にか上がり込んでいた訳ではなく、コハクからの依頼以降暫く暇しそうな2人に仕事を持って来てやろうという親心から、きちんとアポを取って訪問していた。


「うむ。お主ら、第三地区の総督のことは知っておろう?」


「ニー・ミーのことですか?技術屋畑出身だという」


「そう、『悪魔の手』のミーじゃ」


 悪魔の手のミー。そのあまり穏やかでない異名は、彼女の才覚と性質、そして彼女が駆る機体の特性に由来していた。

 彼女は帝国のヴァルキリーの一角であると同時に、帝国でも指折りの兵器技術者でもある人物だ。特にストライダー用兵装などに用いられる術式の開発においては傑出した成果を有しており、その発想は皇国もそのままコピーする例もある程度にはエキセントリックなものであった。


 だが、天は二物を授けずという事か、そんな文武両道の彼女には一つ困った点があった。それは、兎に角他人を実験台にしたがるということだった。それも、安全を保証できない段階であっても。

 言うまでもない事だろうが、彼女は3つに分割されたヤシマにある3人の総督の1人だ。当然、そんな人間からの「頼み」を断れる人間はそうそういない。本人に圧をかけているつもりは無くとも、だ。


 そんな訳で、ミー総督に声をかけられてはたまらないと、皆極力いないフリをしたり避けたりすようになり、その結果なかなか実験が出来ないというのがここ最近の彼女の悩みだった。


「まあそういう訳で、儂の方を通して助けを求めてきたというのが経緯じゃ」


「いやアホなんですかその人」


「直球じゃのうお主……」


 かなり酷い言いようだが、しかしエマも内心では同意しているのか、特に叱りつけるような様子はない。まあ、ほとんど私情に近い上に原因は自滅のようなものとくればそうもなろう。


「大体、そんな不確実性の高すぎる依頼受けませんよ?こんな事でアオを失うのは嫌ですからね」


「そう言うと思って、儂の方から圧はかけておる。事故時は黙ってはおらんとな」


 それでも泥棒前科持ちを見るような疑り深い目を隠さないリン。というか、そうは言いますがやはり信用しきれませんとハッキリ伝えてしまっている。

 無理もない、とエマは内心ため息を吐く。ミーと包丁の2人には今の所接点はない。そんな完全な赤の他人と言っていい関係の、それも良からぬ噂の多い相手を信用しろというのが無理があろうというものだ。

 尤も、今回の依頼は方舟の外交や治安といった事とは関係のないものである以上、断られることでエマに痛手はない、のだが……。


「そうは言うがの……お主金が必要じゃろう。数日前にオーディオ機器を山程買い漁っておらんかったかの?」


 エマがそう言うなり、分かりやすくなんで知ってるのよこの年齢詐欺師!!という顔になるリン。そして、どういう事だと声には出さずとも分かりやすく怖い顔で隣に訴えるアオ。


「そういえばその日はアオがコハクの嬢の相手をしてへたばっていた頃じゃったかの。お主、部下を労わるのにかこつけてそれは感心せんな?」


 アオの顔がどんどんと筆舌に尽くしがたいものとなり、それに連動するようにリンの顔色が真っ青となって冷や汗が滝か急流のようにダラダラと流れる。

 この女、アオの監視の目がないのをいい事に、自分の趣味のものを買いまくっていたらしい。バッグや服や時計だけでは飽き足らず、音楽機器まで買うとは多趣味なことだ。


「まあ、この様子ではまたアオの世話になるじゃろうて。そうなる前に、一仕事請け負わんかの?」


「い、いやでも……それ結局アオがやるんじゃ………」


「お主が乗ればよかろう。何も戦えと言っておる訳ではないのじゃから」


 急激に渋い顔になるリン。とはいえ、拒絶をする様子はない。

 彼女はヴァルキリーで戦うことを嫌っている身だが、一通り扱うことはできる。エマもそのラインをその人によっては愛らしさを覚える目で見極めているからこそ、こうして提案をしているのだ。

 アオはといえば、特に反対する理由もない様子だ。ヴァルキリーの継承は本来重い意味を持つが、信頼し合う2人の間にはそうした苦しさを覚えるものはないようだった。


 がっくりと項垂れたようになったリン。自業自得だが、捨てられたペットの如く憐れみを覚えずにはいられない光景だ。


「ふむ……その様子では、決まりのようじゃな」


 そう言いつつ、エマは数枚の紙を机に置いた。中身は無論、依頼の詳細である。これが置かれたということは、それは依頼が受諾されたと見なされたサインだった。

 リンはそれに抵抗する様子を見せず……というか出来る状況ではないようだ。一方のアオは、当然だとばかりの様子で鼻を鳴らす。


 そして、先ほどからの光景がずっと目に付いていたエマは話題転換がてら、それに対する質疑をボールにして投げかけることとした。


「ところで……先程からアオはどうした?貝のようになって黙っておるが」


 今度はアオの顔が苦くなる。それは出来れば聞かれたくないといった様子がありありと見て取れるもので、かえってエマの疑問と好奇心を掻き立てた。

 だが、質問に対して彼はやはり黙したままで、代理人として代わって返答をしたのはリンだった。


「あ、あぁ〜……その、まあ、アオは今まだ声が枯れてまして………」


 しかし、そのはぐらかす様な返答は逆に疑念を増すもので。その上、男という特異体ではあるが魔人のアオが声を枯らしている、というのもエマには気にかかった。

 ………尤も、その理由に思い当たるのには早かったが。


「…………ははぁ成る程成る程。そういえば、お主には言っておくべきであったのアオ?」


 と、急に悪戯っぽい声色になったエマに、話の矛先を向けられたアオは訝しげになる。だが、それも続く言葉が彼の脳に信号となって届くまでだった。



「お主な、コハクの嬢とお楽しみをするのは構わんが、ちっとは声を抑えた方がよいぞ?防音にも関わらず外に漏れて出るとは尋常ではないからの」



 ボン!と擬音が聞こえそうな程真っ赤になったのは無論アオの顔。

 何に恥ずかしさを覚えているかと言えば、当然外にまで自身のあられもない声が聞こえていたという岩のように揺るがない事実。

 エマが知っているくらいなのだ。タワーの人間達には恐らくあの熱い夜のことは端々まで知れ渡っているだろう。それが分かるからこそ、益々アオの顔の赤みは深まっていく。


「どうせおおかた、あんあん大声で喘ぎ過ぎて声が枯れたのじゃろう?夜から昼まで止まなかったそうじゃからのう」


「アオ……帰るのが遅いなーとは思ってたけどアンタ……昼までって……」


「仕方あるまいて。あの後疲労困憊で熟睡しておったのじゃからな。羨ましいのう、若いとは」


 言葉の槍が次々とアオの心に突き刺さってゆく。彼もコハクには初めて以来ずっといいように鳴かされてきたという自覚があるだけに、反論もできない。

 それに留まらず、今度はリンから呆れ目を送られる始末だ。


「おまけに、あちこち汚れて掃除には難儀したとも聞いておる。部屋は綺麗に使わんといかんぞ?」


「なんかあんまり想像したくないわね……そんなとこでよく寝てられたものだわ」


 もはや虐めと見まごう言葉攻めに、それを投げられた方は完全に俯いてしまっている。

 よく見ればプルプルと震えていて、今の彼が羞恥で首を引っ込めた亀というよりは、弁の壊れた圧力鍋なのは注意すればわかるのだが、弄り甲斐のあるオモチャを見つけて若干調子に乗っている今のエマはそのサインを見落としてしまったようだった。だから、うっかりトドメの言葉まで放ってしまった。


「くくっ……お主、随分とお盛んな事じゃのう?」


 ブチッ。

 そんな何かが切れる音がどこかからか聞こえたようだった。

 あっ、引き際を誤った。そうエマが気がついたのはその直後であった。


 カタカタと沸騰したヤカンの蓋が跳ねるような勢いで、アオの身体が小刻みに揺れる。それが、怒りからのものと気が付いたら時には、もう宥めるには手遅れだった。


「う、うふ、うふふふふふ…………………コロス」


 ぎらり。そう擬音をたてながら、彼の愛用する鉈がぬっとまろび出る。その鈍い光には、明らかに仕事の時でさえ出さない殺気が込もっていて、妖刀を思わせるような禍々しさがあった。

 それで、自分達の弄りが原因で顕現した具体的な命の危機を前に2人はどうしたかというと……。


「ちょ、ちょっとアオ!私何もしてない!私達仲間!」


「リンお主ーっ!儂一人に責任を押し付けるでないわーっ!!」


「主にエマさんのせいでしょーがっ!!私こんなことで死にたくないですからね!!実質上司みたいなものなんだから責任取ってくださいよ!!」


「ぬがぁぁぁっ!!やめよやめよ!儂を盾にするでないーッ!!儂だってまだ死にとうないーッ!!」


 なんとも醜い責任の押し付け合いを始めていた。

 これで土下座して謝りでもしていればまだ矛先を収める可能性はあったというのに、かえって怒りを加速させているという自覚はないようだ。

 そんな人間の醜悪さを凝縮したような諍いを前に、アオはとうとう堪忍袋の尾が切れたようだった。


「うわぁぁぁああぁぁ粛清ィィィィィィィッッ!!!」


「「ギャァアアアアアァァァッッ!!!」」


 追いかけっこはこの後一時間に渡って続いた。




 ******************




 一騒動がありつつも、依頼に向けた手続きはつつがなく進み、1週間の後には包丁の面々はヤシマの第三地区へと足を踏み入れていた。

 流石に技術屋出身の総督が治めているだけはあって、中心地は技術研究都市としての様相を見せており、そちらの方面には疎い2人はすこしばかりおのぼりさんの気分になっていた。尤も、片方はそうでいられる時間は短いものだったが。


「はぁ……ヴァルキリー動かすのなんて久々ね……」


 そう愚痴を言うように一人ごちているのは、普段は包丁の代表を務めるリン。その手には、本来ならアオだけが召喚できるグリムゲルデのキューブが収まっていた。今だけのレンタルだ。

 彼女は今、ヤシマは第三地区に設けられた白亜の兵器試験場の入り口に立っていた。視線のずっと先には、恐らくは今回の実験で使うのであろう巨人用装備品の数々が立ち並び、見るものを威圧してくる。とはいえ、ヴァルキリーを見慣れたリンには今更と言ったところのようだが。


 この試験場は、リンにはどうにも落ち着かなかった。なにせ、目が痛くなるほど白くて眩しいことを差し引いても兎に角広い。

 まあ、ストライダーの実働試験も行う場所なのだから当然と言えばそうなのだが、大声で叫べば山彦が聞こえてきそうなそこは、人間が立って歩くということに違和感を抱かせるに十分なものがあった。



「やあやあ!キミが包丁のヴァルキリー?」



 余計にため息をついていそうな項垂れた雰囲気のリンへ、唐突に声がかけられる。どこか距離感というものを感じさせない、しかも子供めいた好奇心を覗かせるその声は、リンが今までに経験したことのない類の声色だった。しかし、音声だけでも匂ってくるその独特の個性は、同時になんとはなしに声の主をリンに推理させてもいた。


 振り向いてみれば、心の中に思い浮かべていた写真と一致する顔が、どこか胡散臭そうな満面の笑みを浮かべていて、やはりと自分の心を褒める。

 あまり整えていない短い黒髪。ともすれば10代後半にも見える黒い童顔。明らかに総督がするものではないラフすぎる服装。あとなぜかゴム草履。笑顔で閉じられた瞼の下には、恐らくは森の大陸のような翠眼が隠れているのだろう。


 間違いない。彼女が、悪魔の手こと第三地区総督のニー・ミーだ。


「いえ、その代理人です」


「まあ何でもいい!キミ私の実験に協力してくれるんだろう?だろう?キミは本当にいい人だよ!私の心が感謝と結婚して出産しそうだよ!」


「は、はあ……?」


 急に自分の手を両手で取ってブンブンと振りたくってくる彼女に、リンは困惑を隠せなかった。なにせ、妙に馴れ馴れしい上に言っていることが微妙に支離滅裂だ。これで困惑しないのは同類かよほど人の話を聞かない人間だけだろう。


「はぁぁ……苦節一ヶ月。私の慈雨が漸く降り注ぎそうだ……!私はこの終わりの為に開発をしている。終わりがなければ始まりもない。分かるかね!?始まりのない研究などないも同然だ!この時漸く私のやってきた事は始まって終わるんだ!ああまた産まれてしまった!」


「あ、はい」


 ボルテージが上がるにつれて益々意味不明となるミーの言葉にリンは完全に圧倒されているようで、これじゃあ関わり合いになりたくない人だらけになるのも無理はないわねと失礼な事を考え始めていた。

 だが、そんなリンの適当な相槌も今の彼女は真に受けてしまうようで、何も知らない人が見れば見惚れそうな花が顔に咲いた。


「分かってくれるかい!分かってくれているよね!分かってくれて嬉しいよ!さあさあ、早速キミのヴァルキリーを出してくれたまえ。私もすぐに準備に取り掛かろう。何せ私のヴァルキリーでは中々実験可能装備が限られているのでねぇ。マトモな体型のヴァルキリーが羨ましいよ。あっ、なんならキミのと私ので交換するかい?私は大歓迎だよ!無論報酬は………」


「あの、早く始めるんじゃないんですか?」


「おっとそうだった。話が長くなるのは私の悪癖だ。それではリンくん!また暫く後に!」


 さらりととんでもない事を言い出し始めていたミーだったが、リンに遮られてやるべき事を思い出したようで、喋る早さはそのままにどこかへペタペタと間の抜ける音と共に駆け出していってしまった。

 私たちがつむじ風ならアレは台風か何かね。それがミーという人間に対する、リンの正直な感想だった。


 だが、報酬を貰っているのだからいつまでもぼうっとしているわけにもいかないのが傭兵の辛いところ。恐る恐るしている間もなく、急ぐように大股で中心部へと歩を進めてゆく。


【Awaken!!】



【Who's the face under the mask?】

 

【Who's the face under the mask?】


 リンの手から。いや、その内のキューブから、戦乙女を喚び起こす起動音声が高らかに流れ始める。

 いつも思ってるけど前に乗ったのとは違うのよね、などと思考しながらも、リンの心臓は早鐘を打つように鼓動していた。戦闘を行う必要はないと分かっているとはいえ、ヴァルキリーを久方ぶりにきちんと動かせるだろうかという不安はどうしても拭い難いものだったのだから。


 だが、やるしかない。彼女とていつまでも金欠になってはアオに泣き付くようなことは止めなければならないと分かってはいるのだ。だから、せめてこういう時くらいは自分で稼げるようにならなければと意気込んでもいた。無駄遣いを止めれば済む話ではあるのだが、そちらに関しては諦めているようだ。


 そしてリンは意を決すると、戦乙女を顕現させる最後の一押しを押し込んだ。



【She's the Masked Maiden!】


【GRIMGERDE!!】



 僅かな時間の後、そこには仮面の戦乙女、グリムゲルデの姿があった。

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